goo blog サービス終了のお知らせ 

おかあちゃん牧師の日記

新船橋キリスト教会の牧師です!
日々の生活のこと、教会のこと、
家族のことなどを書いています!

水野源三さん

2023-12-07 22:02:08 | 信仰 聖書
悲しみよ ありがとう

今日は、
バイブルクラスと祈り会の合同クリスマス会でした。
上の動画をみんなで見て、
その後で水野源三さんのクリスマスの詩を
味わいました。


「救いの御子の降誕を」

一度も高らかに
クリスマスを喜ぶ賛美歌を歌ったことがない
一度も声を出して
クリスマスを祝うあいさつをしたことがない
一度もカードに
メリークリスマスと書いたことがない
だけどだけど
雪と風がたたく部屋で
心の中で歌い
自分自身にあいさつをし
まぶたのうらに書き
救いの御子の降誕を
御神に感謝し喜び祝う

(水野源三著 「こんな美しい朝に」より)


 「瞬きの詩人」と言われた水野源三さん(1937年-1984年)は、9歳の時に赤痢による高熱が原因で脳性麻痺になり、目と耳以外のすべての機能を失いました。意思表示の手段は瞬きをすることだけでした。
 源三さんのお母さんはパン作りを覚えて、パン屋をします。そして時々そこに町の牧師さんが買いにくるようになり、家の奥に気配を感じた牧師は、誰がいるのかを訪ね、源三さんに出会うのです。源三さんは、牧師の訪問を受けるようになり、もらった聖書を読むようになりました。また、ラジオのキリスト教放送を聴き、また通信教育も受けて、やがてイエス様を信じるようになりました。
 そして、47歳で召天するまで、その純粋な心から溢れ出る思いを、美しい詩や短歌、俳句などに表しました。最初はお母さんが、お母さん亡きあとは、弟のお嫁さんが、「あいうえお」の表を指差し、その文字に来た時に源三さんが瞬きして合図するという方法で、一つ一つの作品を作っていきました。

源三さんの死の中に
「生きる」っていうのがある。

神様の
大きな御手の中で
かたつむりはかたつむりらしく歩み
蛍草は
蛍草らしく咲き
雨蛙は雨蛙らしく鳴き
神様の
大きな御手の中で
私は
私らしく
生きる

瞬きしかできない源三さんが、
「私らしく生きる」って言えるって、
すごいことだと思う。
生きることへの意欲が半端ない!

誰でも、
その人らしく創られている。
神さまとの関係が正常化すると、
その人のその人らしさがが輝く。

そして、その人らしさを
神さまは愛してくださっている。

人と比べなくていい。
何にもできないと自己卑下する必要もない。

私は私らしく。
神さまは私らしさを
全肯定しておられるから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

罪は人を傷つける

2023-12-04 20:49:47 | 信仰 聖書
テンプレートを変えてみた。
天使はなぞだけど、
教会とステンドグラスがいいかな?

最近の私のテーマ。
「罪は人を傷つける」
罪は人も傷つけるし、
自分も傷つく。

神さまはなぜ罪がお嫌いか。
それはもちろん、
神さまの義なるご性質反しているからなんだけど、
罪が神が愛する人々を傷つけるからかもしれないなと。

罪というのは、
神さまを認めない、
無視する生き方だとよく言われる。

それも本当にそうで、
神さまに背を向けて生きるとき、
人は暗闇の中に生き、
暗闇の行いにふける。
抜け出したくても
自分の力ではどうしようもない
泥沼に落ち込んでいく。
そして自分を傷つける。
行き着くところは破滅。

罪っていうのは、
これをした、
あれをしたということ以上に、
神さまから離れている状態のことを言う。

罪の中にある幸せや満足は、
全部見せかけで、偽物、一時的なもの。
最後に残るのはむなしさと孤独と
深い落ち込み。

人は神さまとの交わりの中に生きるときに、
本当の幸せと満足を得る。
そのように創られているから。

神さまの愛を受けとって、
神さまの愛に憩う時に、
人は本来の人間性を取り戻す。
その人の個性が豊かに現れる。

だけどこの罪は、
人間の力ではどうにもできない。
どんなに封じ込めようとしても無理。
一人で戦ってもいつも完敗。
一時的に勝つことはあっても、
気が付けば元の木阿弥…。

だから神さまは、
イエス・キリストを私たちに送ってくれた。
人間の罪をその身に負って、
罪の代価を支払ってくださった。
最近「十字架の贖罪」を
言わない「キリスト教」が、あるらしい。
そんなキリスト教いらんわ。

そして死んでよみがえられたイエスさまは、
完全に私の味方になった。
そしていっしょに罪と戦ってくれる。
罪は私とイエスさまの共通の敵。
罪は人を傷つける。
イエスさまは傷く私を見たくない。
だから、いっしょに戦ってくれる。

