通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

二葉あき子歌碑 広島市東区二葉の里

2015年11月30日 | 見て歩き
二葉あき子さん歌碑

生誕100年祈念

広島市東区二葉の里








JR広島駅北口側、広島市東区二葉の里(ふたばのさと)に、

二葉の里出身の歌手、故・二葉あき子さんの歌碑が

生誕100年を祈念して建立された、

というので見に行ってみた。







碑に向かって右側の説明板には、

この碑の建立の趣旨が書いてある。





二葉あき子歌碑 建立の趣旨


二葉あき子(本名:加藤芳江)は、大正4(1915)年2月2日、広島市東区二葉の里で生まれました。
昭和9(1934)年、東京音楽学校在学中に日本コロムビアから『四つ葉のクローバー』と題する教育音楽を吹き込み、以降、音楽一筋の道を歩み、平成23(2011)年に亡くなるまで、昭和・平成の二世代にわたって歌い続け『夜のプラットホーム』『フランチェスカの鐘』『水色のワルツ』『さよならルンバ』など数多くのヒット曲で、わが国の歌謡史を飾る代表的な歌手として活躍してきました。

昭和20(1945)年8月6日の原爆投下の際には、父の郷里である三次市に向かう芸備線に乗車しており、列車が東区中山トンネルに入った途端に原爆の閃光と爆音に遭い危うく難を逃れ、それ以降、反戦平和への気持ちは人一倍強く『夜のプラットホーム』『フランチェスカの鐘』は、原爆や戦争の犠牲者への鎮魂の歌として終生歌い続けてきたのです。

この碑に刻まれている彼女の代表歌の一つである『夜のプラットホーム』は、太平洋戦争時につくられたもので、出征兵士を見送る悲しい別れの場面が連想されることから、戦時中は軍部から発売禁止されていたという経緯がありますが、昭和22(1947)年以降、彼女は『二度とこんな別れの光景を見ることのないように』との願いを込めて歌い、大ヒットしたもので、彼女の功績を讃えるモニュメントとしての意義は大きなものがあると言えましょう。


二葉あき子の平和への思いを込めて歌い続けた意思を讃え
生誕100年・被爆70年を記念して歌碑を建立した。


平成27(2015)年11月吉日
二葉あき子歌碑建立委員会 委員長 原田康夫








説明板の左下には「音声スタートボタン」があり、

それを押すと、二葉あき子さんが歌う

『夜のプラットホーム』を聞くことができるんじゃ。





ほいじゃが、その音量は小そうて(=小さくて)、

車が通ると聞きづらい。





道路を隔てて反対側に民家があるので、

それへの配慮と思われる。

こりゃ、仕方ないところかのう…。







碑銘の揮毫(きごう)をされたのは、

元広島大学学長で、テノール歌手でもある

原田康夫(はらだ やすお)氏。







碑の裏側に書かれた協賛者の中に、

皆実有朋会(みなみゆうほうかい)

広島県立三次(みよし)高等学校同窓会

という名前が見える。





「皆実有朋会」とは、

県立広島皆実高等学校の同窓会で、

二葉あき子さんは同校の卒業生。





↓皆実有朋会については、こちら↓

皆実有朋会





「広島県立三次高等学校」は、

東京音楽学校(現:東京芸術大学音楽学部)師範科を卒業した彼女が、

教鞭をとったのが同校になるんじゃそうな。





↓広島県立三次高等学校については、こちら↓

広島県立三次高等学校







碑の高さは1.8メートル、

幅は3.2メートルあって、碑の後ろ(南東側)には

ゆめマート二葉の里が見える。





訪問日:2015年11月29日





今日は、広島市東区二葉の里に建立された、故・二葉あき子さんの歌碑について話をさせてもらいました。

ほいじゃあ、またの。
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ヒマラヤザクラ 光が丘山根公園

2015年11月29日 | 季節の話題
ヒマラヤザクラ

冬に咲く桜

光が丘山根公園








今日、広島市東区にある

光が丘山根公園に行ってみると…、







…桜が咲いとるじゃん!

11月も終わりじゃいうのに、

なんでこんな時期に桜が咲いとるん??





