通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

Xの挑戦

2024年07月24日 | まんが・テレビ・映画
今年、2024年は、石ノ森章太郎(いしのもり しょうたろう。旧表記:石森章太郎)のSF漫画『サイボーグ009』の原作誕生から60周年。

1964(昭和39)年30号(7月19日)から、『週刊少年キング』誌上で連載が始まったんじゃの。

これを記念して、YouTubeの東映アニメーションミュージアムチャンネルでは、1968(昭和43)年にテレビ放送された『サイボーグ009』(以下、「白黒版009」と略す)を期間限定公開中。

今回紹介するのは、白黒版009の第2話「Xの挑戦」じゃ。



↓「Xの挑戦」については、こちら↓

「60周年記念【公式】サイボーグ009「第1話 恐怖の怪人島」「第2話 Xの挑戦」」YouTube





今日は、「Xの挑戦」についての話でがんす。




「Xの挑戦」のストーリーを紹介すると…。

ある夜、サイボーグXの乗る円盤が、ギルモア研究所を襲う。
Xは、ギルモア博士を狙うオメガ博士が、ナックという青年を改造して作ったサイボーグだった。
ギルモア研究所から立ち去る途中、Xは十字架にバラの花を捧げる少女を見つける。
その少女は、ナックの婚約者・ミッチィ。
彼女は、ナックが交通事故で死んだものと思い、彼が好きだったバラの花を供えていたのだ。
再会を喜ぶミッチィに、ナックは自らの下半身は機械の体で、円盤と一体であることを告げ、立ち去る。



(『アニメージュ増刊 ロマンアルバム2 サイボーグ009』徳間書店、1977年、59ページ
メモ中に「5話」とあるところから、制作話数が「5話」で、放送話数が「2話」であることがわかる)


ナックを追って崖から落ちたミッチィは、009たちに助けられてギルモア研究所へ。
一方、009と一緒に行動していた003は、Xに連れ去られる。
003を人質に取ったオメガ博士は、Xと009との対決を要求する。



(『アニメージュ増刊 ロマンアルバム2 サイボーグ009』徳間書店、1977年、12~13ページ、書き起こしカラーピンナップ
左上が009とXとの対決シーン。右下が、ふたりの対決を見守るミッチィと003。真ん中手前は006)




「Xの挑戦」は、石ノ森原作にはない、脚本の辻真先(つじ まさき)と、演出の芹川有吾(せりかわ ゆうご)のコンビによる、オリジナルストーリー。

白黒版009では、第16話「太平洋の亡霊」、第26話(最終回)「平和の戦士は死なず」と並んで、人気のある作品のひとつじゃ。

ビデオがまだ普及していなかった1970年代後半、自主上映会が各地で行われていたが、その上映会でよく上映されていたんじゃの。

当時は、ビデオですらなく、16ミリフィルム(!)による上映会じゃったが。

1977(昭和52)年夏に公開された、劇場版『宇宙戦艦ヤマト』の大ヒットによって、アニメブームが起こったのはご存じのとおり。

それまで、「テレビ漫画」「まんが映画」と呼ばれていたのが、「アニメ」とか「アニメーション」とか呼ばれるようになったんじゃの。

で、そのアニメブームを受けて同年末に発売された、『サイボーグ009』のテレビ・オリジナル・サウンドトラック盤(LP)には、「Xの挑戦」「平和の戦士は死なず」が収録された。

そして、翌年春に発売されたEP盤には、「Xの挑戦」だけが収録されたんじゃの。

というわけで、白黒版009中でも「Xの挑戦」は人気のある作品じゃった。





以下、余談。


ことほど左様に人気のあった「Xの挑戦」じゃが、最近は後れを取っているようじゃ。

「平和の戦士は死なず」は、『サイボーグ009トリビュート』で、辻真先自らリメイクされとるし、「太平洋の亡霊」は、『サイボーグ009 太平洋の亡霊』で漫画化されている。

「Xの挑戦」も、どっかでリメイクしてもらえませんかいの?