イエスさまがいっしょなら、
絶対に負けない。
どんな罪も克服できる。

問題は、
イエスさまを受け取ったのに、
まだ一人で罪と戦っていること。
イエスさまの手を借りないで
自分で何とか克服しようとしていること。

それと、
自分がまだ罪の側にいるって思っていること。
神さまは罪ある自分に苛立っている、
罪ある自分を拒絶していて、
怒っていると思っていること。

違う。
神さまは、
イエスさまは、
私の味方。
罪はあっち側。

罪に引き込まれそうになったときには、
すぐに、
すぐにイエスさまを呼ぶこと。
いっしょに戦って~!って、

そしたら、
イエスさまが私の前に立ってくれて、
罪と戦ってくれる。
本当に。

やってみて、ね♪
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

成功の追求 「違った生き方!」

2023-06-27 20:31:58 | 信仰 聖書
成功の追求 「違った生き方!」

イエス様を信じると決めた時に、
新しい人生が始まったと思いました。
全く新しい人生。
もう自分の幸せのために、
自分の満足のために生きるというのではなくて、
神様が与えてくれた人生を
イエス様の力とともに
イエス様の福音といっしょに生きていって、
神様さまのためにその人生を
生きていくっていうふうに変わったと思いました。

私の今までの生き方は、
自分のやったことに関して
そこにアイデンティティを持っていました。
 だから、その自分のしたことが
他の人から評価されること、
他の人から価値をもらうことが、
私の今までの人生の生き方でした。
でも、福音を信じてから、
イエス・キリストの福音を信じてから、
 私がすることではなくて、
イエス様がもうすでに
十字架の上でしてくださったことが、
私のアイデンティティになりました。

だから、イエス様が、私を通して
成し遂げてくださったこと、
私のために罪をゆるしてくれて、
復活を通して私にいのちを与えてくださったこと、
それが私の生きる意味となりました。

だから、神様が私をどう見てくださっているか、
神様がどれだけ私を愛してくれているかということが、
私のアイデンティティになったので、
もうそんなに、必死に、無理をして
がんばる必要がなくなりました。

今はすごく、
どんなことをやっていても本当に、
自分のためにがんばるのではなく、
他の人のためとか、
神様のためにがんばることができるので、
神様の栄光のためにがんばることができるので、
もう、その辛さとか、
苦しさというものはなっくなったと思います。
平安があります。


あんまりよかったので、
思わず、文字起こしをしてしまった。

クリスチャンが、
「福音に生きる」というのは、
どういうことなのか…というのが
私のテーマだし、
うちの教会のテーマなので、
うんうん、そういうことだよねと、
感動をもって、
心から同意します!!

感謝主!!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新約聖書を読む

2023-04-04 08:29:13 | 信仰 聖書
きた~~!!
第一回悲しむ人は幸いである

聖書が取り上げられるのは2回目らしい。
前はコヘレトの書(伝道者の書)で、
かなり反響があったみたいよ。

指南役は、若松英輔(批評家・随筆家)さん。
いわゆる福音派の私たちとは、
聖書の読み方が違うんだけど、
でも、イエスさまに好意的で、
イエスさまは神なのに、
上からではなく、
いつも民衆に寄り添っていた…など、
嬉しそうにイエスさまを紹介してくれてよかった♪
クリスチャンではなくても、
十分読む価値があると薦めていたのもいいね👍

1年ぐらい前から、
私が教会に一日いるときには、
ギデオン聖書(主に新約聖書 英和対訳)のバックナンバーを
「ご自由にお持ちください」
と書いて、置いてきたんだけど、
2日に一冊ずつ…って感じで、
持ち帰ってくれる人がいます。

今まで特定の宗教の聖典だから
関係ないと思っていた人も
足を止めて、
持ち帰ってくれるといいな~。

感謝主♪
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小さな死

2023-03-21 17:56:03 | 信仰 聖書

YouTubeで「心のともしび」というシリーズがあって、その中の渡辺和子氏の「キリストの香り」シリーズが好きで、何度も聞き返しています。その中の「小さな死」の抜粋です。


