バンコクは大都会でした。
百貨店が立ち並び、
中には高価な商品が並べられ、
たくさんの外国人がそれを買い求めています。
チェンマイは、もっと外国人率が高そうでした。
豊かな外国人がタイに来て外資を落としていく。
そんな社会経済の構図が見えた気がします。
T先生に、
「タイは、きっと外国人が落としていくお金で、
財政が成り立っている国なんですね。」
と言うと、
「そうなんです。
福祉もそうなんです。」
「上流階級の人のための福祉サービスを提供しているのですか?」
そう聞くと、
「いや、貧しい人たちをヘルプしているのです。
海外のNPO法人や宣教団体が。」
どういうことなのかよく聞いてみると、
タイの貧富の差は本当に激しく、
貧しい人はとことん貧しい。
欧米や韓国の宣教師たちは、
そんな現状を見て、喜んで彼らを助けようとする。
やりがいもあるしアピール性もある。
ところがそれをすればするほど、
タイの政府も教会も、海外からの援助に甘えて
貧しい人々に対して何もしようとしなくなる。
「自分たちで自分たちの問題を解決しようとしないのです。」
そうT先生は嘆いていました。
翻って、私たちの台湾での宣教を考えてみました。
台湾の私たちの宣教団体では、
今、さかんに「ナショナライズ」が言われています。
外国人である私たちが主導権を握るのではなく、
台湾の教会にバトンタッチしていく、
そんなあり方を目指しているのです。
大事なことです。
彼らの責任と誇りを尊重する私たちでありたいと
強く思わされたことでした。