↓『サイボーグ009トリビュート』については、こちら↓

「サイボーグ009トリビュート (河出文庫 い 42-2)」amazon



↓『サイボーグ009 太平洋の亡霊』については、こちら↓

「サイボーグ009 太平洋の亡霊 (チャンピオンREDコミックス) 」amazon




以下、さらに余談。


サイボーグXこと、ナックの声を担当されたのが、朝井ゆかり。

1965(昭和40)年に放送されたSFアニメ『宇宙少年ソラン』で、主人公・立花ソラン役をされた方じゃの。

おぉ、こちらもサイボーグという設定じゃった。



↓ソラン役の朝井ゆかりについては、こちら↓

「【1324】ソノレコード 宇宙少年ソラン「大潮流の巻」②」YouTube



↓宇宙少年ソランについては、こちら↓

「宇宙少年ソラン」株式会社エイケン オフィシャルサイト





今日は、「Xの挑戦」について話をさせてもろうたでがんす。

ほいじゃあ、またの。
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ジョーゼフ・キャンベル『神話の力』

2024年06月30日 | まんが・テレビ・映画
「古今東西の「名著」を、25分×4回=100分で読み解いていく番組が、NHK Eテレの『100分de名著』。2024年7月に紹介する名著は、ジョーゼフ・キャンベルの『千の顔をもつ英雄』じゃ」

「ジョーゼフ・キャンベル? どっかで聞いたような…」

「むかし、『神話の力』って、テレビ番組を録画したビデオを見せたことがあるんじゃが、覚えとらんかいの?」

「忘れた!」



↓『100分de名著』については、こちら↓

「100分de名著」NHK





「今日は、ジョーゼフ・キャンベル『神話の力』についての話でがんす」





「最初に、ジョーゼフ・キャンベルについて紹介しとこう。
ジョーゼフ・キャンベルは1904年、アメリカはニューヨーク州の生まれ。サラ・ローレンス大学で教職に就くかたわら、世界各地の神話の比較研究に多くの業績を残し、第一人者として活躍する。主な著作に『千の顔を持つ英雄』、『神の仮面』、『神話の力』などがある。1987年没」

「そのキャンベルを知ったのが、テレビで放送された『神話の力』じゃったん?」

「『神話の力』は、今から35年くらい前、NHK教育テレビ(現在のEテレ)で放送された。ジャーナリストのビル・モイヤーズと行った対談がテレビで放送されて、そのあとに書籍化されたんじゃの」



モイヤーズ「なぜ神話には英雄の話がこんなに多いのでしょう?」

キャンベル「語られるだけのものがそこにあるからです」

(ジョーゼフ・キャンベル+ビル・モイヤーズ、飛田茂雄:訳『神話の力』早川書房、1992年、220ページ)




「キャンベルは、世界各地の神話の比較研究するうちに、英雄伝説の基本構造を発見した」

「英雄伝説に基本構造ってのがあるんじゃね」

「キャンベルの考えに影響を受けたのが、ジョージ・ルーカス。彼は映画『スター・ウォーズ』の初期3部作(エピソード4~6)に取り入れることで大成功を収めた、というのは有名な話じゃ」

「ところで、英雄伝説の基本構造って、なに?」

「英雄の旅には、ある共通する行動パターンがあって、英雄は旅立ち、成し遂げ、帰還する、というもの。古今東西の英雄たちは、この3つの段階を経て、英雄となるそうじゃ」

「英雄は旅立ち、成し遂げ、帰還する…」

「英雄はまず、日常世界から超自然的な領域へと冒険の旅に出かける(=旅立ち)。
旅の途中で数々の困難と出会うが、最終的にはそれに勝利する(=成し遂げ)。
そして、そこで得たもの(有形・無形を問わず)を持って、冒険の旅から日常世界へと帰ってくる(=帰還する)」

「試練を乗り越えて、成長した英雄が、元の世界に戻ってくると」

「この「行って帰ってくる」というのがポイントで、行って、目的を達成するだけではダメ。元いた世界に戻ってくることで、日常を再発見することになるそうじゃ」

「ほぉ」

「神話といわず、今までに読んだ・聞いた物語の登場人物たちの話をこれに当てはめてみると、「なるほど!」と納得してもらえると思うぞ」

「なるほど!」

「ちなみに、『100分de名著』7月1日(月)放送の第1回は、「神話の基本構造「行きて帰りし物語」」じゃそうな」





「以下、余談」


「ジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ』に応用して成功したということは、ほかの作品でも使った人もおっていうことよね?」

