ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

動けざるもの山のごとし

2009年01月16日 | 通信-政治・経済

 12月の中頃からトイレ兼風呂場にアリが目立ち始めた。普通のクロアリ。そこは、シャワーを浴びている時は確かに暖かいかもしれないが、窓開けっ放しなので、普段は外気温とほぼ同じだ。変温動物のアリが寒くなってから何で?
 数年前、職場のトイレ、便器の周りにアリが群れていた。同僚によると、「誰か糖尿病の人がいる。アリは糖の混じった小便を狙っている。」とのことであった。
 そのことを思い出して、「あっ、俺が糖尿か!」と一瞬、愕然とする。しかし、最近、甘いものを食べる機会が増えたとはいえ、それでも、一般に比べると、私の糖分摂取量は少ないと思う。それに、よく見ると、トイレのアリたちは小便が激しく飛び散っている便器の周りにはほとんどいない。どうやら、糖尿病は思い過ごしのようだ。

 南国とはいえ、いちおう沖縄も冬である。12月、1月の寒い日は最低気温14度、15度くらいになる。そんな気温では変温動物のアリは活動しにくいのであろう。トイレ兼風呂場のアリたちは、たいてい動きがのろいか、あるいは止まっている。
  そんなアリたちを、最初の頃は片っ端から殺していた。武器は自作のコーレーグス。コーレーグスとはウチナーグチ(沖縄口)でシマトウガラシのこと。またはシマトウガラシを泡盛に漬けた調味料をさす。今回の場合は後者。アリたちは動きが鈍いので、殺戮はいとも簡単。彼らは居た場所からほとんど動かないまま、静かに衝天していく。
 殺したアリを水で流して、きれいにする。ところが、翌日にはまた1匹、2匹と、どこからか湧き出てきて、数日後には元と同じ位の数になる。増えたところで、再びコーレーグスをかける。12月の2週間ほどで5、60匹は殺したかもしれない。
          

 私がアリの大量殺戮をやっている頃、派遣社員が解雇されて、住む場所も追われて、ホームレス状態になる者が多く出ているというニュースがあった。この寒空に野宿はきつかろうと同情する。厳しい寒さの中で寝て、そのまま動けなくなるかもしれない。
 「あっ!」と思う。「俺は何してるんだろう。」と思う。私が殺しているアリたちは寒さに凍えて固まっているのだ。「外は寒いよー、部屋の中までは行かないからさあ、トイレにはいさせてくれよー。」と思っているかもしれないのだ。彼らはそこにいるだけだ。私に害を与えてはいない。何で殺す必要がある?・・・ということで、以降、アリたちを殺さないことにした。もう既に、だいぶ数の減ったアリだが、今は自由にさせている。

 ホームレス状態の人を見て、アリにも情けをかけるようになった私だが、もちろん、人とアリとを同等視しているわけでは無い。アリは野生の掟の下で生きている。踏み潰されたり、凍え死んだりはその掟に違反しない。だが、人間は違う。理性的、良心的な法の下で生きている。例えば日本国民は、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を憲法によって保障されている。そうはなりたくないのに、社会の仕組みの歪みによって、否応無くホームレスになっている人がいたとしたら、それは政治の怠慢だ。政治の怠慢が、働きたくても働けない人を増やし、国や国民を痩せさせていく。

 私が思う国力とは、喧嘩が強い、つまり、軍事力が強いということでは無く、また、金持ちであるということでも無い。国力とは、国民一人一人の生きる力の総合だと思う。生きる力とは、生活できる力だ。働いて、結婚して、子供を育てることのできる力だ。
 動けざるもの山の如しとなってしまえば、国力の衰退は間違いない。頑張れ!政治。

