通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

やまだ屋おおのファクトリー

2022年04月28日 | 広島の話題

大竹市にある亀居(かめい)公園へ
花見に行った帰り道、
廿日市市(はつかいちし)
沖塩屋(おきしおや)にある
やまだ屋おおのファクトリーへ
立ち寄ってみた。


↓やまだ屋おおのファクトリーについては、こちら↓

「工場見学」宮島の老舗 もみじ饅頭・桐葉菓(とうようか)やまだ屋



今日は、
やまだ屋おおのファクトリー
についての話でがんす。




広島名物のひとつが、
もみじ饅頭(まんじゅう)。
やまだ屋は、
1932(昭和7)年に創業した
老舗もみじ饅頭メーカー。
2010年、廿日市市沖塩屋に
おおのファクトリーを開業した。



店内にはもみじ饅頭の工場があり、
生地が型に流し込まれ
餡(あん)を入れて焼き上げ
包装するまでの工程を、
窓ガラス越しに見ることができる。

また、もみじ饅頭の
手焼き体験を楽しむこともできる。
2022年のゴールデンウィークは、
4月29日(金)から5月8日(日)まで、
1日5回行われるそうなので、
詳しくは、お問い合わせください。


↓おおのファクトリー 手焼き体験についてについては、こちら↓

「手焼き体験(おおのファクトリー)」宮島の老舗 もみじ饅頭・桐葉菓(とうようか)やまだ屋



この日は、
藻塩(もしお)もみじを買ってみた。
藻塩とは、瀬戸内海にある
上蒲刈島(かみかまがりじま)
で行われている古代の製塩法。

やまだ屋では、
定番のこしあん・つぶあんを始め、
チョコ・クリーム・抹茶、
そして広島名物のピオーネ、
(別名「黒い真珠」と呼ばれる
三次(みよし)ピオーネ)
瀬戸内産のレモン、
庄原産の夏秋いちごを使った赤もみじ
(「赤もみじ」といっても、
カープのことではありません)
など数多くのもみじ饅頭を
製造・販売しています。





店内には、
焼き型も展示してあります。



訪問日:2022年4月2日



今日は、
やまだ屋おおのファクトリー
について話をさせてもろうたでがんす。

ほいじゃあ、またの。
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古田喜昭さん

2022年04月25日 | 音楽
NHK-FM「アニソン・アカデミー」
4月16日の特集は、
作詞・作曲家の
古田喜昭(ふるた よしあき)さんだった。


↓「アニソン・アカデミー」については、こちら↓

「アニソン・アカデミー」NHK



今日は、
作詞・作曲家の古田喜昭さん
についての話でがんす。



「古田喜昭」という名前を聞いても、
ピンとこない方がほとんどじゃろうの。

番組中で紹介された
投書の言葉を借りると、
「80年代をまぶしい輝きで横切った
彗星のような存在」。
まさに、そのとおり!

古田さんは、
今から41年前の1981年、
作詞、作曲を担当した、
シュガーのデビューシングル
「ウエディング・ベル」が大ヒット。

以降、わしが好きなアニメ作品
だけでいうと、



『ときめきトゥナイト』
OP「ときめきトゥナイト」
ED「Super Love Lotion」(1982年)、



『魔法の天使クリィミーマミ』
OP「デリケートに好きして」、



『特装機兵ドルバック』
OP「地球にI LOVE YOU」
ED「君に贈るララバイ」
(以上、1983年)、



『OKAWARI-BOY スターザンS』
OP「SHOW ME YOUR SPACE
~君の宇宙を見せて~」、



『とんがり帽子のメモル』
OP「とんがり帽子のメモル」
(以上、1984年)



などの楽曲を担当されています。

(『特装機兵ドルバック』。
今回の特集では触れられることが
なかったのが残念でした)



古田さんはしかし、
あまり表に出ることがなかった。
また、先に紹介したアニメ作品が
1982年から1984年に集中していた
こともあって、わしは古田さんのことを
単なる「一発屋」だと思っていた。

この日の「アニソン・アカデミー」では、
古田さんが自身について語られた。
いろいろと面白い話を
聞くことができたが、
中でも面白かったのが、
古田さんの人間観察法。

