8月に琉大附属病院で2泊3日の入院、9月になって国立沖縄病院に入院、これは今も続いていて、既に1ヶ月余りとなっている。これらの入院生活で私の初体験となったものがいくつもある。そもそもが入院の大元の舌癌も初体験だが、それは置いといて、
社会人となって約40年、自身の健康管理も自己責任であると解ってはいるが、この40年、私は役所が主催する定期検診や、職場が提供する健康診断などには全く参加せず、「人間、放って置いても生きようとする。天が定めた寿命までは生きようとする。誰でも死ぬときは死ぬ。その時が寿命だと思えばいい。譬え途中で事件、事故、天変地異などで思わぬ邪魔が入ったとしても、それはそれでまた、「人生はドラマである。ハプニングは付きもの」と思って、「軽く口笛でも吹きながらやり過ごしたら良い」という考え。
検診も行かない私は、そもそも自らの健康のために病院へ行くことも滅多にない。小学校高学年の時、交通事故に会って左腕を骨折し、約3ヶ月の間、入院した経験がある。勉強しなくていい幸せな3ヶ月だった、入院はそれ以来約40年ぶりのこと。
入院とまではいかないが、病院で何らかの治療を受けた経験は、歯科医を除けばこの40年間で、私が覚えている限りで言えば、背中の脂肪腫の切除、膝関節炎で両膝に溜まった水を抜く手術、これらはどれも1~2時間、あるいは半日で終えて、日帰り。
「俺は病院とは縁の無い男だぜ!」と、咥えタバコの煙に目を細めながらニヤッと笑うニヒルな男、そんな男になりたいと日頃から思っていた・・・のだが、天は、そんな傲慢な男に「人生をそう甘く見るなよ」と罰を与えたのかもしれない。
それはともかく、今回は初体験の話。
もう既に8月の琉大病院に入院している時に初体験を済ませていることがある。それを先に書いておくと、点滴、CTスキャンとかの放射線使用の医療機器数種、車椅子などが初体験。若い女性(看護師)に股間を洗ってもらったのも初体験
そして、よく知らないが、飲んだ薬、打った注射にも初体験は多くあっただろう。薬の中でも特に印象に強いのは降圧剤。10月17日から、私もついに降圧剤を飲むようになった。畑やっている頃は140程度だった私の血圧、腰痛を患ってから160台となり、舌癌を患ってからは180を超えることもあった。それでも飲まなかった降圧剤。
降圧剤は一旦飲み始めるとずっと飲み続けなければならない、という友人たちの噂を信じ、「降圧剤が無ければ生きていけないということか?それは面倒だな」と思った。
2週間ほど前から足がむくんでいる、むくみも初体験。2週間経ってもむくみは一向に改善しない、悪くなる一方。むくみはついに膝を超え、太ももの裏にまで進出。
むくんでいる所を触ったり、擦ったりすると、皮膚と筋肉(または骨)の間に異物が存在していることに気付く。硬めのパン生地ほどの弾力のあるものが詰められて、これがあるために、皮膚を押してもすぐには元に戻らず、へこんだクレーターはしばらくへこんだままとなる。これがあるために、足首が自由に動かない。時々痛みも出る。これがあるために、足が重たい。歩くのに少々鬱陶しい。生きるのに不都合。今のところ、医者が「放って置いても治る」と言っているので放ってある。どうなるやら、お楽しみ。
記:2019.10.28 島乃ガジ丸