通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

潮干狩りに行こう

2011年03月30日 | 季節の話題
「肌寒い日が続いて、桜がなかなか咲かんねぇ」

「花冷(はなび)えじゃのう。この週末は天気もええし、潮干狩りにはええんじゃないんかの」

「潮干狩り? そりゃええねぇ」

「海上保安庁海洋情報部の潮干狩りカレンダーを見たら、4月2日(土)から8日(金)が潮干狩りに適しとるいうて出とったのう」



↓潮干狩りカレンダーについては、こちら↓

海上保安庁提供 潮干狩り情報
http://www1.kaiho.mlit.go.jp/JODC/SODAN/shiohigari_calender/default.htm




「大潮はいつかいね?」

「2日(土)から4日(月)じゃ。3日(日)が旧暦の3月1日で、新月じゃけんの」

「ありゃ、潮干狩りって夏もやるんじゃったっけ? これ、3月から8月まで出とるじゃん」

「わしゃ、海水浴しながら潮干狩りをしたこともあるで。潮干狩りは春の季語じゃがの」

「秋から冬は寒いけぇせんのかね?」

「それもあるが、アサリの身が細っとるし、潮の引きが大きい時間帯が夜中になるんよ。春から夏は、昼過ぎから夕方にかけて干狩りを楽しむことができるけん、ちょうどええんよの」



■干潮の時間と潮位


2011年1月21日(冬)

 4時29分  -31センチ

 16時59分  64センチ

 
2011年4月19日(春)

 4時14分    49センチ

 16時26分  -24センチ


2011年7月3日(夏)

 4時57分  114センチ

 17時4分  14センチ


2011年10月28日(秋)

 4時2分   -13センチ

 16時31分  84センチ


【参考HP】
http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KAN6/2_kaisyo/tide2/forecast/hiroshima/hiroshima2011_1.html
http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KAN6/2_kaisyo/tide2/forecast/hiroshima/hiroshima2011_4.html
http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KAN6/2_kaisyo/tide2/forecast/hiroshima/hiroshima2011_7.html
http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KAN6/2_kaisyo/tide2/forecast/hiroshima/hiroshima2011_10.html




「あぁ、なるほどね」

「広島市近辺じゃったら、宮島とその対岸の地御前(じごぜん)、太田川や江田島なんかがええかの」





「今日は、潮干狩りについて話をさせてもらいました」

「わしゃアサリの酒蒸しがええの」

「うちはスパゲッティがええね。…って、まず潮干狩りに行かんといけんじゃん」

「ほいじゃあ、またの」
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映画『原爆の子』 ニューヨークで初上映

2011年03月28日 | まんが・テレビ・映画
「映画『原爆の子』が、ニューヨークで上映されるんじゃと」



広島市佐伯区出身の新藤兼人(しんどう かねと)監督(98)の映画「原爆の子」が、監督の99歳の誕生日の4月22日から米ニューヨークで上映される。
米国での一般上映は初めて。
原爆投下国での反応が注目される。

革命家ゲバラを熱演し、カンヌ国際映画祭で主演男優賞を受賞したベニチオ・デル・トロさん(44)が、新藤作品を10本選び、「新藤兼人回顧展」を企画。
「原爆の子」はオープニング作品として、監督の代表作「裸の島」とともに最初の1週間、ブルックリンのBAMシネマテークで集中的に上映される。

回顧展は5月5日まで。
「原爆の子」「裸の島」のほかに「第五福竜丸」や故杉村春子らが出演する「母」、最新作「一枚のハガキ」などが上映される。

(「新藤監督作品を米で初の上映」中国新聞 2011年3月27日)
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201103270012.html




「新藤監督って、広島の出身じゃったん?」

「佐伯郡石内村(現:広島市佐伯区五日市町)の出身で、2008年(平成20)には『石内尋常高等小学校 花は散れども』という映画も撮られっとってんよの。広島県名誉県民で、三原市名誉市民でもあるんじゃ」





「今日は、「1952年の日本」「ストーリー」「映画の中の広島」について調べてみようかの」





【1952年の日本】

「『原爆の子』が公開されたのは、いつかいね?」

「1952年(昭和27)の8月6日じゃ」

「サンフランシスコ平和条約は、1951年(昭和26)年じゃったよね?」

「9月に調印式があって、発効したのは翌年の4月28日なんよ。同時に、日米安全保障条約も結ばれとるんじゃがの」

「連合軍の日本占領が終わるころに作られた映画、いうことじゃね?」

「1950年(昭和25)9月に『長崎の鐘』という映画が封切られとるんじゃが、これが日本人による原爆映画第1号なんよ。新藤監督はこの映画に脚本で参加されとってんじゃ」



