渋谷の夫殺害バラバラ事件の三橋歌織被告に懲役15年の判決が下された(求刑は懲役20年)。この判決を重いと見るか軽いと見るかは意見が分かれる所だろうが、何か世論の批判が最も出にくいところに落ち着かせたという感がある。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080428-00000908-san-soci
国民から注目を集めたこの事件ではあるが、今回の懲役15年の判決に、「まあそんなもんだろう」と直感的に感じた人は結構多かったのではないだろうか。
一時は無罪の可能性もあるという報道が流れた時には、何でもDV被害に結びつければ刑を軽くできるのかという声、短期精神病性障害という聞き慣れない病名に疑問を持つ声、犯行時は誰でも正常な精神状態とは考えにくいから、誰でも短期精神病性障害に当てはまってしまうだろうという声など、様々な意見が飛び交った。またそこまでフェミニズムの権力は強いのかという印象さえ受けた。それを考えれば、今回の判決は無罪にならなかっただけまだましだったと言えるかも知れない。
但し、この判決では、心神喪失とする精神鑑定の結果を肯定しながら、それでも責任能力はあったとするなど矛盾を思わせる点や、歌織被告が祐輔さんから継続的にDVを受けていたことや祐輔さんが離婚に応じなかったことなど、同情の余地は相当あると判断したものの、そうした経緯は犯行を正当化しないと被告を諭すなど、論点が定まらない所謂「玉虫色」の部分があるように思える。
事実関係についても疑問がある。特に祐輔さんが離婚に応じなかったというところなどは、歌織被告が離婚を自分に有利な形で進めたいと狙っていたことや、祐輔さんも離婚を考えていたことなどこれまでの報道とやや違う印象を受ける。
精神鑑定の結果にも改めて疑問が感じられた。今日の夕方のフジ系のニュースで、事件後に歌織被告と電話で会話したという知人がインタビューに答えていたが、彼の話によれば、歌織被告との電話での会話の時には何も精神的におかしい点などは感じられず、心神喪失という鑑定結果を聞いた時にはやはり相当な違和感を感じたそうだ。
だが、今回の一連の事件で注目すべきは、夫婦間殺人の刑事訴訟においてフェミ陣営がどこまで影響力を及ぼせたかということではないだろうか。加害者の妻がDV被害者であるという論理を作り上げ、それが犯行への引き金となった、しかし犯行時は心神喪失であり責任能力は問えない、よって無罪、これが連中の描いたシナリオだったのだろう。
そしてその事例を利用して、妻が夫を殺害した場合でも夫からDVを受けていたと主張すれば限りなく無罪に近い判決を勝ち取れるという気運を定着させようということだと思う。当然その際のDVは次第に拡大解釈され、やがて妻が夫を殺害しても無罪という慣例が出来上がり、夫婦間における妻の絶対的地位を確保できることにも繋がる。
つまり、夫婦は夫が実権を握り妻は従うだけの封建制度だと批判しているフェミニズムが、実はそっくりそのまま逆転させた力関係を目論んでいるに過ぎないのだ。ここにフェミニズムの主張する「男女平等の嘘」が垣間見える。
フェミ陣営にとっては、今回の事件だけに拘る必要はない。少しずつ影響力を強めていけばいいと思っているのだろう。今回に関しては、弁護側、検察側双方の精神鑑定で心神喪失という結果を出させたというだけでも連中にとっては大きな戦果ではなかったろうか。
無罪方面じゃなくて保護観察下での最低限の生活に支障きたさないレベルで犯罪に応じた刑に準じた期間の奉仕活動とか…
刑務所とは別の施設に入所した上での社会での奉仕活動
を課すくらいはしてもいいような気がするが…
確かに私も15年という判決を聞いて、首を傾げました
判例において(加害者が男性の場合)1人だけでは極刑は少ないとか
それでも計画性・残虐性のあるものは・・・とか
DVって言われて、心身喪失もあるとか言われて
それで15年・・・妥当なのかそれとも???
>実はそっくりそのまま逆転させた力関係を目論んでいるに過ぎないのだ
私にはどうもただ単純に「逆転」させる、に留まらないと思ってます
「働いてもヨシ、働かなくてもヨシ」と、今の女性が自由度あるのに対し
「男性は働かなくてはいけない」という風潮は昔から変わらず根付いているからです
>夫が実権を握り妻は従うだけの封建制度
の「実権」だけの逆転は、極端な話「女性は何もしなくても権力がある」ということになります
働いて養って家事育児もカンペキにしているのに
何もしない妻が権力を握っている・・・じゃ
封建制度時代の夫-妻の時代よりも最悪なことになります
・・・という予想の元「20XX年日本(仮)」という小説もどきを
私のブログでスタートさせました
もしよかったら、覗いてくださると嬉しいです
私の小説、書いてる自分が言うのもなんですが
めっさムカつきました(笑