 記:2008.1.16 島乃ガジ丸


瓦版079 戦い続けるネコ

2009年01月09日 | ユクレー瓦版

 いつものユクレー屋、いつものカウンター、マナはもう元気に動き回れるのだが、母屋の赤ちゃんの傍にいる。ユイ姉がケダマンと私の相手をしてくれている。
 「あめぇよー、区別つくか?赤ん坊の?」とケダマンが私に訊く。
 「区別って、双子だからね。よく似てるよね。」
 「双子と言っても男と女だ。見た目に違いがあると思うんだが、どっちが男だか女だかさっぱりだぜ。股間を見なけりゃあ判らない。」
 「そりゃあ、生まれたばっかりだからね。そのうち違いが出てくるさ。」(ユイ)
 「ガジ丸は、そういえば、区別できるって言ってたな。」(私)
 「ほう、父親のジラースーにもできないことがガジ丸にできるか。」(ケダ)
 「何故だか知らないが、そう言ってたよ。」(私)

 その何故を、夜、ガジ丸が来た時に訊いた。
 「オーラに違いがあるんだ。男と女では。」とのこと。

 ガジ丸一行のうち、ガジ丸はすぐに我々のいるカウンターに座ったが、後の勝さん、新さん、太郎さん、そして、これは当然なのだが、ジラースーたちは酒の前に母屋を訪ね、赤ちゃんとマナのご機嫌伺い。少し経って、勝さん、新さん、太郎さんは店に戻ってきたが、ジラースーは、やはりというか、なかなか戻ってこなかった。
 「いやー、区別つかないねぇ、よく似ているよ。」と三人もケダと同じ感想。

 しばらく酒を飲み交わし、ユンタク(おしゃべり)した後、ガジ丸がピアノを弾き、歌った。先週は赤ちゃんの誕生を祝う唄、『交差点の挨拶』を歌ったが、今日はまた、違う唄だ。『交差点の挨拶』も新作だったが、今回も新作、題は『古い猫は旅に出る』。
 「最近、量産だね。制作意欲が旺盛なんだな。」(私)
 「あー、年末に俺の昔話をしただろ、それで閃いて、できた。まあ、これは、言うなれば、俺のテーマ曲だな。サブタイトルに『ガジ丸の唄』としてもいいな。」
 で、思い出した。年末にガジ丸が語ったガジ丸の思い出話。以下に要約。

 俺は元々、生まれた場所も親の顔もはっきり覚えていない野良猫だった。気が付くと、大きなガジュマルの木の、根元に空いていた穴の中にいた。しばらくはそこをねぐらにして、辺りにある食えそうなものを手当たりしだい食って、生きていた。
 ある日、いつもより少し遠くまで散歩に出た。雨が降ってきたので雨宿りをした。小さなアパートの軒先だ。そこで俺は親切な女の子に出会ったのだ。
 女の子は俺を家に上げてくれ、牛乳をくれた。その日から俺は半野良半飼いの生活となった。概ね自由に動け、女の子の家に行けば餌が貰えた。彼女は俺のためにキャットフードまで常備していた。俺の生活はすごく楽になった。
 そのお返しに、俺は彼女と彼女の家を守った。元々運動能力が高く、生まれてから数年は野性として生きていたので俺は強かった。座敷犬など俺の敵では無かったし、大きな犬でも互角に対峙でき、向こうも敢えて戦いを挑まなかった。俺は彼女に吠え掛かる犬を睨みつけて黙らせた。彼女の家にはネズミもゴキブリも近寄らせることは無かった。
  しかし、それから時が経つにつれて、俺は野良であることをしだいに忘れていった。女の子の家にほぼ居つくようになった。餌が与えられる楽に浸りきってしまった。怠惰な生活は、ネズミを追うことも忘れさせた。高くジャンプする力も失われていった。
 そんなある日、サバ事件が起きた。台所にあったサバを俺は欲望に駆られ、つい齧ってしまった。サバ一匹くらい俺が食ったってどうってこと無いだろうとは思ったが、女の子が叱られて泣いているのを見て、俺は胸が苦しくなった。ネズミ一匹捕まえられない俺にずっと優しくしてくれた女の子を泣かせてしまった。ひどく後悔した。
 で、その日のうちに、俺はその家から離れ、長い旅に出ることになった。
     

 以上がガジ丸の話。その後、あんなことこんなこといろいろあった旅が永遠と続いて、いつかしらマジムンになったとのこと。あんなことこんなこといろいろについては、私も興味があるので、いずれ聞かせてもらおうと思っている。

