通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

御幸橋

2018年07月30日 | 見て歩き
御幸橋(みゆきばし)

明治天皇の行幸

被爆当日に撮影された写真








南西方向から見たところ

「ブラタモリ広島編であったように、江戸時代、広島の城下町は海を干拓(かんたく)して広げていったんじゃったね」

「今の千田町(せんだまち)は国泰寺(こくたいじ)新開、今の皆実町(みなみまち)は皆実新開と呼ばれとったんじゃ」

「今の宇品(うじな)はまだ、なかった」

「1884年(明治17年)、広島県令(県知事)として赴任してきた千田貞暁(せんだ さだあき)の指揮のもと、宇品築港事業に着工」

「この時に宇品の街(宇品新開)が造られたんじゃね」

「翌85年、国泰寺新開と皆実新開を結び、広島市内から宇品へ行くための橋が架けられた。この橋は長さが207メートルあって、当時の広島で一番長い木橋じゃったことから「長橋(ながはし)」と呼ばれとったそうじゃ」

「長橋? 御幸橋いう名前じゃなかったん?」

「この年の8月、山陽道を行幸中の明治天皇が広島を訪問した際、この橋を渡ったことから「御幸橋」と名前を改めたということじゃ」

「なんでここを通られたんじゃろ?」

「軍艦に乗って海から来られた明治天皇は、建設中の宇品港から上陸、干拓堤防と長橋を通って広島市内に入られたんじゃ」

「そうか、広島まで鉄道が通るのは、まだ先の話じゃね(広島まで鉄道が開通するのは、9年後の1894年)」

「余談じゃが、この時に明治天皇が通られた干拓堤防が、今の「御幸通り」になるんじゃ」







西南側にある原爆被災説明板













御幸橋
(爆心地から約2,300メートル)

1945年(昭和20年)8月6日、午前8時15分、広島市の中心部上空約580メートルでさく裂した原子爆弾がもたらした巨大な被害によって、広島市の大半は瞬時に壊滅し、多くの被爆者が救護を求めて南へ、北へと逃れていきました。
この写真は、被爆後3時間を過ぎたこの地点を撮影したものです。
爆心地から南南東約2,300メートル離れていた、ここ御幸橋西詰の警察官派出所前には、建物疎開作業中に被爆した中学生をはじめ、多くの被爆者が群がり、わずかばかりの応急治療を受けていました。

(松重美人氏 撮影)




「松重美人(まつしげ よしと)さんといえば、原子爆弾が投下された当日の広島市内の写真を5枚、撮影されちゃった方じゃね」

「この写真は、その5枚のうち最初の1枚目で、原子爆弾が投下されて約3時間後の午前11時過ぎに撮影されたもの」

「自宅の翠町(みどりまち)で被爆された松重さんは、勤務先の中国新聞社(今の広島三越あたり)を目指して行く途中、ここ、御幸橋西詰で被爆者の様子を撮影されちゃったんよ」

「職業的義務感から撮影をされた松重さんじゃが、1枚目を撮影するまでかなり躊躇(ちゅうちょ)された。で、2枚目の写真を撮影される時には、ファインダーが涙にぬれていたということじゃ」

「撮る方も、撮られる方も辛かったじゃろうねぇ」

「2枚目の写真に、後ろ姿が写っていた河内光子(こうち みつこ)さんは、今年の1月22日に亡くなられとってんじゃの」







「橋の北西側にも、モニュメントがある」







御幸橋は 明治18年(1885) 木橋として架けられた
昭和6年(1931) 近代的な橋に架け替えられ 今日まで市の中心部と宇品地区を結ぶ交通の動脈として 大きな役割を果たしてきた
日清戦争以来第二次世界大戦終了まで 多くの兵士らがこの橋を渡り 宇品港から戦地へ赴き異国の地に眠った
また 昭和20年(1945)8月6日、世界最初の原子爆弾が投下されたとき この橋を渡って避難した市民も多い
広島の歴史を見守ってきたこの橋の2度目の架け替えが終った 新しい橋の完成と被爆45周年を迎えるにあたり 失われたものへの鎮魂と平和 そして輝く明日への希望を込め この碑をここに設置する