占領下の日本において、GHQによる検閲の為、原爆及び被爆状況等について真正面から取り上げる事が出来ず、永井隆(ながい たかし)博士の生涯を描いた作品という形で製作された。

(「長崎の鐘」ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E3%81%AE%E9%90%98




「アメリカ批判につながるけん、原爆はタブーじゃったんじゃろうね」

「そのせいもあって大手の映画会社が取り上げてくれんかったけん、自主制作という形を取っとってんよの」

「原爆を取り上げるためには、それくらいせんといけんかったんじゃね」

「近代映画協会がスタッフを出して、劇団民芸が俳優を出す。通常の映画の制作費が3000万円の時代に、制作費の300万円を折半して作られたそうじゃ」

「苦労しとってんじゃね」





【ストーリー】

「お父さんは、この映画を見たことがあるん?」

「おととし、DVDを借りて見たんよ」

「どんなストーリーなんかね?」



1945(昭和20)年8月6日、広島に原爆が投下され、当時広島に住んでいた石川孝子(乙羽信子)は家族の中でたった一人生き残ったのである。
戦後瀬戸内海の小島で小学校の教師をしていたが、原爆被災の頃に勤務していた幼稚園の園児達の近況について、消息を確認したいと思い、小学校の夏休みを利用して、久しぶりに故郷広島を訪れる。
そして、園児達の今を知るべく、彼らを訪ね歩くのだが・・・。

(「原爆の子」ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%88%86%E3%81%AE%E5%AD%90_(%E6%98%A0%E7%94%BB)




「7年後の話じゃけん、幼稚園児たちも中学生くらいになっとるんじゃね」

「孝子が最初に会った三平は、靴磨きをして家計を助けとるんじゃが、父親が原爆症で亡くなる。2人目に会った敏子は孤児となって教会に引き取られとるんじゃが、原爆症で死期が近づいとる」

「ほうなんじゃ」

「3人目に会った平太に、「今日、お姉ちゃんの嫁入りなんだ」と誘われて平太の家に行くんよ。平太の家族は全員が原爆に遭(お)うて、父母は焼け死んだ。兄弟は生き残ったが、嫁入りする平太の姉・咲枝は、その時に右足を骨折した。孝子は長男の孝司から、咲枝の話を聞かされるんじゃ」



その人(咲枝と結婚する男性)が戦争から帰ってきて、まっ先にうちへやってきて、怯えたように見迎える咲枝を抱きしめ、ぼくがあなたの右脚になってあげると言ったんです。
ぼくは、世の中に神も仏もない、運命に絶望しておりましたが、神も仏もいたんです。
ぼくはかれの前に跪(ひざまず)いて拝みました。

(新藤兼人『新藤兼人 原爆を撮る』新日本出版社 2005年 P.33)




「お兄さんがなぜこの男性を拝んだか、皆さんはおわかりですかの?」

「このころは、原爆に遭(お)うた、広島におったという理由で、結婚を反対されるということがあったんよね」

「被爆者に対する差別があったんよの。孝子と一緒に幼稚園に勤めとった森川夏江は結婚しとったんじゃが、孝子にこう告白するんじゃ」



「子どもが生めないの、医者の宣告をうけているの、放射能を全身に浴びてしまったからこういうことになってしまったの」

(前掲書 P.27)




「この映画を見て感じるのは、ほとんどの登場人物が明るく振舞っとるということじゃの」

「本当は、とっても悲惨な話なんじゃけどね。今の日本も、そうじゃろうね」

「松山千春がラジオ番組で、こう言われたそうじゃ」



知恵があるやつは知恵を出そう。

力があるやつは力を出そう。

金があるやつは金を出そう。

自分は何も出せないよ、というやつは元気を出せ。




「千春、ええこと言うじゃん!」





【映画の中の広島】

「この映画は、ほとんど広島でロケをされとるけん、結果として、当時の広島が記録されとるんよの」

「たとえば?」

「建設中の広島平和記念資料館の、しかも内部が見れるんじゃ」

「ほうなんじゃ。広島平和記念資料館は、いつ開館したんかいね?」

「1955年(昭和30)に開館しとるんよ。ほかには、原爆ドームは自由に立ち入ることができたんじゃ。今は、崩れる危険があるけん、柵を設けて中に入っちゃいけんことになっとるんじゃがの」

