ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

テーゲーも大概に

2012年01月27日 | 通信-環境・自然

 先週土曜日、大宜味村(沖縄島北部、名護よりさらに北)で有機無農薬農業を実践している知人Tさんを訪ねた。鹿児島から遊びに来ていたN、最近家庭菜園を始めたO夫妻を私のボロ車に乗せる。私を含め4人とも有機無農薬には関心を持っている。
 Tさん家に着いて、4人でTさんの話を聞く。無農薬有機栽培が人間の健康にとっていかに大事であるか、健康な野菜を食べれば健康になる、無農薬有機栽培によって健康な野菜は生まれる、健康な野菜は病害虫にも強い、土壌を健康に保つことが肝心、農薬も化学肥料も土壌を不健康にする、などなどといった話を聞く。

 1時間ほど経って、従姉(私が借りている小さな畑の持ち主の女房)から電話が入る。彼女も家庭菜園をやっており、私がTさんに会いに行くというと、「私も行きたい、友達と3人で行くけど、いいかしら」と言っていた。電話は「近くまで来ている」との内容、従姉一行を表通りまで迎えに行き、Tさんの家に案内する。
 「3人で行くけど」と言っていたが、実際に現れたのは6人だった。先着の私達4人でTさん家のリビングは一杯だった。Tさんにしてみれば私一人が来る予定だったのが4人になって、「あれまあ」だったのが、総勢10人だ、「何てこった!」だ。
 10人はとうてい家の中に入らないので、Tさんの仲間であるIさんという農家を皆で訪ねることになった。Iさんも当然、有機無農薬栽培農家であった。

 Iさんの家は広く、玄関からすぐは広い土間になっていて、長いテーブルが置かれ、多くの椅子、10人が訪ねてもなお余裕があるほどの椅子が置かれていた。
  「近所の仲間たちが時々集まるんですよ、宴会場みたいなもんです」とのこと。
 Iさんの奥さんも大勢の客に慣れているみたいで、Iさん夫婦、Tさんも含めた13人分のコーヒー、お茶、お菓子などをすぐに出してくれた。それを御馳走になりながら、IさんやTさんから無農薬有機に関する良い話もたっぷりご馳走になった。
 カタツムリ対策にはコーヒーの搾りかすか椿油の搾りかすが効果てきめん、アブラムシ対策には無添加のシャボン玉石鹸が良い、液肥や堆肥には乳酸菌を加えると良い、米ぬかや木炭粉、木や草の灰、海水なども良い土壌作りに効果がある、など。

 生産者に確認したわけでは無いので真偽のほどは定かでないが、彼らから聞いた面白い話、というか、従姉一行(60半ばのオバサンたち)が「えーっ!」と驚いた話。
 Tさんが農業を始めるずっと前、農家をやっている親戚を訪ねた際、いつも畑の作物をお土産に持たせてくれた。だが、ある日、土間にたくさんの作物が置かれてあるのに「今日はあげるものが無いさぁ」と言う。「何で?ここにいっぱいあるのに?」、「これはダメさぁ、スーパーに出すもんさぁ、農薬がかかっているからねぇ」とのことだった。
 「知っている農家には出荷の前日に農薬かけているところもあるよ」とも言う。
 「農薬は出荷何日前以降はかけてはいけないって決められているでしょう?」
 「そんなの守らない所はたくさんあるよ、その辺りはテーゲーだわけさぁ。虫食い跡があると売れないからな。」とのこと。テーゲー(大概)はウチナーンチュの美徳とばかり思っていたが、命に関わることのテーゲーは大概にして欲しいな、と思った。
          

 記:2012.1.27 島乃ガジ丸


嘉手苅林昌

2012年01月27日 | 沖縄03音楽芸能・美術工芸・文学

 ウタシャーの力

 私は同世代の友人たちが、沖縄民謡なんてつまらないと言う者が多い中、高校生の頃から民謡を聴いていて、サンシンは弾けなかったが、ギターで伴奏していくつかは歌うこともできた。その頃からたまに聴いていた民謡番組がある。『民謡でちゅううがなびら』というラジオ番組、出演者も同じままで今も続いている大長寿番組だ。
 番組の中では多くの民謡、多くの唄者が紹介されていたが、司会の上原直彦氏が最も頻繁に名を挙げた人がいる。若手の大工哲弘、古謝美佐子などもよく出てきたが、ダントツに多かったのが嘉手苅林昌、なので、名前は覚えていて、凄い人なんだろうなという認識は持っていた。しかし、その良さを知るようになったのはずっと後。
 その後も、民謡は時々聴いており、10年ほど前からはたびたび聴くようになり、数年前からは頻繁に聴いている。去年引越しついでに多くの音楽CDを処分したが、沖縄民謡は8枚残っている。その内の4枚が登川誠仁で、残りの4枚が林昌。

 昨年暮に埼玉の友人Rがお土産だと言って、林昌のCDを持ってきた。私の5枚目の林昌となった。モノを捨てて身軽になろうとしているのにRはCDやら本やらチラシやらカレンダーやらを土産にいくつも持ってくる。その多くは私の生活の邪魔になり、誰かにあげたり、結局はゴミとなって焼却場行きとなっている。ところが、林昌は別途。
 林昌のCDはどんなものであれ邪魔に感じることは無いと思うが、Rがくれた5枚目の林昌は特に私の感性に合っているようで、もう既に10回以上聴いている。

 ウタシャーとは唄者という意で、奄美ではウタシャという。その奄美ではウタシャの他にもう一つクイシャというのもあって、それは声者という意。「美声で上手く歌っているが、歌の何たるかを悟っていない歌手」とのこと。つまり、ウタシャより一段評価は下がるらしい。その意味で言えば、嘉手苅林昌は大ウタシャといって間違いない。
  5枚目のCDに収録された曲の多くは林昌の独演であった。林昌の独演は私のライブラリーの中にも4、5曲はある。あるといっても約80曲の中の4、5曲だ、希少である。それがこのCDは、私の耳が捉えた限りでは9曲が独演。他のCDが過去に録音された曲を収めたものが多い中、このCDは1994年4月の録音とある、林昌74歳の録音で、過去の録音のようにバックにあれこれ入れないように敢えてしたに違いない。
 プロデューサーは林昌の独演に大いなる価値を見出したに違いない。円熟の林昌は、サンシンと自らの声だけで見事な世界を造り出している。
 初めて聴いて感動して、その後数日間、1日1回は聴いた。林昌のボソボソ声が部屋の中に染み渡り、その節回しが心に染み入った。
     

 嘉手苅林昌(カデカルリンショウ)
 1920年8月、旧越久村(現沖縄市)に生まれる。
 9歳の頃からサンシンを弾き歌う。戦前から沖縄芝居の地謡(ジウテー)を勤め、戦後はラジオ番組に出演し活躍する。多くのレコードも出し、多くの唄を歌っている。大城美佐子や登川誠仁とのデュエットも多い。有名な『時代の流れ』は林昌の作詞。
 1999年10月、肺癌により死去。

 記:2011.2.24 ガジ丸 →沖縄の生活目次

参考文献
『正調琉球民謡工工四』喜名昌永監修、滝原康盛著編集発行
『沖縄音楽人物事典』山川出版、昭和58年12月発行