通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

追悼・中村メイコさん

2024年01月15日 | 日記
「昨年(2023年)の大みそか、女優でタレントの中村メイコさんが亡くなられました。89歳だそうです」

「謹んでご冥福をお祈りいたします」

「メイコさんと、夫で作曲家の神津善行(こうづ よしゆき)さんとは、おしどり夫婦で有名じゃったよ」

「芸名の「メイコ」は、本名の「五月(さつき。英語で「May(メイ)」)」にちなむそうじゃ」

「おぉ、『となりのトトロ』(監督:宮崎駿)の、サツキ・メイ姉妹みたいな命名じゃね」





「今日は、追悼・中村メイコさんについての話でがんす」





「1934(昭和9)年生まれの中村さんは、2歳のとき、映画『江戸っ子健ちゃん』のフクちゃん役でデビューされたそうじゃ」

「フクちゃん? どっかで聞いたことがある名前じゃけど…」

「フクちゃんいうのは、横山 隆一(よこやま りゅういち)さんの漫画『フクちゃん』の主人公じゃの」

「あの、大きな学生帽をかぶった、幼い男の子よね」

「そのとおり! もともと『江戸っ子健ちゃん』として始まった漫画が、フクちゃんの方が人気が出たので、『フクちゃん』とタイトルを改めて連載が続けられたそうじゃ」




(『別冊一億人の昭和史 昭和舞台俳優史』毎日新聞社 1978年 106ページ)


「上の写真の真ん中に写っているのが、8才ころの中村さん」

「解説文では、「中村メイ子」とあるけど?」

「もともとは「中村メイ子(あるいは、ナカムラメイコ)」じゃったのを、「中村メイコ」に改めたそうじゃ」

「なるほどね」

「話を映画からテレビに移して…。このころ、日本ではテレビの研究を始めていたそうじゃ」

「日本でテレビの放送が始まったのは、戦後の1953(昭和28)年じゃったよね?」

「本当(ほんま)なら、1940(昭和10)年に東京オリンピックが開催される予定で、それに向けてのテレビ放送の研究が行われていたんじゃの」

「ほぉ」

「戦争の拡大によってオリンピック開催は返上、テレビ放送の研究も中断された。そのころのテレビの実験番組に、メイコさんが出演されていたそうじゃ」

「ということは、メイコさんは、テレビ放送の黎明期(れいめいき)からかかわっておられる方じゃったんじゃね」

「ラジオ番組では、子役ながら複数の役を演じ分けて、「7色の声」と評されたそうじゃ」

「声といえば、1955(昭和30)年には「田舎のバス」(作詞・作曲:三木鶏郎)を歌って、ヒットさせとってよね」



↓中村メイコさんの歌う「田舎のバス」は、こちら↓

「田舎のバス」YouTube



↓「田舎のバス」の紹介は、こちら↓

「中村メイコゆかりの地」東三河を歩こう



「アニメでは『ドカチン』の主人公・ドカチンの声と、主題歌を担当されとったんじゃの」

「『ドカチン』? うちゃ知らんけどねぇ」

「『おらぁグズラだど』の後番組として放送されたんじゃ」



↓アニメ『ドカチン』については、こちら↓

「ドカチン」タツノコプロ



↓アニメ『ドカチン』主題歌については、こちら↓

「ドカチン オープニング&エンディング」YouTube



「メイコさんが出演されていた番組で、わしが一番観たのが、NHKで日曜夜7時20分から放送していた『お笑いオンステージ』」

「どんな番組?」

「三波伸介(みなみ しんすけ)さんがメインパーソナリティのスタジオ公開型バラエティ番組」

「ほぉ」

「そこでのメイコさんの役割は、涙もろくて人情家、ときに暴走しがちな三波さんを、ドンと受け止める女房役じゃったと記憶するの」



↓『お笑いオンステージ』番組紹介は、こちら↓

「お笑いオンステージ」NHKアーカイブス





「今日は、追悼・中村メイコさんについて話をさせてもろうたでがんす」

「ほいじゃあ、またの」
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水分峡でキャンプじゃけ

2024年01月13日 | まんが・テレビ・映画
「昨日(2024年1月12日)の夜7時から、TSS(ティーエスエス。テレビ新広島)で放送されたのが、『西村キャンプ場 ザ・ゴールデン』」