「当時は、原爆ドームを保存しようという意見と、取り壊そうという意見があったんよね」

「広島市議会が原爆ドームの保存を決議したのが1966年(昭和41)じゃの。あと、石垣しかない広島城跡も見れるんじゃ」

「ああ、そうか。広島城は原爆の爆風で倒壊したんじゃったね」

「爆心地から北東方向に、約1キロメートルの距離じゃけんの。1958年(昭和33)に鉄筋コンクリート造で復元されたんじゃ。孝子の亡き父母の下で働いていた岩吉が、広島城跡のバラック小屋に暮らしとったんじゃ」

「ほうなんじゃ」

「孝子は岩吉を自分の住む島へ移り住むように誘うんじゃ。結局、両親(岩吉の息子夫婦)を原爆で亡くした、孫の太郎だけを島へ連れて行くことになるんじゃがの」

「上映した時の反響はどうじゃったん?」



上映は独立配給でやった。
個人経営の配給業者である。
最初の上映は、8月6日、広島の福屋デパートの屋上にある映画館でやった。
入口の扉が閉まらないぐらい人がはいった。
わたしと乙羽さんが挨拶したが、舞台の足もとまで人が押し寄せた。

(前掲書 P.41)




「苦労の甲斐があったんじゃね。えかった、えかった」

「蛇足なんじゃが、劇団民芸の代表が宇野重吉じゃったけん、咲枝の兄の孝司役で出演されとるんよ。ほかには、ほとんど目が見えなくなった岩吉の世話をするおとよ婆さん役で、北林谷栄(きたばやし たにえ)さんが出演されとるんじゃ」

「どっかで聞いたことがある名前じゃね…」

「こらぁ、カンタ!」

「あ、映画『となりのトトロ』に出てきたカンタのばあちゃんの人じゃん」

「この方は若いころから老け役を演じることが多くてのう、この映画が撮影されたころは41歳のはずなんじゃが、どう見てもおばあちゃんなんじゃ」



「原爆について知らないアメリカ人に、広島で何があったか知ってもらうだけでいい。そこからあらためて議論が起きてくれたら」

(「なぜ投下 広島人として問う」中国新聞 2011年4月16日)

(青文字部分、2011年4月17日追加)






↓広島平和記念資料館については、こちら↓

広島平和記念資料館WEB SITE
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/




↓原爆ドームについては、こちら↓

原爆ドーム
http://www.city.hiroshima.lg.jp/toshiseibi/dome/index.html




↓広島城ホームページについては、こちら↓

広島城ホームページ メイン
http://www.rijo-castle.jp/rijo/main.html






「今日は、「1952年の日本」「ストーリー」「映画の中の広島」について勉強をさせてもらいました」

「今日もひとつ勉強になったでがんす」

「映画を見たアメリカ人の反応も、ぜひ聞いてみたいね」

「ほいじゃあ、またの」
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BADBOYS ロケ地めぐり(その2)【改訂版】

2011年03月26日 | まんが・テレビ・映画
「今日、3月26日(土)から映画『BADBOYS』が全国公開されるんじゃ」

「広島は1カ月先行して上映しとったんじゃね」

「ほいでの、今日は東京と広島で、明日は大阪、京都、名古屋で舞台挨拶があるんじゃ。広島は、府中町にある広島バルト11で、18時20分の回にあるんじゃ」



舞台挨拶登壇者(予定)


三浦貴大(野村豊役)

阿部進之介(段野秀典役)

細田よしひこ(石本千春役)

鈴木勝吾(桐木司役)

窪田崇監督




「まさか、それも見に行くん?」

「もちのろんじゃ! チケットもちゃんと買(こ)うとるぞ」



「はぁ~。で、今日もロケ地の紹介をするん?」

「前回も書いたんじゃが、わしゃ関係者でもなんでもないけん、すべてのロケ地を把握しとるわけじゃないんよ。あと、場所は分かっとるんじゃが、所有者の許可が必要な場所には行っとりませんけんの」