たとえば、
街で見かけた人を観察して、
「あの人はこういう人で、
こういうことを考えているのでは…?」
と、自分の中で想像することがある。

これは、たいていの人が
することだと思う。
古田さんがすごいのは、
ここから先である。

街で見かけた人を観察するとき、
その人の「現在」だけでなく、
「過去」「未来」まで思いをはせる。
なぜなら、「現在」だけでは、
薄っぺらな人間になってしまうから。
人間にはかならず、過去と未来がある。
そこを想像することで、
その人の人生に厚みが出てくる。

…すごいですねぇ。
そういう物の見方をされる方が
いらっしゃるんですね。

古田さんは高校時代、
漫画家のちばてつやさんに
作品の持ち込みしたところ、
「絵は下手だが、ストーリーが面白い。
高校を卒業したらうちにおいで」
と誘われたという。
子どものころ
からそういう物の見方をしていたので、
「ストーリーが面白い」
と評価されたのだと想像する。



今日は、
作詞・作曲家の古田喜昭さん
について話をさせてもろうたでがんす。


ほいじゃあ、またの。
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特撮美術監督 井上泰幸展

2022年04月22日 | まんが・テレビ・映画
特撮美術監督の
井上泰幸(いのうえ やすゆき)さんの
生誕100年を記念した回顧展
「生誕100年 特撮美術監督 井上泰幸展」
が、東京都現代美術館で開催中。
会期は6月19日まで。


↓「生誕100年 特撮美術監督 井上泰幸展」については、こちら↓

「展覧会 井上泰幸展」東京都現代美術館



今日は、
特撮美術監督・井上泰幸さん
についての話でがんす。



井上泰幸さんは、
1922(大正11)年、福岡県生まれ。

太平洋戦争中は海軍で
潜水艦を探知する業務に従事するも、
米軍機の機銃掃射を受け
左ひざから下を失う。

戦後、日本大学芸術学部で学び、
在学中から映画会社・新東宝の撮影所で
アルバイトとして働く。
1954年、東宝へ出向、
『ゴジラ』を手伝ったことが縁で、
特撮の神様・
円谷英二(つぶらや えいじ)さんの下で
働くことに。
ミニチュアセットや怪獣、
メカニックをデザインし、
イメージボードや絵コンテを手がけ、
東宝特撮映画黄金期を支えた。

円谷さんが亡くなった後の
1971年に東宝を退社、
アルファ企画を設立する。
東宝退社後も、
『日本沈没』(1973)、
『連合艦隊』(1981)や、
平成ウルトラマンやガメラ、
スーパー戦隊シリーズにも関わった。
また、映画やテレビだけでなく、
コマーシャルやテーマパークの美術
なども手がける。

2012年2月19日、
89歳で亡くなる。



東京都現代美術館で開催中の
「生誕100年 特撮美術監督 井上泰幸展」。

今回の展示の中でぜひ見てみたいのが、
『空の大怪獣ラドン』を再現された
ミニチュアセット。
(ぜひ見てみたい、といいながら、
わざわざ東京まで見に行く予定は
なかったりするんじゃが…)

井上さんの愛弟子で、特撮研究所の
三池敏夫(みいけ としお)さんが、
『空の大怪獣ラドン』(1956)で知られる
西鉄福岡駅周辺のミニチュアセットを
会場内に再現しておられます。

そのミニチュアセットの
背景画を描いておられるのが、
長年、特撮映画の背景を描かれている
島倉 二千六(しまくら ふちむ)さん。


(『特撮の空 島倉二千六、背景画の世界』株式会社ホビージャパン 2021年)


↓西鉄福岡駅周辺のミニチュアセットについては、こちら↓

「【開幕】日本の映像文化支える ミニチュアに込められた妥協なき美学 「生誕100年 特撮美術監督 井上泰幸展」東京都現代美術館で6月19日まで」美術展ナビ


はぁ………。
何度見ても、ため息が出てしまう。
この記事を読むたびに、今回の展覧会を
見に行かんにゃいけんよのう、
と思うてしまうんじゃの。



わしが井上泰幸さんの名前を知ったのは、
映画『惑星大戦争』(1977年)。

1977年について
少しだけ話をすると…。

この年の8月に
『劇場版 宇宙戦艦ヤマト』が
公開され大ヒット、
アニメブームが起こる。
それまで「まんが映画」と
呼ばれていたのが、
これを機に「アニメ映画」と
呼ばれるようになったんじゃの。

海の向こうのアメリカでは
『スター・ウォーズ
エピソード4/新たなる希望』が公開され、
こちらも大ヒット。
日本での公開は、
1年後の1978年7月と決まった。
「全世界同時上映」が当たり前の今では
信じられんかもしれんが、
このころはそれが普通じゃった。

『スター・ウォーズ』が公開される前に、
宇宙もの・SFもので当てようと、
東宝は『惑星大戦争』を、
東映は『宇宙からのメッセージ』を、
そして円谷プロはテレビシリーズ
『スターウルフ』をそれぞれ製作した。

ヤマトのデザインをしたのが、
松本零士(まつもと れいじ)さんで、
『宇宙からのメッセージ』は
石森 章太郎
(いしもり しょうたろう)さんだった。


(『ロマンアルバム・エクセレント54 宇宙戦艦ヤマト PERFECT MANUAL 2』徳間書店 1983年 110ページ)


(石森章太郎『宇宙からのメッセージ』小学館 1978年)


『惑星大戦争』は誰じゃろ?
と調べてみたら、
井上泰幸、アルファ企画
とあった。
ネット社会の今では
簡単に探すことができるが、
当時は調べる手段がほとんどなく、
井上泰幸って誰?
アルファ企画ってどんな会社?
という状態じゃった。


…前置きが長くなってしもうた。

映画『惑星大戦争』に出てくる
メカニックのデザインを手がけたのが
井上さんじゃった。



(『東宝特撮映画DVDコレクション 34 惑星大戦争』デアゴスティーニ 2011年 10ページ)

メカニックのデザイン画。
上ふたつが宇宙防衛艦
轟天(ごうてん)。
右下は異星人が操る宇宙戦艦
大魔艦(だいまかん)で、
左下が大魔艦に搭載されたUFO型戦闘艇
ヘル・ファイター。


(大魔艦の)デザイン原案は井上泰幸で、帆船のイメージだったものを、鯨井実がローマ船のイメージで仕上げた。船体側面にあるオール状のビーム砲は、特技監督の中野昭慶が子供時代に観た海賊映画に登場するガレー船の櫂がモデルになっている。

(ヘル・ファイターは)その形状から、スタッフから「お釜ファイター」と呼ばれた。

(「惑星大戦争」ウィキペディア)



わしが知る、
井上さんの手による大魔艦のデザイン
(帆船のイメージ)に近いのは、
下の記事に掲載されとるガレー船かの。
このガレー船から
帆を小さく、数を増やして、
船体側面のオールを無くしたのが
それだと想像してみてください。


↓大魔艦のデザインについては、こちら↓

「『ゴジラ』特撮美術監督のアトリエ 解体前に「展示会」実施」タウンニュース 神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙



(同上 11ページ)

大魔艦の前線基地となった金星。
かなり広いセットが
組まれているのがわかる。
この映画の背景を描かれているが、
先に紹介した島倉 二千六さん。



以下、余談。


今回の展示で、
『ラドン』の西鉄福岡駅周辺の
セットを再現、と紹介した。

その『空の大怪獣ラドン
4Kデジタルリマスター版』が、
午前十時の映画祭12で今年末、
上映予定じゃそうな。


↓『空の大怪獣ラドン 4Kデジタルリマスター版』については、こちら↓

「「空の大怪獣ラドン 4Kデジタルリマスター版」上映作品詳細」午前十時の映画祭12 デジタルで甦る永遠の名作



以下、さらに余談。


映画『惑星大戦争』の
轟天について話をした以上、
ヘタレ轟天について
触れないわけにはいかない。

…ヘタレ轟天とはなにか?

ヘタレ轟天とは、これじゃ!



