通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

新藤兼人 百年の軌跡

2012年03月31日 | まんが・テレビ・映画
「「新藤兼人(しんどう かねと) 百年の軌跡」が、今日からシネツイン本通りで始まるんじゃ」

「この企画は、映画監督の新藤さんが今年(2012年)4月に100歳を迎えるのを記念して行われるんよね」







日本のインディペンデント映画先駆者として数々の名作を制作し、日本映画の国際的評価を高めた巨匠、広島出身の映画監督・新藤兼人氏。

「生きているかぎり 生きぬきたい」。
自身の言葉どおり、今年4月、100歳を迎えるのを記念し、監督の軌跡をたどる。

(チラシより)






「というわけで、新藤さんが監督した作品のうち48本を上映してんじゃの」

「どこで上映してんかね?」

「広島県内のいろんな劇場で上映されるんよ。くわしくは以下のとおりじゃ」





広島市映像文化ライブラリー
4月6日(金)~5月27日(日)
会期中、主に金・土・日に上映
『愛妻物語』『さくら隊散る』『生きたい』など、監督作品35作品を上映



シネツイン本通り
3月31日(土)~4月27日(金)
『第五福竜丸』『竹山ひとり旅』『裸の島』など、監督作品11作品を上映



バルト11
4月7日(金)~13日(土)
『石内尋常高等小学校 花は散れども』



109シネマズ広島
4月2日(月)~20日(金)
『石内尋常高等小学校 花は散れども』『午後の遺言状』『ある映画監督の生涯』



ワーナー・マイカル・シネマズ広島
4月2日(月)~6日(金)
『午後の遺言状』



T・ジョイ東広島
4月7日(金)~13日(土)
『母』



呉ポポロ
4月21日(金)~27日(土)
『午後の遺言状』



シネフク シネマモード
4月21日(金)~27日(土)
『愛妻物語』『一枚のハガキ』



シネマ尾道
4月14日(金)~27日(土)
『裸の島』『石内尋常高等小学校 花は散れども』『原爆の子』『裸の十九才』



三原リージョンプラザ
4月25日(水)のみ
『一枚のハガキ』『らくがき黒板』



■NTTクレドホール・プレミアム上映会
5月11日(金~13日(日)
『裸の島』『三文役者』『ふくろう』






「この企画は、映画の上映だけじゃないんよね」

「旧日本銀行広島支店と広島市立中央図書館では、展示も行われるんじゃの」





■旧日本銀行広島支店
4月7日(土)~24日(火)
10時~19時
入場無料


新藤監督の生家のあった石内村(いしうちむら)の映像投影
新藤監督が幼いころを過ごした蔵の中を再現(実際に入り、触れていただける展示を試みる)
旧広島県佐伯郡石内村のジオラマ
新藤監督の愛する家族を表現する写真パネル



■広島市立中央図書館
4月8日(日)~5月27(日)
(会期中の休館日/月曜日(4月30日は開館)、5月1日(火)、8日(火))
「新藤兼人を読み解く100冊」
2階 展示ホール
入場無料


新藤兼人監督は、脚本家としても230点を超す作品を残していますが、
精力的な執筆活動によって映画論や映画人の評伝、エッセイなど、
これまでに多数の著書を発表し、
書籍や雑誌等へも多くの文章や発言を寄せています。

本展では、監督の言葉にスポットをあて、
著書(雑誌等も含む)の中から100冊を選定し、
映画や故郷、戦争と平和、家族、老いといったテーマに沿って展示することにより、
監督自身の言葉を通して、監督の100年の軌跡を紹介します。

その他、自筆資料や新藤監督の評伝、脚本、映画ポスターなども展示します。






「新藤さんは映画の脚本も、たくさん手掛けられとってんじゃね」

「新藤さんが脚本を手掛けた映画で、わしが見たことがあるのは『安城家の舞踏会(あんじょうけのぶとうかい)』(1947年 吉村公三郎監督)、『しとやかな獣(けだもの)』(1962年 川島雄三監督)、『けんかえれじい』(1966年 鈴木清順監督)くらいかのう。できりゃ、これらの作品も上映して欲しいもんじゃのう」