「たとえば、「『千の顔をもつ英雄』実践ガイド」なるマニュアルが作られて、それを元に作られた映画もあるそうじゃ」

「ほぉ」

「そのマニュアルを作ったクリストファー・ボグラーは、『神話の法則』という本も書かれとってんじゃの」





↓ジョーゼフ・キャンベル『神話の力』についての関連記事は、こちら↓

英雄は旅立ち、成し遂げ、帰還する





「今日は、ジョーゼフ・キャンベル『神話の力』についての話をさせてもろうたでがんす」




写真左手前、ジョーゼフ・キャンベル、ビル・モイヤーズ、飛田茂雄:訳『神話の力』 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫、2010年)
写真左奥、同上(早川書房、1992年)
写真右、ジョーゼフ・キャンベル、倉田真木・斎藤静代・関根光宏:訳『千の顔をもつ英雄〔新訳版〕下』 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫、2015年)


「わしゃ『神話の力』は読み通したが、『千の顔をもつ英雄』は、何度かチャレンジして、そのたびに挫折してきとるんじゃ」

「この機会に、最後まで読んでみるかね」

「おぉ、やってみるで。ほいじゃあ、またの」
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映画『妖雲里見快挙伝 完結編』

2024年04月21日 | まんが・テレビ・映画
江戸時代後期に、曲亭馬琴(きょくてい ばきん。滝沢馬琴(たきざわ ばきん))が著わした大長編小説『南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん。以下、「八犬伝」と略す)』。

この八犬伝を題材とした作品は、時代が令和に変わった現在まで、いろいろな形で発表されてきた。





そのうちのひとつが、映画『妖雲里見快挙伝』2部作で、今回紹介するのは、その2作目にあたる『妖雲里見快挙伝 完結編(以下、「本作」と略す)』。

本作は、1956(昭和31)年公開で、監督は渡辺邦男、脚本は川内康範。

八犬士を演じる俳優の方々は、以下のとおり。

犬塚信乃(いぬづか しの):若山富三郎
犬川荘助(いぬかわ そうすけ):和田孝
犬山道節(いぬやま どうせつ):中山昭二
犬飼現八(いぬかい げんぱち):小笠原竜三郎
犬田小文吾(いぬた こぶんご):鮎川浩
犬江親兵衛(いぬえ しんべえ):沼田曜一
犬村角太郎(いぬむら かくたろう):御木本伸介
犬坂毛野(いぬさか けの):城実穂


