広島県立美術館
続絵(つづきえ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/b1/38c8f41d5450f54f0a1933b77cac1e9a.jpg)
先日、広島県立美術館で開催中の「挑む浮世絵 国芳から芳年へ」(2019年4月13日~5月26日)を見に行ってきた。
今回は「続絵」と呼ばれる、浮世絵を縦や横に並べて大画面として見せる作品を紹介していこう。
↓「挑む浮世絵 国芳から芳年へ」については、こちら↓
「挑む浮世絵 国芳から芳年へ」広島県立美術館
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/56/0ccb3848036235d2e1da4cd0f068eeb8.jpg)
歌川国芳(うたがわ くによし)「通俗水滸伝豪傑百八人之一人 花和尚魯智深初名魯達」文政10年ころ 大判
浮世絵はふつう、1枚絵で構成されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/02/a5616990b2b23fbd7e2d052b0f815f9d.jpg)
歌川国芳「八犬伝之内芳流閣」天保11年 大判三枚続
浮世絵師の歌川国芳は、この浮世絵を続絵として横に3枚並べた。
今でいうワイド画面で、画(え)に迫力を持たせたんじゃの。
江戸時代後期の浮世絵の一般的なサイズは「大判(おおばん)」と呼ばれ、縦が39センチメートル、横が26センチメートルあった。
これを横に3枚並べると、縦が39センチメートル、横は79センチメートルになる。
これが実際にどのくらいの大きさかというと…。
新聞紙の見開きのサイズが、縦が54センチメートルで、横が81センチメートル。
これに比べると、横がほぼ同じで、縦を15センチメートルほど短くした大きさ。
畳の上に置くと、その1/3くらいを占めるいうんじゃけぇ、結構大きいもんじゃの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/b0/1918235eb5084ec2ff5ad5e9633faa9d.jpg)
歌川国芳「曽我政宗本意を達し右幕下の本陳へ切込捕ハるゝ図」「曽我夜討之図」(弘化元~3年)大判六枚続
国芳は続絵を3枚だけで終わらせず、その倍の6枚を横に並べるパノラマ画面までやってのけた。
この作品が出版された弘化(こうか)は、天保(てんぽう)の次の元号。
天保といえば、江戸時代の三大改革のひとつ「天保の改革」が行われたのはご存じのとおり。
この改革では、戯作者(げさくしゃ)の柳亭種彦(りゅうてい たねひこ)や為永春水(ためなが しゅんすい)らの著書が没収され、歌舞伎の七代目・市川 團十郎(いちかわ だんじゅうろう)は江戸追放となった。
浮世絵では、4枚以上の続絵が出版禁止になったという。
このころ、浮世絵を出版するためには、あらかじめ検閲を受けなければならなかった。
…では、どうやってお上の目を逃れたのか?
まず、6枚組のうちの3枚組を出版。
それから間を置いて、残りの3枚組を出版する。
この絵のタイトルが「曽我政宗…」と「曽我夜討…」とふたつあるのは、3枚組で別々に売り出されたためなんじゃの。
この3枚組の浮世絵2つを、店頭で「6枚組」として売り出す。
先に3枚組を買った人も、新たに3枚を買い足せば6枚組となるというわけ。
もちろん、浮世絵自体も、3枚組だけでも、合わせて6枚組にしても成り立つように仕上げてある。
いざとなれば、「いや、これは「曽我政宗…」と「曽我夜討…」と別々の作品でございます」と言い逃れもできるようにしてあったそうじゃ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/88/ffdb8b46de35d9f50c74d1c906d094dc.jpg)
歌川国芳「吉野山合戦」嘉永4年 大判竪三枚続
国芳はまた、横に長いだけでなく、縦(竪)に長い画面構成もしている。
この絵では、縦に長い画面の中央に五重塔を描き、その屋根の上と地上に、にらみ合う2人の男を置くという構図にしたんじゃの。
ここで作品についての解説を…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/02/a5616990b2b23fbd7e2d052b0f815f9d.jpg)
この絵は、『南総里見八犬伝』の中でも屈指の名場面・芳流閣(ほうりゅうかく)での決闘を描いたもの。
屋根の上に追い詰められているのが犬塚信乃(いぬづか しの)で、右手前にいるのが、信乃を捕まえるために派遣された犬飼現八(いぬかい げんぱち)じゃ。
それぞれ赤い服を着とるけぇ、見分けやすいかもしれん。
信乃、足場をふみしめ、力の限りに打ってかかれば、現八、その太刀先を受け流し、眉間めがけて十手をひとふり、ガッキと受け止める刀の音。
その時--信乃の刀は、ツバのところでポッキリと折れて、ふっ飛んだ!