↓「新藤兼人 百年の軌跡」については、こちら↓

新藤兼人 百年の軌跡





↓新藤兼人についての関連記事は、こちら↓

新藤監督作品 48作品を上映

映画『一枚のハガキ』 八丁座

映画『原爆の子』 ニューヨークで初上映






「今日は、3月31日(土)から上映が始まる「新藤兼人 百年の軌跡」について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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ビキニ事件から58年

2012年03月18日 | 日記
「先週の日曜日、3月11日で東日本大震災から1年たったんじゃの」

「15,854人の方が亡くなられて、3,155人の方がいまだに行方不明なんじゃね(2012年3月11日現在)」

「地震や、その後に起こった津波の映像も衝撃的じゃったが、やっぱり気になるのが福島第一原発の事故のことじゃ」

「福島県は、再生可能エネルギーを推進して、原子力に頼らずに発展する社会を目指すという「ふくしま宣言」を出されとってじゃね」



↓「ふくしま宣言」については、こちら↓

「3.11ふくしま復興の誓い2012」福島県ホームページ



「あの日、子どもと原発や放射能の話をしよってわかったんじゃが、うちの子どもは「ビキニ事件」を知らんのじゃ」

「そうなんよね。ビキニ事件くらい知っとるもんと思うて、うちらも話をしとらんかったんじゃけどね」

「日本は「被ばく国」なんじゃが、福島第一原発の事故で、5回目の被ばくを経験したことになるんじゃの。年表形式にまとめると、次のとおりじゃ」



1.1945年(昭和20年)8月6日 広島市に原子爆弾投下

2.1945年(昭和20年)8月9日 長崎市に原子爆弾投下

3.1954年(昭和29年)3月1日 ビキニ事件

4.1999年(平成11年)9月30日 東海村JCO臨界事故

5.2012年(平成23年)3月11日 福島第一原子力発電所事故



「ということで、今日はビキニ事件についての話をしてみようかの」

「被災した漁船「第五福竜丸」の名前の方がピンとくる方もおってじゃろうね」



ビキニ事件

1954年(昭和29)3月1日、ビキニ環礁で実施された米国の水爆実験で日本の漁船が被災、乗組員全員が原爆症にかかり、うち1人が死亡、原水爆禁止運動の起爆剤となった事件。

(略)

『広島県大百科事典 下巻』中国新聞社 1982年




「1954年といえば、戦後の冷戦時代じゃね」

「そのころ、アメリカ(アメリカ合衆国)の資本主義陣営と、当時のソ連(旧ソビエト連邦)の社会主義陣営が対立しとったんよの」

「日本は、資本主義じゃね」

「1953年(昭和28年)に、ソ連が水爆の実験に成功したけぇ、アメリカもそれに対抗せざるを得んかったんよね」

「これは、実際には水爆じゃなかったといわれとるんじゃが…。それはともかく、アメリカはソ連に対抗するため、キャッスル作戦という核実験を行ったんじゃ」

「キャッスル作戦?」

「1954年の3月から5月にかけて、太平洋のマーシャル諸島にあるビキニ環礁とエニウェトク環礁で、合わせて6回行われた核実験のことなんじゃ。その作戦の第1回目、3月1日に行なわれたのが「ブラボー実験」なんよ」

「第五福竜丸は、その実験に巻き込まれたんよね」

「ブラボー実験は、世界最初の水爆実験になるんじゃの。静岡県焼津(やいづ)のマグロ漁船・第五福竜丸は、アメリカが設定した危険水域の外で操業しよったんじゃが、水爆実験による放射性降下物、いわゆる「死の灰」をあびてしもうたんじゃの」

「これは、アメリカにとっても「想定外」の出来事じゃったんじゃね」

「ウィキペディアによると、アメリカは水爆の威力を6メガトンと想定しとったんじゃが、実際には、その2.5倍の15メガトンの威力があったんじゃ。実際にどれくらいの威力があったかというと…」



