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ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

幸せという免疫力

2017年08月25日 | 通信-科学・空想

 親しい友人のTが今年(2017年)1月、大腸ガンの摘出手術を行い、その後肝臓への転移が見つかって今月、その摘出手術を行った。1月も8月も、私は彼が入院する病院へ見舞いに行ったが、先日見舞った時は癌手術の是非についても少し話をした。
 共通の友人Oは「癌は手術するものではない」という意見の持ち主。彼の友人がある本の影響で癌手術を拒否したところ、癌は自然消滅したらしい。その本の名前は忘れたが、Oが勧めたHPサイトは「癌の正体見たり枯れ尾花」というタイトル。
 Oが「癌の正体見たり枯れ尾花」を勧めた翌日、Tから「肝臓ガンの手術で入院している」旨のメールがあった。そしてその翌日、話のネタになるかもと「癌の正体見たり枯れ尾花」の記事にあるていど目を通した後、Tを見舞いに行った。

 Tは思いの外元気であった。手術は成功で、数日後には退院予定とのこと。Tとは20分ほど会話したが、Tもまた、大腸ガンの摘出手術以前に「癌は手術するものではない」という類の本を読んでいて、その意味するところは理解している。が、彼は手術することを選んだ。彼の話を聞いて、私も彼の選択は正しいと思った。
 手術しなければ、もしかしたらいつか自然治癒力によって癌は完治するかもしれない。逆に、手術すれば癌がさらに転移するかもしれない。しかし、手術すれば今現在の肉体的苦痛が取れる。私も賛同したTの考えは、肉体的苦痛を伴なって不幸な5年生きるより、治療を受けながら1年でも楽しく生きている方がまだ増し、ということだ。

 自然治癒力と書いて、免疫力という言葉も思い出した。それらについて私は、記憶は定かでは無いが、たぶん、20年ほど前に興味を持って調べている。調べているが、あまり覚えていない。ので、広辞苑。自然治癒は「生体が本来もっている回復機能によって病気やけがが治ること」とあり、説明が短くて、すごく解りやすい。それに対し、
 免疫は「生体が疾病、特に感染症に対して抵抗力を獲得する現象。自己と非自己を識別し、非自己から自己を守る機構で、・・・(中略)・・・細胞性免疫と体液性免疫とがある」とあり、長く、解り難い。(中略)は説明文の半分くらい略している。
 まあ、何はともあれ、人間の体には免疫という機能を含む自然治癒力が備わっていることと私は理解した。その理解は、20年ほど前に調べた時と同じ理解だと思う。

 20年ほど前から私は薬を飲まないようにしている。風邪を引いても腹具合がおかしくても薬を飲まない。注射なんてのは以ての外だ。薬は、人間が本来持っている自然治癒力を弱めるのではないかという考えだ。薬が感染症を治してくれるので、免疫機能が働かなくなり、その内、免疫機能そのものが失われるかもしれないという考えだ。
 私はしかし、外傷については薬を使っている。ここ数年は出てこないので使っていないが、痔が出た時はオロナイン軟膏、虫刺されなどで酷く痒い時はメンソレータムを塗っている。1ヶ月ほど前、腕脚が気触れて、あんまり痒いのでムヒを購入し塗った。
     
     
 痛みは我慢できるが、痒みは我慢できない。痒みを我慢するというのは死んでもいい程の拷問だと思う。それは幸せでは無い。幸せな気分でいること、それが免疫力を高める最も良い方法だと私は思う。そして、それは、ガン手術したTも同じ考えだと思う。
     

 記:2017.8.25 島乃ガジ丸


社会の存在意義

2017年07月28日 | 通信-科学・空想

 車を使わない生活を目指して畑近くに引っ越したのに、引っ越してきてから8ヶ月近く過ぎたのに、家と畑を歩いて往復したのは5月29日のたった1度きり。
 前にも何かで書いたが、歩くことは健康のためでもある。畑仕事で、しゃがんでの作業を何時間もやって、たぶん、その疲労が蓄積して私は腰痛持ちになってしまっている。その腰痛は、歩くことによって回復するであろうと考えている。それなのに歩いていない。30分以上のウォーキングは5月29日以来無い。それ以前の数年間も少ない。5、6年前までは週末1万歩を超える散歩をしていたが、それ以降はほとんどやっていない。
     

 最近は歩いていないが、実は私は、歩くことは人間の基本と考えている。もう少し具体的に言うと、「歩けるということは人が自由であるための基本」である。山に行けば木の実がある、それを食えば生きられる。海に行けば貝や海草がある、それを食えば生きられる。山にも海にも行ける自由、つまりそれは、生きていける自由ではないかと。
 現代社会に生きる我々は、山の木の実や海産物を採取して生きる野生人ではない。ではあっても、「いざとなったらそうできるよ」ということは生きる自由になると思う。それには食べられるもの食べられないものの知識も要するが、「自らの意思で、行こうと思えばいつでも食えるもののある場所へ行ける」ということも必要条件となる。

