春は名のみの風の寒さや。
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず。
時にあらずと 声も立てず。
氷解け去り葦は角ぐむ。
さては時ぞと 思うにあやにく
今日もきのうも 雪の空。
今日もきのうも 雪の空。
春と聞かねば知らでありしを。
聞けばせかるる 胸の思いを
いかにせよとの この頃か。
いかにせよとの この頃か。
文部省唱歌の『早春賦』であります。
立春を迎え、あとは本当の春の訪れを心待ちにするばかりですが、今朝、我が母がぞうきん掛けをしながら、歌っておりました。昨日、今日のあまりの寒さに、母の『早春賦』も愚痴のように聞こえてしまいます。
吉丸一昌さんのこの詩は、なかなか素敵な詩ですよね、「芽吹く」じゃなくて、「角ぐむ」なんて表現は、いかにも日本語らしいじゃありませんか
沼の氷が解けて、葦の葉の芽がちょっとだけ顔を出している、それが角を出したように見えたのでしょう。「さて、春が来たぞ」と顔を出したのに、雪が降っていて、「なんだよう!」って感じでしょうか。
おもえば、今季の雪害は尋常ではありませんが、雪国の方は立春の声を聞いても「いかにせよとの この頃か」の思いでありましょう。寒いとはいえ、日差しを受けていられる我が地に感謝しなければいけません。
今日は、趣味部屋の掃除を済ませ、買い物のお付き合いも早々に、午後からはジャズを聴きながらの読書タイムでありました。
おさかなさんのブログで、出雲大社の写真を拝見するうちに「日本神話」をあらためて振り返ろうかと、「古事記」(もちろん現代語訳ですが)の読み直しも考えたのですが、結局は「日本の神話伝説」(吉田敦彦、古川のり子著)なる本を持ち出し、オオクニヌシがヌナカハヒメと歌を交わすあたりまで、ゆっくりと読み進めました。
この中で「この歌で、ヌナカハヒメは、オオクニヌシを「八千矛の神」と読んでいるが、矛は男性の象徴であり、オオクニヌシに盛んな生殖力があったとの意味を込めた表現である」というようなことが書かれております。
神代であっても、子孫を残す力は、最大の賛辞に等しかったということ、少子化の現代、若き男性諸君よ、日本の未来のために「矛の神」とならんことを・・・
(すいません、これは戯れ言でした。)
さて、今日の一枚は、クリフ・ジョーダンにしてみました。ジョーダンのブルーノートにおけるリーダー作は3枚、その3枚目がこのアルバムです。
メンバーは、「ホレス・シルバーのグループから、親玉をぬいてソニー・クラークに、それだけじゃあんまりにもホレスに悪いから、ベースもジョージ・タッカーに変わってもらいましょ」みたいな感じ、1~3はオリジナルを揃え、4~6は、パーカー、エリントンの曲というライナップです。4曲目パーカーの「CONFIRMATION」でのジョーダンが、なんだかとても凄い。
コルトレーンが「こんなに若くて優秀なテナーマンがたくさんいる街は、アメリカでここだけだ」といったという街シカゴ、ジョーダンはまさにその街出身の、優秀なテナーマンでした。
CLIFF CRAFT / CLIFF JORDAN
1957年11月10日録音
CLIFF JORDAN(ts) ART FARMER(tp) SONNY CLARK(p) GEORGE TUCKER(b) LOUIS HAYES(ds)
1.LACONIA
2.SOUL-LO BLUES
3.CLIFF CRAFT
4.CONFIRMATION
5.SOPHISTICATED LADY
6.ANTHOROPOROGY
追伸、
今週は、「外飲」(お店で酒を飲む)禁止週と、決めました。
さて、このもろくも崩れそうな誓いを、私は守ることができるでありましょうか。