実験を行なった島は消え去り、深さ120m、直径1.8kmのクレーターが出来た。

(「キャッスル作戦」ウィキペディア)




「余談じゃが、石ノ森章太郎(いしのもり しょうたろう)の漫画『人造人間キカイダー』で、悪の組織・ダークのギル教授が設計した巨大最終兵器ロボット・ジャイアントデビルを、同じく悪の組織・シャドウが完成させたんよ。そのジャイアントデビルを始動した時、エネルギーを制御させる装置が足りんかったために、島ひとつを吹き飛ばしてしまうという話があるんじゃ」

「そういう、トリビアな話はええけぇ…。第五福竜丸が3月14日、日本に帰ってきたときに精密検査を受けたら、乗組員23人の全員が原爆症にかかっとることがわかったんよね」

「第五福竜丸の乗組員は病院に入院することになって、獲って帰ったマグロも廃棄処分にされることになったんじゃ」

「それを、読売新聞がスクープしたんよね」

「翌15日の夕刊で『ビキニ環礁で邦人漁夫23名原子病?』と報じたんじゃ。「死の灰」という言葉が使われたのも、この時が初めじゃそうな」

「そんな新聞記事を見たら、マグロなんかの魚を買わんようになるよね」

「「放射能マグロ」という言葉もできて、不買運動が起こったりして、倒産する魚屋も出るほどの騒ぎになったそうな」

「そんな中、乗組員の久保山愛吉(くぼやま あいきち)という方が、亡くなられたんよね」

「第五福竜丸の無線長じゃった久保山さんは、9月23日、40歳という若さで亡くなられたんじゃ」

「「原水爆の犠牲は私を最後にして欲しい」という言葉を残されたんじゃね」

「これを契機に、原水爆禁止を求める声が全国的に高まったんじゃの。翌1955年(昭和30年)の8月6日には、広島市公会堂で第1回原水爆禁止世界大会が開催されたんじゃ」

「ビキニ事件から58年たった今年も、ビキニデーの集会が静岡市で開催されたんよね」

「ヒロシマ・ナガサキだけじゃない、ビキニ事件や、今回は触れんかったが東海村JCO臨界事故、ほいで福島第一原発の事故を、いろんな形で語り継いでいく必要があるんじゃないんかの」

「ビキニ事件については、映画監督の新藤兼人(しんどう かねと)さんが、『第五福竜丸』(1959年)というタイトルで映画化されとってじゃね」

「この事件が起きた1954年11月3日に公開された映画『ゴジラ』も、この事件をきっかけに製作されたんじゃ」





↓関連記事は、こちら↓

被災地での火事場泥棒について

みちびき地蔵 津波の恐ろしさを伝える昔話

映画『100,000年後の安全』 横川シネマ





「今日は、ビキニ事件について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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宮島言葉のいろいろ その8 「みてる」

2012年03月15日 | 広島弁
「宮島の町屋通りに飾ってある「宮島言葉のいろいろ」を紹介するこのシリーズの、今日は第8回目です」

「第8回目の今日は「みてる」じゃ」




みてる…無くなる
(撮影日:2012年1月4日)