「『ザ・ゴールデン』というだけあって、いつもは土曜夕方5時からの放送なのが、金曜ゴールデン枠での放送じゃったの」

「ほいで、ゲストが、あの吉川晃司(きっかわ こうじ)じゃったよ」

「吉川も、「モニカ」でデビューして、今年2月で40周年かぁ」



↓『西村キャンプ場』については、こちら↓

「西村キャンプ場」TSSテレビ新広島



↓吉川晃司については、こちら↓

K2 NET CAST [KIKKAWA KOJI OFFICIAL WEB SITE]



「『西村キャンプ場』は、バイきんぐの“じゃないほう”の西村瑞樹(にしむら みずき)が、趣味のキャンプをひたすら楽しむ広島のローカル番組」

「西村と吉川は、府中町の出身。そのふたりがキャンプしたのが、府中町にある水分峡(みくまりきょう)じゃったよ」

「水分峡は、府中町にある渓谷じゃの。わしも、府中町にできたばかりの新興団地で、小学3年のときから生活しとったんじゃ」



↓水分峡については、こちら↓

「水分峡森林公園(みくまりきょうしんりんこうえん)」府中町公式サイト





「今日は、水分峡でキャンプじゃけについての話でがんす」





「水分峡は、広島市に隣接する府中町にある、自然が豊かな、川遊びができるところじゃ」

「子どもが小(こ)まいころは、夏に何度か、川遊びに連れて行ったことがあるね」

「水分峡は、わしの実家から歩いて30分くらいのところにあって、学校の遠足や子ども会の行事なんかで、よう行きよった」

「子ども会の行事って、歩いていって、そこでお昼を食べるようなやつ?」

「水分峡に行くときは、親たちが大鍋一杯に作ったカレーを、飯盒(はんごう)で炊いたご飯にかけて食べよったの」

「あのころはボーイスカウトの活動が盛んで、飯盒でご飯を炊くのが上手な子どもがおったよ」

「飯盒で炊いたご飯は、うまかったのぉ」

「『西村キャンプ場』は、秋、落ち葉のじゅうたんの上での収録じゃったね」

「今、思い出してみると、わしが水分峡へ行ったのは春か夏が多かった」

「秋と冬は?」

「うーん、あんまり行った記憶がないの。ただ、学生時代は部活やりよったけぇ、朝練の代わりに走って行きよったことはあるよの」





「以下、余談じゃ」


「そういや、水分峡へ行く途中に、「雲助」いう焼き肉屋さんがあったよね」

「大きな構えの店があったよの」

「あそこに、プールもあったじゃろ?」

「焼肉を食べた客だけが泳げるプールがの」

「お父さんも泳いだことがあるん?」

「わしゃ、水分峡で遊んで帰りよったけぇ、泳いだことはない。いうか、雲助自体、連れて行ってもろうたことがないんじゃがの」





「以下、さらに余談じゃ」


「さっきも言うたけど、あの吉川もデビューして40年になるんじゃの」

「「モニカ」でデビューしたときは、かっちょえかったねぇ。バク転をしたり、足を垂直に蹴り上げたりといったパフォーマンスもすごかった」

「そういや、レコードデビューと同時に映画でもデビューしとってんじゃ」



「こ、これは、吉川の主演映画第1作『すかんぴんウォーク』(1984年2月公開)の前売り券じゃん」

「本当(ほんま)は、併映の『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(監督:押井守)を観とうて行ったんじゃがの」

「ほぉかぁ。このころまだ、映画は2本立て上映じゃったね」

「『ビューティフル・ドリーマー』も傑作じゃったが、『すかんぴんウォーク』もなかなかにええ出来じゃった。ほいじゃけぇ、『すかんぴんウォーク』『ユー・ガッタ・チャンス』『テイク・イット・イージー』の三部作は、全部劇場で観たの」





