今回は、2例の猥褻事件についての判例について考察したい。
まず1件目は、小学校教頭が路上で女性に声を掛けて近くのビルに引きずり込み、女性の胸などを触ったとされる事件である。この事件では、「女性の携帯電話の通話記録から、犯行時間は1分54秒で一連の行為は不可能。目撃者や現場の指紋などの証拠もない」と無罪を主張したが、判決では「女性の証言は信用出来る、再現実験は正確性に欠ける、証拠がないから犯罪証明が出来ないという理由にはならない」、などとして実刑となった。
無罪主張のわいせつ教頭に実刑判決 さいたま地裁 10/29 12:58更新
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/95023/
こうした性的な事件の場合、女性のみの証言が鵜呑みにされる傾向があるというのは至る所で指摘されていることだが、この例でも同様で、しかも、「証拠がないから犯罪証明が出来ないという理由にはならない」といった、推定無罪の原則まで覆した無謀な論理を判決理由としている。これでは、女性が怪しいと思えば全部男性は罪人にされてしまうことにもなりかねない。
次に2件目は、県職員が列車内で女性の右太もも部分に股間を押し付けたとする事件である。この事件では、男性の股下と女性の太もも部分の高さが違うことや、検察側の主張が途中で変化したことなどを理由として無罪判決となった。更に検察側の主張が既に破綻していて、裏付けを欠く杜撰なものと指摘された。
2007/10/31-22:56 「痴漢」の愛知県職員に無罪=「また下」から犯行不可能-名古屋簡裁
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2007103101235
電車内の痴漢で無罪 愛知県職員に名簡裁判決 2007年11月1日 朝刊
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2007110102060894.html
何れもまだ決着はついていないのだが、この2つの事例を比べて、一体何を感じ取れるだろうか。
例えば1例目の推定無罪を覆してしまう理由を当てはめれば、2例目も有罪に出来てしまうだろう。逆に2例目の様に検察側の主張が破綻しているというのなら、1例目でも「1分54秒で一連の行為は不可能」という部分は検察側の破綻した主張を裏付けており、無罪といえるのではないか。
これらの事例から読み取れることは、裁判というのは今や権力を見せ付けるだけの場と化しているのではないかということだ。つまり加害者や被害者とされる人の力関係がそのまま判決に反映されてしまうということだ。だから判例によって有罪無罪どちらの判決になっても疑問が残ってしまうのだ。
司法に権力を絶対に介入させてはいけない。しかし今や法の下の平等が失われている。
*** お知らせ ***
NPO法人「家族の絆を守る会」講演会のご案内
http://familyvalueofjapan.blog100.fc2.com/blog-entry-40.html
きたる11月19日(月)、豊島区生活産業プラザ8F多目的ホールにおいて、家族の絆を守り育てる講演会を行います。
少し前までは考えられないような家庭や学校での事件が起こるたび、私達は恐怖と絶望感に襲われます。子供が健やかに育っていくための環境がいつの間にか崩壊し、子供達が、そして家族が危機的状態に晒されています。
私達はここで手を拱いているだけではなりません。崩壊している家庭、学級、学校の問題について真正面から向き合い、健康で規律を守り安定した精神状態の子供達が育つような環境を作りあげていきたいと思います。
講師の松居和先生は、音楽家そして埼玉県教育委員としてご活躍しています。米国における音楽活動と平行し、日本でも家庭崩壊の問題、保護者の役割についての講演活動をされています。
記
演題 「親心を育て、家族の絆を強めよう」
講師 松居 和 先生(音楽家・埼玉県教育委員)
会場 豊島区生活産業プラザ8F多目的ホール
日時 平成19年11月19日(月)
受付開始:午後6時30分
開演:午後7時10分(終了:午後8時)
参加費 1000円
(懇親会は午後8時10分~9時10分 会費:3000円)
(全文引用、本ブログは上記団体とは無関係です。)