ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

瓦版033_2 グスミチの唄

2007年06月15日 | ユクレー瓦版

グスミチ道々カリカリしば 道行くハーメーぬ寄(ユ)てぃ言ゆる
汝(ヤー)が面(チラ)ぬ福らしゃよ
銭小(ジングヮ)どぅ儲きてぃぬくとぅどぅやみ
銭小(ジングヮ)ぬ儲きてぃぬくとぅやあらん
まーさむん有りしぬ 福らしゃよ

グスミチ道々カリカリしば 道行くタンメーぬ寄(ユ)てぃ言ゆる
汝(ヤー)が面(チラ)ぬ福らしゃよ
出世成したる理由(ワキ)どぅやみ
出世成したる理由(ワキ)やあらん
まーさむん食(か)みばぬ 福らしゃよ

グスミチ道々カリカリしば 道行く人(チュ)ぬ達(チャ)ぬ寄(ユ)てぃ来(チ)ゆる
グスミチ皆(ンナ)しカリカリしば
皆々(ンナンナ)肝(チム=心)満ち福らしゃよ

見渡しば美(チュ)ら島 くぬ中うてぃ
我(ワ)ね生ちちょーしどぅ福らしゃよ

見上ぎりば美(チュ)ら天(アマ) くぬ下(シチャ)うてぃ
我(ワ)ね生ちちょーしどぅ福らしゃよ

 「gusumitikarikari.mid」をダウンロード

 グスミチ:沖縄口で軟骨のこと
 豚ソーキの軟骨を茹でた後に低温の油で揚げて、カリカリとした歯ざわりのスナック菓子にしたものを「グスミチカリカリ」と言う。ウフオバーの創作料理の一つ。
 「グスミチカリカリ」はさっぱりとした塩味で、ビールの肴にぴったり。カルシュウムたっぷりなので、子供にもお年寄りにもうれしい健康食品でもある。
 「グスミチカリカリ」はしかし、商品化の目途は全然立っていない。

和訳

グスミチ道々カリカリすれば 道行く婆さんが寄って来て言う。
「アンタの顔の幸せそうなことよ。金儲けでもしたからなのか?」
「金儲けしたわけではない。美味しいものがあっての幸せだ。」

グスミチ道々カリカリすれば 道行く爺さんが寄って来て言う。
「君の顔の幸せそうなことよ。出世でもしたからなのか?」
「出世してわけではない。美味しいものが食えての幸せだ」

グスミチ道々カリカリすれば 道行く人たちが寄って来る。
グスミチ皆でカリカリすれば 皆々、心が満ち足りて幸せだ。

見渡せば美しい島、その中で 生きていることこそが幸せだ。
見上げれば美しい空、その下で 生きていることこそが幸せだ。

歌詞の大意
今、こうして平和に生きている。それだけで十分に幸せだ。
金儲けや出世なんてのは、付録のおまけみたいなものだ。

 記:2004.8.8 ガジ丸


瓦版033_1 グスミチカリカリ

2007年06月15日 | ユクレー瓦版

 さすが梅雨時と思われるような降ったり曇ったりの天気がしばらく続いて、今日は久々に晴れた。外の空気を吸おうと散歩に出る。ついでにシバイサー博士のご機嫌伺いにと研究所へ向かった。途中、ユクレー屋にちょいと立ち寄った。店に入るが誰もいない。裏庭を覗いたらそこにマナがいた。マナは洗濯物を干していた。
 「やー、マナ、いい天気だね。洗濯干すのも久々だろ?」
 「おはよ。そうだね、このところずっと部屋干しだったからね。」と言いつつ、マナは作業を続ける。自分のパンツもブラも干している。
 「下着まで外に干すのか、丸見えじゃなの。」
 「あんた、これ見て欲情する?しないでしょ。いいのさ、村の人たちがやってくるのも夕方からだし、ここは外からは見えないし。昼間、裏庭を覗くような人はあんたか、ケダマンくらいじゃない。二人とも私にとっては男じゃないのさ。」
 「ジラースーが来るかもしれないよ。」
 「今日は来ないの。彼が来るのは明日。」と言ったとたん、顔をにやつかせた。
 「何だその顔、ジラースーと上手く行っているの?」
 「上手くも何も、何の話もしてないよ。会えるだけでいいのさ。」
 なるほど、恋する女は会えるだけで嬉しいらしい。三十半ばという歳で、あれこれ経験している割には、マナは純情みたいである。