  平成2年(1990)7月

     寄贈 財団法人 多山報恩会
     製作 藤原 雄



「これは、高さ7メートルもある「広島 ひろしま HIROSHIMA」碑」

「多くの兵士らがこの橋を渡り…とあるとおり、御幸橋は広島市中心部と宇品港を結ぶ橋じゃったけぇ、兵士たちはこの橋を渡って、戦地へ征かれたんじゃね」







この「おりづるモニュメント」は、世界の恒久平和への願いが、ひとつぶの麦のごとく、この地から芽吹き広がるようにここへ設置した。

  平成9年4月28日

     寄贈 錦建設(株) (株)門出工務店
     施工 中村工社




「電話ボックスを改装して作られた(と思われる)「おりづるモニュメント」」







「屋根にある時計は、原爆投下時刻の8時15分を示しとるね」













「御幸橋を渡るカープのラッピングトレインと、後ろに見えるのは、バレーボール男子・JTサンダーズの本拠地・猫田記念体育館」

「むかしはここに、専売公社(現:日本たばこ産業(JT))があったのう」

「御幸橋はもともと木橋じゃったけぇ、電車が通ることはできんかったじゃろ?」

「市内線の電車は御幸橋の西詰めの電停でいったん乗客を降ろし、徒歩で橋を渡ってから、東詰の電停で宇品線の電車に乗り換えよった。これが1919年(大正8年)、橋の上流側に軌道専用橋を作ることで宇品線と直通できるようになったそうじゃ」

「今のように、道路と軌道が一緒の橋になったのは、いつ?」

「1931年(昭和6年)、広島市で最初の道路・軌道併用橋が完成した。これが2代目の御幸橋になる」

「いうことは、今のが3代目?」

「ほうじゃの。幹線道路で一度に工事ができんかったけぇ、20年以上かけて少しずつ架け替えが行われて、完成したのが1990年(平成2年)じゃそうな」







南東方向から見たところ







南東側欄干













北東側欄干


























御幸橋から川上を見たところ







御幸橋から川下を見たところ


「わしが小(こ)まいころは、ここから宇品の花火を見よったもんじゃの」

「宇品の花火いうのは、今でいう広島みなと夢花火大会じゃね。今年は、台風12号の接近で中止になったけど」

「遠くに見える山は、安芸の小富士といわれる似島(にのしま)じゃ」





訪問日:2018年2月12日





【参考文献】

『絵葉書の中の広島~閉じ込められた街の面影~』2013年10月 広島市郷土資料館

『宇品港』2018年2月 広島市郷土資料館






「今日は、御幸橋について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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2018広島みなと夢花火大会 中止!!