えたりやおうと、現八が十手を投げ出し、素手で信乃に組みつけば、信乃も又、満身の力をこめて組み止める。
押せば引き、引けば押し、もみつもまれつするうちに、二人とも足がすべった!
組み合ったまま、芳流閣の屋上から、すべり落ちる信乃と現八!
落ち行く先は、利根川の流れ…
(石山 透『新八犬伝 起』角川文庫 2017年3月)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/00/5009775e2645a47bd969d66b576d524a.jpg)
「芳涼閣両雄動」(「芳流閣」ウィキペディアより)
原作『八犬伝』の中でも、舞台化した歌舞伎でも「芳流閣の場」は見せ場であった。
浮世絵でも、この場面を題材にした作品が多く描かれている。
その中のひとつが、国芳の弟子・月岡芳年(つきおか よしとし)による「芳涼閣両雄動」(明治20年 竪二枚続)。
「芳流閣の場」を描いたものの中では、この作品が一番好きなんじゃがの。
「芳流閣の場」を描いたものの中には、五粽亭広貞(ごそうてい ひろさだ)による「八犬伝第三 巻ノ五 芳流閣」という作品もある。
これは「三枚続変形」いうて、右側に縦(竪)二枚、左下に横二枚、都合三枚という珍しい構成で描かれとるんじゃ。
↓五粽亭広貞「八犬伝第三 巻ノ五 芳流閣」については、こちら↓
「八犬伝第三 巻ノ五 芳流閣」文化遺産オンライン
訪問日:2019年5月6日
【参考文献】
『挑む浮世絵 国芳から芳年へ 公式図録』中日新聞社 2019年2月
服部 仁『八犬伝錦絵大全』芸艸堂 2017年6月
今回は「続絵」、浮世絵を縦や横に並べて見せる作品を紹介した。
次回は、今の漫画・アニメに見られる表現方法について紹介していこう。
ほいじゃあ、またの。
続絵(つづきえ)
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先日、広島県立美術館で開催中の「挑む浮世絵 国芳から芳年へ」(2019年4月13日~5月26日)を見に行ってきた。
今回は「続絵」と呼ばれる、浮世絵を縦や横に並べて大画面として見せる作品を紹介していこう。
↓「挑む浮世絵 国芳から芳年へ」については、こちら↓
「挑む浮世絵 国芳から芳年へ」広島県立美術館
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歌川国芳(うたがわ くによし)「通俗水滸伝豪傑百八人之一人 花和尚魯智深初名魯達」文政10年ころ 大判
浮世絵はふつう、1枚絵で構成されている。
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歌川国芳「八犬伝之内芳流閣」天保11年 大判三枚続
浮世絵師の歌川国芳は、この浮世絵を続絵として横に3枚並べた。
今でいうワイド画面で、画(え)に迫力を持たせたんじゃの。
江戸時代後期の浮世絵の一般的なサイズは「大判(おおばん)」と呼ばれ、縦が39センチメートル、横が26センチメートルあった。
これを横に3枚並べると、縦が39センチメートル、横は79センチメートルになる。
これが実際にどのくらいの大きさかというと…。
新聞紙の見開きのサイズが、縦が54センチメートルで、横が81センチメートル。
これに比べると、横がほぼ同じで、縦を15センチメートルほど短くした大きさ。
畳の上に置くと、その1/3くらいを占めるいうんじゃけぇ、結構大きいもんじゃの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/b0/1918235eb5084ec2ff5ad5e9633faa9d.jpg)
歌川国芳「曽我政宗本意を達し右幕下の本陳へ切込捕ハるゝ図」「曽我夜討之図」(弘化元~3年)大判六枚続
国芳は続絵を3枚だけで終わらせず、その倍の6枚を横に並べるパノラマ画面までやってのけた。
この作品が出版された弘化(こうか)は、天保(てんぽう)の次の元号。
天保といえば、江戸時代の三大改革のひとつ「天保の改革」が行われたのはご存じのとおり。
この改革では、戯作者(げさくしゃ)の柳亭種彦(りゅうてい たねひこ)や為永春水(ためなが しゅんすい)らの著書が没収され、歌舞伎の七代目・市川 團十郎(いちかわ だんじゅうろう)は江戸追放となった。
浮世絵では、4枚以上の続絵が出版禁止になったという。
このころ、浮世絵を出版するためには、あらかじめ検閲を受けなければならなかった。
…では、どうやってお上の目を逃れたのか?