映画『妖雲里見快挙伝 完結編』は、2024年4月12日から4月26日まで、YouTubeで2週間限定無料配信中。



↓映画『妖雲里見快挙伝 完結編』については、こちら↓

「【2週間限定無料配信】妖雲里見快挙伝 完結編」新東宝【公式】チャンネル





今日は、映画『妖雲里見快挙伝 完結編』についての話でがんす。





八犬伝といえば、八犬士たちが手にする
仁(じん)
義(ぎ)
礼(れい)
智(ち)
忠(ちゅう)
信(しん)
孝(こう)
悌(てい)
の8つの珠。

この8つの珠は、安房の国守・里見義実(さとみ よしざね)の一人娘・伏姫(ふせひめ)が持っていた。

その伏姫は、里見が安西景連(あんざい かげつら)に攻められたとき、愛犬・八房(やつふさ)とともに景連を討つ。

義実が姫を探し当てたとき、身につけていた数珠から、8つの珠だけがなくなっていた。

「8つの珠を持つ八犬士があらわれて、里見の家を守る」と予言した姫は、息を引き取る。

八犬伝では、八犬士たちは小さいころから珠を持ち、体のどこかに痣(あざ)がある。

しかし本作では、犬士たちがなにかの拍子に珠を手にする、という設定だ。



八犬伝といえば、村雨丸。

村雨丸は鎌倉公方に伝わる宝刀で、犬塚信乃(いぬづか しの)の父・番作(ばんさく)が、公方から託されたもの。

信乃がこの刀を公方に返上しようと旅立つところから、八犬伝本編の話が始まる。

しかし本作での村雨丸は、安房の国守である証として公方から与えられたもの、という設定だ。

その村雨丸を、網乾左母二郎(あぼし さもじろう)が偽物(にせもの)とすり替えるというのは同じだが、本作の左母二郎は、馬加大記(まくわり だいき)の腹心。

つまり、左母二郎が村雨丸を手にしたことで、馬加は安房の国守になる権利を手に入れたことになる。

馬加は、村雨丸を失った里見を攻め、義実たちを城から追い出した。

城から落ちのびた義実たちが、再起の時を待ちながら身を隠しているところに、伏姫の亡霊が現われる。

「今は受難の時。八犬士が現われるまで、しばらくお忍びください」

そんな義実たちを、馬加の家臣である赤岩一角(あかいわ いっかく)たちが攻めたてる。


そして、物語はクライマックスへ。
(以下、ネタバレあり)


信乃が義実に告げる。

「八犬士のうち、未だ7人しか揃っていない(犬坂毛野が持つ「智」の珠が不在)が、残った者たちで村雨丸を取り返し、里見家の再興を果たす」と。

信乃たちが村雨丸を取り返そうとするが、それは囮(おとり)で、本物は馬加の手から公方の手に渡っていた。

村雨丸を取り返したことで、安房の国守に任ぜられた馬加は、祝宴を開くことを理由に、公方を安房へ招待する。

馬加は、そこで公方を毒殺し、自分が取って代わろうと企てていたのだ。

父の敵である馬加を討とうと、白拍子として城内に入り込んでいた旦開野(あさけの)こと犬坂毛野は、この悪巧みを見破る。

馬加が公方に手をかけようとしたとき、信乃たち七犬士が登場!

「天に代わって成敗してくれる」

村雨丸を奪い返した浜路をめぐって、信乃と左母二郎が最後の対決!

村雨丸は無事、義実の手に戻る。

自らの非を認めた公方は義実に謝り、義実に改めて安房の国守を任じた。

めでたし、めでたし。





以下、余談。


さて、ここで質問。

「智」の珠を持つ8人目の犬士は、だれでしょう?

先ほど、「犬坂毛野が持つ「智」の珠が不在」と書いたので、父の敵である馬加を討った犬坂毛野(旦開野)、と思われることじゃろう。

ところが本作では、左母二郎から村雨丸を守り抜いた浜路の懐から、「智」の珠出てきたんじゃの。

つまり、常に伏姫の側で仕えていた浜路に、8つめの珠が与えられたことになる。

前回も話をしたが、この映画の設定を流用(?)したのが、映画『宇宙からのメッセージ』(1978年、東映)。

ガバナス帝国に侵略されたジルーシアの長老・キドは、勇者を求めてリアベの実、8個を宇宙へ放つ。

キドの孫娘でヒロイン・エメラリーダと戦士・ウロッコは、リアベの実を手にした勇者たちを探す旅に出る、というストーリー。

この映画で、8人目の勇者として選ばれたのが、エメラリーダと常に行動を共にしてきたウロッコじゃったんじゃの。





今日は、映画『妖雲里見快挙伝 完結編』について話をさせてもろうたでがんす。


ほいじゃあ、またの。



(文中、敬称略)
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映画『妖雲里見快挙伝 前編』

2024年04月09日 | まんが・テレビ・映画
江戸時代の後期、曲亭馬琴(きょくてい ばきん。滝沢馬琴(たきざわ ばきん))が著わした大長編小説『南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん。以下、「八犬伝」と略す)』。

この八犬伝を題材とした作品は、歌舞伎や演劇、小説をはじめ、映画・テレビ・漫画・アニメと、いろいろな形で発表されてきたんじゃの。

ほいじゃが、犬塚信乃(いぬづか しの)が安西景連(あんざい かげつら)の家臣で、犬川荘助(いぬかわ そうすけ)が馬加大記(まくわり だいき)の家臣だった、というトンデモな設定の物語がある。