 私が修道院に入りました時に目上の方に、「私はイエスのように十字架の上で死ぬ覚悟ができています」と生意気に申し上げました時に、目上の方が「いいえ、これからのあなたの十字架は、毎日毎日針の先でチクチク刺されるような、そういう痛みを笑顔で受けることなのですよ。決して華々しい死ではなくて、本当に人知れず、人知れず自分が受ける小さな苦しみを人に悟られることとなく受けていくこと」と、おっしゃってくださいました。
そして、修道院に入りましてから今50年経っておりますが、私は、日本語ではちょっとおかしな言葉かもしれませんけども、「小さな死」という言葉を自分の一つのモットーにしております。
 それは、人は誰しも迎えなければならない「大きな死」のリハーサル、それを毎日繰り返すということです。リハーサルをすればするほど本番が落ち着いてパフォームすることができるように、毎日の生活の中で「小さな死」を事あるごとに繰り返すことによって、しかも美しく繰り返していくことによって、もしかしたら大きな死を、心静かに美しく迎えることができるかもしれないと思います。わかりませんけれども、自分の毎日の体の不調とか、むつかしい人間関係とか、どうしても人様に話さなければいけない嫌なこととか、腹が立つこと、たくさんそういうことがございますけれども、そういうことを一つ一つ逃げないで自分らしく受け止めていく。
 そしてもう一つ大切なのは、頭で「小さな死」を遂げるのではなくて、口の中で「小さな死」と、人に聴こえないようにつぶやくことなんです。これはわたしが経験して習いました。頭だけで、心だけで思っているだけでは駄目なんですね。やっぱり自分の口で「小さな死」とつぶやく。そうすることによって何か「小さな死」を意味あるものに変えることができると思います。つまり私たちは人に殺されるのではなくて、自分が主体性をもって死ぬんです。しかも、それは意味のある死に変えることができるんだと思います。


今年の受難節の私のテーマは、
この「小さな死」です。

「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。」(マタイ16:24)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

羽仁もと子氏②

2022-12-22 09:33:24 | 信仰 聖書
羽仁もと子は恵まれた環境に生まれ、
類まれな才能を持つ
特別な人だと思っていたけれど、
それだけじゃない。

彼女には大きな挫折が3回あった。
1つは、受験の失敗。
師範学校が女高師に昇格するということで
3人の級友といっしょに入学試験を受けるが、
もと子だけ不合格となる。
それで、明治女学校高等科に入学することになったらしい。

もう一つは離婚。
もと子は明治女学校の校風が合わなかったのか、
二回目の帰省を機に学校には戻らず、
そのまま故郷(青森・八戸)で小学校の先生になり、
その後盛岡カトリック女学院で教える。
そして、その時出会った男性と結婚するが、
なんと半年で破局、離婚。
離婚後、失意のうちに再び上京。
家政婦になる。
ところが家政婦として住み込んだその家が
なんと吉岡弥生氏(東京女子医科大学創設者)の家!
(これ、絶対神さまの導きね!)
こうしてもと子の才覚を見抜いた吉岡氏に励まされ、
再び社会でチャンスを得、
報知新聞社に入り、
女性としてはじめての新聞記者となる。

そして3つ目の挫折は、
次女(涼子)を肺炎で2歳で天に送ったこと。
その時彼女はこう語っている。
「地上の愛児は、最も多くの地の上のことを教え、死せる愛児は一筋に天のこと、霊のことを教えてくれる」
「涼子と共にあった日が、日一日と遠くなるのは、またやがて天国において、涼子との再会の日の一日と近くなるのである。私たちはどうしても天国を得なくてはならない」

これらが、彼女の人生での
大きな3つの挫折。

そうそう、彼女が信仰を持ったきっかけも
紹介しましょう。
16歳、もと子は祖父とともに上京、
新設の東京府立第一高女に入学するが、
1年後の17歳のとき、
 同級生の冷笑の中、
食前の祈りをする同級生に感心し、
彼女といっしょに築地明石町教会に通うようになり、
間もなく洗礼を受けたという。

彼女を導いたお友だちの名前は
わからないけれど、
こんなこともあるのだと。

燭台を升の下ではなく、
テーブルの上に置くだけで、
つまり信仰を恥じず、隠さず、公にするだけで、
主はそれを喜んでくださり、
人の救いに用いてくださるのだと
思わされたことでした。

以上!
現実逃避終わり。
クリスマスイブ礼拝と、
クリスマス礼拝のメッセージの準備に戻ります!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これって奇蹟?

2022-12-02 13:18:46 | 信仰 聖書
先週の金曜日の夜に、
教会の一人の方からお電話があって、
ご主人が、発熱と腹痛で、
救急搬送されたとのことでした。
ご夫妻ともクリスチャンです。

私は金、土曜日と、
『問題解決』オンラインセミナーがあったので、
電話を取ったのは53氏。
動揺する彼女と電話口でお祈りをしたとのこと。
セミナーが終わって、
私もすぐに彼女に電話をして、
ご主人の状態を教えてもらいました。

熱は38.4℃。
激しい腹痛があるとのことでした。
すぐに検査が行われたのですが、
どうやら急性膵炎らしい。
炎症がまわりの臓器にも広がり、
大変重症だということでした。

若い人なら、1、2週間の入院治療で
よくなるのですが、
ご主人は84歳。
しかも重症ですから、
長い入院治療が必要になるから、
覚悟するようにと
医者に言われたということでした。