「「みてる」は、「見てる」でも「満てる」でものうて、「無くなる」という意味じゃね」

「もともとは、「ものごとが極限に来て、それを越える」という意味で、「死ぬ」とか「亡くなる」とかいう意味じゃったらしいんじゃ」

「「みてる」というと、「満てる=一杯に入っている」という意味にとりがちなんじゃけど、逆に「みてる=無くなってしもうた」という意味なんじゃね」

「ばあさんらが、「はぁみててしもうたわい(=もう無くなってしまった)」と言よったんじゃが、わしゃその言葉に違和感を感じてしもうたんよの」

「うちらは、「みてる」と聞くと、「満てる」と受け取ってしまうんよね」

「というわけで、「みてる」という言葉は、意味は知っとるんじゃが、自分ではほとんど使うことがない言葉になるんかのう」





【今日の宮島言葉】

みてる

意味/無くなる

例文/「桶の水がみてた(=桶の水がなくなった)」



参考文献:
廿日市市商工会議所『宮島本 改訂版 宮島検定テキスト』2008年
『広島県大百科事典』中国新聞社 1982年






↓「みてる」については、こちら↓

どれだけ、つこぉとる?広島弁




↓宮島言葉のいろいろについての関連記事は、こちら↓

宮島言葉のいろいろ その7 「もちったあー」

宮島言葉のいろいろ その6 「もとおらん」

宮島言葉のいろいろ その5 「やねこい」






「今日は、「宮島言葉のいろいろ」で「みてる(無くなる)」について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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カープロード2012(その4)

2012年03月13日 | スポーツ
「カープロードの看板を紹介するシリーズの、今日は最終回じゃね」

「今回紹介するのは、カープの中堅と若手の13選手じゃ」

「名前の前にある数字は、背番号ですけぇね」





■38 赤松真人

■17 大竹 寛

■49 天谷宗一郎

■39 梅津智弘

■4 小窪哲也

■14 篠田純平

■10 岩本貴裕

■21 齊藤悠葵

■18 前田健太

■11 福井優也

■63 丸 佳浩

■16 今村 猛

■19 野村祐輔





【38 赤松真人(あかまつ まさと)】



1982年9月6日生まれ。
182cm・75kg。
京都府出身、立命館大卒。

赤松といえば”スパイダーマンキャッチ”が海外メディアでも取り上げられるなど、守備面での活躍が話題になりがち

だが、広島移籍後に身に付けたという独特のバッティングフォームが、ここ数年、打撃面にも変化をもたらしている。
攻・走・守と三拍子揃った活躍に期待がかかる。




↓赤松真人については、こちら↓

広島東洋カープ 赤松真人 オフィシャルサイト





【17 大竹 寛(おおたけ かん)】



1983年5月21日生まれ。
183cm・90kg。
埼玉県出身、浦和学院高卒。

昨年は慢性的な右肩痛に悩まされ、5月下旬に1軍復帰。
さらに5月28日の試合で右手に打球を受け骨折。
シーズン終盤に1軍に復帰したが、年間の登板は6試合にとどまった。
1日も早くローテーション入りを果たし、完全復活をアピールしたい。





【49 天谷宗一郎(あまや そういちろう)】



1983年11月8日生まれ。
178cm・83kg。
福井県出身、福井商高卒。

昨年は開幕当初から打撃不振に悩み、2軍落ちを経験。
6月に1軍復帰し調子が戻ったかのように見えたが、再び調子を落とし、代打や代走などの起用が増え不本意な成績に

終わった。
一昨年のホームランキャッチが記憶に新しいが、記憶だけでなく、記録に残るプレーでチームを勝利に導きたい。




↓天谷宗一郎については、こちら↓

広島東洋カープ 天谷宗一郎 オフィシャルサイト





【39 梅津智弘(うめつ ともひろ)】



1983年3月3日生まれ。
191cm・88kg。
山形県出身、國學院大卒。

191センチの長身と腕の長さを生かした、独特のサイドスローが魅力。
昨年は23試合に登板し防御率2.70と良好だったが、左打者を苦手としたことから、1イニングを任されるほどの

信頼は得られなかった。
まずは左打者への対策を練り、ベンチの信頼を取り戻すしかない。





【4 小窪哲也(こくぼ てつや)】



1985年4月12日生まれ。
175cm・78kg。
奈良県出身、青山学院大卒。

昨季は、遊撃レギュラーの梵(そよぎ)が故障欠場したことを受けて、その後の一番手に来るはずの小窪だったが、自

身の打撃不振も手伝ってチャンスを掴み取ることができなかった。
持ち前の勝負強い打撃に安定感を加え、内野レギュラー争いになんとか割って入りたい。




↓小窪哲也については、こちら↓

小窪哲也オフィシャルブログ





【14 篠田純平(しのだ じゅんぺい)】



1985年4月20日生まれ。
187cm・85kg。
神奈川県出身、日大卒。

好不調の波が激しかった昨季。
開幕時の絶好調を見れば、初の二けた勝利への期待も膨らんだが、最終的には5勝止まり。
周囲を裏切る結果となった。
リベンジを期す2012年。
チームとしては喉から手が出るほど欲しい左のエース。
新投手王国の一翼を担えるか。