それが、今回紹介する映画『妖雲里見快挙伝 前編』じゃ。





映画『妖雲里見快挙伝 前編』は、2024年3月29日から4月12日まで、YouTubeで2週間限定無料配信中。



↓映画『妖雲里見快挙伝 前編』については、こちら↓

「【2週間限定無料配信】妖雲里見快挙伝 前編」新東宝【公式】チャンネル





今日は、映画『妖雲里見快挙伝 前編』についての話でがんす。





映画『妖雲里見快挙伝 前編(以下、「本作」と略す)』は、1956(昭和31)年公開で、監督は渡辺邦男、脚本は川内康範。

八犬士を演じる俳優の方々は、以下のとおり。

犬塚信乃(いぬづか しの):若山富三郎
犬川荘助(いぬかわ そうすけ):和田孝
犬山道節(いぬやま どうせつ):中山昭二
犬飼現八(いぬかい げんぱち):小笠原竜三郎
犬田小文吾(いぬた こぶんご):鮎川浩
犬江親兵衛(いぬえ しんべえ):沼田曜一
犬村角太郎(いぬむら かくたろう):御木本伸介
犬坂毛野(いぬさか けの):城実穂



本作のストーリーを紹介すると…。


安房の滝田城主・里見義実(さとみ よしざね)は、隣国の安西景連に攻められ、落城寸前だった。

景連は、義実の一人娘・伏姫を差し出すよう求めるが、義実はこれを断る。

景連の家臣・信乃は主君を諫(いさ)めるが、そのことで景連の怒りを買う。

義実は伏姫に対して、元家臣・犬田小文吾の許へ逃れるよう諭す。

また、義実の妻・五十子(いさらご)は、里見家に代々伝わる八つの水晶と小玉百個を連ねた御仏の珠数を伏姫に手渡す。

しかし、伏姫は愛犬・八房(やつふさ)とともに景連の許へ。

そのことを知った義実は、景連の陣へ攻め込む。

義実がそこで見たのは、八房にかみ殺された景連と、瀕死の伏姫だった。

伏姫が手にしている数珠から、八つの珠が無くなっていた。

伏姫は、その八つの珠を持つ八犬士があらわれて里見家を守ると予言したのち、息を引き取る。

義実の前にあらわれた信乃は、自らの命と引き換えに、景連の兵に追っ手をかけないよう願い出る。

義実がこれを受け入れたことをきっかけに、信乃は義実の家臣となり、亡くなった伏姫の侍女だった浜路(はまじ)と仲良くなる。



…というわけで、義実が伏姫に娶わせ(めあわせ。夫婦にする)ようとしていた金碗大輔(かなまり だいすけ。のちの丶大法師(ちゅだいほうし))が出てこない。

当然、富山(とやま)の見せ場もない。

そのほかにも、円塚山(まるつかやま)、芳流閣 (ほうりゅうかく)、庚申山(こうしんやま)といった見せ場もなくなった。

ただ、浜路に思いをかける網乾左母二郎(あぼし さもじろう)が彼女を口説く、浜路口説きの場面はしっかりと出てくる。

俺は、おまえの行方不明の兄・犬山道節の消息を知っている、それを教えてやろうと、浜路に近づく左母二郎。

だが、その左母二郎の邪魔をするのが、彼の手下として働く、悪女の船虫(ふなむし)。

原作では一介の浪人の左母二郎が、大記の腹臣であり、妖術も使えるという設定。

左母二郎と同じく妖術を使い、猫に化けることができる赤岩一角(あかいわ いっかく)も、大記に仕えている。



八犬伝で、信乃が父から託され、鎌倉公方・足利成氏(あしかが なりうじ)に返上しようとしていたのが、名刀・村雨丸。

本作での村雨丸は、安房の国守(くにもり)の証として、鎌倉公方から里見家に与えられた名刀、という設定。

そのため、何年かに1度、里見家の使者が村雨丸を鎌倉へ持参し、それが本物であることを改めてもらうことになっている。

その道中に村雨丸を奪うことで、安房の国守としての証を無くした里見家を安房から追い出そう、と左母二郎は考えた。

そして、左母二郎と一角は、村雨丸をすり替えることに成功する。

里見家の家老は、その責を負って、成氏の面前で切腹。

成氏の使者は里見家に対して、15日の猶予を与えるから村雨丸を探し出せ、さもなくば安房の国守を免じ、所領を没収すると伝えてきた。

さあ、どうなる?



