今日(2月28日)は、旧暦の1月20日、ハチカソーグヮチ(二十日正月)である。別名、終わり正月とも言い、旧暦1月1日から始まった正月が、この日でもって終わるとされている。主に本島中南部で行われている行事で、スーチキー(豚の塩漬け)を食べ、正月飾りを下ろし、ターウムニー(田芋煮)などのご馳走を仏前、ヒヌカン(火の神:台所にある)に供えて、正月祝いを締めくくる。
那覇市にある私の実家で、この行事が行われていたかどうかを私は覚えていない。前回紹介した十六日(ジュウルクニチ、「あの世の正月」)は、その日になると祖母が「チューヤ(今日は)グソーヌショガチドー(後生の正月だよ)」と言いながら、仏壇にご馳走の入った重箱を並べたり、線香立てたりしていたのでよく覚えている。二十日正月はたぶん、やっていたにしろ、それほど大げさなことでは無かったのだろう。
行事そのものは覚えていないが、ハチカソーグヮチ(二十日正月)という名前はよく知っている。その日はジュリ馬スネーの日でもあるからだ。
ジュリとは漢字で尾類(いかにも蔑んだ文字だが、きっと庶民の心を知らない高級官吏か学者がつけたのだろう)と書き、遊女や娼妓のことを指す。スネーは行列のこと。辻遊郭(注1)の娼妓たちによる行列のことをジュリ馬スネーという。辻遊郭から選ばれた娼妓が舞妓となって、馬の形(春駒の芸の系統をひくと文献にある)の作り物を身につけンマメーサー(馬舞者)を中心に豊年を願い、歌いながら、踊りながら道を練り歩いた。
娼妓たちが何故豊年を願うのかというと、おそらく、豊年になれば世間が豊かになり、遊郭に遊びに来る客も増え、「私たちも潤う」ということなんだろう。
そのジュリ馬スネー、300年以上もの伝統があるといわれている行事だが、1988年を最後に一時途絶えた。2000年に復活したが、その時、婦人団体に開催を反対された。そりゃあそうだ。遊女の祭りなんて婦人団体が許すわけは無い。でも、祭りは復活した。批判を覚悟で敢えて言うが、独特の雰囲気を持った伝統ある祭りである。それはもう文化だと言っていい。つい最近女に捨てられた石田純一が、以前「浮気は文化だ」みたいなことを言っていたが、辻遊郭にははるか上質の恋愛文化があり、娼妓たちの始めた(注2)ジュリ馬スネーは、後世に残したい格式ある伝統文化なのである、と私は思う。
注1、1672年、摂政、羽地朝秀によって現在の那覇市辻近辺に設置された遊郭。いわゆる公娼。辻遊郭についてはもっと語りたいが、いずれまた別項で述べる。
注2、もちろん、現代は娼妓では無い。戦後、料亭の女性たちによって復興された。
記:ガジ丸 2005.2.28 →沖縄の生活目次
参考文献
『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行