 記:ゑんちゅ小僧 2009.1.9 →音楽(古い猫は旅に出る)


パートナーの必要

2009年01月09日 | 通信-その他・雑感

 「今年は畑仕事を頑張るぞ」と一年の計を立てたが、他の事も頑張らないと畑仕事も頑張れないのだ、ということに気付いた。頑張って家事をし、頑張って記事書きもし、頑張ってその他諸々のことを手早く片付けないと、畑仕事の時間が作れないのだ。
 ということで、年末年始休みは31日から4日までの5日間であったが、その内最初の4日間は掃除、畑仕事、HPの記事書き、調べ物、父のためのパソコン講座プログラム作りなどに頑張った。「昼間からテレビを観ながらのんびり酒を飲む」は全く無し。
 「忙しく働くのは、少なくとも私の生き方では無い。」ということにも気付いてはいたので、「正月最後の休みの日くらいはのんびりしよう。」と決めていた。3日の夜、弟と飲み屋で飲んで、実家でも飲んで、その後、スーパーで明日のための肴を買って、11時前には家に着いて、「明日は昼間から酒だ!」と、幸せに眠る。

 翌朝、「ほら見たことか、身の程知らずに頑張った報いだぜ。」となっていた。風邪を引いていた。時間が経つにつれて、しだいに本格的風邪の症状となる。症状が重くならないようにするには引き始めが肝心、ということで、昼間からの酒は中止。この日の朝から禁煙となり、この日の夜、泡盛のお湯割を2杯飲んだ後は禁酒となる。
 月曜日、仕事始め、養生したのが功を奏して、喉の痛みも無く、鼻水も止まっている。ちょっと熱っぽさは残っているが、仕事はできる。で、出勤する。ところが、職場は暖房が無く、風邪の体には寒い。背中がゾクゾクしたかと思うと、くしゃみが出て、後は鼻水が洪水状態となる。午前中で早引きして、家に帰って養生。
 薬飲まない、病院行かない、注射打たないが、私はもう10年以上も続いている。私の部屋にはヘルペス用の塗り薬とバンドエード以外に医薬品は無い。サプリメントでさえ置いていない。病気の治療は、私の体の自然治癒力に任せている。
 火曜日、自然治癒力は概ねのんびりしている。前日の午後からひたすら寝たのにもかかわらず、症状はほとんど変わらない。よって、会社に電話し、欠勤する。

 子供の頃風邪を引いた時、母がお粥とカツーユー(鰹湯)を作ってくれた。熱々のお粥とカツーユーで体が温まって、そのまま寝ると大量の汗をかき、汗がひいたら風邪が治っていた。で、私も風邪を引くとたいていそうしている。
 去年は風邪を引いていない。一昨年は引いたかもしれないがよく覚えていない。ということで、前回はどうだったか忘れたが、今回、ひとつ気付いたことがある。お粥とカツーユーを摂った後、食器を洗ったりしている間に体が冷えたのだ。なので、食べた後に寝ても汗をたっぷりかかない。たっぷりかかないので、風邪も治らない。
  母はお粥とカツーユーを蒲団の上で食べさせてくれた。で、体が暖かいうちに寝ることができた。もしも私に、私のことを思ってくれるパートナーがいて、風邪の体を労わってくれたならば、私のためにお粥とカツーユーを作ってくれ、蒲団の上で食べさせてくれたかもしれない。そしたら、私の風邪は火曜日には治っていたかもしれない。
 ということで、私は貧乏だが、また、たっぷりオジサンでもあるが、今年はパートナーを募集してみようかと思う。優しいパートナーは、お金や年齢を問題にしないかもしれないのだ。ん?じゃあ、問題は何だ?性格か?・・・ならば、諦めるが。
          
          

 記:2009.1.9 島乃ガジ丸


瓦版078 元旦の双子誕生

2009年01月02日 | ユクレー瓦版

 予定日の30日になってもマナに陣痛は来なかった。
 明けて大晦日、一昨日から島にいるジラースーは表向き平静を装っているが、内心はソワソワしているに違いない。私やケダマンが声をかけても気付かなかったりする。