「今日は、水分峡でキャンプじゃけについて話をさせてもろうたでがんす」

「ほいじゃあ、またの」


(文中、敬称略)
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歌ふ!志村喬~映画『鴛鴦歌合戦』

2024年01月08日 | まんが・テレビ・映画
「日本映画史に残る名優のひとりが、志村喬(しむら たかし)。彼は生涯で400本近くの映画に出演したそうじゃ」

「『ゴジラ』(1954年)にも出演しとってよ」

「黒澤明監督作品には、欠かせない存在じゃったの」

「映画の『生きる』(1952年)では、「ゴンドラの唄」を歌っとってんよね」

「歌といえば、それより13年前の1939(昭和14)年、『鴛鴦歌合戦(おしどりうたがっせん)』でその美声を披露しとってんじゃ」





「今日は、「歌ふ!志村喬~映画『鴛鴦歌合戦』」についての話でがんす」

「ストーリーが最後まで書いてあります。ネタバレに注意してください」





「『鴛鴦歌合戦』は、1939年12月14日に公開されたオペレッタ時代劇映画」

「どんな映画?」

「ストーリーとともに、志村の歌う歌の歌詞を紹介していこうかの…。

侍としての堅苦しい生活を嫌う浅井禮三郎(演:片岡千恵蔵(かたおか ちえぞう))は、長屋で気楽な浪人生活を送っている。
禮三郎の隣に住むのが、志村狂斎(演:志村喬)と娘のお春(演:市川春代(いちかわ はるよ))。
骨董品集めに熱中する浪人の志村は、傘張りをして稼いだ大事な生活費を、怪しげな骨董品につぎ込む。
そんな父に、生活費はちゃんと家に入れて欲しいとお春が頼む」


♪米のめしなら 誰も食(く)う
たまにゃふんわり 麦こがし
粋なもんだよ 食ってみな



「志村は、同じく骨董品集めに熱中する殿様・峯澤丹波守(演:ディック・ミネ)から、50両もする狩野探幽(かのうたんゆう)の掛け軸を買ってもらう。
そのことが縁で、丹波守を自分の家に連れて来た志村は、自分が買い集めた骨董品を紹介する」


青葉の笛よ 知るや君
花もつぼみもの 美少年



さてさてさて この茶碗
ちゃんちゃん茶碗と 音(ね)も響く
道八(どうはち)茶碗は 日本一じゃ
見たか 聞いたか 聞いたか 見たか



(「道八茶碗の歌」を歌う志村喬
(DVD『鴛鴦歌合戦 HDリマスター版』日活より))




↓「道八茶碗の歌」については、こちら↓

「『鴛鴦歌合戦 Singing Lovebirds』の道八茶碗の歌」YouTube



「YouTubeの歌では、前半をディック・ミネ、後半を志村喬が歌っている」

「なんでふたりが同じ歌を歌っているの?」

「骨董屋が、道八茶碗をふたりに売りつけていたというわけ」

「…ということは?」

「ということは、この道八茶碗。どう考えても本物じゃないよの。

閑話休題(それはさておき)。

お春を一目見て気に入った丹波守。
彼の家来が、殿のお側仕えとして娘を差し出せ、断るなら掛け軸の代金50両を払えと、志村に迫ってくる。
お春と禮三郎がいい仲であることを知っている志村は、その話を断る」


かわい娘にゃ 変えられぬ
返すお金が50両
やっとなじんだ おまえとも
つらい別れが 悲しいぞ



「志村は、50両の探幽の掛け軸を売ってお金に変えようと思っていた。
しかし、骨董屋に掛け合うと、これは偽物であり、3両でしか引き取れないという。
そのうえ、志村が長年かけて買い集めてきた骨董品はガラクタ、偽物ばかりで、すべてを売り払っても50両にはとても足りない。
丹波守の家来との約束で、明日の朝までに50両を作らなければならない志村は、夜逃げをすることに」


あるのはガラクタ 骨董品
夜逃げをするなら 今のうち
娘よ手伝え 支度しな



「お春は禮三郎に別れを告げに行くが、禮三郎を気に入っているお富(演:服部富子(はっとり とみこ))の差し金で、会わせてもらえない。
家来を連れた丹波守は、お春を力づくで連れ帰ろうとするが、禮三郎の反撃にあい、退散する。
やれやれと安心した志村は、骨董品を引き取りに来た骨董屋に、茶でも飲もうと誘う。
志村が持つ茶入れを見た途端、骨董屋の目が変わる。
それは「文久(ぶんきゅう)の茶入れ」といわれるもので、1万両の価値があるという。
1万両という金額に目がくらんだ志村親子に、禮三郎は冷たい視線を送る。
「お春さん。おまえさんは金持ちを好きな人と一緒になりなさい」
その言葉を聞いたお春は、その茶入れを壊してしまう
「怒っちゃいや、お父さん。あきらめてね」」