【10 岩本貴裕(いわもと たかひろ)】



1986年4月18日生まれ。
182cm・90kg。
広島県出身、亜細亜大卒。

一昨年後半だけで14本塁打した勢いから、レギュラー奪取が期待された昨季だったが、春先以来の膝の故障が最後ま

で尾を引き、バットマンとしての成績も低迷。
9月には手術に踏み切った。
地元出身の長距離砲として、投高打低といわれるチーム状態を自ら打破したい。





【21 齊藤悠葵(さいとう ゆうき)】



1987年6月20日生まれ。
186cm・86kg。
福井県出身、福井商高卒。

左のエースとして活躍が期待されながら故障続きで、昨季はプロ入り以来初めて登板ゼロに終わった。
昨年の福井、今年の野村と相次いで有望な投手が入団。
成績を残しているだけに、齊藤も負けてはいられない。
「赤いハンカチ王子」の復活がチームの勢いを加速する。





【18 前田健太(まえだ けんた)】



1988年4月11日生まれ。
182cm・73kg。
大阪府出身、PL学園高卒。

投手賞を総ナメにした一昨年ほどではなかったが、苦しみながらも二けた勝利に到達した昨季。
自己最高の192奪三振をマークし、2年連続のタイトル獲得。
さすがと唸らせた。
今季も田中(楽天)、斎藤(日ハム)ら同期の投手が注目される中、ハイレベルの競争を牽引する。




↓前田健太については、こちら↓

じゃけん まえけん 絶対負けん!!





【11 福井優也(ふくい ゆうや)】



1988年2月8日生まれ。
178cm・78kg。
岡山県出身、早稲田大卒。

早大からプロ入りしたルーキーの中では勝ち頭となった昨季。
1年間ローテーションを守りきり8勝は期待通りの活躍だった。
ただ、本人は反省も忘れない。
与死球、暴投の多さは自らの投球を苦しめた。
「新球よりまずは制球力」。
首脳陣の期待を背負い今季もフル回転する。





【63 丸 佳浩(まる よしひろ)】



1989年4月11日生まれ。
177cm・80kg。
千葉県出身、千葉経大附高卒。

昨年はシーズンを通して外野の一角を守りきったことが大きな自信となった。
ただ、今季もレギュラーを任されたとは思っていない。
特に、打撃面で一年間安定して活躍できなかったことで力不足を痛感している。
持ち前の勝負強さとパンチ力を発揮し、低位置奪取だ。





【16 今村 猛(いまむら たける)】



1991年4月17日生まれ。
183cm・83kg。
長崎県出身、清峰高卒。

高卒2年目の昨季は、1年間セットアッパーとしてマウンドに立ち続けた。
好不調にかかわらず起用され続けたのは、首脳陣の期待の大きさを物語る。
成績以上にファンにも印象度の高いシーズンだった。
未知数も多いだけにどこまで成長するか今季も楽しみな存在だ。




↓今村 猛については、こちら↓

広島東洋カープ 今村猛 オフィシャルウェブサイト





【19 野村祐輔(のむら ゆうすけ)】



1989年6月24日生まれ。
177cm・78kg。
岡山県出身、明治大卒。

地元広陵高で活躍したファン期待の新人がいよいよベールをぬぐ。
大学では東京六大学史上7人目の通算30勝300奪三振を記録。
140キロ台中盤の速球とスライダーを軸に、なんといっても細やかなコントロールが最大の武器。
若い投手陣の中、1年目から勝負をかける。





