先々週の金曜日、ガジ丸HPのアップを早めに済ませ、午後から映画に出かけた。映画そのものは2時間ほどだが、金曜日の職場から家まで30分、家から映画館までは40~50分かかる。映画1本観るのに4時間は費やすことになる。
その日の映画は『蟻の兵隊』、前に一度観ようと思って出かけたら、その時間の上映がライブに変わっていたという経験をしている映画。今回はちゃんと確認して出かけた。
いつものことだが遅刻する。今回は10分遅れてしまった。暗い中、入口近くでしばらく闇に目を慣らしてから席を探す。見渡すと館内は三分の入り。マイナーな映画としてはまずまずの入り。桜坂劇場もなかなか頑張っていらっしゃる。嬉しいこと。
『蟻の兵隊』、映画に集中してから数分も経たないうちにそれがドキュメンタリーであることに気付いた。私は概ね、宣伝チラシの内容を読まないので、そうとは思わず、戦争で理不尽な仕打ちを受けている人々のドラマかと予想していたのであった。
『蟻の兵隊』、しかしながら、ドキュメンタリーではあっても、国家権力から理不尽な仕打ちを受けている人々の物語には違いなかった。真実の物語のようであった。
国家というものが国民に対し、時には理不尽なことをやる、なんてことは私も知っている。昔、ある映画を観て作った歌がある。
あんまり大き過ぎて 遥か雲の上に
隠れて見えない顔がある 手を伸ばしても届かない
目玉どこにある? あっち向いてこっち向いて
大きく手を振る 足踏みする
僕は首を竦めてる
「あんまり大き過ぎて遥か雲の上に」しか、ものを見たり聞いたりする感覚器官を持っていない存在というのは、国家権力などのことを言っているが、「首を竦めている僕」は私では無い。運の良いことに私はまだ、大きな権力によって理不尽な扱いを受けたことは無い。ただ、映画を観て、「何て事を!」と憤慨した気持ちを歌にしたのである。
『蟻の兵隊』を観て、その時と同じ憤慨が沸き起こった。『蟻の兵隊』に出てくる元残留日本兵たちは、戦後50年以上も真実を訴え続けている。しかしながら、目の前には厚い壁が立ちはだかっている。結局、真実は壁を崩すことができないのであった。
残留日本兵たちはもう皆、老人である。余命は少ない。もう既に多くの仲間が亡くなっている。近い将来、彼らの全てがいなくなるであろう。その時、国家権力は、
「やれやれ、やっと鬱陶しいのが皆消えてくれたぜ。今日はお祝いだ。」などと、高級料亭かどこかで乾杯でもするのであろうか。チクショー、腹の立つ!・・・勝手な妄想をしてしまい、これを書きながら、またも私は憤慨してしまった。
記:2006.12.15 ガジ丸