調べてみると、この桜は「ヒマラヤザクラ」いうて、

冬に咲く珍しい品種の桜じゃそうな。





↓光が丘山根公園のヒマラヤザクラについては、こちら↓

「光が丘山根公園 ヒマラヤザクラ」広島市の観光ガイド「ひろしまナビゲーター」


















わしゃ、このあたりに住んで20年になるが、

こんな珍しい桜がこんな身近なところに植えてあるとは、

今まで全然知らんかったのう。





今日は、季節外れの花見をさせてもらいました。





訪問日:2015年11月29日





今日は、広島市東区の光が丘山根公園に植えてある、冬に咲くヒマラヤザクラについて話をさせてもらいました。

ほいじゃあ、またの。
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JR広島駅北口改良工事(その5)

2015年11月25日 | 広島の話題
JR広島駅北口(新幹線口)

ペデストリアンデッキ整備

東側通路の足場設置が始まる






↓JR広島駅北口改良工事については、こちら↓

「広島駅北口広場」URBAN HIROSHIMA 街づくりデータベース





↓前回記事は、こちら↓

JR広島駅北口改良工事(その4)







このブログでは、「ペデストリアンデッキ」なんていう、

舌をかみそうな横文字は使いとうないんで、

「ペデストリアンデッキ」を「歩行者専用通路」と

呼ぶことにします。





また、上のイメージ図にある3つの歩行者専用通路は、

左から、東側通路、中央通路、西側通路

と呼び分けています。







シェラトンホテル2階の東側通路から見たところ。

東側通路には足場が組まれ、通路の形が少し見えてきた。







JR広島駅と通路を結ぶ出入口にも足場が組まれとった。

ここにも屋根が取り付けられるんじゃろうの。







中央通路も近いうちに姿をあらわすか?







新幹線口東交差点からJR広島駅北口を見たところ。







中央通路の昇降口の橋脚を据え付けるための土台。

後ろに西日本旅客鉄道広島支社が見える。











西側通路の昇降口の近くに寄って見ると、

「エレベーター工事中」とある。

ここにはエレベーターが設置されるんじゃの。







広島初の二階建てオープンバスで

広島市内をクルージングする「めいぷるスカイ」。

車体には雪の結晶が描いてあった。



「めいぷるスカイ」は

ハロウィーン ヴァージョンから

冬バージョンに衣替えじゃの。






訪問日:2015年11月23日





今日は、JR広島駅北口改良工事について話をさせてもらいました。

ほいじゃあ、またの。
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猿猴橋復元工事(その14)

2015年11月24日 | 広島の話題
猿猴橋復元工事

被爆70年事業

工事中







大正浪漫 猿猴橋

被爆橋梁の一つである猿猴橋を

1926年(大正15年)当時の姿に復元します。








猿猴橋(えんこうばし)を西側から見たところ。







橋を東側から見たところ。





今日、11月23日は勤労感謝の日。

こんな日にお仕事、ご苦労様です。





仕事の邪魔にならんよう、

写真は遠くから撮らしてもらいますけぇの。







今日は、道路の川上側を舗装されとりました。







猿猴橋の川上側、駅前大橋との間の猿猴川に

ネットが張ってあった。

浚渫(しゅんせつ。水底の土砂などをさらうこと)工事を

されてんじゃろうか?







橋の奥、画面中央に高くそびえるのが、

広島駅前Bブロック西棟。

今は37~38階あたりを建設中じゃった。





↓猿猴橋復元工事については、こちら↓

「猿猴橋復元事業について」広島市ホームページ





↓猿猴橋については、こちら↓

猿猴橋復元の会





訪問日:2015年11月23日





今日は、猿猴橋で行われている復元工事について話をさせてもらいました。

ほいじゃあ、またの。
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猿猴橋復元工事(その13)

2015年11月17日 | 広島の話題
猿猴橋復元工事

被爆70年事業

工事中







大正浪漫 猿猴橋

被爆橋梁の一つである猿猴橋を

1926年(大正15年)当時の姿に復元します。








猿猴橋(えんこうばし)を西側から見たところ。

手前の「自転車 衝突注意 徐行願います」

の看板は新たに設置されたものじゃ。











橋の床板の下側を工事しとると思うたら、

欄干(らんかん)を建てるための土台を作っとるところじゃったんじゃの。







工事現場でかならず見かけるのが、

「立入禁止」の看板。







「立入禁止」は、英語版の看板もつけられとった。

外国人旅行客向けに必要なんかの?







あと、工事現場でよう(=良く)見かけるのが「オジギビト」。



「オジギビト」とは、工事現場で通行人に向かって頭を下げ、

注意や警告を呼びかけるキャラクターのことで、

漫画家のとり・みき氏が『愛のさかあがり』の中で名付けた造語じゃ。





↓「オジギビト」については、こちら↓

オジギビト集会所







橋の奥、画面中央に高くそびえるのが、

広島駅前Bブロック西棟。

今は36~37階あたりを建設中じゃった。





↓猿猴橋復元工事については、こちら↓

「猿猴橋復元事業について」広島市ホームページ





↓猿猴橋については、こちら↓

猿猴橋復元の会





訪問日:2015年11月15日






今日は、猿猴橋で行われている復元工事について話をさせてもらいました。

ほいじゃあ、またの。
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