通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

大山刀鍛治

2022年05月26日 | むかしばなし

(広島県小学校図書館協議会『広島のむかしばなし』日本標準 1974年)

先日、実家の整理をしている女房が、
子どものころ読んでいたという
絵本を持って帰ってきたんじゃの。
活字中毒のわしとしては、
たとえ子ども向けの絵本であっても
目を通さないと気が済まんのじゃ。

その中に、
大山(おおやま)峠にいたという
刀鍛冶(かたなかじ。
刀をつくる専門の職人)
の話が載っとった。

大山峠は旧山陽道にあって、
広島市安芸区瀬野町と
東広島市八本松を結ぶ
難所として知られていた。
旧山陽道は、西国街道とも呼ばれ、
京の都と九州の太宰府を結ぶ
重要な街道じゃったんじゃの。



今日は、
大山刀鍛冶
についての話でがんす。



むかしむかし、大山峠には
7人の天狗(てんぐ)がおったそうじゃ。
天狗は、山の中に住む
妖怪(ようかい)のことじゃの。

ある日、ひとりの若者が大山峠を
西から東へと越えて行った。
この若者は、
備前国(びぜんのくに)。
現:岡山県東部)にいる
刀鍛冶の名人の下で学ぶため、
肥前国(ひぜんのくに。
現:佐賀県、長崎県))から、
この峠を越えて行ったのだ。
若者の姿を木の上から見ていた
天狗たちは話し合(お)うた。


「どうじゃ。あの若者をたすけてやらないか。」
「それはまた、どうしてじゃ。」
「きっと、しょんぼりして帰ってくる。そこをたすけるのじゃ。」



天狗には、
未来を見通す力もあるんじゃの。
天狗たちは、
刀を作ることができる環境を
大山峠に整えておいた。

備前国に着いた若者は、
天狗が予言したとおり
名人に学ぶことができず、
しょんぼりと引き返してきた。
しかし、心の中では
「自分の力で名人になる」と
かたく誓っていたんじゃの。
大山峠にたどり着いた若者は驚いた。
そこにはきれいな清水が
噴水みたいに湧いていたからじゃ。


「これは、いい水だ。」
水を手にすくった若者は、目をかがやかせました。
「炭にいい松が、あそこにもあそこにも。」
「鉄粉もひかっている。」



若者は、大山峠で刀を作ろうと
小さな小屋を建てたんじゃが、
ひとりでは刀は作れん。
刀を作るときに、ひとりが
槌(つち)でトントンとたたくと、
それに合わせてほかの人が鎚でたたく、
その相手となる人が要るんじゃの。


「せっかく、自分の力で、名人になろうとしている。どうじゃ、つれになってやらないか。そうすりゃあ、刀もつくれる。」
「こっそり、つれにばけるか。」
七日めの夜がすぎると、ふしぎと、七人のつれが現われました。
「ツンテンカン。ツンテンカン。」
つちの音が、山にひびきわたりました。



若者と7人の天狗が
力を合わせて刀を作りあげた、
というのが大山刀鍛冶の話じゃ。



以下、余談。



先に書いたとおり、大山峠は
広島市安芸区瀬野町と
東広島市八本松の間にある。






峠から瀬野町側に下ったところに、
大山清水の石碑が建てられている。
若者が「これは、いい水だ」といった
あの清水は、今では
枯れてしもうとるんじゃがの。




説明板によると、
建武(けんむ)年間(1334年-1337年)に
筑前国(ちくぜんのくに。現:福岡県)の
守安が移り住んだのが
大山刀鍛冶の始まりじゃそうな。








刀鍛冶の墓の石碑と
刀鍛冶の墓所もある。

(訪問日:2012年10月6日)



以下、さらに余談。


刀に関することわざを
3つほど紹介して
終わりにしよう。


「相槌(あいづち)を打つ」
鍛冶などで、師が槌を打つ間に、
弟子が槌を入れること。
そこから、相手の話に調子を合わせて
受け答えをすることをいう。
大山刀鍛冶の話で
若者と天狗が刀を作るとき、
ツンテンカン、ツンテンカンと
調子を合わせて槌を打ったのが、
「相槌を打つ」いうことじゃの。

「焼きを入れる」
刀の刃を焼いたあと、
水で冷やして堅く鍛えること。
そこから、ゆるんだ気持ちを
引き締めることをいう。
わしが若いころは、先輩から
「焼きを入れられる」ことが
たまにあったのう。

「抜き打ち」
刀を抜くと同時に
相手に斬りつけること。
そこから、予告をせずに
いきなり何かをすることをいう。
わしが学生のころは、
抜き打ちで持ち物検査や
授業で抜き打ちテストが
よくあったもんじゃ。



今日は、
大山刀鍛冶
について話をさせてもろうたでがんす。


ほいじゃあ、またの。
コメント
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