2018年07月28日 | 広島の話題
広島みなと夢花火大会 中止

宇品(うじな)花火大会

宮島水中花火大会も中止






「2018広島みなと夢花火大会が、台風12号接近のため中止になりました」

「う~ん、残念!」

「今年は、とあるルートから特別鑑賞チケットが手に入って、「やった」って小躍りしよったのに」

「いつものように、席を探して右往左往することなく、指定席に座って、ビール片手にゆっくりと花火を楽しめると思うたのにねぇ」

「残念なのは残念…じゃが、汗水たらして手に入れたものじゃないけぇ、こんなもんかもしれん、とある意味で割り切れることはできる」

「今年、2018年は広島港開港70周年という記念の年」

「中止の決定がずれ込んだのも、今年はなんとか開催したいという思いがあったんかもしれんのう」

「チラシにも、「豪雨災害でお亡くなりになられた方々の慰霊・鎮魂と、被災地の復興祈願という想いを持って開催いたします」とうたってあったね」











↓2018広島みなと夢花火大会については、こちら↓

広島みなと 夢 花火大会 ~花火ミュージアム~





「今は、「広島みなと夢花火大会」という名前になっとるが、わしが小(こ)まいころは「宇品の花火大会」じゃった」

「宇品まで見に行きよったん?」

「わしゃ小学2年まで皆実町(みなみまち)6丁目、ゆめタウンから道路を隔てて南側あたりに住んどったが、宇品まで見に行ったことは、考えてみりゃ、一度もなかったのう」

「ほいじゃ、どっから見よったん?」

「うちの家からすぐ近くにあって、京橋川(きょうばしがわ)に架かる御幸橋(みゆきばし)から見るよった。遠くから花火を眺めるだけで、音はほとんど聞こえんかったような気がする」

「御幸橋から見るってのは、今でもネットで検索すると穴場スポットに出てくるね」







(御幸橋から宇品方面(川下)を見たところ)





「宇品といえば、元宇品(もとうじな)と呼ばれとるところが豪雨の被害を受けて大変らしいね」

「ちょっと説明しとくと…、
宇品はもともと、宇品島と呼ばれる広島湾に浮かぶ島じゃった。
NHKの『ブラタモリ』でもあったように明治時代、広島市街から宇品島までを埋め立てて今の宇品ができた。宇品島じゃったところが、今は「元宇品」と呼ばれとる。
…で、新聞報道によると、複数の場所で土砂崩れが発生。狭い島の中に、狭い道路。土砂を撤去するための重機を通すための道が確保できとらんということじゃ」

「あれから3週間がたついうのに、まだまだこんなところがあるんじゃね」

「この記事を読んで、宇品の花火大会を見に行くのはちょっとのう…、って心の隅がちょっと痛くなったところがあったんじゃ、正直な話」







(元宇品)





「広島で行われる花火大会といえば、日本の花火大会百選のひとつで、水中花火が目玉になっている「宮島水中花火大会」(8月25日開催予定)があるね」

「こっちは、早々に中止が決定した。わしが記憶する限り、中止するのは初めてじゃと思うが」

「なんで? 宮島は今回の西日本豪雨の影響がほとんどないのに、観光客が減って、宿泊施設のキャンセルもあって困っとるいう話を聞いたけど?」

「宮島の問題じゃのうて、交通手段の問題じゃ」

「交通手段? あぁ、宮島に渡るにはJR宮島口駅まで行かにゃいけんね」

「帰宅時には、JRだけで上下線で20本ちかく臨時列車を走らせよったのが、今年は臨時列車の運行が難しいそうじゃ」

「今は、JR山陽本線が間引き運転しとる状態じゃもんね」

「宮島は今年、平清盛生誕900年ということで力が入っとっただけに、残念じゃろうの」





↓宮島水中花火大会については、こちら↓

「宮島水中花火大会」一般社団法人宮島観光協会





「宮島といえば、明日は厳島神社の管弦祭があるよ」

「管弦祭は毎年、旧暦の6月17日(2018年7月29日)に行われるんじゃ」

「そうか。昨夜はきれいな満月が見えたね」

「台風が近づいてきとるが、管弦祭はできるんかのう? こっちも心配じゃ」





訪問日:2018年2月12日





【参考文献】

『宮島花火大会が中止』中國新聞 2018年7月26日

『元宇品も復旧遠く』中國新聞 2018年7月27日






「今日は、中止となった広島みなと夢花火大会について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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新幹線通勤!