 「ところで、ケダマンも見えないけど、どこへ行ったの?」
 「久々の晴れ間だからって、その辺プカプカしてくるって言ってたよ。」
 「ふーん、そうか。出くわさなかったから、ずいぶん早く出たんだな。」
 「うん、そうだね。1時間ほど前かねえ。」
 と話しているうちにケダマンが帰ってきた。噂をすれば陰だ。

 「やあ、どこをプカプカしてたんだ?」
 「うん、いい風が吹いていたんでな、ちょいと山の方をプカプカしてたんだけどな、それよりもな、途中の道でちょっと不思議なものを見たぜ。」
 「不思議なものって何?」(マナ)
 「まあ、不思議って言うか、ガジ丸なんだけどな。アイツ、大声で歌いながら歩いていたんだ。ガジ丸ってよ、一見、静かな人ってタイプだろ、それがさ、暢気に大声で歌っていたんだ。何かずいぶん楽しそうで、いつものクールなガジ丸とは違っていたぜ。周りに誰もいないと思っての大声だったんだろうけどな、頭上に俺がいたわけさ。」
 「歌うって、ガジ丸は元々歌うのは得意だよ。楽器も弾けるしさ。でも、そういえば、あんまり歌わないな。上手なんだけど控え目なんだな。」(私)
 「そうだぜ。このあいだチャントセントビーチの唄を歌っただろ、あれも相当久しぶりだったよな。俺なんか、10年ぶり位のガジ丸の唄だったぜ。」
 「でもさ、人前で歌わなくたって、一人の時は歌うんじゃないの。」(マナ)
 「うーん、まあ、そうだろうね。上手いしね。」(私)
 「いや、そりゃあそうかもしらんが、アイツ、不真面目だろ、歌うとしてもひょうきんな唄ばっかり歌っているだろ、それがさ、真面目そうな唄を歌ってたんだ。」
 「へーえ、どんな唄、ちょっと興味あるな。」(マナ)
 「いやー、俺も面白いと思ってな、ガジ丸の目の前に下りて、訊いたんだ。」

  「よー、何を暢気に歌っているんだ?」
 「何だオメェ、聞いていたのか?」
 「そんな大声なら、聞きたくなくても聞こえるさ。」
 「あー、そうか。誰もいないと思って、ついつい大声になっていたか。」
 「ウチナーグチの歌みたいだったけど、沖縄民謡か?」
 「うん、ウチナーグチだが、まあ、沖縄民謡としてもいいかな。俺の作った歌だ。」
 「生きているのが幸せなんだ、なんてよ、何かオマエに似合わない真面目な唄だなあと思っていたら、作ったのもオマエなのか?」
 「あー、俺の作詞作曲だ。真面目って言やぁ真面目だな。だけど、元々真面目がテーマじゃなくて、コマーシャルソングなんだ。」とガジ丸は言って、ポケットから何かを出した。細長い白っぽいものがガジ丸の手の平に数本あった。大きさはまちまちだが、平均するとポッキーの太さで、ポッキーの四分の一の長さくらいのもの。
 「何だそれ、食い物か?」
 「うん、そうだ。食べてみろよ。」と言うので、俺はその一つを口に入れた。カリカリした食感も良いが、味も良い。噛むほどに旨味が出る。
 「美味いなこれ、酒のつまみだな。」
 「グスミチカリカリって名前のスナックだ。ウフオバーが作ったものだ。シバイサー博士も食い物をいろいろ発明しているが、俺はオバーが作ったこのグスミチカリカリが大好きだ。博士のものより売れるに違いないと思ってな、唄までできたわけだ。」
     