 今日はユクレー屋の大掃除だ。マナはもちろんのこと、ウフオバー、ユイ姉、ユーナ、マミナ先生、助産婦さんら女性陣はみな母屋でのんびりユンタク(おしゃべり)しているので、掃除担当はケダマンと私だけ、の予定だったが、ジラースーにも手伝って貰った。どうせ落ち着かないなら、掃除でもやって気を紛らわして貰おうってこと。

 掃除の最中、昼前に助産婦さんが店に来て、ジーラースーに声をかけた。私やケダマンの声には気付かないジラースーも助産婦さんの声には即座に反応する。
 「なんだ、出たか?出るか?出そうか?」と、いつになく早口の質問。
 「そうだね、もうそろそろだよ。今夜遅くか明日の朝には出てくるよ。」と、助産婦さんはニコッと笑って答える。その言葉にジラースーはホッとした顔になる。
 「よろしく頼むよ。こんな時、男は何の役にも立たねぇ。」
 確かに、男は役に立たない。じっと待つしかない。

 さて、掃除は、3人で頑張って、夕方にはいちおう終える。きれいになったカウンターだがしかし、やがてすぐに散らかる運命だ。アルコールタイムとなった。大晦日の夜、年明けを待ちながら、新しい命の誕生を待ちながらの、ワクワクの酒である。
 ユイ姉もユーナもまだ母屋から出てこないので、セルフサービスだ。ケダマンと私はジョッキにビールを注ぎ、カウンターに腰掛け、労働の後のビールを味わう。しかし、ジラースーは、落ち着いて酒を飲む心境に無いのか、ビールを注ごうともしない。
 「ビール、注いでやろうか?今夜遅くって言ってたから、ビールの2、3杯、泡盛の何杯かは飲む時間があると思うよ。」と訊くと、
 「あー、そうだな。・・・いや、ちょっと散歩してくるわ。ケータイ持っているから、何かあったら電話してくれ。」と言って、彼は出て行った。酒を飲むより散歩の方が落ち着くのかもしれない。そして、それと入れ替わるようにしてガジ丸が来た。
 「そこで、ジラースーと会ったよ。今夜遅くなんだってな、予定は。」
 「遅くとも明日の朝なんだってさ。」(私)
 「シバイサー博士はどうしてるんだ?来ないのか?」(ケダ)
 「あのオッサン、人間の子供が産まれるなんてことには興味が無いだろう。まあ、普通に、新年を祝うために遅くなってから来るかもしれん。」(ガジ)
 というわけで、ここからマジムン3匹の大晦日の酒となった。酒の肴はいくつか、既にユイ姉が準備している。楽しみを待ちながら、幸せな時間が流れていった。

 年明け1時間ほど前になってジラースーが帰って来た。シバイサー博士と一緒だった。ジラースーの手には網の袋があり、その中には魚が入っていた。
 「釣をしてたのか?」(ケダ)
 「あー、チン(クロダイ)を釣ってきた。」
 「それで、博士を誘ったってわけか?」(ケダ)
 「違うだろ、尾頭付きで子供の誕生を祝うってことだよ。」(私)
 「まあ、そういうことだ。」
 「いや、私は、その魚に釣られて来たんだが、今、食えないのか?」(博士)
 「博士、悪い、これは後のお楽しみだ。」と言って、ジラースーは台所へ行き、チンを捌き始めた。チンは5尾もあり、どれも大ぶりのものであった。短い時間で5尾を釣る。釣ってやるぞというジラースーの気合がいかに強かったかが窺い知れる。

 台所のジラースーは除いて、4匹となったマジムンたちは酒を大いに楽しんだ。年が明けるちょっと前になって、マミナ、ユイ姉、ユーナの3人が母屋からやってきた。
 「朝になりそうなんだってさ。マナとオバーと助産婦さんは朝に備えて就寝中。」とのこと。3人は我々と一緒に年越しソバを食い、年明けを祝った。
 女3人が母屋に戻り、ジラースーが座敷で仮眠に就く。シバイサー博士もいつものようにトロトロと半分寝ている。マジムン3匹はしかし、飲み続ける。そして、夜明け頃。ユーナがジラースーを起こしに来た。「もうすぐだよ。」

