船が遭難して、一人無人島に流されて、そこで生きていかなくてはならない状況になったとして、そこがもし、児童公園程度の広さなら話にならないが、あるいは、岩と石と砂だけの島なら話にならないが、しかしもし、瀬長島ほどの広さがあり、瀬長島のように森林があり、耕作できそうな土地があり、湧水があり、ポケットに1個の甘藷(サツマイモのこと)があったとしたら、私は生きていけるかもしれない。
※注、瀬長島は約2ヘクタールの広さ。東京ドームの約半分。
一人無人島に流されて、そこで生きていかなくてはならない状況になったとしたら、前に『自給自足の険しい道:生活編』で述べた電気、ガス、上下水道なんて元より期待しない。朝日と共に起き、暗くなったら寝る。ポケットにライターが無くても火は熾せる。実際やったことは無いが、摩擦熱で火を熾す方法を知っている。たぶん大丈夫。
ビロウの葉や樹木があれば、水を入れる器も作れる。私がいつも持ち歩いているバッグの中にはたいていナイフが入っている。そのナイフ一つあれば、いろんな物が作れる。蔓植物と竹を用いて弓矢を作ることもできる、鳥を射る。蔓植物と竹を用いて網を作ることもできる、魚を獲る。鳥を射るのも魚を獲るのも、腕前に自信は無いが。
ヤシの葉と竹を用いて小屋を作ることもできる。漁獲用の網はハンモックとしても使える。バショウでもバナナでもあれば糸を採り、縄を綯い、編み込んで腰巻ていどであれば衣類もおそらく作ることができる。腰巻は無いが縄を作った経験はある。
土地を耕し、持っていた甘藷を植える。蔓が十分伸びてきたら切り取って、たくさん挿し木する。野山の食えるものを勉強してきているので、私にはその知識があり、森林の中に入り、食べられる果実類、食べられる芋類、食べられる草の葉などを収穫することができる。そういったもので半年間しのぐことができれば、甘藷が育っている。
釣竿を作ることはできるが、釣針は難しそうなので魚釣りはやらない。干潮時に潮溜りとなる個所の周囲に網を仕掛け、魚を収穫する。潮干狩りをして、貝やらウニやらを収穫する。運が良ければ、鳥が御馳走になることもある。海水から塩を得る。
ということで私は、一人無人島で生きていかなくてはならない状況になったとしても生きていける可能性は高い。ところが今、私は無人島にはいない。私の周りには友人知人親戚やら、職場の仲間やら、隣近所の顔見知りやら、その他、名前は知らないが、どこかで何かしらの繋がりがある多くの人々がいる。私は独りでは無いし、社会生活(車乗ったり買い物したり)をしている限り一人で生きて行くことはできない。
来年には芋生産が軌道に乗り、自分一人が生きていける分は生産できているであろう。2年後か3年後には方丈の小屋を建て、ソーラーパネルを取り付け電気も自家発電する予定だ。一人粗末な小屋に住み、自産の芋を食って生きて行くであろう。しかし、私は世捨て人になるつもりはさらさら無い。多くの人と関わって生きていくつもりだ。
人との関わりで得るもの、それはたぶん幸福感。誰かに気にかけて貰っていることの幸福感。私は賑やかよりも静かを好み、一人でいることが好きである。でもそれは、誰かに気にかけて貰っている幸福感が基本にある。人との関わりは自給自足できない。
記:2011.6.24 島乃ガジ丸