…というわけで、前編はここまで。
後編(完結編)をお楽しみに!





ここで、本作での八犬士についておさらいしておこう。

景連の家臣だった信乃は、義実に家臣として迎えられたのち、大記の手に落ちた村雨丸の探索へ。

大記の家臣・荘助は、信乃と同じく主君を諫めたためにその怒りを買い、牢に入れられる。

父の敵・大記を狙う道節は、主君・義実の許から離れている。

成氏直々の家臣・現八は、村雨丸が偽物であることがわかったとき、村雨丸探索の期間を与えるよう、主君に直言。以後、信乃と行動を共にする。

現八に助けられた信乃が逃げ込んだ小屋で、ふたりを匿(かく)ったのが、旦開野(あさけの)と名乗っていた毛野。毛野も大記を敵として狙っている。

義実の家臣・小文吾は、村雨丸拝領の折、足利家に対して粗相があったため謹慎の身となり、今は庚申山に住んでいる。村雨丸探索の折、義実の許にかけつけた。

親兵衛は、義実の家臣として側仕え(そばづかえ)をしている。

角太郎は…、どこで出てきたか分からなかった。





以下、余談。


本作で、八犬伝と大きく違っているもののひとつに、珠の扱いがあるんじゃの。

八犬伝では、犬士たちは小さいころから、仁(じん)・義(ぎ)・礼(れい)・智(ち)・忠(ちゅう)・信(しん)・孝(こう)・悌(てい)の文字がある珠を持ち、体のどこかに痣(あざ)があるという設定。

本作では、伏姫の手を離れた八つの珠が、犬士たち本人が知らないうちに手にする。

たとえば信乃は、義実に対して景連の兵に追っ手をかけないよう願い出て、受け入れられる。
そしてその首を刎(は)ねられようとした時、「孝」の珠が信乃の懐から出てきたんじゃの。

この設定を流用(?)したのが、映画『宇宙からのメッセージ』(1978年)。

ガバナス帝国に侵略されたジルーシアの長老・キドは、勇者を求めてリアベの実、8個を宇宙へ放つ。

キドの孫娘でヒロイン・エメラリーダと戦士・ウロッコは、リアベの実を手にした勇者たちを探す旅に出る、というストーリー。

この映画では、八犬伝のような珠ではなく、その外観がクルミのようなリアベの実という設定なんじゃがの。



↓映画『宇宙からのメッセージ』については、こちら↓

「映画 宇宙からのメッセージ 1978 特報」YouTube





以下、さらに余談。


『宇宙からのメッセージ』で地球連邦議長を演じている丹波哲郎(たんば てつろう)は、本作では左母二郎を演じていた。

新東宝時代の丹波は、主に敵役・悪役として活躍していたそうじゃ。

丹波と同じく新東宝からデビューしたのが、犬山道節を演じた中山昭二(なかやま しょうじ)。

中山といえば、『ウルトラセブン』(1967年から68年)でキリヤマ隊長を演じた方。

テレビの時代劇で何度かお見かけしたことはあったが、映画でお見かけしたのは『惑星大戦争』(1977年)くらいじゃったかの?

というわけで、今回は中山が出演する貴重な映画を観せてもろうたわけじゃが。





以下、もひとつだけ余談。


左母二郎の手下として働く船虫は、左母二郎が懸想(けそう。思いをかけること)する浜路を憎み、その顔を二目と見られない(ふためとみられない。見るにたえない)ようにしてやる、と浜路に迫る。

