ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

自給自足の険しい道:社会編

2011年06月24日 | 通信-社会・生活

 船が遭難して、一人無人島に流されて、そこで生きていかなくてはならない状況になったとして、そこがもし、児童公園程度の広さなら話にならないが、あるいは、岩と石と砂だけの島なら話にならないが、しかしもし、瀬長島ほどの広さがあり、瀬長島のように森林があり、耕作できそうな土地があり、湧水があり、ポケットに1個の甘藷(サツマイモのこと)があったとしたら、私は生きていけるかもしれない。
 ※注、瀬長島は約2ヘクタールの広さ。東京ドームの約半分。

 一人無人島に流されて、そこで生きていかなくてはならない状況になったとしたら、前に『自給自足の険しい道:生活編』で述べた電気、ガス、上下水道なんて元より期待しない。朝日と共に起き、暗くなったら寝る。ポケットにライターが無くても火は熾せる。実際やったことは無いが、摩擦熱で火を熾す方法を知っている。たぶん大丈夫。
 ビロウの葉や樹木があれば、水を入れる器も作れる。私がいつも持ち歩いているバッグの中にはたいていナイフが入っている。そのナイフ一つあれば、いろんな物が作れる。蔓植物と竹を用いて弓矢を作ることもできる、鳥を射る。蔓植物と竹を用いて網を作ることもできる、魚を獲る。鳥を射るのも魚を獲るのも、腕前に自信は無いが。
 ヤシの葉と竹を用いて小屋を作ることもできる。漁獲用の網はハンモックとしても使える。バショウでもバナナでもあれば糸を採り、縄を綯い、編み込んで腰巻ていどであれば衣類もおそらく作ることができる。腰巻は無いが縄を作った経験はある。

  土地を耕し、持っていた甘藷を植える。蔓が十分伸びてきたら切り取って、たくさん挿し木する。野山の食えるものを勉強してきているので、私にはその知識があり、森林の中に入り、食べられる果実類、食べられる芋類、食べられる草の葉などを収穫することができる。そういったもので半年間しのぐことができれば、甘藷が育っている。
 釣竿を作ることはできるが、釣針は難しそうなので魚釣りはやらない。干潮時に潮溜りとなる個所の周囲に網を仕掛け、魚を収穫する。潮干狩りをして、貝やらウニやらを収穫する。運が良ければ、鳥が御馳走になることもある。海水から塩を得る。
          

 ということで私は、一人無人島で生きていかなくてはならない状況になったとしても生きていける可能性は高い。ところが今、私は無人島にはいない。私の周りには友人知人親戚やら、職場の仲間やら、隣近所の顔見知りやら、その他、名前は知らないが、どこかで何かしらの繋がりがある多くの人々がいる。私は独りでは無いし、社会生活(車乗ったり買い物したり)をしている限り一人で生きて行くことはできない。
  来年には芋生産が軌道に乗り、自分一人が生きていける分は生産できているであろう。2年後か3年後には方丈の小屋を建て、ソーラーパネルを取り付け電気も自家発電する予定だ。一人粗末な小屋に住み、自産の芋を食って生きて行くであろう。しかし、私は世捨て人になるつもりはさらさら無い。多くの人と関わって生きていくつもりだ。
 人との関わりで得るもの、それはたぶん幸福感。誰かに気にかけて貰っていることの幸福感。私は賑やかよりも静かを好み、一人でいることが好きである。でもそれは、誰かに気にかけて貰っている幸福感が基本にある。人との関わりは自給自足できない。
          

 記:2011.6.24 島乃ガジ丸


情熱芸術

2011年06月24日 | 通信-文学・美術

 何というタイトルだったか覚えていないが、以前、テレビでやっていた映画のコマーシャルで「浮気したけど妻が好き、それってあり?」というキャッチコピーがあった。私は結婚の経験が無く、恋人の付き合いも半年以上続いたことが無いせいか、女性の感性というものを理解できていない。女性の感性が理解できないから付き合いが半年以上続かないのかもしれない。卵が先か鶏が先かみたいなものだが。それはともかく、「浮気したけど妻が好き、それってあり?」って「普通じゃないの、大ありじゃないの」と思う。
  キャッチコピーは誇張表現するので、「浮気したけど妻が好き、それってあり?」も女性の感性を多少誇張しているのかもしれない。「浮気したけど妻が好き?まあ、そういうこともあるんじゃないの」と思う女性も少なからずいるはず。たまたまそういう女性に出会っていないので私は結婚できない、・・・ということにしておこう。

 情熱に欠けるという点も、私がモテない理由になっているかもしれない。例えば、一人の女性を取り合う事態になった時、「もし良ければ譲ってくれないか?」とライバルに訊く。「何を言う!決闘だ!」と来られたら、平和主義者の私は静かにフェードアウトしていくはず。平和と女を天秤にかけたら、私は概ね平和を選ぶ。女は当然、情熱のある男を選ぶ。私は「情けない男!」と蔑まれ、以降一切相手にされないこととなる。
 しかし、思うに、結ばれた二人が幸せであるとは必ずしも決まっていない。熱はいつか冷めるだろうし、憎しみが生まれる場合もある。私は淡々と生きている。
          

 先日、沖縄県立美術館へ出かけた。同じ建物内にある沖縄県立博物館は1度見学したことがあるが、美術館は初めてとなる。「岡本太郎と沖縄」という企画展を観た。
  私は旅が大好きで、旅先で美術館巡りをするのも大好きで、その際、どこでだかは覚えていないが、岡本太郎の作品はあちらこちらでいくつか観ている。旅好き、美術館巡り好きは若い頃からなので、岡本太郎作品は若い頃から何度も観ている。若い頃から何度も観て、オジサンになってからも何度も観て、先日も観たが、私は岡本太郎が理解できていない。若い頃からずっと、一度もその作品に感動したことが無い。
 感動はしないが、人間の様々な欲望の表現であり、心身から溢れだすエネルギーの表現だろうとは感じる。生きることへの情熱みたいなものだ。ただ、正直言って、岡本太郎の作品からは情熱しか感じられない。なので、情熱の薄い私には理解できない。

 情熱の薄い私には好まれていないが、まあ、私の好みなどどうでもいいのだが、岡本太郎はその天賦の才と情熱でもって世に名を残している。それについては何の異議も無い。山羊汁の美味さを知らない人は知らなくてけっこう。岡本太郎の情熱に感動しない人(私のこと)は感動しないでけっこう。それでも岡本太郎は偉人として認められている。
 仲間からの人望も国民からの信頼も無いのに名を残そうと思っているスットコドッコイがいる。世に名を残したいと思っているその情熱がもし、辞めることを躊躇っている理由だとしたら、そんな情熱は捨て去って大丈夫。今すぐ辞めたからといってまったく心配には及ばない。「世のため人のためでは無く自分のために地位に執着した、歴代総理の中で最もスットコドッコイ」ということで現総理は名を残すであろう。良かったね。
          

 記:2011.6.24 島乃ガジ丸