2018年07月23日 | 日記
西日本豪雨

2018年7月12日(木)以降





【前回までのあらすじ】

7月5日からの大雨で、広島県は大きな被害を受けた。
そんな中、姪っ子の沖縄での結婚式に同行。
あちこちで行く手を阻まれながらも無事、行って帰ることができた。
そして、12日からは仕事。
やれやれ…(ため息)。






ほんまは11日から仕事に行くはずじゃったんじゃが、台風8号の影響で沖縄-広島の飛行機が飛ばんかったため、1日遅れで12日から出勤。





ところが、豪雨の影響を受けた広島では、JR在来線で以下の区間が運転見合わせに。(7月12日時点)


【呉線(くれせん)】
三原-海田市(かいたいち)間(=全線)


【芸備線(げいびせん)】
広島-(岡山)備中神代(びっちゅうこうじろ)間(=全線)


【山陽本線】
(岡山)笠岡-海田市間


【福塩線(ふくえんせん)】
福山-神辺間、府中-塩町(しおまち)間



4年前、2014年8月の豪雨の時、全線で運転見合わせとなった可部線(かべせん)は今回、無傷。


つまり、広島県下を走るJR在来線5路線のうち、上記の4路線が一部、または全線で運転見合わせをするという、まさに「異常事態」!
かつて、こんなことがあったじゃろか!?





わしは毎日、山陽本線で八本松まで通勤しとるんじゃが、JRは不通、国道2号線も高速道路も通行止め。
「どうやったら会社まで行けるかいの?」
会社に出勤しとる人に聞いてみたら、「新幹線で代替輸送をしとるけぇ、あれに乗って来たらええですよ」という返事。

…新幹線による代替輸送?





JRで不通区間が発生すると、ふつうは代行バスが出る。
今回は新幹線が通常通り運行しているので、これを使って代行輸送することに。

具体的には、今回の豪雨災害より前、7月6日までに購入した、山陽本線の不通区間を一部でも含む通勤・通学定期券、回数券の利用者であれば、こだま・ひかりの「自由席」に限って利用できるというもの。

おぉ、これはありがたい!

間違っても、指定席やグリーン車には乗れません!
(正規の乗車券・特急券を買えば話は別じゃが…)

自宅に近い新幹線駅に行って定期券を見せると、「新幹線代替輸送乗車券」という、定期券くらいの大きさの紙がもらえる。
それを持って新幹線に乗り、勤務先・通学先に近い新幹線駅でこの券を渡して降りる。

この代替区間の表示が、
13日(金)までは「新倉敷⇔広島」じゃったのが、
17日(火)が「福山⇔広島」、
18日(水)以降は「三原⇔広島」になっとって、在来線の復旧状況が分かる。

この「新幹線代替輸送乗車券」、きちんと日付印が押してある日もあれば、押してない日もある。
利用者が多いけぇ、そこまで手が回らんのじゃろうと思います。





わしは山陽本線で広島から八本松まで通勤しとるけぇ、新幹線は広島から東広島までを利用することになる。

ウィキペディアで調べてみると、東広島駅の2016年の1日平均乗車数は、1,246人。
今は1日50本(上下線合わせて)の各駅停車のこだま・ひかりが停車するので、

1,246人÷50本=24.9人

1本当たり25人くらいしか乗らない、そんな山間部にあるのどかな駅が、東広島駅。
それが今回、一気に脚光を浴びることになった!

朝夕の通勤時間帯は、広島から東広島へ向けては、1本あたり500人近くが利用している(と思われる)。
しかも、ベッドタウンである東広島から広島へ向けての利用者が多いため、朝夕の通勤時間帯にそれぞれ1本ずつ臨時列車が運転されている。
この時間帯だけに限れば、今までの20倍以上の人が利用しとることになるんじゃの。

さっき、「利用者が多いけぇ、そこまで手が回らん」と言うたのは、こういうところからわしが勝手に想像したものじゃ。
JR職員の皆さん、毎日の業務、お疲れさまです。





というわけで、新幹線で広島から東広島まで行くことができた。
ところが、そこから先、東広島-八本松までの交通手段がない!
とりあえずは会社の人の車に便乗させてもろうとったが。

17日(火)からは、東広島-寺家(じけ)・八本松間(西へ)、東広島駅間-西高屋(にしたかや)・白市(しらいち)間(東へ)で代行バスが運行されるようになった。
基本は毎時0分と30分に出発するようじゃが、朝夕の通勤時間帯は満員になり次第、出発という形をとっているようじゃ。

この代行バス、県内の複数のバス会社から集めてきているため、いろんなバスが走っとる。
バスヲタの人にとっては、たまらないのでは?





