悲しみよ ありがとう
今日は、
バイブルクラスと祈り会の合同クリスマス会でした。
上の動画をみんなで見て、
その後で水野源三さんのクリスマスの詩を
味わいました。
「救いの御子の降誕を」
一度も高らかに
クリスマスを喜ぶ賛美歌を歌ったことがない
一度も声を出して
クリスマスを祝うあいさつをしたことがない
一度もカードに
メリークリスマスと書いたことがない
だけどだけど
雪と風がたたく部屋で
心の中で歌い
自分自身にあいさつをし
まぶたのうらに書き
救いの御子の降誕を
御神に感謝し喜び祝う
(水野源三著 「こんな美しい朝に」より)
「瞬きの詩人」と言われた水野源三さん(1937年-1984年)は、9歳の時に赤痢による高熱が原因で脳性麻痺になり、目と耳以外のすべての機能を失いました。意思表示の手段は瞬きをすることだけでした。
源三さんのお母さんはパン作りを覚えて、パン屋をします。そして時々そこに町の牧師さんが買いにくるようになり、家の奥に気配を感じた牧師は、誰がいるのかを訪ね、源三さんに出会うのです。源三さんは、牧師の訪問を受けるようになり、もらった聖書を読むようになりました。また、ラジオのキリスト教放送を聴き、また通信教育も受けて、やがてイエス様を信じるようになりました。
そして、47歳で召天するまで、その純粋な心から溢れ出る思いを、美しい詩や短歌、俳句などに表しました。最初はお母さんが、お母さん亡きあとは、弟のお嫁さんが、「あいうえお」の表を指差し、その文字に来た時に源三さんが瞬きして合図するという方法で、一つ一つの作品を作っていきました。
源三さんの死の中に
「生きる」っていうのがある。
神様の
大きな御手の中で
かたつむりはかたつむりらしく歩み
蛍草は
蛍草らしく咲き
雨蛙は雨蛙らしく鳴き
神様の
大きな御手の中で
私は
私らしく
生きる
大きな御手の中で
かたつむりはかたつむりらしく歩み
蛍草は
蛍草らしく咲き
雨蛙は雨蛙らしく鳴き
神様の
大きな御手の中で
私は
私らしく
生きる
瞬きしかできない源三さんが、
「私らしく生きる」って言えるって、
すごいことだと思う。
生きることへの意欲が半端ない!
誰でも、
その人らしく創られている。
神さまとの関係が正常化すると、
その人のその人らしさがが輝く。
そして、その人らしさを
神さまは愛してくださっている。
人と比べなくていい。
何にもできないと自己卑下する必要もない。
私は私らしく。
神さまは私らしさを
全肯定しておられるから。