ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

オールモスト沖縄

2016年01月29日 | 通信-沖縄関連

 沖縄は年末から雨が多く、年が明けるとさらに雨の日が多くなり、畑仕事が前に進めない。先週土曜日も朝から雨、いつもの事務所でブログ修正作業をしていると、夕方、その事務所の社長であるMさんとその女房(従姉)がやってきた。前日から沖縄も例年通りの冬らしい寒さとなり、この日は観測史上滅多にない冷え込みとなった。さらに小雨が降っていて、こんな日に事務所へやってくるなんて何事?と思っていたら、Mさんは厚手の上着に着替え、さらにその上から合羽を着る。「何するんですか?」と訊いた。
 「選挙は接戦みたいなので、居ても立ってもいられず応援しに、ここから旗振りながら選対事務所まで行こうと思っている。」とのこと。選挙とは宜野湾市長選のこと。翌日が投票日だ。接戦であることはラジオの情報から私も知っていた。Mさんが応援している候補を私も支持はしているが、選挙に関しては何であっても「なるようになるさ」と私はノーテンキに構えているので、冷たい雨の降る中を応援に行くほどの情熱は無い。
 選挙は、Mさんの「風邪引いたって構わない」という情熱的運動も実らない結果となってしまった。普天間基地撤去の気持ちは解るが、だからといって、その危険を辺野古新基地に持って行っていいのか?というのが私の感想で、Mさんも同じ。まあ、選挙はそれだけが争点ではなく、宜野湾にお金が落ちるかどうかっていう問題も大きかったけど。
          
 宜野湾市長選挙の結果に関するスカ官房長官のコメントが、相変わらずスットボケていた。それを聞いて、この人もしかしたら頭悪いのかも、あるいは、なかなか意地悪な心の持ち主かもと思ってしまった。ラジオから聞いただけで、それをメモした訳ではないので正確ではないかもしれないが、「翁長知事の言うオール沖縄がまやかしであることがこれで判明した」といった内容であった。選挙結果から、宜野湾市の2万8千人は辺野古新基地建設に賛成していると判断したのだろうか?沖縄選挙区から出た女性参院議員も同様のことを言っていたらしい。それはもう、同じウチナーンチュとして恥ずかしい。
 翁長知事の言うオール沖縄は、「全ての沖縄人が辺野古新基地に反対である」という意味ではないことは承知のはずである。それを、まるで言葉尻を捉えるみたいに、「ほら見ろ、沖縄の全部が辺野古基地反対ではないじゃないか」といった気分のようだ。「子供かよ!」と思った。頭は悪くない、また、意地悪でも無いのであれば、もしかしたら、沖縄を敵視(蔑視かも)するがあまり正常な判断ができていないのかもしれない。
 
 もしも私が、スカ官房長官にアドバイスできる立場にあったとしたら、
 「少なくとも2万2千人は経済援助の見返りがあったとしても辺野古新基地には反対なんですね、それはしかと受け止めます。ですが、辺野古新基地はどうしても必要です。沖縄の方々には負担になるでしょうが、国全体の為にと理解していただきたい」という謙虚なコメントを勧める。ウチナーンチュの心優しい人々には「なら、しょうがないか」と思う人が増えたかも知れない。心冷たい私はそういう思いにはちっともならないけど。
 もしも私が、知事にアドバイスできる立場にあったとしたら、意地悪野郎に突っ込まれないよう、「オールと言わず、オールモストに言い変えたら良い」と提言したい。
 「俺の言うこと聞けばこれだけやるぜ」と、懐に札束をねじ込むようなことをしなければ、ウチナーンチュのオールモストは辺野古新基地建設に反対だと私は想像する。
          
 記:2016.1.29 島乃ガジ丸


琉歌

2016年01月29日 | 沖縄03音楽芸能・美術工芸・文学

 琉歌(りゅうか)とは、和歌に対応するもので、沖縄の伝統的文芸の一つ。和歌の文字数が5、7、5、7、7であるのに対し、琉歌のそれは8、8、8、6となっており、和歌の文字数のことを三十一(みそひともじ)と言うのに対し、琉歌のそれは三八六(さんぱちろく)と言ったりする。琉歌そのものも独立した文芸の一つであるが、琉球古典音楽において曲に乗せて謡われたり、琉歌が歌詞となっている民謡も多くある。

 実は、私は琉歌のことをあまり知らない。知らないのにここで紹介する。恐れを知らないチャレンジャーなのである。恥を恐れず知らないことを紹介するのは、知らないことを知るということが主たる目的となっている。先日、図書館で少々勉強してきた。
 私の言い訳はともかく、琉歌の有名な歌人としては、これは今回勉強するずっと前、子供の頃から知っていることだが、恩納(ウンナ)なべ(鍋のこと。沖縄語ではナビ、またはナビィと発音する)や吉屋(ユシヤ)つる(鶴のこと。沖縄語ではチル、またはチルゥと発音する)などがいる。恩納は18世紀、吉屋は17世紀の女流歌人。
 恩納ナビの作品の1つも、おぼろげだが覚えている。間違っていると申し訳ないので参考文献の一つ『沖縄大百科事典』の力を借りる。
 
 恩納岳(ウンナダキ)彼方(アガタ) 里(サトゥ)が生まり島
 森(ムイ)ん押(ウ)し退(ヌ)きてぃ 此方(クガタ)為さな

 里とは恋人(男)を指す。それだけ説明すればウチナーグチ(沖縄語)を知らなくともあとは想像できると思う。恋人への愛を情熱的に詠ったもの。

 古典音楽では、和文化の影響を受けて7、5調のものも多くあるが、結婚式でよく踊られる「かじゃで風」は琉歌となっている。古典に関してはほとんど記憶していないが、民謡なら覚えているものも多い。例えば「白浜節」や「汗水節」。
 我や白浜ぬ 枯松がやゆら 春風や吹ちん 花や咲かん
 汗水ゆ流ち 働ちゅる人ぬ 心嬉しさや 他ぬ知ゆみ
わらべ唄も三八六となっている。例えば「てぃんさぐぬ花」や「赤田首里殿内」。
 てぃんさぐぬ花や 爪先に染みてぃ 親ぬ由し事や 肝に染みり 
 赤田首里殿内 黄金灯篭下ぎてぃ 之が灯がりば 弥勒御迎ぇ

 図書館に行くと、琉歌に関する本は多くあった。学問として深く研究したような分厚い本もあった。それらを参考にすれば、もっと詳しく述べられると思うが、私の衰えた脳味噌には荷が重過ぎて断念。ということで、以上の大雑把な説明で終えたい。
     
     

 ついでに、最近覚えた琉歌が一つある。ラジオから聞こえてきたものだが、「これだ、これなら言い訳になる」と何度も復唱して記憶した。何の言い訳かと言うと、「真面目だねぇ」、「そんな真面目に生きて何が楽しいの?」と女性から問われた時の言い訳。

 浮世(ウチユ)ナダヤシク 渡(ワタ)イブサアリバ
 誠(マクトゥ)ユイ他(フカ)ヌ 道ヤ踏ムナ

 浮世は「世の中」、ナダヤシクは「穏やかに」、ワタイブサアリバのブサは「~たい」と希望を表す接尾語、アリバは「あれば」で「渡りたいのであれば」となる。ユイは「~より」で、全体を訳せば、
 世間を穏やかに渡っていきたいのであれば
 誠の道以外の道を踏んではならない
ということになる。これです、私の言い訳は。真面目に生きていれば楽なのだ。

 記:2016.2.25 ガジ丸 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行