娘 あっぱれ でかしたぞ
親の欲目じゃ ないけれど
わしにおまえは 出来すぎじゃ
たったひとつの 宝じゃよ



「というわけで大団円、めでたしめでたし、というお話じゃ」





「以下、余談」


「この映画について話しておくと…、
本当は片岡千恵蔵主演で『弥次喜多 名君初上り』を撮る予定じゃった。ところが、千恵蔵が急病のため2週間の静養となったそうじゃ」

「ありゃま」

「そこで『弥次喜多…』代わりとして『鴛鴦歌合戦』を撮ることになった。千恵蔵が出演するのシーンは、わずか2時間で撮り終えたといわれとるんじゃの」

「たった2時間で?」

「監督のマキノ正博は、「早撮りのマキノ」と呼ばれた方。脚本と劇中歌の作詞・作曲を4日、撮影も1週間ほどで終わらせたといわれとる」

「すごい!」

「千恵蔵の出番がなくなった分、志村喬とディック・ミネの出番が多くなったんじゃの」

「ディック・ミネといえば、「人生の並木路」などのヒット曲を歌われた歌手じゃね」

「この映画は、日活とテイチクの提携作品だった関係で、ディック・ミネや、服部良一(はっとり りょういち)の妹の服部富子など、テイチク専属の人気歌手が出演しとる」

「そういえば、この映画で歌の作詞を担当された方は?」

「作詞とオペレッタの構成をされたのが、島田磬也(しまだ きんや)という方じゃ」

「それにしても、志村さん、歌がお上手じゃったね」


声の良い人だったので、『鴛鴦歌合戦』では、
(略)
歌を歌わせた。プレスコした時、志村喬の歌のうまさには皆びっくりしたものだ。

(マキノ雅弘『マキノ雅弘自伝 映画渡世・天の巻』平凡社 1977年 449ページ)



「ディック・ミネの推薦もあって、テイチクからの誘いがあったが、本人が全然本気で受け取らなかったということじゃ」





「今日は、「歌ふ!志村喬~映画『鴛鴦歌合戦』」について話をさせてもろうたでがんす」

「ほいじゃあ、またの」


(文中、敬称略)
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「ゴンドラの唄」はどんな歌詞だった?【改訂版】

2024年01月03日 | 音楽
「♪いのち短し 恋せよ乙女(おとめ)」

「なんね、その歌?」

「「ゴンドラの唄」いう歌じゃ」

「ほぉ」

「この歌は、黒澤明(くろさわ あきら)監督の映画『生きる』(1952年)で使われとったんよ」

「どのシーンで?」

「映画のラストで、志村喬(しむら たかし)演じる主人公が、雪の降る夜に公園のブランコに乗って、低くつぶやくように口ずさむのがこの歌なんじゃの」



「その『生きる』が、1月8日(月)にNHK総合で放送されるけぇ、歌いよったんじゃ」



↓映画『生きる』については、こちら↓

「黒澤 明 監督の傑作!今も世界中で愛される名作をお届け」NHKオンライン



↓「ゴンドラの唄」については、こちら↓

「生きる (Ikiru) 黒澤明 テーマ曲 -ゴンドラの唄-」YouTube





「今日は、「「ゴンドラの唄」はどんな歌詞だった?」についての話でがんす」





「「ゴンドラの唄」は1915(大正4)年、松井須磨子(まつい すまこ)の主演で上演された『その前夜』の劇中歌として作られたんじゃの」

「どんな歌詞なんかね?」



いのち短し 恋せよ乙女
あかき唇 褪(あ)せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日(あす)の月日は ないものを

いのち短し 恋せよ乙女
いざ手をとりて かの舟に
いざ燃ゆる頬(ほ)を 君が頬(ほ)に
ここには誰れも 来ぬものを

いのち短し 恋せよ乙女
波にただよい 波のよに
君が柔わ手を 我が肩に
ここには人目も 無いものを

いのち短し 恋せよ乙女
黒髪の色 褪(あ)せぬ間に
心のほのお 消えぬ間に
今日はふたたび 来ぬものを

(「ゴンドラの唄」ウィキペディア)