  予定日より2日遅れの1月1日、その早朝、まさに元旦、マナが無事出産した。目出度い正月に、目出度さが重なったわけだが、目出度い出産はまた、Wの喜びであった。双子であった。しかも、男の子と女の子の双子。さらに、母子共に健康だ。

 ジラースーの釣ってきたチンは3尾が尾頭付きの塩焼きにされた。
 「何で3尾?」と訊くと、
 「子供二人とマナの分だ。」
 「だな。子供二人におめでとう。マナにありがとうの意味だな。」(ガジ)
 「じゃあ、何で5尾も釣ってきたの?」
 「ひょっとしたら四つ子かもしれないと思ったからだ。」とのこと。
 塩焼きの3尾もお裾分けに頂いたが、残りの2匹は刺身にしてご馳走となった。さらにもう一つ。この日のために作ったという唄をガジ丸が披露した。良い唄だった。肴に恵まれて、我々の酒は年が明けてからもなお続いた。目出度い正月であった。
     

 記:ゑんちゅ小僧 2009.1.2 →音楽(交差点の挨拶)


素人農夫宣言

2009年01月02日 | 通信-社会・生活

 私の住むアパートには畑が付いている。畑は5つに分けられ、アパートの4世帯と大家のお婆さんが1区画ずつ使えるようにしている。アパートの住人の2世帯は畑に興味が無いらしく、また、大家のお婆さんも足を悪くして、10年ほど前から畑を使っていない。で、5区画のうち、1区画を1階のKさん(Kさんの部屋の前には庭があり、そこも畑にしている)、3区画を私が管理している。残りの1区画は放置されている。

  先日、アパートの畑がどの程度の広さかをちゃんと測ってみた。全体(Kさんの庭の部分を除く)で約30平方メートルあった。1区画は6平方メートルとなる。
 去年は、畑仕事を怠けることが多かったが、今年は、畑を大いに利用しようと決意している。その強い意志を表すため、昨日1月1日午前中、つまり元旦に草抜きをした。午後にも草抜きを続けた。私が管理している3区画のうち、1区画はサクラやクロトンが生えていて、畑としては使っておらず、概ね刈り草置き場としている。そこの草刈を一応表面だけは終える。そこは今後も刈り草置き場とする。1月中には放置されている1区画の除草をし、耕す予定。そして、今年は3区画の畑を活用するつもり。

 今週の日曜日、朝の情報番組「報道2001」で、農業に関する特集をやっていた。世の中には日本の農業について深く考えている人が多くいるようだ。素人の私が考えることなど、まったくあさはかもいいところなんだが、素人なりに考える。

 日本の農地、遊休農地について農水省の2002年のデータがあった。
 日本の農地面積4,670,000ha(国土の12.8%) 遊休農地384,680ha(農地の9.7%)
 沖縄の農地面積40,200ha(県土の17.7%) 遊休農地3,200ha(農地の10.9%)

 これを見て、農地が国土のたった12.8%しか無いのかと先ず驚いた。これではいくら遊休農地を有効活用したとしても、自給率50%でさえ無理に違いない。まあ、しかし、工業立国ということなので、それはとりあえず、しょうがないこととする。
 ただし、ただでさえ少ない農地の、その約1割が遊休農地だというのはいかにも勿体無い。遊休農地の活用については、この国の将来を憂えている玄人の個人や団体が、いろいろ考えているみたいだ。彼らの活動を、国は援助してもいいのではないかと思う。
 あほうたろう総理がとても良い考えだと思い込んでいる定額給付金、それをそっちへ回せないだろうか。それがこの国の将来にとって大いに役立つと思うのだが。

 さて、私は今年、18平方メートルの農夫となる。18平方メートルは0.0018haということになる。遊休農地活用には遥かに遠い猫の額だが、いずれ増やしていくつもり。10年後には3アール(0.03ha)位にしたい。農業従事者として認められるのはだいたい30アールかららしいので、その十分の一。なので、素人農夫宣言。
          

 記:2009.1.2 島乃ガジ丸