私も電話を切ってネットで調べたのですが、
やはりこの急性膵炎という病気、
高齢者が罹ると、
しかも重症ということになると、
回復が難しく、致死率も…、
なんてことも書いてあるので、
本当に心配になってしましました。
何をしていても頭を離れず、
祈りつつ過ごして日曜日を迎えたのでした。

礼拝の報告の時に、
姉妹がご主人の状態と経過を報告し、
その場で、皆さんと心を合わせて祈りました。
私が祈ったのですが、
「主よ、あなたの御手を置いて、
悪いところを癒してください。
奇蹟を見せてください!」
と祈ったと思います。

そして今週に入ってから、
ご主人とLINEでやりとりして、
「検査をしています」
などのお返事をいただき、
私からはみことばを送り…、
と連絡を取り合っていたのですが、
木曜日に姉妹から電話がかかってきて、
「主人のことですが…」と。
キター!とうとうか!?
と縁起でもないことを考えてしまったのですが、
姉妹曰く、
「土曜日に退院が決まりました!」と😮 

姉妹が言うには、
今週に入って治療をしようと思い、
検査をしてきたのだけれど、
いくら調べても、
先週末のひどい炎症は全くなく、
すっかり良くなってしまっているので、
医者も驚いているんです…と。

ハレルヤ😄 
神さまが祈りを聞いてくださいました!
奇蹟ですよ、奇蹟!!

というわけで、
教会のみなさんで喜びを分ち合いました!
何だか今年は、
すごいクリスマスになりそうな予感!

感謝主!!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アドベント

2022-11-28 11:10:41 | 信仰 聖書
気がついたら、もうアドベント(待降節)です。
アドベントは「到来」「到着」という意味のラテン語で、
クリスマス前の4回の日曜日を入れた期間のことです。

そして「アドベンチャー」という言葉は、
このアドベントから来てるんだって。

神が大きなリスクを冒して、
人となって地上に生まれてくださった。
まさにアドベンチャー!

昨日は、創世記3章15節から説教しました。
「原福音」、「はじめの福音」と呼ばれるところです。
人は罪を犯して神に背を向けた。
けれども神さまは、
罪を犯した人間に背を向けなかった。
神の目を避けて隠れる人に、
「どこにいるのか?」と呼びかけられる主。
そしてすぐに福音を語る。
それが3章15節。

よく、人は罪を犯したから、
神との間に断絶が生まれたと言われるけど、
神の側には断絶なんてない。
神からは、絶え間ないラブコール。
人が神から隠れても、逃げても、
神の愛は追ってくるのです!
何か説教の準備しながら泣いたよ😭

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祈り

2022-08-17 11:37:57 | 信仰 聖書
私の祈りは、

自分の思い、
願い、
心の葛藤、
傷、
悲しみ、
感謝、
そういうものを、
「父よ」
と呼びかけて、
ひとつひとつ、
父の膝に置いていく作業。

このことは、自分じゃ処理しきれないからよろしくと、
父の膝に置く。
この重荷は負いきれないからよろしく、
父の膝に置く。
痛み、悲しみで心折れそうだからよろしく、
父の膝に置く。
病いのあの人のこと、
あの人との関係、
為すべき多くのこと、
全部父の膝に置いていく。
一つ一つ。

そうすると祈り終わったあと、
心が軽くなる。
天の父がきっと最善をなしてくださる。

「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ人への手紙4:6~7)新改訳2017
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宗教

2022-08-16 11:29:41 | 信仰 聖書
「父である神の御前できよく汚れのない宗教とは、孤児ややもめたちが困っているときに世話をし、この世の汚れに染まらないよう自分を守ることです。」
(ヤコブの手紙1章27節)

旧統一教会の問題が注目され、
「だから宗教は…」という言い方を、
あちこちで見聞きするようになってきました。

「宗教」じゃなくて、「カルト」でしょ!?
とひとりつっこみ。

伝統的な宗教は区別してほしい。
一般の人がいう「宗教」には、
仏教や神道は入ってるのかね…と、
今更ながら日本人の宗教オンチにため息。

そんな時に上の聖書の言葉が。
ホントだよな~。
本物の宗教は、
社会的弱者に仕えるものでなくては。
そして、お金のことはいつも透明かつクリーンに。
各種ハラスメントにも注意。

本来、今の時代ほど、
宗教が必要とされている時代はないでしょ。
価値観の混乱。
社会的モラルの乱れ。
みんな心のよりどころを求めている。

伝統的な宗教がその求めに応えないと、
ますますカルトがはびこり、
怪しげなスピリチュアルや占いに、
人々がはまっていく。

伝統的な宗教、
がんばろうや…(^^)/
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする