ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

見つかった言い訳

2010年12月24日 | 通信-社会・生活

 今日(12月24日)はクリスマスイブ、金曜日の職場の隣は産婦人科の病院があり、そこの庭は12月の初めからデコレーションされている。夜になるとたくさんの豆電球がチカチカしてとてもきれいとのこと。私は夜までいないので見たことが無い。
  クリスマスのデコレーションは国際通りやデパートの周り、那覇新都心や大型スーパーの周りでも見られる。個人の家でもやっているところがあるらしいが、私の住むアパートの周りではそういう家は無い。私の趣味で言えば、無くて当然なのだが、恋人たちや子供達にとっては、夢の世界へ誘う飾なのであろう。あってもいいのだ。
          

 私の実家の隣の隣は教会になっている。その教会は12月になっても何の飾りもされていない。昨日(23日)も実家へ行った際、その教会を見たが、いつもと変わりはなかった。もっとも、クリスマスはチャラチャラしたものでは無く、厳かな宗教儀式であると、かねてから私は思っていたので、それについては何の疑問も無い。
  先日、たまたまキリスト教の伝道師(何と言う宗派か訊くのを忘れたが、1年に1回くらいはやってくる宗派)の訪問を受けた。ちょうど、この記事を書こうとしていたところだったので何ともグッドタイミングであった。早速、尋ねると、
 「クリスマスはキリスト教とは元々関係ありません。キリストの生誕を祝う日ということも誤った考えです。」との答え。「そういったことに興味がおありでしたらこちらをお読みください。これに詳しく書かれています。」と、小冊子を頂いた。早速、読んだ。読んで、「なるほど、そういうわけであったか。」と納得する。
 クリスマスという行事は、人々を教会に寄せつけるための教会側の人気取りから始まったようだ。人々もまた、クリスマスにプレゼントをあげたり、酒飲んで祝ったりするなんてことに大いに喜んだことから、長く続いてきた習慣らしいのだ。
          

 私の母は面倒見の良い性格で、父はそんな母に逆らわない性格で、私が物心ついた頃から家には、家族以外の誰かがたいてい一緒に暮らしていた。
  父の姉である戦争未亡人のH伯母は、彼女が亡くなるまでずっと一緒にいた。もう一人の父の姉で、H伯母の妹であるY伯母の娘、つまり私の従姉にあたるMは、彼女が大学に入るまで一緒であった。他に、もう名前も忘れたが、親戚のお姉さんが長い間、親戚の女の子(私より何歳か年下)が数年、同じ屋根の下にいた。その女の子は別にして、年上の三人には彼女たちが一緒に暮らしている間、私はいろいろと世話になっている。
 中でもH伯母にはたくさんの幸せを貰った。毎年、お年玉を貰った。毎年、誕生日プレゼントを貰った。毎年、クリスマスプレゼントも貰った。毎年毎年、たくさんの幸せを貰ったのだ。そんな愛情に私は感謝したであろうかと、今になって不安に思う。

 子供の頃たくさん貰ったクリスマスプレゼントだが、大人になった私はその幸せを何ら還元していない。年下の従妹たち、甥たち、従姉の子供たち、最近では従姉の孫たちへ、私はクリスマスプレゼントなるものをあげた覚えが無い。
 子供たちがワクワクしているクリスマス、クリスマスは本来プレゼントをあげたりするものでは無いという言い訳が見つかって、オジサンは今年、ホッとしている。 
          

 記:2010.12.24 島乃ガジ丸