↓映画『BADBOYS』については、こちら↓

映画「BADBOYS」公式サイト
http://www.badboys-movie.com/




↓広島バルト11については、こちら↓

広島バルト11
http://wald11.com/index.html






「今日は、「タカノ橋新地」「新天地公園便所」「竜王公園(夜)」「宇品橋」「旧広島市民球場」「愛友市場」「竜王公園(昼)」「舞台挨拶」について調べてみようかの」

「映画に出てくる順番に紹介しとりますけんね」

「映画のセリフを引用しとるところがあるんじゃが、わしの聞き間違いでウソを書いとるかもしれません。もし、間違いを見つけたら、ご指摘ください」

「あと、舞台挨拶で仕入れたネタも入れとりますけんね」

「こちらも、メモと記憶だけで書いとりますけん、間違いがあるかもしれません。その点はご了承ください」





【タカノ橋新地】


タカノ橋新地



サロンシネマ下の階段



同上



チンピラ、ナイフを取り出す。

段野「男なら拳(こぶし)で勝負せぇや!」




「ええセリフじゃのう」

「サロンシネマいうたら、お父さんがむかしから通いよった映画館じゃろ?」

「ほうじゃのう。前回出てきたタカノ橋商店街から、路地に入ったところにあるんじゃ」

「席が大きいけん、ゆったりとしと座れるよね」

「前後も横幅も広いけん、大の大人がひじを曲げて、足を伸ばしてらくらく座れるんよの。映画『BADBOYS』の広島先行上映があったのも、サロンシネマの姉妹館のシネツイン本通りと広島バルト11、それに福山市のエーガル8シネマズの3館じゃったんよ」

「今日からは広島バルト11だけの上映になりますけん、気をつけてくださいね」



↓サロンシネマについては、こちら↓

広島の映画館サロンシネマ、シネツイン、八丁座の広島地場劇場運営会社【序破急】
http://www.saloncinema-cinetwin.jp/





【新天地公園便所】


新天地公園便所


段野「すまんかったのう。お前まで…」

豊「ああいうクソは、気に入らんのじゃ」




「さっきのタカノ橋新地でのケンカで、ナイフを向けられた段野を豊が助けるんよ。で、ナイフで手をケガした豊が、手を洗うたんがここじゃ」

「ライバルの出会い、というところかね」

「わしが小さいころは、買い物のときに新天地公園に立ち寄ることが多かったんじゃ。広島そごうのある紙屋町より、福屋(ふくや)や天満屋(たんまや)のある八丁堀のほうがにぎやかじゃったけんの」

「最近は、素通りすることが多いよね」

「流川(ながれかわ)に飲みに行くことも減ったしの」



↓新天地公園については、こちら↓

「広島新天地商店街」広島商工会議所
http://www.hiroshimacci.or.jp/syoutengai-zanmai/sintenti.html





【竜王公園(夜)】


竜王公園





豊「世の中の強いやつらと戦(たたこ)うてみとうなったんじゃ」

段野「わしゃ、こっちの世界でてっぺん取りたいのう」




「子どもが小さいころ、よう連れて行きよったよね」

「広島市街が一望できて見晴らしがええんじゃが、この場所は公園の一番上になるんじゃ。歩きじゃったらちょっとしんどいが、車じゃったら近くに駐車場があるけん楽じゃの」

「桜がたくさん植えてあるけん、花見にもええよね」




竜王公園入口
(注:映画には出てきません)




↓竜王公園については、こちら↓

竜王公園公式ホームページ
http://www.daiichibs-shitei.com/ryuo/index.html





【宇品橋】


宇品橋


ナイツのヒロに次いで、ビーストの段野も狂連合にやられたことを知った極楽蝶(ごくらくちょう)の司。

バイクでこの橋を渡る。




「宇品橋(うじなばし)は、中区の南千田西町(みなみせんだにしまち)と南区の宇品西を結ぶ京橋川(きょうばしがわ)に架かる橋じゃ。2000年(平成12)年の3月開通して、その年の土木学会田中賞作品部門を受賞されとります」



↓宇品橋については、こちら↓

宇品橋
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%93%81%E6%A9%8B





【旧広島市民球場】


旧広島市民球場(正面入口から3塁側を見る)
(注:映画には昼間のシーンは出てきません)