訪問日:2012年(平成24年)3月3日






「今日は、カープロードの看板に紹介されている中堅と若手の13選手について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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カープロード2012(その3)

2012年03月11日 | スポーツ
「カープロードの看板を紹介するシリーズの、今日は3回目じゃね」

「今回紹介するのは、野村監督以下、カープのベテランから中堅の13選手じゃ」

「名前の前にある数字は、背番号ですけぇね」





■77 野村謙二郎

■25 石井琢朗

■1 前田智徳

■40 倉 義和

■31 石原慶幸

■55 嶋 重宣

■26 廣瀬 純

■2 東出輝裕

■20 永川勝浩

■6 梵 英心

■66 木村昇吾

■47 青木高広

■5 栗原健太





【77 野村謙二郎(のむら けんじろう)】



1966年9月19日生まれ。
176cm・80kg。
大分県出身、駒澤大卒。

監督2年目の昨季は、丸をはじめとする若手の台頭と、投手陣の奮起によって、夏場まで上位争いに食い込んだ。
しかし、勝負どころの後半戦に勝ちきれず、クライマックスシリーズ進出は叶わず、悔しさの残るシーズンとなった。
今年こそ、野村らしい熱血漢ぶりを発揮して、最前列で選手を鼓舞し優勝争いに挑む。





【25 石井琢朗(いしい たくろう)】



1970年8月25日生まれ。
174cm・78kg。
栃木県出身、足利工高卒。

昨季は数字的には落としたものの、未だその存在感は衰えていない。
歴代11位につける通算安打数も、いよいよ2500本へのカウントダウン。
オフは膝のクリーニング手術に挑み、来るべき瞬間に向けて最大限の準備をしてきた。
一時代を築いた球界の宝が、「カープで感激を味わいたい」の一心で、もう一度、本気の勝負を仕掛ける。




↓石井琢朗については、こちら↓

超琢朗主義 -今が大切-




【1 前田智徳(まえだ とものり)】



1971年6月14日生まれ。
176cm・80kg。
熊本県出身、熊本工高卒。

「若手に味あわせるのではなく自分が優勝したい」。
珍しく優勝への思いを口にした今季。
昨年のチームの躍進が、唯一となった優勝経験者の心に再び火をつけている。
「戦力となるために、体調を整えるだけ」。
口癖になったセリフにも悲壮感はない。
名実ともに代打の神となって、21年目のシーズンを完全燃焼するのみだ。





【40 倉 義和(くら よしかず)】



1975年7月27日生まれ。
179cm・80kg。
京都府出身、京都産業大卒。

昨年は出場55試合と満足できる数字ではなかったものの、球団が石原の控えとしての貢献度を高く評価したように、経験豊富で人望も厚い倉の存在はチームにとって大きい。
リード面はもちろん、万全であれば打撃でも若手にはまだ負けない。
もう一度、正捕手を獲る意気込みで、試合巧者ぶりを発揮してほしい。





【31 石原慶幸(いしはら よしゆき)】



1979年9月7日生まれ。
177cm・82kg。
岐阜県出身、東北福祉大卒。

序盤からの打撃不振が尾を引き、波に乗ることができないまま昨季は終了。
出場110試合に終わり、正捕手としての存在感を示すことができなかった。
伸び盛りの若手投手を活かすも殺すもキャッチャー次第。
目標は最低でも全試合出場。
そのためにはバットでも貢献しなければいけない。
自分に厳しく結果を求め、守備の要としてチームを優勝へ導く。





【55 嶋 重宣(しま しげのぶ)】



1976年6月16日生まれ。
181cm・95kg。
埼玉県出身、東北高卒。

昨年は出場が54試合に減少し、持ち前の勝負強さを発揮することができなかった。
丸、松山らイキの良い若手が台頭し、石井琢、前田智らが同じ左の代打に控えるという状況で、数多くのチャンスを掴むことは容易ではないが、チーム浮上のためには嶋の長打力は絶対に必要。
勝負を決める一打で、再びファンを熱狂させてほしい。





