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ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

武士の一分

2006年12月15日 | 通信-音楽・映画

 今、ガジ丸HPの記事に少し貯蓄がある。来週分は既にある。なもんで、時間にちょっと余裕がある。概ね毎週金曜日にやっているHPのアップ作業も最近は1時か2時には終わっている。で、私は金曜日の午後を先々週、先週と続けて、記事書きはやらずに、映画に出かけた。先々週は桜坂劇場、先週は新都心のシネコンへ。
 先々週は『蟻の兵隊』であったが、じつは、先週も新都心のシネコンじゃなく、大好きな桜坂劇場で上映されている映画を観る予定であった。それは、イッセー尾形が昭和天皇役をやっているという『太陽』、ロシアの映画とのこと。家に帰って、チラシを見て確認したら、既に最終の上映は終わっていたのであった。残念。
  沖縄で公演がある際などに、『イッセー尾形からの手紙』というものが届く。沖縄ジャンジャンが健在であった頃、イッセー尾形はそこで毎年のように公演をしていた。私はそれをほとんど欠かさずに観に行っていた。最近はご無沙汰しているが、まあ、その頃大ファンだったことがあって、『イッセー尾形からの手紙』を頂くのである。
 今回のその手紙には『太陽』のことが紹介されてあった。これはぜひ観に行かなくちゃと思っていたので、最終日の最終上映を逃したことは非常に残念なのであった。

 『太陽』は残念なことであったが、金曜日の午後3時、せっかくの平日の午後、家にいることは無かろうと思い、他の映画を観に行くことに決め、調べる。新都心の大きなシネコンで『武士の一分』をやっている。山田洋二監督の時代劇は好きである。前の2作も観て、十分感動させてもらった。今回の『武士の一分』もいずれ観る予定ではあった。年明けにでもと思っていたのが、だいぶ早めということになってしまった。
 『武士の一分』にはちょっと気掛かりなことがあった。木村拓也という当代一の色男にしてモテ男を主人公にして、それで山田洋二の感性がボケてしまいはしないかということであった。あの個性を、田舎の下級武士に見せることができるのであろうか。
 その気掛かりはほんの少しだが、現れた。木村拓也の笑い顔は独特である。厚めの唇を波打たせるようにして笑う。茶目っ気のある笑い顔、おそらく、それが多くの女性の心を掴んでいるのではないかと私は推測している。でも、私は、あの笑い顔は現代人の笑い顔ではないかと感じている。だから、映画の中で木村拓也がそんな顔を見せた時、私は映画から現実の世界へたびたび引き戻された。
 とはいえ、それはほんの些細なことで、映画は十分楽しめた。満足した。ラストシーンでは不覚にも、左目から一滴、右目から二滴の涙が流れ落ちてしまった。『たそがれ清兵衛』ほどでは無いが、とても良い映画でした。
          

  画面に多く出てくる登場人物が三人いる。一人は主人公の木村拓也、一人はその女房役の人、もう一人は中間(ちゅうげん)役の笹野高史。木村拓也は、彼のドラマを観たことは無いが、テレビによく出ているので知っている。笹野高史は自由劇場の頃の『上海バンスキング』で知っている。女房役の人、・・・今調べた。壇れいという女優を私は知らなかった。新人なのか、あるいは壇ふみの姪か何かかと思っていたら、宝塚のトップスターだったらしい。道理で目がパッチリしている。いかにも宝塚の顔をしている。一途な思いと、困難な状況に立ち向かう強さを上手に表現していた。いい女優でした。
          

 記:2006.12.15 ガジ丸


蟻の兵隊

2006年12月15日 | 通信-音楽・映画

 先々週の金曜日、ガジ丸HPのアップを早めに済ませ、午後から映画に出かけた。映画そのものは2時間ほどだが、金曜日の職場から家まで30分、家から映画館までは40~50分かかる。映画1本観るのに4時間は費やすことになる。
 その日の映画は『蟻の兵隊』、前に一度観ようと思って出かけたら、その時間の上映がライブに変わっていたという経験をしている映画。今回はちゃんと確認して出かけた。
 いつものことだが遅刻する。今回は10分遅れてしまった。暗い中、入口近くでしばらく闇に目を慣らしてから席を探す。見渡すと館内は三分の入り。マイナーな映画としてはまずまずの入り。桜坂劇場もなかなか頑張っていらっしゃる。嬉しいこと。

 『蟻の兵隊』、映画に集中してから数分も経たないうちにそれがドキュメンタリーであることに気付いた。私は概ね、宣伝チラシの内容を読まないので、そうとは思わず、戦争で理不尽な仕打ちを受けている人々のドラマかと予想していたのであった。
 『蟻の兵隊』、しかしながら、ドキュメンタリーではあっても、国家権力から理不尽な仕打ちを受けている人々の物語には違いなかった。真実の物語のようであった。
 国家というものが国民に対し、時には理不尽なことをやる、なんてことは私も知っている。昔、ある映画を観て作った歌がある。

 あんまり大き過ぎて 遥か雲の上に
 隠れて見えない顔がある 手を伸ばしても届かない
 目玉どこにある? あっち向いてこっち向いて
 大きく手を振る 足踏みする
 僕は首を竦めてる
 
 「あんまり大き過ぎて遥か雲の上に」しか、ものを見たり聞いたりする感覚器官を持っていない存在というのは、国家権力などのことを言っているが、「首を竦めている僕」は私では無い。運の良いことに私はまだ、大きな権力によって理不尽な扱いを受けたことは無い。ただ、映画を観て、「何て事を!」と憤慨した気持ちを歌にしたのである。
  『蟻の兵隊』を観て、その時と同じ憤慨が沸き起こった。『蟻の兵隊』に出てくる元残留日本兵たちは、戦後50年以上も真実を訴え続けている。しかしながら、目の前には厚い壁が立ちはだかっている。結局、真実は壁を崩すことができないのであった。
 残留日本兵たちはもう皆、老人である。余命は少ない。もう既に多くの仲間が亡くなっている。近い将来、彼らの全てがいなくなるであろう。その時、国家権力は、
 「やれやれ、やっと鬱陶しいのが皆消えてくれたぜ。今日はお祝いだ。」などと、高級料亭かどこかで乾杯でもするのであろうか。チクショー、腹の立つ!・・・勝手な妄想をしてしまい、これを書きながら、またも私は憤慨してしまった。
          

 記:2006.12.15 ガジ丸