12月の中頃からトイレ兼風呂場にアリが目立ち始めた。普通のクロアリ。そこは、シャワーを浴びている時は確かに暖かいかもしれないが、窓開けっ放しなので、普段は外気温とほぼ同じだ。変温動物のアリが寒くなってから何で?
数年前、職場のトイレ、便器の周りにアリが群れていた。同僚によると、「誰か糖尿病の人がいる。アリは糖の混じった小便を狙っている。」とのことであった。
そのことを思い出して、「あっ、俺が糖尿か!」と一瞬、愕然とする。しかし、最近、甘いものを食べる機会が増えたとはいえ、それでも、一般に比べると、私の糖分摂取量は少ないと思う。それに、よく見ると、トイレのアリたちは小便が激しく飛び散っている便器の周りにはほとんどいない。どうやら、糖尿病は思い過ごしのようだ。
南国とはいえ、いちおう沖縄も冬である。12月、1月の寒い日は最低気温14度、15度くらいになる。そんな気温では変温動物のアリは活動しにくいのであろう。トイレ兼風呂場のアリたちは、たいてい動きがのろいか、あるいは止まっている。
そんなアリたちを、最初の頃は片っ端から殺していた。武器は自作のコーレーグス。コーレーグスとはウチナーグチ(沖縄口)でシマトウガラシのこと。またはシマトウガラシを泡盛に漬けた調味料をさす。今回の場合は後者。アリたちは動きが鈍いので、殺戮はいとも簡単。彼らは居た場所からほとんど動かないまま、静かに衝天していく。
殺したアリを水で流して、きれいにする。ところが、翌日にはまた1匹、2匹と、どこからか湧き出てきて、数日後には元と同じ位の数になる。増えたところで、再びコーレーグスをかける。12月の2週間ほどで5、60匹は殺したかもしれない。
私がアリの大量殺戮をやっている頃、派遣社員が解雇されて、住む場所も追われて、ホームレス状態になる者が多く出ているというニュースがあった。この寒空に野宿はきつかろうと同情する。厳しい寒さの中で寝て、そのまま動けなくなるかもしれない。
「あっ!」と思う。「俺は何してるんだろう。」と思う。私が殺しているアリたちは寒さに凍えて固まっているのだ。「外は寒いよー、部屋の中までは行かないからさあ、トイレにはいさせてくれよー。」と思っているかもしれないのだ。彼らはそこにいるだけだ。私に害を与えてはいない。何で殺す必要がある?・・・ということで、以降、アリたちを殺さないことにした。もう既に、だいぶ数の減ったアリだが、今は自由にさせている。
ホームレス状態の人を見て、アリにも情けをかけるようになった私だが、もちろん、人とアリとを同等視しているわけでは無い。アリは野生の掟の下で生きている。踏み潰されたり、凍え死んだりはその掟に違反しない。だが、人間は違う。理性的、良心的な法の下で生きている。例えば日本国民は、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を憲法によって保障されている。そうはなりたくないのに、社会の仕組みの歪みによって、否応無くホームレスになっている人がいたとしたら、それは政治の怠慢だ。政治の怠慢が、働きたくても働けない人を増やし、国や国民を痩せさせていく。
私が思う国力とは、喧嘩が強い、つまり、軍事力が強いということでは無く、また、金持ちであるということでも無い。国力とは、国民一人一人の生きる力の総合だと思う。生きる力とは、生活できる力だ。働いて、結婚して、子供を育てることのできる力だ。
動けざるもの山の如しとなってしまえば、国力の衰退は間違いない。頑張れ!政治。
記:2008.1.16 島乃ガジ丸