まず、6枚組のうちの3枚組を出版。
それから間を置いて、残りの3枚組を出版する。
この絵のタイトルが「曽我政宗…」と「曽我夜討…」とふたつあるのは、3枚組で別々に売り出されたためなんじゃの。
この3枚組の浮世絵2つを、店頭で「6枚組」として売り出す。
先に3枚組を買った人も、新たに3枚を買い足せば6枚組となるというわけ。
もちろん、浮世絵自体も、3枚組だけでも、合わせて6枚組にしても成り立つように仕上げてある。
いざとなれば、「いや、これは「曽我政宗…」と「曽我夜討…」と別々の作品でございます」と言い逃れもできるようにしてあったそうじゃ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/88/ffdb8b46de35d9f50c74d1c906d094dc.jpg)
歌川国芳「吉野山合戦」嘉永4年 大判竪三枚続
国芳はまた、横に長いだけでなく、縦(竪)に長い画面構成もしている。
この絵では、縦に長い画面の中央に五重塔を描き、その屋根の上と地上に、にらみ合う2人の男を置くという構図にしたんじゃの。
ここで作品についての解説を…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/02/a5616990b2b23fbd7e2d052b0f815f9d.jpg)
この絵は、『南総里見八犬伝』の中でも屈指の名場面・芳流閣(ほうりゅうかく)での決闘を描いたもの。
屋根の上に追い詰められているのが犬塚信乃(いぬづか しの)で、右手前にいるのが、信乃を捕まえるために派遣された犬飼現八(いぬかい げんぱち)じゃ。
それぞれ赤い服を着とるけぇ、見分けやすいかもしれん。
信乃、足場をふみしめ、力の限りに打ってかかれば、現八、その太刀先を受け流し、眉間めがけて十手をひとふり、ガッキと受け止める刀の音。
その時--信乃の刀は、ツバのところでポッキリと折れて、ふっ飛んだ!
えたりやおうと、現八が十手を投げ出し、素手で信乃に組みつけば、信乃も又、満身の力をこめて組み止める。
押せば引き、引けば押し、もみつもまれつするうちに、二人とも足がすべった!
組み合ったまま、芳流閣の屋上から、すべり落ちる信乃と現八!
落ち行く先は、利根川の流れ…
(石山 透『新八犬伝 起』角川文庫 2017年3月)
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「芳涼閣両雄動」(「芳流閣」ウィキペディアより)
原作『八犬伝』の中でも、舞台化した歌舞伎でも「芳流閣の場」は見せ場であった。
浮世絵でも、この場面を題材にした作品が多く描かれている。
その中のひとつが、国芳の弟子・月岡芳年(つきおか よしとし)による「芳涼閣両雄動」(明治20年 竪二枚続)。
「芳流閣の場」を描いたものの中では、この作品が一番好きなんじゃがの。
「芳流閣の場」を描いたものの中には、五粽亭広貞(ごそうてい ひろさだ)による「八犬伝第三 巻ノ五 芳流閣」という作品もある。
これは「三枚続変形」いうて、右側に縦(竪)二枚、左下に横二枚、都合三枚という珍しい構成で描かれとるんじゃ。
↓五粽亭広貞「八犬伝第三 巻ノ五 芳流閣」については、こちら↓
「八犬伝第三 巻ノ五 芳流閣」文化遺産オンライン
訪問日:2019年5月6日
【参考文献】
『挑む浮世絵 国芳から芳年へ 公式図録』中日新聞社 2019年2月
服部 仁『八犬伝錦絵大全』芸艸堂 2017年6月
今回は「続絵」、浮世絵を縦や横に並べて見せる作品を紹介した。
次回は、今の漫画・アニメに見られる表現方法について紹介していこう。
ほいじゃあ、またの。