この船虫を演じているのが、阿部寿美子(あべ すみこ)。

「どこかで聞いたような名前じゃの…」と思って調べてみたら、NHKの人形劇『新八犬伝』(1973年から1975年)で、玉梓(たまずさ)の声を担当された方。

八犬伝での玉梓は、自分を打ち首とした義実に対し、里見家を末代まで祟る(たたる。災いを与える)と言い残した。

『新八犬伝』で、玉梓が登場するときの決まり文句が、「我こそは玉梓が怨霊」。

当時、小学生だったわしは、友だちと一緒にこのセリフをマネをしたもんじゃ。

ウィキペディアによると、この玉梓の台詞の演技は大変に体力を消耗するので、体調の悪いときは貧血で医務室行きになったこともあったという。

もっとも、本作では玉梓は出てこんのじゃがの。



↓NHK人形劇『新八犬伝』については、こちら↓

「連続人形劇 新八犬伝」NHKアーカイブス





今日は、映画『妖雲里見快挙伝 前編』について話をさせてもろうたでがんす。

続編の『妖雲里見快挙伝 完結編』も是非、観てみたいもんじゃ。


ほいじゃあ、またの。



(文中、敬称略)
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東映娯楽版

2024年03月03日 | まんが・テレビ・映画
「東映時代劇YouTubeでは、3月1日から3月17日まで、映画『里見八犬傳 第一部 妖刀村雨丸(以下、「八犬伝」と略す)』(1954年)を無料配信中じゃ」

「1954年いうたら、今から70年前かぁ…」




映画ポスター(ウィキペディアより拝借)


↓映画『里見八犬傳 第一部 妖刀村雨丸』については、こちら↓

「里見八犬傳 第一部 妖刀村雨丸 [公式]」東映時代劇YouTube



「第1部っていうたけど、八犬伝って全部で何作あったん?」

「第1部から第5部まで、全部で5作品が作られた」

「5作品って、それだけ人気のシリーズだったんじゃね」

「…じゃのうて、八犬伝は東映娯楽版の1作として、最初から5部作として作られたんじゃ」

「東映娯楽版?」

「東映が日本でメジャーの映画会社になった要因のひとつが、ジャリ(子供)向けとして製作した東映娯楽版の成功といわれているんじゃの」





「今日は、東映娯楽版についての話でがんす」





「今さらじゃが、まずは東映という会社についておさらいしておこう」

「東映といえば、東宝・松竹と並んで、日本のメジャー映画会社のひとつじゃね」

「その東映は1951(昭和26)年、東横映画を吸収合併する形でスタートした。が、当初から多額の負債を背負って、経営的には苦しかった」

「ほぉ、それは知らんかった」

「経営難の理由のひとつが、自社で製作した映画を配給できる劇場が少なかったことにあったんじゃの」

「ちょっと待ってよ。むかしは、広島東映、東映パラス、駅前東映って、広島市内だけでも東映の直営館がよぉけ(=たくさん)あったけど?」

「それは、1960年代生まれのわしらが子どものころの話で、今は1950年ころの話をしとる。直営館の少ない東映が目をつけたのが、地方の映画館じゃった」

「なんで地方の映画館に目をつけたん?」

「むかしは、二番館、三番館と呼ばれる映画館があったじゃろ?」

「二番館、三番館いうたら、正規の公開が終わった映画を、2本立てで上映する映画館じゃったね」

「別々の会社の映画を2本集めて上映している状況を、東映はこうとらえた。これらの映画館で、2本とも東映の映画を上映してもらえれば、事実上の東映の直営館となって万々歳じゃ、と」

「なるほど、うまいこと考えちゃったね」

「2本のうちの1本は、片岡千恵蔵(かたおか ちえぞう)や市川右太衛門(いちかわ うたえもん)といった、映画館の館主からの要望が強い、時代劇のスターが主演して、確実に儲かる映画を作って…」

「もう1本が、東映娯楽版だった?」

「ほうじゃの。でも、考えることはどこも同じで、他社でも主役級の俳優が主演する映画と、それに併映という形で、たとえば新人が主演する映画を作っとった。が、他社の場合は、その添え物的な映画にも、それなりの予算を使うとったんじゃの」

「お金のない東映は、その予算をケチった?」

「そのとおり!」

「『八犬伝』は1度に5作を撮ったっていうたけど、どれくらいの予算で作ったん?」

「1本分の予算」

「5本の映画を、たった1本分の予算で作った?」

「そーゆこと」

「うわー、無茶苦茶してじゃね」

「そのときの現場の様子が、どうだったかというと…」


メインになるのは姫路城でのロケだったが、ロケ隊を宿泊させる予算はない。そのため、京都から早朝に出発して昼につくと夜まで撮影をし、そして夜中に帰ると少し眠り、また早朝から出発…そんな撮影が十日続けられた。助監督の沢島忠は電話帳のように分厚くなった五本分の台本を抱え、「どこまで続く五部作よ~♪」と半ば呆れながら自作の歌を歌って毎日の現場に臨んだ。

