JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

眠れる私は筋肉痛

2006年02月12日 | j-l


冬のオリンピックも開幕し、オリンピック好きには眠れぬ日々を送られることでしょう。今年は、サッカーのワールドカップもひかえ、時差を特に感じる年なのかもしれません。

今日は、しばらく体を動かしていなかったようなきがしたので、近くの公園で「散策&ちょっとジョギング」をしてきましたが、やはり歳は隠せず、昼に帰宅するとグッタリとしてしまいました。
おかげで、午後からは動く気力を無くし、もっぱら読書。先日みつけてきた「寺山修司 青春書簡 恩師・中野トクへの75通」という本をなんとか読み終えました。
友人、広瀬隆平氏が「寺山はあまり幸福でないから、先生に会ったら少しは幸福になるかもしれない」と、引き合わせた中野トク先生に、寺山が宛てた10年間にわたる書簡を記載したものです。
私的な書簡であるがゆえに、文字や文章に、寺山の人となりがみえて、なかなか面白く読ませて頂きました。


昭和32年に発刊された「われに五月を」を、中野先生は50部売ったそうで、「作家になったのよ、寝ていて作家になったのよ」と、はしゃいでいらしたとか、
その前年、寺山は中野先生に
「パリは立ったまゝ眠る」という、フランスの詩人エリュアールの詩「勇気」からの一節を借り、「立ったまま、眠れたらどんなにいいだろう。この頃、横になっても仲々眠れないのだ。-中略- ほしいものはおかねである。ほしいな。 仲々癒りません。ベッドでセーターを着て撮ったのです。いゝのは作品集のとびら写真にするので、これは悪い写真なり。」という書簡と、中野先生に贈ってもらったセーターを着た写真を送っていました。
たしかに、「われに五月を」のとびら写真には、このセーターを着た寺山が写っています。

なかなか寝られない状況下で、書き下ろした「われに五月を」、中野先生は「寝ていて作家になったのよ」としょうされる。なんだか、とても良いんです。なんとも素敵であります。

ということで、明日か明後日には体が痛くなりそうだし、なんとも素敵な本も読んだことだし、哀愁あるメロディーのほうが良いかなぁ、なんて思って、連想したのはデューク・ジョーダンでありました。
ある意味、マイペース・プレーヤーだったジョーダン、マイナー・ムードが「ダバダバダバダハダバダバダ ダッダーダ ダッダーダ」てな感じで響いてくる、このアルバムはいかがでしょうか?

FLIGHT TO JORDAN / DUKE JORDAN
1960年8月4日録音
DUKE JORDAN(p) DIZZY REECE(tp) STANLEY TURRENTINE(ts) REGINALD WORKMAN(b) ART TAYLOR(ds)
1.FLIGHT TO JORDAN
2.STARBRITE
3.SQUAWKIN'
4.DEACON JOE
5.SPLIT QUICK
6.SI-JOYA