最後に、JR各路線の復旧見通しについて。(7月18日時点)




(中國新聞 2018年7月19日)


【呉線】
海田市-坂 8月上旬
坂-広 11月中
広-三原 2019年(来年)1月中


【芸備線】
広島-下深川(しもふかわ) 7月23日から通常運転
下深川-狩留家(かるが) 9月中
狩留家-備後落合 少なくとも1年以上


【山陽本線】
海田市-瀬野(せの) 8月中旬
瀬野-白市(しらいち) 10月中
白市-三原 11月中


【福塩線】
府中-塩町 少なくとも1年以上



これを見る限り、わしが毎日利用する八本松までは、10月中の運転再開予定。
というわけで、わしの新幹線通勤はあと3ヶ月近く続く予定じゃ。
広島に台風が来て、復旧作業が振り出しに戻らんことを願うばかりじゃが…。

駅が浸水した瀬野に通う娘1号によると、「瀬野は、ほんまにあと1ヶ月で運転再開できるん?」という状況らしい。
復旧作業にあたっておられる方、連日の猛暑の中、お疲れさまです。

毎日、少ない便数で混雑する山陽本線に乗って海田市から広島まで通う人に聞くと、8月中旬、瀬野まで運転再開になった暁には、「瀬野から八本松・寺家まで代行バスを運転して欲しい」と考えているようじゃ。
幸い、瀬野-八本松間で通行止めがあった国道2号線は通行が可能となり、21日から国道2号線は2週間ぶりに全通になった!
となると、わしも広島から瀬野まで在来線、瀬野から八本松まで代行バスということになるかもしれん。





わしが敬愛するトランペッターの新田一郎氏が、こう言われた。
「人間万事塞翁が馬(にんげん(じんかん) ばんじ さいおうがうま)」と。

このことわざの意味は、
「幸せだと思っていたものが、実は不幸の原因になったり、禍(わざわい)と思っていたものが、逆に幸運を呼び込むことがあるよ」
ってこと。

人生では、何が幸せで、何が不幸になるか分からんけぇ、目の前のことに一喜一憂(いっきいちゆう)するな、ってことじゃ。





振り返ってみれば、この2週間で、いろんな経験をした。
55歳にして初体験したことを、5回にわたって書かせてもろうた。

目の前のことにひとつずつ誠実に対処していけば、人生は楽しいものかもしれんのう。

(おわり)





今日は、西日本豪雨(その5)「新幹線通勤!」について話をさせてもらいました。

ほいじゃあ、またの。
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沖縄からの生還!

2018年07月19日 | 日記
西日本豪雨

2018年7月11日(水)





【前回までのあらすじ】

東日本から西日本の広い範囲にわたって降った、7月5日からの大雨で、広島県は大きな被害を受けた。
7月9日は姪っ子の沖縄での結婚式を挙げるため、8日は大雨の中、あちこちで通行止めをくらいながらも、なんとか広島空港に着いた。
が、搭乗手続きに遅れたため、広島空港からバス・新幹線で福岡空港まで移動、那覇空港行きの飛行機に乗って沖縄にたどり着くできた。






7月9日(月)、晴天の下、沖縄の海を見渡せるチャペルで、姪っ子の結婚式が無事に行われた。
えかった、えかった。





結婚式が無事終わって、気になるのは、広島に帰る飛行機が明日、飛ぶかどうか。
大型の台風8号は、沖縄への直撃はなさそうだが、風が強いのでそちらが気になる。
沖縄の人の体質なのか、どの方に聞いても「このくらいの風なら、飛行機は飛びますよ。大丈夫」との返事。

仕事も気になるので、わしだけ先に帰ろうかとも思うが、広島空港から自宅までの道路が心配になる。
その時点では、広島空港から広島市までの高速道路が復旧しとらんかったんので、帰りも不慣れな山道を通って帰らにゃいけんことが予想される。
あんな道を、女房ひとりの運転で乗り切るのは無理じゃ。

…というわけで、みんなと一緒に帰ることにする。
明日、飛行機が飛ぶことを祈りつつ。





沖縄におっても、ニュースのほとんどは、西日本の豪雨災害に関するもの。
まさか、沖縄まで来て、東広島市、呉市、坂町と広島県の映像ばかり見せられることになるとは思わんかったが…。





7月10日(火)、「飛行機よ、飛んでくれ」と淡い期待を胸に、台風を心配しつつ、小雨の中をバスで那覇空港に向かう。
その車内で、姪っ子のスマホにメールが届く。

「広島便、欠航」

嗚呼、無情…。





バスの中で、今夜泊まるホテルの目星を付ける。





那覇空港で、明日の飛行機に乗れるよう手続きをする。
空港の窓口では、すでにたくさんの人が並んでいた。
手続きが終わるまでに、3時間半くらいかかる。

疲れがドッと出る。





そんな中、スマホで「府中町を流れる榎川(えのきがわ)が氾濫(はんらん)」の映像付きニュースを見た。

テレビで繰り返し流された、川が氾濫した映像を映した病院も分かるし、上空から撮影された府中町の映像を見るだけで、
「ここには○○の家がある。あそこには××の家がある」
と、友だちやクラスメートが住んどる(住んどった)家が分かる。

今回の豪雨災害報道で、初めて涙してしもうた。


災害はいつ起こるか分からんが、

同時に、

自分が生きている間は起きないだろう、
我が身に降りかかることはないだろう、

と、勝手に解釈してしまう。


榎川がこんな形で氾濫するなんて、ほんま、考えたこともなかった。


わしの親父が自動車メーカー・マツダに勤めとった関係で、小学3年から府中町に住んどった。
山を切り開いて造られた団地で、坂道を下ったところに流れているのが、榎川。

川を上っていけば、夏は水遊びやキャンプができる、緑豊かな水分峡(みくまりきょう)がある。
川を下っていくと、りゅうせん幼稚園・多家神社(えの宮)・府中小学校・町役場などがある。
府中中学校の校歌には、榎川が歌われている。


♪榎川 清きせせらぎ
たぎつ瀬の 血潮の誇り
末広き 水脈(みお)一筋や…

(作詞:住岡秋作)



実家に電話すると、避難指示は出ているものの、榎川に架かる橋は通れるので大丈夫とのこと。
とりあえず、一安心。





7月11日(水)、沖縄は朝から晴天。

飛行機が那覇空港を出発した後、空弁を食べる前に、まずは一杯とビールを開ける。
プシュッ!
おぉ、ええ音じゃ。

ビールに口をつけようとすると、
「お父さん、今ビール飲んじゃだめよ」
「…なんで?」
「だって、空港から家まで運転して帰らにゃいけんじゃん」

おぉ、そうじゃった。
空港から家まで車を運転せにゃいけんのを忘れとった!

キャビンアテンダントの方に頼んで、泣く泣く、ビールを処分してもらう。





飛行機は瀬戸内海を渡って、広島県上空へ。
ある山では、山頂付近から土砂が崩れ落ち、それが斜面にいく筋ものツメ跡を残していた。
それを見て、今日、みたび涙してしまう。

今日はよくよく泣いてしまう日じゃ。





17時40分、無事、広島空港に戻ってくる。

が、空港へのアクセスは復旧しとらんし、空港内の飲食店・物販店は週明けから営業休止状態。
こんな状態で空港を運営して、ほんまにええんか?
わしらは車を置いてきたこともあって、空港へ戻ってくる必要があった。
そういう意味では、幸運じゃった。

…が、広島、またはその近郊に来るのが目的の人には、もっとアクセスがしやすい飛行場を紹介するなどしたほうがええんじゃないんかの?
具体的にどんなことをされとるのかさっぱり分からん者が、勝手を言うようじゃが。