(春日太一『仁義なき日本沈没-東宝vs.東映の戦後サバイバル』新潮新書 2012年 61ページ)



「すごいというより、開いた口がふさがらんよ」

「時代は戦後ということもあって、「大陸から引き揚げてくる映画人の救済」ということも、東映には課せられていたそうじゃ」

「ふーん」

「ジャリ物(子供向け映画)とバカにされようが、ワンパターンといわれようが、東映は大衆娯楽主義に徹して、明朗で勧善懲悪(かんぜんちょうあく。善きを勧(すす)めて、悪を懲(こ)らしめること)の時代劇を作り続けた」

「そういや、「時代劇は東映」というキャッチフレーズがあったね」

「1951(昭和26)年に発足した東映は、1956年(昭和31年)には松竹を抜いて配給収入でトップになり、その黄金時代を築いたんじゃの」

「へぇ」

「このときに撮影所の施設を充実させ、そこで時代劇を量産した。その施設を使って1975年(昭和50年)にオープンさせたのが、太秦(うずまさ)映画村じゃ」



↓東映太秦映画村については、こちら↓

東映太秦映画村





「以下、余談」


「八犬伝の話しかせんかったけど、東映娯楽版には、ほかにどんな作品があったん?」

「たとえば、『八犬伝』(1954年5月から6月)の直前、1954年のゴールデンウィークには『新諸国物語 笛吹童子』3部作が、翌55年の正月映画として『新諸国物語 紅孔雀』5部作が公開されたそうじゃ」

「「八犬伝」は江戸時代、滝沢馬琴(たきざわ ばきん)が書いた作品じゃったよね。でも、「笛吹童子(ふえふきどうじ)」「紅孔雀(べにくじゃく)」はあんまり知らんのじゃけど…」

「どちらも、北村寿夫(きたむら ひさお)の「新諸国物語」の1作として書かれた小説。『笛吹童子』は1953年に、『紅孔雀』は1954年にNHKのラジオドラマとして放送されて、子どもたちには人気があったんじゃの」

「ラジオドラマで人気があった作品を映画化して、大当たりしたと」


このころ東映の電話応対は女性交換手がにこやかに「はい、『紅孔雀』の東映です」と応えたという。

(「紅孔雀」ウィキペディア)



「それまでは、子ども向けの面白い映画というのが、少なかったらしい。で、子どもたちに人気のあった作品を映画化したことで、東映娯楽版は大成功。経営危機を乗り越えたうえに、東千代之介(あずま ちよのすけ)、中村錦之助(なかむら きんのすけ。のち、萬屋錦之介(よろずや きんのすけ))といった、若くて新しいスターも生まれた」

「ほぉ。ほいじゃ、子どものときに東映娯楽版を観て、その影響を受けた人がたくさんおってじゃろ」


倍賞美津子や、高平哲郎、角川春樹など、当時幼少期を送った映画人の中に『笛吹童子』や『里見八犬伝』『紅孔雀』を初めての映画体験と話す者も多い。

(「笛吹童子」ウィキペディア)






「以下、さらに余談」


「東映時代劇YouTubeでは、映画『里見八犬傳』全5部作を、以下のスケジュールで配信する予定じゃそうな」


『里見八犬傳 第一部 妖刀村雨丸』
(公開日:1954年5月31日)
2024年3月1日から3月17日まで

『里見八犬傳 第二部 芳流閣の龍虎』
(公開日:1954年6月8日)
2024年3月15日から3月31日まで

『里見八犬傳 第三部 怪猫乱舞』
(公開日:1954年6月15日)
2024年3月29日から4月14日まで

『里見八犬傳 第四部 血盟八剣士』
(公開日:1954年6月22日)
2024年4月12日から4月28日まで

『里見八犬傳 完結篇 暁の勝閧』
(公開日:1954年6月29日)
2024年4月26日から5月12日まで



「ほぉ、このころの映画は毎週、新作が上映されとったんじゃね」

「毎週放送される、テレビのようなもんかの」





「今日は、東映娯楽版について話をさせてもろうたでがんす」

「ほいじゃあ、またの」



(文中、敬称略)
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