(『映画手帳』1977年12月号 裏表紙の裏)


…なにかが、おかしい。



(『惑星大戦争』サウンドトラック 東宝レコード)


2つのイラストを見比べてみると…。
『映画手帳』の広告(上)は、
映画会社から支給されたイラスト(下)
ではなく、
描き直したものであることが分かる。
轟天号は斜め45度で飛び立つから
カッコいいのであって、
30度くらいで飛んでも迫力不足じゃ。
しかも、丁寧な描き直しでなく、
細部がいい加減に仕上げてある。

以下、
この絵が描かれたことについての
わしの勝手な妄想でがんす。


「社長、この広告なんですがの。
小さくて横長の画面に
宇宙船やなんやらが
ゴチャゴチャと入っとったら、
見づらいですよ」

「そんな、お前。いらんもんは
ちょちょいと消してしもうたら
それでええじゃないか」

「いやー、
それでも見づらい思いますよ」

「うーん…。
ほいじゃ、どうすりゃええかいの?」

「この写真を元にして、
出入りの絵描きにささっと描いてもらや
ええと思うんですがの」

「分かった。
ほんならそれでやってもらおうか」



事の真相はともかく…。
この轟天号にお目にかかれたのは、
この雑誌を目にした
広島県民だけじゃろか?
それとも、全国的に
出回ったものなんじゃろか?



今日は、
特撮美術監督・井上泰幸さん
について話をさせてもろうたでがんす。


ほいじゃあ、またの。
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『夕凪の街 桜の国』ステンドグラス

2022年04月20日 | 見て歩き

先日、広島にある地下街
紙屋町シャレオを歩いていると、
アストラムライン本通駅近くで
こんなものを見つけた。

こうの史代さんの漫画
『夕凪の街 桜の国』を
モチーフにしたステンドグラス。
鮮やかな色彩が、
薄暗い地下街に映える!



今日は、
アストラムライン本通駅近くの
「夕凪の街 桜の国」ステンドグラス
についての話でがんす。




調べてみると、今から2年前の
2020年2月29日に除幕式を行い、
それ以来、ここに飾られている。
LED内蔵で、縦2.8メートル、横7メートル。

…と書いておきながら、
ここにこんなものがあるとは
今日の今日まで知らんかったり
するんじゃが…。



↓「夕凪の街 桜の国」のステンドグラスについては、こちら↓

アストラムライン本通駅ステンドグラス「夕凪の街 桜の国」お披露目



↓アストラムラインについては、こちら↓

アストラムライン 広島高速交通株式会社






こんにちは。
アストラムラインに初めてわたしが乗ったのは、珍しく広島に雪が積もった朝でした。車窓の景色の美しさに「開通してよかったなあ」としみじみ思ったものでした。
このたびは、その起点となる本通駅に作品を飾っていただき、大へん光栄です。
漫画「夕凪の街 桜の国」では、ヒロシマを強く優しく生き抜こうとする人々を描きました。たくさんの方から「被爆した知り合いを思い出したよ」とお声をかけていただきました。
本通には、幼い頃からのわたしの友達や家族との思い出や憧れがいっぱい詰まっています。発展し、変わりゆくこの街ですが、これからはこうして旧友がひとり、いつでもわたしを待っていてくれることになりました。
あなたにも、そう思っていただけるとうれしいです。





中四国一の繁華街・本通り商店街と、
国道54号線が交差する
本通交差点の西側にあるのが、
アストラムライン西1出口。
そこから下りたところに、
「夕凪の街 桜の国」ステンドグラスが
展示してあるんじゃの。

ちなみに、
アストラムライン本通駅は、
原爆ドームや広島平和記念資料館がある
平和記念公園の最寄り駅。
西1出口から出て
西へ約300メートルくらい歩いたところに、
元安橋交差点がある。
そこから右(北側)に見えるのが
原爆ドームで、
元安橋を渡ったところにあるのが、
平和記念公園になるんじゃ。



以下、余談。


漫画『夕凪の街 桜の国』を
読んだ方ならお分かりと思うんじゃが、
このステンドグラスは、
漫画の表紙カバーを
ステンドグラスにしたもの。



あまり見かけることはないが、
漫画の表紙は切り絵になっとるんじゃの。



以下、さらに余談。

『夕凪の街』の物語は、
戦争が終わってから10年後の
1955年という設定。
主人公の平野皆実(ひらの みなみ)は、
原爆ドームを背に、
靴を手にして歩いている。

なんで靴をはいとらんのじゃろ?

