ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

サムライは怒鳴らない

2013年08月30日 | 通信-社会・生活

 時事問題について私はあまり書いていないが、テレビを観ないし、新聞も読まないので情報が足りないという理由による。情報が全く無いというわけでは無い。ラジオのニュースは毎日聴いている。円安株高、公共料金値上げ、参院選自民圧勝などのことも知っているし、沖縄関連では東村高江の伊佐真次さんが有罪判決、最高裁上告ということも知っていて、それらについて感想もある。あるけれど、発表できる程の感想では無い。
 ただ、最近のニュースで特に感慨を持った事が一つある。ネットのニュースで福島第二原発の吉田所長が亡くなったということを知った。二ヶ月ほど前のことらしい。
 大震災、原発事故のあった当時は家にテレビがあり、私もテレビのニュースをよく観ていた。原発事故で、現場で命懸けで闘っていた東京電力の作業員たちには「すげぇ」と感動した。中でも陣頭指揮をとっていた吉田所長は立派だと思った。
 ネットのニュースで吉田所長が亡くなったと知って、そのあとすぐに、ネット上で彼についての記事をいくつか読んだ。やはり立派な人であった。「サムライだな、口先ばっかりの政治家たちに、その爪の垢を煎じて飲ませてやればいいのに」と感想を持った。

  「サムライ」という言葉を私は時々使っている。前々回のガジ丸通信『想い出したくないこともある』でも「自決を覚悟した女学生たちに「生き延びるんだ」と諭して、自らは特攻していったサムライもいたらしい」と書いている。「弱きを助け、正義に生き、優しく、勇気があり、潔い」などといった意味を、私はサムライの定義に含ませている。ただし、広辞苑によると、侍は身分の一種で、そのような意味は含まれていない。
 でもいつからか、私の場合はたぶんテレビドラマ『水戸黄門』の助さん格さんのような侍を見てからそうイメージするようになったのだと思う。サムライのイメージにはもう一種ある。滅私、去私、犠牲的精神とかいったようなもの。自分のためじゃ無く、皆の幸せのために生き抜く。私とは縁遠い精神。吉田所長にはそれがあったと思う。

 2年半前のテレビで観た限りの印象だが、吉田所長は静かに仕事をこなす人、思慮深い人、肝の据わった人、淡々と的確な指示を出せる人、そして、皆の幸せのために自分を犠牲にできるサムライであった。私の評価などミミズの屁ほどの影響も無いのだが、吉田所長に対してはそういった評価を私はしている。敬意を持って合掌したい。
  それに対し同じ頃、私の評価を一気に下げた人がいる。それまでは好きな政治家の一人であったのだが、「何だ!こいつ!」とその時感じた人がいる。彼はテレビの向こうでやたら怒鳴っていた。命を懸けて闘っている人たちに怒鳴っていた。怒鳴る前に「自分の命を事態の収拾にどう使おうか」と熟慮し、そして、静かに指示をし、淡々と行動する。それこそ国家の、我々国民のリーダーと言えるのではないかと思った。
          

 私は怒鳴る人が苦手である。怒鳴らずに静かに語ればその言っている意味を深く理解できるのにと思う。義兄が「ストップ!そんな話は聞きたくない。そのことに対しては僕は一切関知していない」と大声を出したのを思い出した。そうやって私の話を止め、あとは一方的に自分の主張をしていた。その主張を聞きながら、「面倒な奴だ」と私は思っていた。そういえば、その女房もヒステリックに怒鳴る人である。私の苦手な人達だ。
          

 記:2013.8.30 島乃ガジ丸