ガジ丸が想う沖縄

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嘉手苅林昌

2012年01月27日 | 沖縄03音楽芸能・美術工芸・文学

 ウタシャーの力

 私は同世代の友人たちが、沖縄民謡なんてつまらないと言う者が多い中、高校生の頃から民謡を聴いていて、サンシンは弾けなかったが、ギターで伴奏していくつかは歌うこともできた。その頃からたまに聴いていた民謡番組がある。『民謡でちゅううがなびら』というラジオ番組、出演者も同じままで今も続いている大長寿番組だ。
 番組の中では多くの民謡、多くの唄者が紹介されていたが、司会の上原直彦氏が最も頻繁に名を挙げた人がいる。若手の大工哲弘、古謝美佐子などもよく出てきたが、ダントツに多かったのが嘉手苅林昌、なので、名前は覚えていて、凄い人なんだろうなという認識は持っていた。しかし、その良さを知るようになったのはずっと後。
 その後も、民謡は時々聴いており、10年ほど前からはたびたび聴くようになり、数年前からは頻繁に聴いている。去年引越しついでに多くの音楽CDを処分したが、沖縄民謡は8枚残っている。その内の4枚が登川誠仁で、残りの4枚が林昌。

 昨年暮に埼玉の友人Rがお土産だと言って、林昌のCDを持ってきた。私の5枚目の林昌となった。モノを捨てて身軽になろうとしているのにRはCDやら本やらチラシやらカレンダーやらを土産にいくつも持ってくる。その多くは私の生活の邪魔になり、誰かにあげたり、結局はゴミとなって焼却場行きとなっている。ところが、林昌は別途。
 林昌のCDはどんなものであれ邪魔に感じることは無いと思うが、Rがくれた5枚目の林昌は特に私の感性に合っているようで、もう既に10回以上聴いている。

 ウタシャーとは唄者という意で、奄美ではウタシャという。その奄美ではウタシャの他にもう一つクイシャというのもあって、それは声者という意。「美声で上手く歌っているが、歌の何たるかを悟っていない歌手」とのこと。つまり、ウタシャより一段評価は下がるらしい。その意味で言えば、嘉手苅林昌は大ウタシャといって間違いない。
  5枚目のCDに収録された曲の多くは林昌の独演であった。林昌の独演は私のライブラリーの中にも4、5曲はある。あるといっても約80曲の中の4、5曲だ、希少である。それがこのCDは、私の耳が捉えた限りでは9曲が独演。他のCDが過去に録音された曲を収めたものが多い中、このCDは1994年4月の録音とある、林昌74歳の録音で、過去の録音のようにバックにあれこれ入れないように敢えてしたに違いない。
 プロデューサーは林昌の独演に大いなる価値を見出したに違いない。円熟の林昌は、サンシンと自らの声だけで見事な世界を造り出している。
 初めて聴いて感動して、その後数日間、1日1回は聴いた。林昌のボソボソ声が部屋の中に染み渡り、その節回しが心に染み入った。
     

 嘉手苅林昌(カデカルリンショウ)
 1920年8月、旧越久村(現沖縄市)に生まれる。
 9歳の頃からサンシンを弾き歌う。戦前から沖縄芝居の地謡(ジウテー)を勤め、戦後はラジオ番組に出演し活躍する。多くのレコードも出し、多くの唄を歌っている。大城美佐子や登川誠仁とのデュエットも多い。有名な『時代の流れ』は林昌の作詞。
 1999年10月、肺癌により死去。

 記:2011.2.24 ガジ丸 →沖縄の生活目次

参考文献
『正調琉球民謡工工四』喜名昌永監修、滝原康盛著編集発行
『沖縄音楽人物事典』山川出版、昭和58年12月発行