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ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

いろとり鳥

2011年04月29日 | 沖縄01自然風景季節

 去年(2010年)12月、吉の浦海岸を散歩していたら、見たことの無い鳥に出会った。図鑑にあるどの鳥とも見た目に大きな違いがあった。全身の羽毛がモジャモジャと、まるで逆立っているように見えた。大きさと姿形はキジバトに似ていた。
     
 撮った写真をよく見ると、羽毛は見えた通り、逆立っていた。何か、とても恐ろしい経験、犬に危うく噛み殺されそうになったとかを経験して逆立っていたのかもしれない。その鳥は、首筋の模様からキジバトと断定。恐怖に慄いたキジバトだと思われる。
 「鳩が豆鉄砲を食ったよう」なんて慣用句があるが、「驚いて目を丸くしているさま」(広辞苑)という意味だが、その時のキジバトはまさしくそれ、「はっせ!たまし抜ぎたひゃー(まったく!魂が抜けたぜ、といった意味のウチナーグチ)」と、近くにいてカメラを構えている私に向かって言っているような、そんな表情であった。
     

 今年4月11日、糸満市にある平和創造の森公園へ散策へ出かけた。その帰り際、ちょうど駐車場の自分の車に乗り込んだ時、鳥の、喧嘩をしているような声を聞いた。声のする方を見る。現場は30メートル程先、出口へ向かう道の傍だ。
  そのまま車を走らせて現場のすぐ近くで停車する。喧嘩している鳥はイソヒヨドリ、2羽が激しく掴みあい、激しく突き合っている。2羽は掴みあったまま、羽をバタバタさせて、少し飛んだかと思うと、掴みあったまま地面に落ちる。どちらかが、あるいはどちらとも、激しく地面に叩きつけられているので、怪我をしているであろう。
  ふと、横を見ると、もう1羽いた。喧嘩している2羽とは色模様が違うが、同じイソヒヨドリ、その雄の方だ。ということは、喧嘩しているのは雌同士だ。しばらく眺めていると、雄は2羽の雌に近寄ったり離れたりしている。「お前たち、もうやめなよ」なんて言って、「煩い!あんたは邪魔!」と怒鳴られる、なんてことなのかもしれない。
     
     

  今週月曜日(25日)、西原運動公園を散歩していたら、ビー、ビーと聞き慣れない鳥の鳴き声が聞こえた。「近くだな」と思って辺りを見回すと、建物の庇の上にいた。聞き慣れない鳴き声の主は、シロハラに似ているが、違う。ヒヨドリにも似ているが、違う。しかし、何者かはすぐに判明した。ビービー鳴くのは雛鳥で、その親がやってきて、口移しに餌をあげたのだ。親鳥は見なれた奴、イソヒヨドリの雄であった。
  平和創造の森公園で喧嘩していた2羽の雌の、その傍にいた雄と、西原運動公園で子育てしていた雄はもちろん違う雄であろうが、雌の喧嘩にオロオロしたり、雛にせっせと餌を運んだりと、イソヒヨドリの雄は心優しい奴なんだなぁと思った。
     
     

  旧暦2月、3月頃のことを「うりづん」と沖縄では言う。暑くも寒くも無いとても過ごしやすい季節。私は概ね快調である。ぐっすり眠れるからだ。ところが、同じ「うりづん」の季節でも、4月に入って数日過ぎた辺り、二十四節気で表すと、だいたい清明に入る頃からメジロが囀り始める。彼らは朝が早い。夜明け前から囀る。この時期は窓を開けて寝ているので、その声は私の耳に大音量で伝わる。煩い。空が明るくなってくるとシロガシラの囀りも始まる。これはもっと煩い。目が覚める。寝不足となる。
 同じ頃、冬を沖縄で過ごしていたシロハラが北へ旅立つ。アパートの庭にも職場の庭にも、畑にもあちこちの公園にもたくさんいたシロハラ、今季は倭国の寒さが長引いたせいか、例年より遅くまでいたが、今(4月下旬)はもうすっかり消えてしまった。
     

 記:2011.4.27 ガジ丸 →沖縄の生活目次


他人の痛み

2011年04月29日 | 通信-社会・生活

 沖縄料理のニンジンシリシリーやパパヤシリシリーを作る時に用いるシリシリーという調理器具、ウチナーンチュなら知っていると思うが、倭人には知らない方も多いと思われるので説明すると、ダイコンやニンジンを千切りにする際の卸し金のこと。直径5、6ミリほどの穴が斜めに開いていて、そこにダイコンやらニンジンやらを滑らすと、直径5、6ミリ程に切られたダイコンやらニンジンやらが出てくる仕組みの道具。
 4月3日、久々(今年初)にニンジンシリシリーを作った。私は愛用のシリシリーを持っている。それを使って先ずはニンジンをシリシリーする。

 私は大雑把な性格なので時々ヘマをする。小さな切り傷や火傷は日常茶飯事だ。小さな傷や火傷はあまり気にならないので、それを反省して、以後気を付けるということもないので、長い人生の間、小さな傷や火傷は折々に絶え間無く続いている。
  その日、ニンジンをシリシリーしている際、もうすぐ1本のニンジンをシリシリーし終えるという時にヘマをした。怪我とか血とかに弱い人はここで「おぞましい」と思うであろうが、ニンジンだけでなく、自分の指まで私はシリシリーしてしまった。
 自分で言うのも何だが、私は反射神経の良い方である。なので、小さな怪我は多いが、大きな怪我をすることはあまり無い。その日も、反射神経の良い私は、「あっ!」と思った瞬間に腕の動きを止めた。で、シリシリーしたのは親指の爪5、6ミリを切ったくらいで済んだ。5、6ミリでも神経の通っている部分には達していたので痛かった。
          

 親指の爪5、6ミリ切ったくらいの痛さは、しかし、私にとっては日常茶飯事の範囲内で、「肉を深く切らずに助かったぜ」とむしろ、ラッキーだと感じた。ところが、
 洗い物したり、畑小屋作成の大工仕事をしたりした時などに親指を使う際、切れた爪の部分を何かに引っ掛け、そこから先の爪が少しずつ剥がれてしまうことが頻繁に起きた。剥げる時には痛みを感じる。それは「うっ!」と声が出るくらい痛い。
  その痛さを何度も経験し、爪が徐々に深く剥がれつつ、その際の痛みも増していく中、ついに4月24日、爪先が全て剥がれた。剥がれた後も数日は、親指を使うと痛みが走った。ということで、親指が満足に使えない状況は約一ヶ月続いたことになる。
 利き腕の親指が使えないと何かと不便であった。お菓子などの袋が開けられない、何かをつまむことができない、携帯メールもできなかった。携帯メールは携帯電話を左手に持ち、右手の人差指で打った。日常生活の中で利き腕の親指は働き者だったのだ。
          

 そこで気付いた。三枚歯などという最新のカミソリを持っている父が、一昨年、3万円余の電気カミソリを買った。「いいの持っているのに何で?」とその時思ったが、父は利き腕の右手が不自由であった。年取ってさらに動き難くなったのだろう、普通のカミソリでは上手く剃れなくなったのであろう。それで、3万円余の電気カミソリとなったに違いない。不肖の息子は当時、そこまで思いが及ばなかったのだ。右手の親指が使えなくなって初めて、私は父の苦労を知ることができた。我が身を抓って知る、であった。
 「辞めろ、辞めない」とか「協力する、しない」とか、こんな時にも政争なのか!と飽きれてしまう日本の政治家たちは、我が身を抓る手を怪我しているのだろうか?

 記:2011.4.29 島乃ガジ丸