これから夜を迎えるということもあって、来るときのように無理をせず、渋滞覚悟で国道2号線を通って帰ることに。
空港から西条バイパスまでは、渋滞もなくスイスイ進む。

が、志和(しわ)インター入り口から大渋滞に巻き込まれ、車がまったく進まない。
結局、県道33号線を通って、山越えで瀬野に出ることに。





山道に入ると、あちこちに土砂崩れの跡。
ここ3日間、広島は雨が降っていないというのに、今でも山から水が流れ出ている。
この道は何度か走ったことがあるけぇ、わしゃそうでもなかったが、初めて通る女房と子どもたちは命の危険を感じたという。





瀬野に出て、県道85号線から畑賀(はたが)に抜けようとするが、通行止め。
国道2号線手前を右折して、県道274号線に入る。
この道は狭いが、離合に気をつけて走れば大丈夫。





瀬野川に架かる山王(さんのう)橋手前で、通行止め。
土砂が溜まっているだけのようなので、スピードを落として通り抜ける。

先日の大雨で瀬野川が氾濫したときの土砂が道路に流れ込み、それが乾いたものらしい。
暗い中をよく見てみると、家の前には冷蔵庫などが置いてある。
家の中まで土砂が流れ込んできたので、使えなくなった冷蔵庫などを家の外に置いたものと思われる。

夜じゃったけぇ、「行っちゃえ」と通してもろうたが、これが昼間、土砂を撤去する作業を目にしたら、黙って引き返しとったじゃろうの。
大変失礼をいたしました。





山王橋から国道2号線に出て、いつもの道を通って帰る。
22時10分ころ、ようやくわが家にたどり着く。
これでゆっくりできるぞ~。





ハッ!
明日は、仕事か。

はぁぁぁぁ~(大ため息)。

(つづく)





今日は、西日本豪雨(その4)「沖縄からの生還!」について話をさせてもらいました。
次回は、西日本豪雨(その5)「新幹線通勤!」の予定じゃ。

ほいじゃあ、またの。
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沖縄へ!

2018年07月18日 | 日記
西日本豪雨(その3)

2018年7月8日(日)





【前回までのあらすじ】

東日本から西日本の広い範囲にわたって降った、7月5日からの大雨で、広島県は大きな被害を受けた。
7月6日、勤務先の東広島市から自宅まで帰ることができなかったため、会社で一晩を過ごすことに。
7月7日、あちこちの道路で通行止めをくらいながらも、なんとか広島市内の自宅にたどり着くことができた。
姪っ子の沖縄での結婚式を明日に控え、今日は何としても広島空港までたどり着かなければならない。
さあ、どうする!?






というわけで、7月8日の朝がやってきた。

この日は朝から大雨。
心がくじけてしまいそうなくらいの、大雨が降っていた。





ふつうなら、「こんな大雨じゃし、沖縄にゃ台風8号が接近しとるいうけぇ、残念じゃけど今回は止めにしようやぁ」って言えるんじゃが、今回の主役は姪っ子。
本人たちが、「沖縄で結婚式を挙げたい」いう限り、沖縄まで連れて行かにゃいけまぁ。





幸い、昨日は福富から国道375号を北上、甲立(こうたち)から国道54号線を南下して無事、広島市内の自宅にたどり着くことができた。
いうことは、昨日の逆を行けばええ。
この道は、通行止めが無かったし。

広島市内から国道54号線を北上して、甲立(こうたち)の高宮分かれで右折、国道375号を南下。
清武交差点で左折して、国道486号からフライトロードに乗れば広島空港までたどり着くことができる。
はず…。