司、狂連合に狙われている男が野村豊とは知らずに助ける。




「旧広島市民球場は今、取り壊しの真っ最中ですけんの」

「跡地の利用については、今ももめとってじゃね」

「明日から広島市長選挙が始まるけん、そのあたりもはっきりさせてもらいたいよのう」




取り壊し中の旧広島市民球場(正面入口からバックスクリーン側を見る)
(注:映画には出てきません)



同上(正面入口からレフト側を見る)
(注:映画には出てきません)




↓旧広島市民球場については、こちら↓

広島市民球場(初代)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E5%B3%B6%E5%B8%82%E6%B0%91%E7%90%83%E5%A0%B4_(%E5%88%9D%E4%BB%A3)





「愛友市場」


愛友市場の中
(注:映画には昼間のシーンは出てきません)



司「桐木司じゃ」

豊「……」

司「あ、わしの名前。まだ言うとらんかったわ」

豊「わしゃ野村豊じゃ」

司「よう知っとるよ。一体なにがあったん?」




「自転車のテールランプが赤く光っとるあたりに木製の台が置いてあって、そこに司が座っとります」

「愛友市場(あいゆういちば)も前回出てきたタカノ橋商店街も、むかしはにぎわっとったんじゃけどね」

「確かに今はさびれとるけど、いろいろと人集めの催しはしよってんで」




愛友市場
(注:映画には出てきません)



「愛友市場は、広島駅からマツダスタジアム(新広島市民球場)に行く間にあるんよね」

「ほうじゃの。マツダスタジアムに行く途中にこのロケ地を探してみるのもええかもしれんの」

「そりゃ、面白いかもしれんね。この市場の中は、迷路のようなところもあるけん」



↓愛友市場については、こちら↓

「愛友市場」広島商工会議所
http://www.hiroshimacci.or.jp/syoutengai-zanmai/aiyou.html





【竜王公園(昼)】


竜王公園








豊「わし…」

ともみ「なんにも言わんでええよ。うちは信じとるけぇ」




「…で、映画はこのあと、怒涛(どとう)のラストに向けて盛り上がっていくんじゃ」

「この子、ちょっと頼りなさそうなけど、ええ表情しとるよね」

「入来茉里(いりき まり)という女優さんが演じとってんじゃ。男の子はみんな、ええ「目」をしっとったで。目のアップだけでも誰が誰かわかるんじゃないんかの」





【舞台挨拶】

「というわけで、映画『BADBOYS』の舞台挨拶を見に行ってきました。舞台挨拶を見に行ったんは、『日本以外全部沈没』『ミラーマンREFLEX』(共に2006年公開)以来じゃのう」

「マニアックな話はええけん。で、どんな感じじゃった?」

「最初は、あんまりしゃべってんなかったけん、どうなることかと心配したんじゃけど、段野役の阿部さんが引っぱる形で進んでいったんよ」

「みなさん無口じゃったん?」

「豊役の三浦さんは、無口なんか慣れてないんかわからんかったけど、あんまりしゃべってんなかったのう。三浦さんは昨年末に公開された映画『SPACE BATTLESHIP ヤマト』にも出演されとったんじゃ」

「どんな役で?」

「木村拓哉演じる古代進(こだい すすむ)がかつて率いていたチーム古代の一員で、なまりのある古屋(ふるや)という役じゃったんよ。ひょっとして素の三浦さんはこの古屋に近いんかのうと、勝手に想像してしもうたんじゃがの。余談ついでに言うと、ビーストの高間(たかま)役の波岡一喜(なみおか かずき)さんも、ブラックタイガー隊の加藤役でヤマトに出演されとってんじゃ」

「広島弁をどうやって習うちゃったんか、というのを知りたかったんじゃけど、なんか言いよっちゃった?」

「阿部さんによると、方言指導の方が吹き込まれたCDを聞いて、イントネーションを覚えられたそうじゃ」

「ふーん、そうなんじゃ」

「石本役の細田さんは、街に飲みに行って実地で身につけられたそうじゃ。ほいじゃけん、あちこちの店に彼のサインが貼ってあるんじゃと」

「そういう方法もあるねぇ」

「方言といえば、三浦さんとともみ役の入来さんが、「ほうか」「ほうじゃね」と広島弁の練習をされとったという話もあったのう。阿部さんは、「好きな広島弁は?」という質問に「なんならぁ」と答えられとったで」

