ハリ天狗の日々奮戦

天狗のごとく山を駆け、野を走る(かな^^;)。 東京は西の端・青梅発、全国行き。日々鍼を打つランニング鍼灸師の奮戦記。

中学校のマウンドで

2021年01月04日 | 日々奮戦

【ポジションは内野あちこち、最後はサード】

1/2、正月帰省していた体育少女(もう少女じゃないけど)の三女が懐かしの通学路を走ってくると言い出したので一緒に。彼女がここを歩いて通っていた頃(20年近く前)からは大分様子も変わっている。小学校の裏山の前を通り、中学校の裏道へ。裏の駐車場が開いていたのでそのまま表のグランドへ。三女は当時全国制覇した経歴をお持ちの先生が顧問として赴任して来られたハンドボール部に所属。このグランドで、おそらく中学生としてはかなりすご目な練習をこなしていた。


【超厳しいけど大好きだった顧問は技術家庭の先生。その技術室の前で】

懐かしい懐かしいを連発していたけど、実は父はもっと懐かしい。それこそ50年ぶりに中学校のマウンドに立ったのだ。ハリ天、小学生の頃は担任の先生からキ印を付けらるほどの野球少年。5年生になって隣の小学校と試合をする手はずを整えてくれた先生。そしてピッチャーを決めるためのテスト。10球投げて全部ストライクを決めたハリ天少年はエースとしてマウンドに立つことになる(ジャーン)。球は速くはなかったけどやたらコントロールが良かったので、いわゆる技巧派タイプ(生意気)。6年生の時には遊びで中学生も混じった試合で7回シャットアウトして野球部に絶対入れと勧誘を受けるという多分野球歴の中での黄金時代を味わう(ドヤ顔)。
・・・が、中学に入る頃は背も小さく球威も全然なかったのでもちろんピッチャーなど論外。ただ、コントロールが良かったのでバッティングピッチャーとしてはえらい重宝されたものだった。打撃練習ではいつも1番に打たせてもらい、あとはひたすら打ちやすいボールを投げ続けると言う。肩を壊してからボールを投げるなんてとんでもなく、今でも怖くて投げられないけど、マウンドに立ってエアピッチングやって来た。うわぁ、懐かしい。野球やりたいなぁ。

コメント
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