「1915年いうけぇ、今から109年も前の歌じゃの」

「そのくらいむかしの歌じゃけぇ、ちょっと意味が分かりづらいところもあるよね」

「現代語訳があるけぇ、それを紹介してみようか」



いのちある時は短いのです 恋をなさいよ、お嬢さん
あなたの赤く艶々とした唇が 色褪せてしまわないうちに
あなたの肌の下を熱く流れる血潮が 冷え切ってしまわないうちに
明日の月日など あてにならないのですから

いのちある時は短いのです 恋をなさいよ、お嬢さん
さあ、手に手をとって あちらの小舟に乗り込みましょう
さあ、私の燃える頬を あなたの頬に触れさせてください
ここにはだれも 来やしませんから

いのちある時は短いのです 恋をなさいよ、お嬢さん
波の間に間にゆらゆらと 波のように揺れながら
あなたの柔らかな手を 私の肩にかけてください
ここには 人目はありませんから

いのちある時は短いのです 恋をなさいよ、お嬢さん
あなたの黒々とした髪が 色褪せてしまわないうちに
燃えたぎる心の炎が 消えてしまわないうちに
今日という日は 二度とやって来ないのですから

『甦る『ゴンドラの唄』─「いのち短し、恋せよ、少女」の誕生と変容─』山形大学 人文社会科学部






「以下、余談じゃ」


「山形大学の相沢直樹(あいざわ なおき)教授によると、「ゴンドラの唄」を作詞した吉井勇(よしい いさむ)の全集にも、底本が収録されていないそうじゃ」

「底本が収録されていないということは、初出が特定されていないということ?」

「ほいじゃけぇ、劇の脚本や当時の楽譜を参考に復元するしかなかったらしいの」

「ほぉ」

「それが、静岡県立大の細川光洋(ほそかわ みつひろ)教授の調査で、1915年4月1日発行の総合雑誌『新日本』であることがわかったそうじゃ」

「それはすごいね」



↓「ゴンドラの唄」の初出については、こちら↓

「恋せよ、少女(をとめ)こゝから 「ゴンドラの唄」初出判明 100年越しの謎解ける」東京新聞 TOKYO Web 2021年12月9日





「今日は、「「ゴンドラの唄」はどんな歌詞だった?」について話をさせてもろうたでがんす」

「ほいじゃあ、またの」


(文中、敬称略)
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初日の出 2024

2024年01月01日 | 季節の話題


「あけましておめでとうございます」

「2024年もよろしくお願いいたします」



「今年の初日の出の写真は、広島駅の北側にある二葉山平和塔、通称:仏舎利塔(ぶっしゃりとう)から撮ったものじゃ」

「この時間は雲がたくさん出とったんじゃね」

「見えんかと思うとったが、雲のすき間から初日の出を拝むことができたの」





「ここでお参りをされる方もおってんじゃね」

「来るときは尾長天満宮(おながてんまんぐう)の方から上ってきたんじゃが、帰るときは広島東照宮(ひろしまとうしょうぐう)の方から下りた」

「道の途中には金光稲荷神社(きんこういなりじんじゃ)の奥宮(おくみや)があって、そこからは広島市街や瀬戸内海が一望できるんよ」

「金光稲荷神社は、東照宮の境内社にあたるんじゃの」





「絶景かな、絶景かな」

「画面を左右に横切るように、山陽新幹線や山陽本線が走っとって、広島駅北口も見えるよ」

「中央に見える青くて背の高いビルがビッグフロントひろしまで、その左に見える白いビルがグランクロスタワー広島」

「右手奥には、似島(にのしま)が見えるね」

「似島には、その形が富士山に似た、安芸小富士(あきのこふじ)と呼ばれる山があるんじゃの」





「広島市街と、その奥に見えるのが、世界遺産の厳島神社(いつくしまじんじゃ)がある宮島」

「厳島神社には、初詣の人がたくさん行っとってじゃろうね」





「東照宮へ着いた」

「今年は辰(たつ)年じゃね」





「昭和38(1963)年生まれのわしは今年、後厄かぁ」





「今の時間は初詣の人も少ないが、多いときは、この階段の下まで人が並ぶことがあるんじゃの」





↓広島東照宮については、こちら↓

広島東照宮





「今日は、2024年の初日の出について話をさせてもろうたでがんす」

「ほいじゃあ、またの」
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