「うーん、それはちょっと…」

「使う人はおってじゃけど、言われた方は「コイツ、ケンカ売っとるんか?」と受け取る危険がある言葉ですけぇの」

「取り扱いには十分ご注意を…」

「司会者の方から「友だちや知り合いの方に「BADBOYS」をこう言って勧めてください」という質問があったんで、それぞれの返事を載せておきます」



三浦さん「男の暑苦しい部分が垣間見れます。男ってアホなんだなと感じてもらえれば」

阿部さん「ロケ地巡りをされたら、楽しいんじゃないかな」

細田さん「面白い映画だと、ツイッターなどに書き込んでください」

鈴木さん「マンガ原作を読み込んでから映画を観てもらえると、より面白いかな」

窪田監督「応援団になっていただいて、ぜひ口コミで『BADBOYS』の輪を広げてください」



「ほかにも、「大ヒット御礼で、来月も広島に来たい」とか、「ぜひ、パート2、パート3を」という発言もあったんじゃ。舞台挨拶は30分ほどじゃったんじゃが、あっという間じゃったのう」





↓映画『BADBOYS』についての関連記事は、こちら↓

BADBOYS ロケ地めぐり(その1)【改訂版】
http://blog.goo.ne.jp/hiroshima-2/d/20110309

映画「BADBOYS」の監督は?
http://blog.goo.ne.jp/hiroshima-2/d/20100620

広島FCが、撮影協力を断った映画とは?
http://blog.goo.ne.jp/hiroshima-2/d/20100724






「今日は、「タカノ橋新地」「新天地公園便所」「竜王公園(夜)」「宇品橋」「旧広島市民球場」「愛友市場」「竜王公園(昼)」「舞台挨拶」について勉強をさせてもらいました」

「今日もひとつ勉強になったでがんす」

「皆さんも、ぜひ映画『BADBOYS』を観に行ってくださいね」

「ほいじゃあ、またの」



(2011年3月27日 部分改訂)
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大河ドラマ『平清盛』で観光客誘致へ 廿日市市宮島町

2011年03月25日 | 広島の話題
「3月21日(月・祝)は、宮島で清盛まつりがあったんじゃの」

「今年の清盛役は、元広島カープの衣笠祥雄さんじゃったんじゃね」

「去年は湯崎英彦(ゆざき ひでひこ)広島県知事じゃったよのう。来年のNHK大河ドラマは『平清盛』じゃ」




清盛神社



「清盛役は、松山ケンイチさんじゃったよね」

「ほうじゃの。昨年の秋から『ノルウェイの森』『GANTZ』と、主演作が続けて公開されとってじゃ」

「大河ドラマがあるということは、観光客の誘致にも力を入れんといけんね」

「廿日市市は、協議会を設立して取り組まれとるそうじゃ」



廿日市市は22日、来年のNHK大河ドラマ「平清盛」放送を機に、清盛ゆかりの宮島をはじめとした市への観光客誘致を促進する協議会を設立した。
約60団体が参加。
企画展開催や土産品開発などに取り組んでいく。

協議会は商工会議所や観光協会、旅館組合といった市内の各種団体や航空、旅行会社などで構成。実行委員会の下に、誘客▽産業▽地域おもてなし▽ボランティア―の4部会を置く。
市内外の大学も「大学サポーター」で参加。
教職員や学生のアイデアを生かす。

来年1月の大河ドラマ放映に合わせて企画展やコンサート、歴史講座などを開く予定。
旅行商品や土産品の開発、ガイドマップ発行なども含め、事業内容の検討を進める。

市は2011、12年度の2年間で約1億円の事業費を想定。
これとは別に4千万円かけて老朽化した宮島歴史民俗資料館を改修。
企画展会場に活用する。

(「ドラマ「清盛」観光誘致準備」中国新聞 2011年3月23日)




「旅行商品やPRをする誘客部会、宮島への来訪客に対応する地域おもてなし部会、商品を販売したり新商品を開発する産業部会、ほいで、事業へのボランティア参加を取りまとめるボランティア部会を設けるそうじゃ」

「ワーッと盛り上がるんはええけど、単なるブームで終わらせんようにせんといけんよね」

「1997年(平成9)に放送されたNHK大河ドラマ『毛利元就』のときは、元就の地元の安芸高田市吉田町(当時は高田郡吉田町)が1年間で70万人の観光客を集めたんじゃが、その後は15万人に減ったという話も聞いたことがあるよの」