このころ、靴は貴重品じゃったんじゃの。

彼女は、靴底がすり減らないように、
通勤の途中から
はだしで歩くようにしていた。

ふだんは、集めた竹の皮で作った
草履(ぞうり)をはいて
生活していたからなんじゃの。



訪問日:2022年4月8日



今日は、
アストラムライン本通駅近くの
「夕凪の街 桜の国」ステンドグラス
について話をさせてもろうたでがんす。


ほいじゃあ、またの。
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「ライブ盤でたどる日本ポップス史」NHKラジオ

2022年04月17日 | 音楽
最近、面白いテレビ番組がない!
というわけで、
家にいるときは「ながら族」、
ラジオや音楽を聞きながら
何かをしていることが多い。

今、楽しみな番組のひとつが、
「ライブ盤でたどる日本ポップス史」
である。


↓「ライブ盤でたどる日本ポップス史」については、こちら↓

「カルチャーラジオ 日曜カルチャー」NHK



今日は、
「ライブ盤でたどる日本ポップス史」
についての話でがんす。



「ライブ盤でたどる日本ポップス史」は、
1960年代から現在に至るまでの
日本ポップスの歴史を、
音楽評論家のスージー鈴木さんが、
レコード(録音)からでなく
ライブ盤(生)からたどるという番組。
日曜の午後8時から
NHKラジオ第2で、
4月3日・10日・17日・24日の
4回シリーズで放送される。

1回目(4月3日)は60年代、
2回目(4月10日)は70年代を特集した。

が、音楽に疎い(うとい)わしは、
リアルタイムで聞いとらんせいもあって、
話についていけんかった。
2回目の最後あたり、
アリスが1978年8月、
日本武道館で行った武道館ライブ
あたりからようやくついていける
ようになったかの。
2回目は、NHKの聴き逃し配信で
今日まで楽しむことができます。


↓聴き逃しについては、こちら↓

「カルチャーラジオ 日曜カルチャー」聴き逃し NHKラジオ らじる★らじる


今日(4月17日)放送される3回目は、
80年代を特集。
山下達郎(やました たつろう)さん、
佐野元春(さの もとはる)さん、
サザンオールスターズの
桑田佳祐(くわた けいすけ)さんに加え、
レベッカ、
ザ・ブルーハーツ
といったバンドが紹介されるそうじゃ。


(山下達郎「ON THE STREET CORNER 2」MOON 初リリース:1986年)

個人的には、山下さんの
ドゥー・ワップ、一人アカペラが
大好きである。
また、日曜の昼下がりは、可能な限り
「山下達郎のサンデー・ソングブック」
(TOKYO FM系)を聞いている。


↓「サンデー・ソングブック」については、こちら↓

「サンデー・ソングブック」山下達郎 OFFICIAL SITE


80年代であれば、
山下久美子(やました くみこ)さん、
白井貴子(しらい たかこ)さん、
浜田省吾(はまだ しょうご)さん
なども取り上げて欲しいもんじゃの。


(浜田省吾「ON THE ROAD」ライブ盤 収録:1981年)



以下、余談。


1972年にデビューしたアリスは、
ヒット曲に恵まれなかった。
そこで、ヒット曲狙いで、
『青春時代』『二十歳の頃』
(作詞:なかにし礼、作曲:都倉俊一)
をリリースするが、売れなかった。
その上、ヒット狙いの姿勢が
仲間たちからも批判された。


谷村新司は述懐する。
「(略)
ぼくらはシングルはもういいや、アルバムとコンサート活動に力を入れようと開き直りました。
(略)
自分たちがしっかりしていないから、他力本願にならざるをえないということです。だったら、自分たちでファンを開拓しようと思ったんです」

(富沢一誠『フォークが聴きたい』徳間文庫 1999年 289ページ)



それからは全国をくまなく回って、
年間300本ちかく(!)の
コンサートをこなしたという。
1975年、コンサートで歌っていた
「今はもうだれも」を発売すると、
初めてオリコンシングルチャート
週間20位以内にランクインした。

それから、「帰らざる日々」
「遠くで汽笛を聞きながら」
「さらば青春の時」
「冬の稲妻」
「涙の誓い」
とヒット曲を出したあとの1978年、
日本人アーティストとして初めて
日本武道館3日間公演を成功させた。



(『映画手帳』1977年12月号 71ページ)

アリスは武道館公演の前年、
1977年12月17日に
広島郵便貯金会館でコンサートが行った。
この雑誌で見る限り、
「ライブ(ライヴ)」や
「コンサート」でなく、
「リサイタル」と呼んでいたんじゃの。



今日は、
「ライブ盤でたどる日本ポップス史」
について話をさせてもろうたでがんす。


ほいじゃあ、またの。
コメント (2)
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