【26 廣瀬 純(ひろせ じゅん)】



1979年3月29日生まれ。
181cm・87kg。
大分県出身、法政大卒。

好調に滑り出した昨季だったが、交流戦に入ってケガで離脱。
8月に復帰してチームも浮上したが、再び故障。
CSを逃す一因となってしまった。
その悔しさと広島への愛着から、FAも行使せず残留。
気持ちをリセットして、もう一度ポジション争いから。
走攻守すべてにおいてハイレベルなプレーの復活を誓う。




↓廣瀬純については、こちら↓

廣瀬純 野球日記





【2 東出輝裕(ひがしで あきひろ)】



1980年8月21日生まれ。
171cm・73kg。
福井県出身、敦賀気比高卒。

昨年序盤に統一球の対応に苦しみ、打率2割台前半と低迷。
交流戦以降、本来のバッティングを取り戻したが、CSのチャンスを逃したことで不満の残るシーズンとなった。
選手会長となった今季は、自分にも仲間にも妥協は一切しない。
未だ経験したことのない上位争いを勝ち抜くために、さらにストイックなシーズンを戦う。





【20 永川勝浩(ながかわ かつひろ)】



1980年12月14日生まれ。
188cm・97kg。
広島県出身、亜細亜大卒。

毎シーズン投球回を大きく上回る奪三振数を記録していたが、ここ数年は下半身の故障から思うように球が投げられていない。
昨年は19試合の登板で0セーブに終わった。
抑えの不在はチームにとって大きな痛手。
絶対的守護神としてマウンドに上がる日を、ファンは待ち望んでいる。





【6 梵 英心(そよぎ えいしん)】



1980年10月11日生まれ。
173cm・73kg。
広島県出身、駒沢大卒。

昨年6月、自打球を当てて左膝を故障し、1年を棒に振ってしまった。
一時は復帰が危ぶまれたが、懸命なリハビリによってほぼ回復。
今まで通りショートで戦える手応えを感じている。
実績で勝る梵も、木村や新人の菊池らライバルに隙を見せるわけにはいかない。
梵らしい切れ味鋭いプレーで、一日も早くグラウンドで暴れ回りたい。




↓梵英心については、こちら↓

広島東洋カープ#6 梵英心オフィシャルブログ「I Believe」





【66 木村昇吾(きむら しょうご)】



1980年4月16日生まれ。
182cm・77kg。
大阪府出身、愛知学院大卒。

三塁手と遊撃、さらに二塁手もこなす、俊足のユーティリティープレーヤー。
昨年は梵の故障で遊撃に定着し、106試合76安打をマークした。
貴重な内外野の控えとして、また代走要員として重宝されてきた木村だが、今後は主力としての活躍が大きく期待される。




↓木村昇吾については、こちら↓

プロ野球選手 木村昇吾オフィシャルブログ





【47 青木高広(あおき たかひろ)】



1981年11月26日生まれ。
187cm・86kg。
岐阜県出身、愛知大卒。

球の出どころがつかみにくい個性的な変則フォームと、最高時速144kmのストレートが魅力の左腕。
プロ入り後はプチトルネードやサイドスローなど、投球フォームの改造の試みたが、なかなか好結果にはつながってはいない。
ひとつひとつの球種の精度向上とシーズンを通しての登板が望まれる。





【5 栗原健太(くりはら けんた)】



1982年1月8日生まれ。
183cm・95kg。
山形県出身、日大山形高卒。

2011年はベストナインとゴールデングラブ賞をダブル受賞し、今や日本の球界を代表するスラッガー。
FA権を行使するか注目が集まっていたが、1年契約で残留に合意。
度重なるケガで不調のシーズンもあったが、勝負強い打撃で赤ヘル打線を引っ張っていくはずだ。




↓栗原健太については、こちら↓

栗原健太オフィシャルブログ「“KONG”栗健 #5」





訪問日:2012年(平成24年)3月3日






「今日は、カープロードの看板に紹介してある、野村監督以下、カープのベテランから中堅の13選手について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
コメント
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