「宮島じゃけん、いきなり観光客が減るということないじゃろうけどね」

「東日本大震災で、東北方面や海外からの観光客が減っとるそうじゃけん、それも考慮にいれんといけんよのう」





↓宮島についての関連記事は、こちら↓

社団法人宮島観光協会





↓平清盛については、こちら↓

大河ドラマ ドラマトピックスブログ:NHKブログ





「今日は、ドラマ『平清盛』で宮島への観光客を増すための協議会を設立したことについて話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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被災地での火事場泥棒について

2011年03月24日 | 日記
「「火事場泥棒」という言葉を知っとるか?」

「火事の現場や、みんなが混乱している時のどさくさに紛(まぎ)れて盗みを働く人のことじゃろ?」

「ほうじゃの。東日本大地震の被災地にも出没しとるそうじゃ」



震災で東北地方の石油精製所が大きな被害を受け、食料や水を被災地へ車で運ぶのに欠かせないガソリンが不足する中、宮城県南三陸町(みなみさんりくちょう)で、自称・震災ボランティアの男が横転した乗用車からガソリンを抜き取るところを目撃した。
被災地では車内の金品を狙う車上荒らしも横行しているといい、南三陸町では有志の住民が自警団を結成し、パトロールに乗り出した。
(本間英士)

あたり一面ががれきと化し、住民の姿は見えず自衛隊員や消防隊員らしかいない南三陸町の沿岸部。
取材していた21日午後2時ごろ、若い男が路上に横転した白いワゴン車の底部をバールで打ちつけているのに気づいた。
しばらく見ていると、男は燃料タンクに穴を開け、灯油ポンプを差し込んで、中身を携行缶に移し始めた。
近づいて「何をしているんですか?」と声をかけると、男は驚いた様子で言葉に詰まり、「ちょっと使うんです」。
「あなたの車ですか」と尋ねると、目をそむけながら首を振った。

そこに偶然、宮城県警のパトカーが通りかかり、異変に気づいた警察官2人が約10分間、男に職務質問。
男は解放されると、近くに止めていた軽トラックに足早に乗り込み、記者をにらみつけて立ち去った。

県警によると、男は職務質問に対し、「ボランティアとして県外から来た。ガソリンを使うつもりだった」と説明。
車がもともと壊れていたことや男が反省の態度を示したことから、厳重注意にとどめたという。
軽トラックには「新潟県中越沖地震支援」と記したステッカーが貼ってあった。

今回の震災では、東北地方の石油精製所が被害を受け、ガソリンが不足している。
警察や消防など緊急車両の燃料は優先的に確保されるが、一般車向けの燃料は行き渡らず、被災者は開店しているガソリンスタンドを苦労して探し出し、4、5時間並んで給油している。

南三陸町では車内の金品を狙った車上荒らしも横行。
約1500人が集まる「町スポーツ交流村ベイサイドアリーナ」駐車場で約10台のドアガラスが割られ、地元の芳賀善隆さん(67)らが自警団を結成しパトロールをしている。
芳賀さんは「こんな大変な時なのに。日本人は誇りを失ってしまったのか」と寂しげにつぶやいた。

(「ボランティア称し“震災泥棒”横行 「日本人は誇りを失ってしまったのか」」産経新聞 2011年3月23日)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110323-00000551-san-soci




「気仙沼市(けせんぬまし)のほうじゃ、信用金庫の金庫室に保管しとった4000万円が盗まれたいうて、テレビでやっとったね」

「ビートたけしはテレビの生放送で、「被災地の泥棒は撃ち殺せ」と発言されたそうじゃ」

「なんでこんな時にこんなことをしてんかねぇ」

「こんな時じゃけん、便乗する輩(やから)が出てくるんじゃ。火事場泥棒を働く人もおりゃ、義援金詐欺を働く人もおってじゃけんのう」

「人の不幸に追い討ちをかけるようなことは、止めてほしいね」

「広島に原爆が投下された時に、田邊雅章(たなべ まさあき)さんはこんな目にあわれたそうじゃ」

「田邊さんいうたら、映像作品を通じて爆心地復元事業をしよっての人じゃろ?」

「ほうじゃの。株式会社ナック映像センターの代表取締役で、広島県産業奨励館(現:原爆ドーム)のすぐ東隣で生まれ育った方じゃ。田邊さんは、原爆が投下された時は山口県の親戚の家に疎開されとったんじゃが、広島の状況を聞いて、祖母と一緒に広島に来られたそうじゃ。8月10日に自宅近くに来たとき…」



