江戸時代初期の儒学者で陽明学の祖
名は原、字は惟命、通称は与右衛門
近江聖人と呼ばれた人を祭る神社を訪ねました
大正11年に当時の滋賀県知事が中心となって、全国に浄財を募って創立できた神社です
訪れる人もまばらで、知る人ぞ知るマイナースポットかもしれません
第一鳥居の扁額文字は東郷平八郎が書したものであり、社標の文字は大津膳所出身の倫理学者杉浦重剛のもの
また社宝として、昭和天皇の皇后が学生時代に書かれた作文「我が敬慕する人物中江藤樹」があります
こうやって書いてみると、マイナーではないのかもしれません
境内には御神木もあります
モクレン科の常緑高木で、オガタマノキとも呼ばれています
藤樹神社境内には古くは、万勝寺という寺が建っていたそうで、比叡山の山門三千坊の一院として、 大きな勢力を持った寺院であったそうです
織田信長の兵火によって焼亡 したといわれる。このダマの木は、おそらくは万勝寺の境内にあった頃から生えていたものと思われ、安曇川町内でも、
これほどの巨木のダマの木は他にはないとのことです
藤樹神社のとなりに陽明園があります
中国の材料を用いて建設した中国式庭園です
神社のとなりに中国式庭園
ちょっと違和感が!
中国浙江省余姚市との交流で建築されたそうで、いかにも中国って感じです
庭園の池には鯉が放されていて近づくと口をあけて餌を所望
だいぶ観光慣れしている様子
小さい庭園ですが、そこだけ別世界の雰囲気を漂わせていました
名は原、字は惟命、通称は与右衛門
近江聖人と呼ばれた人を祭る神社を訪ねました
大正11年に当時の滋賀県知事が中心となって、全国に浄財を募って創立できた神社です
訪れる人もまばらで、知る人ぞ知るマイナースポットかもしれません
第一鳥居の扁額文字は東郷平八郎が書したものであり、社標の文字は大津膳所出身の倫理学者杉浦重剛のもの
また社宝として、昭和天皇の皇后が学生時代に書かれた作文「我が敬慕する人物中江藤樹」があります
こうやって書いてみると、マイナーではないのかもしれません
境内には御神木もあります
モクレン科の常緑高木で、オガタマノキとも呼ばれています
藤樹神社境内には古くは、万勝寺という寺が建っていたそうで、比叡山の山門三千坊の一院として、 大きな勢力を持った寺院であったそうです
織田信長の兵火によって焼亡 したといわれる。このダマの木は、おそらくは万勝寺の境内にあった頃から生えていたものと思われ、安曇川町内でも、
これほどの巨木のダマの木は他にはないとのことです
藤樹神社のとなりに陽明園があります
中国の材料を用いて建設した中国式庭園です
神社のとなりに中国式庭園
ちょっと違和感が!
中国浙江省余姚市との交流で建築されたそうで、いかにも中国って感じです
庭園の池には鯉が放されていて近づくと口をあけて餌を所望
だいぶ観光慣れしている様子
小さい庭園ですが、そこだけ別世界の雰囲気を漂わせていました