朝7時、広島駅北口発。
国道54号線、国道375号と順調に進む。
清武交差点のコンビニでひと休み。

朝から降り続いた大雨も、小降りになってきた。
こりゃ余裕で空港まで行けるかもしれんで。

という考えは、甘かった。





清武から左に曲がって国道486号を進むが、通行止め。
県道347号線に行くも、通行止め。
完全に出鼻をくじかれる。

…清武まで戻って、作戦会議。





国道375号を戻って(北上して)宮の首交差点を右折することに。
県道28号線、国道432号、県道49号線から広島中央フライトロードを通って、広島空港に無事、到着。

…と、簡単に書いたんじゃが、あちこちで通行止めがあって、進むことができん道がいくつもあった。
カーナビの無い車で、道路マップを手に、文字どおり道なき道を進む。
反対車線を通る車を見かけたら、その車を止めて、どの道が行けそうかを尋ねて、なんとか広島空港にたどり着いた、というのが本当のところ。

面倒くさがらず、広島空港への道を丁寧に教えてくださった方々、本当にありがとうございました。
感謝。





広島駅北口から4時間余りかけて無事、広島空港に着いたものの、那覇空港行きの飛行機の搭乗手続きは、すでに終わった後。
この天候のこともあり、18時、福岡空港発那覇空港行きの飛行機なら、手持ちの航空券で乗れることになった。
福岡空港までの移動は当然、自腹じゃが…。

JR在来線や高速道路が通行止めのため、最寄りの新幹線の駅・東広島駅まで無料の臨時バスが運行しとることが分かったので、それに乗って移動することに。

バスの出発まで時間があったので、空港で昼食をとる。

陸の孤島と化した広島空港のコンビニでは、当然のごとく、弁当・パン類は売り切れ。
食堂には、いつもより品数は少なかったが、食べるものがあったので、本当に助かった。





13時5分、広島空港からJR東広島駅への臨時バスに乗る。
他に交通手段がないため、バスは満員。

他に通れる道路がないためか車が集中、大渋滞に巻き込まれる。

白市(しらいち)駅には、2014年に投入された新型の227系電車、通称:レッドウィングが1台、西条方面の線路に取り残されとった。
この電車は、山陽本線が復旧するまでここに停まったまんまなんかの。

…そういや、山陽本線は、いつになったら復旧するんじゃろ?

瀬野駅は冠水、線路は地盤が崩壊したとの情報もあったし。
本郷駅-河内(こうち)駅間では線路の土台がえぐり取られ、レールが宙づりになっとるいう情報もあったし…。

ガソリンスタンドの前には、ガソリンを求める車の長い列が。

バスの前方を、中電工の作業車が走っとった。
どっかで停電が発生しとるじゃろか?
それとも、電線の確認に行かれるんじゃろか?

自衛隊の車両や、「災害復旧」の横断幕をつけた発電車とすれ違う。
東広島市消防署には、「災害派遣」の横断幕をつけた自衛隊のトラックが停まっとった。

皆さん、ほんまにありがとう。
暑い中、お疲れさまです。





14時20分、バスがJR東広島駅に到着。
駅前ロータリーは、大混雑。
JR在来線や高速道路が通行止めの中、唯一生きている路線・新幹線を利用する人が東広島駅に集中しているためだ。

新幹線は35分発。
乗車券を買おうにも、窓口には行列ができとって間に合いそうにない。
…どうする!?

そんな中、改札口が解放され、「乗車券は車内で買うか、降りる駅で清算してください」と駅員さんが言われるので、新幹線に飛び乗る。





東広島駅から10分あまりで、広島駅着。

東広島駅は各駅停車のこだましか停まらないので、広島駅で博多行きののぞみに乗り換える。
席が空いていたので、座れてホッとする。





博多駅から福岡空港まで地下鉄で行き、18時発の飛行機に乗る。
機内からはきれいな夕日を楽しむことができた。
今日一日、みんなでがんばったごほうびじゃ。

(つづく)





今日は、西日本豪雨(その3)「沖縄へ!」について話をさせてもらいました。
次回は、西日本豪雨(その4)「沖縄からの生還!」の予定じゃ。

ほいじゃあ、またの。
コメント
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