元安橋(もとやすばし)を渡ってわが家あたりに着くと、見知らぬ男が三人、庭にあった石燈籠や風呂釜をまさに持ち去ろうとしているところにでくわした。

男たちは天秤棒に鎖、大八車まで用意している。
祖母はおそろしくて口も利(き)けないでいる。
私は思わず「ぼくの家のものをどうするんかっ」と詰め寄った。
すると頬骨(ほおぼね)の出っ張った男が近づいて、子どもの私を思い切り殴りつけた。
地面に張り飛ばされ鼻血が出たが、耐えるしかなかった。
痛さよりも悔しかった。
祖母は「子どもになにをするんですか」と抗議をするのが精一杯で、抗(あらが)うことなどできない。
私を抱き起こし、手ぬぐいで血を拭(ぬぐ)ってくれた。
やつらは燈籠と風呂釜に縄を掛け、悠々と持ち去っていった。

あとから知ったことだが、直後から火事場泥棒が横行したようだ。
家族や家屋敷を失い悲しみにくれる人を尻目に、非道にはしり盗みをはたらく者も数多くいた。
この体験は、その後、原爆にたいする激しい憎しみを増幅させる原因にもなった。

(田邊雅章『原爆が消した廣島』2010年 文藝春秋 P.87~88)




「たけしさんが「撃ち殺していい」と言うたのは、こういうやつらのことじゃろうね」

「これは自分の家のことじゃったけん分かったんじゃが、他人の家じゃったら分からんじゃろうの」

「被災地で、転がっている車からガソリンを抜き取って利用しとる人がおってじゃと、ニュースで報道されとったんよ。テレビで見る限り、火事場泥棒じゃのうて、必要に迫られての行動じゃと思うたけどね」

「『夕凪の街 桜の国』でも、主人公の皆実(みなみ)が原爆投下後にこんなことをしたと回想しとっちゃったんよの」



地面が熱かった
靴底が溶けてへばりついた

わたしは
腐っていないおばさんを冷静に選んで
下駄を盗んで履く人間になっていた

(こうの史代『夕凪の街 桜の国』双葉社 P.24)




「これはもう、仕方がないよね。生き残った人が、生き延びるためにしよることじゃけん。きれいごとを言うとる場合じゃないし、うちらが非難する資格もないよね」

「「生き延びる」といえば『機動戦士ガンダム』じゃが、こんなシーンもあったよのう」



○ホワイトベース内 食堂

子どもとおばあさんが話しながら食事をしている隣に、1人の老人が座っている。

自分の食事をとり終わった老人は、話に夢中の子どもの食事プレートから食べ物をひとつかみ取って口に入れる。

この場面を目撃し、思わず目をそらせてしまうアムロ。

食堂を出て行く老人。

アムロ、話しかける。

アムロ「一緒に食べよ」

おばあさん「いいんですか? すみませんね」

フラウ「アムロ、ちゃんと食べなければ駄目よ!」

アムロ「だったらこんな所で食べさせるな!」

フラウ「アムロ…」

食堂を出て行くアムロ。

(『機動戦士ガンダム』第9話「翔べ!ガンダム」より)




「ガンダムはわしが高校1年のときに放送されたんじゃが、これを見て、老人に対する見方が変わってしもうたんよの。それまでは、老人になったら、悟りを開くほどじゃないにしても、分別のついた行動ができると思うとったけんの」

「この老人の行動も分かるけどね…」

「極限状況に置かれると、人間は良い方に走るか、悪い方に走るかしかない、という話を聞いたことがあるんじゃ」

「うちは、良い方に走りたいね」

「わしも、そうありたいのう」





↓株式会社ナック映像センターについては、こちら↓

ナック映像センター 爆心地復元事業 広島
http://www4.ocn.ne.jp/~knack/






↓義援金詐欺については、こちら↓

「ストップ義援金詐欺!だましの手口と対策」All About
http://allabout.co.jp/gm/gc/50963/




「今日は、被災地での火事場泥棒についてについて話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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