  場面はユクレー屋に戻って、
 「というわけだ。ガジ丸はコマーシャルソングを歌っていたんだ。」
 「オバーのグスミチカリカリって有名なの?」(マナ)
 「いや、俺は知らなかった。マナも食べたこと無いのか?」(ケダ)
 「無いよ。見たことも無いよ。ゑんちゅは?」(マナ)
 「何年か前にオバーが作ったのを、ガジ丸と一緒に私も食べたよ。あっ、そうだ、思い出した。そういえばその時、グスミチカリカリをガジ丸がとても気に入って、販売しようぜとなって、コマーシャルソングも作るなんて言っていたよ。でも、オバーの話では、グスミチそのものがなかなか手に入らないので、そうしょっちゅうは作れないみたいで、販売するほど生産はできないってことだったな。」(私)
 というわけで、グスミチカリカリは販売のされていない幻のお菓子なのであった。
     

 ※グスミチ:沖縄口で軟骨のこと

 記:ゑんちゅ小僧2007.6.15 →音楽(グスミチカリカリの唄)


もうひと踏ん張りの沖縄映画

2007年06月15日 | 通信-音楽・映画

 このところずっと現場に出ている。雨の日が多くて合羽を着ての作業となる。合羽を着ると暑い。パンツがびしょびしょに濡れるほどに汗をかく。すると、家に帰って風呂上りに飲むビールが美味い。よって、この2週間余り、休肝日が無かった。たっぷり汗をかくほどの肉体労働なので体も疲れている。疲れとアルコールで脳味噌もふにゃっとなる。ふにゃっとなった脳味噌では文章を書くのにも絵を描くのにも、いつもの3倍ほどの時間がかかる。書きたい文章や描きたい絵のほとんどは週末に回る。週末は畑仕事があり、部屋の掃除があり、オジーオバーのパソコン講座もあるので、とても忙しくなった。

 そんな忙しい週末、先週の土曜日、オジーオバーのパソコン講座を終えた後、映画を観に行った。忙しいときに何でわざわざ映画などと思いもするが、大好きな桜坂劇場で、2本の沖縄映画が今、上映されており、少なくともその内の1本くらいは観ておきたいと思ったからだ。1本は『恋しくて』、もう1本は『アコークロー』。
 『恋しくて』は、『ナビーの恋』の監督による作品。『ナビーの恋』はとても良い映画であった。が、次の『ホテルハイビスカス』がちょっと期待外れだったことと、『恋しくて』の内容が青春物ということがマイナス要因となる。若い人の恋愛モノを私は好きでない。「良い思いしやがって。」と腹が立つのである。『恋しくて』を既に観たという友人Tの評価も「イマイチ」ということだったので、今回は『アコークロー』を選んだ。

 上映時間ギリギリに場内へ入る。驚く。桜坂劇場にしては珍しく客が多いのだ。8割がた席が埋まっている。『アコークロー』って、この日が確か初日のはず。「俺が知らなかっただけで、とても前評判の高い映画なんだなあ」とその時思う。すぐに場内が暗くなったので、席を探すのに手間取り、結局、前から二列目の端の方の席となる。桜坂劇場で、このような見辛い席に座ったのは初めてのことである。
 映画が終わり、エンドロールがスクリーンを流れる。私は概ねエンドロールもじっくり観るようにしているが、これまでの経験では、多くの人がエンドロールが始まると、場内が暗いうちに外へ出る。ところがこの時は、立ち上がる人がほとんどいない。「えっ、うそ、それほど感激する映画では無かったぞ」と思いつつ、幕が閉じ、場内が明るくなる。それでも立つ人はほとんどいない。私は立つ。後ろを見ると客はさらに増えており、入口近辺には立ち見している人も何人かいた。その理由はすぐに解った。
  私が立ったと同時くらいに、舞台の袖から一人の若い男性が出てきた。映画にも出演していた沖縄の役者であった。私が出口へ向かって歩いている間に、これから舞台挨拶が始まるということを彼はアナウンスした。「監督、吉田妙子さん、・・・が出演・・・」と彼が言った時には、私はもう出口にいた。「生の吉田妙子は見たかった」と思いつつ、膀胱が満タンになっていた私はトイレへ駆け込んだ。そして、そのまま帰った。

 『アコークロー』は、沖縄を舞台にしたちょっと怖い映画でした。その他には特に感じること、考えさせられたことは無かった。霊とマジムンに対するウチナーンチュの意識をもう少し掘り下げてくれたら、私の満足度も高くなったに違いないと思う。 
          

 記:2007.6.15 島乃ガジ丸