 なんてことを考えながら、「ちょっと待てよ、その考えには少し不備があるのではないか?」と疑問を持つ。世の中には歩けない人も多くいる。「自ら行動して山の木の実や海産物を採取すること」のできない人はもっと多くいる。具体的には歩行もままならない老人や幼児、腹に子を抱えている臨月妊婦、身体に障害があってそうできない人など。
 「歩くことは大事だぜ、生きていることの証明だぜ」という話を、当初は書こうと思っていたが、そこでふと気付いた。「歩けない人も人、命は命、歩けるということだけが人の条件ではない。歩くことだけが生きていることの証明ではない」と思い直した。
 歩けない人でも心は歩く。心が働くということは想像ができるということ。「あー、あの人は今、山の中で食料を探すために汗をかいているんだわ。帰ってきたら優しくしてあげよう。」と新妻は思うかもしれない。そんなことの積み重ねで夫婦の絆は深くなり、いつか、無二の夫婦愛を育み、素晴らしき幸せに包まれるかもしれない。

 老人や幼児や妊婦のために、歩ける男は日々歩くことに努める。年老いた親のため、まだ小さな我が子のため、家を守っている妻のため、つまり、家族のために大黒柱は働くわけである。と考えて、「そうか、社会とはそのためか」とまで思考が及んだ。
 家族が助け合って生きているように地域社会も助け合って生きている。歩けない人がやりたくてもできないことを誰かが代わりにやっている。私がやりたくてもできないことを誰かが私の代わりにやってくれている。そういったことに皆が感謝の気持ちを抱く。そうすると世の中は平和になる。社会の存在意義とはそういうことではないか。例えば、
 「助けてくれてありがとうございます。体が不自由なので何のお礼もできませんが。」
 「いえいえ、その感謝の気持ちだけで私は幸せを頂いています。ありがとう。」なんて感じ。実は私は、良い人ぶるのが苦手なのだが、こういうのは平和を感じ、好き。
     

 記:2017.7.28 島乃ガジ丸


体感主義

2017年07月14日 | 通信-科学・空想

 「私は健康か?」と自問すると、「概ねそうである」と答えられるが完璧では無い。体の不具合はあれこれある。老眼で、大工仕事の時、老眼鏡無しではメジャーの目盛がはっきり見えない。右下奥歯の奥から2番目の歯が根元まで2つに割れ、より小さい方の部分がグラグラしている。腰が痛い、一時期の痺れるような酷い痛みは消えたが、畑仕事を長くやると痛みが戻る。そして、血圧が高い、160台、170台が続いている。
 それでも私は、病院へ行かない。健康診断や検診の類はもう40年余もやっていない。注射が痛いからとか、余命の宣告が怖いからとかいう理由では無い。私は、痛みにはまあまあ強い方である。大雑把な性格なので大工仕事で切傷、打撲は日常茶飯にある。畑でハチに刺されたりもする。それらは、大怪我ではないので病院へ行かなくて済む。

 医者、あるいは他の誰かに言われたことで自分の行動を決める、ということをなるべく避けたいと私は思っている。自分の体が感じたことで行動を決めたいと思っている。
 私の弟や私の友人達の中には、ネットで知ったらしい裏付けの取りようがないこと、例えば宇宙人とか、世界の黒幕とか、あの世のこととか、世界の終りとかいった類の話を、まるでそれが真実であるかのように熱心に語るが、私にしてみれば、それらは私が体感していないこと、あるいは体感しようにもできないことなので「どうでもいいこと」に分類される。宇宙人のことは宇宙人に会ったら考えよう、あの世のことはあの世に行ったら考えようと思っている。それからでもちっとも遅くないと思っている。

 先週のガジ丸記事『ボケカス人生』で「散歩しない、休肝日は週一だけ、タバコも吸う血圧高めの後期オジサン」と自分のことを表しているが、それも体感からの評価である。散歩しないのは良くないと判断し、やらなきゃ思っている。私の体感は散歩すると体調が良いと感じている。血圧高めは少し気になるが、「休肝日は週一」、「タバコも吸う」については、私の体感では特に問題無い。血圧高めも体感では不具合は感じていない。
 そこで、ふと思った。私の血圧が実際に高いのではなく、使っている血圧計が不調なのではないかと。そういえば、体重計もおかしいかもしれない。去年2016年は体重が57~59キロで推移していたのに、今年2月から下がり始め、6月19日、54.2キロまで落ちた。高校3年の頃の体重だ。体重はなお落ちて、26日には53.2となる。これには驚いて翌日も計ったら何と52.6、高校1年の頃の体重になってしまった。
 「体重計もおかしい」と思ったのは体重の激減からではない。2016年は体脂肪率が11~14%、今年も5月までは11~13%だったのが、6月19日には何と18%、26日には22%と見たことない数値となってしまった。「体重が52キロはもしかしたらの可能性もあるが、体脂肪率22%はありえない。機械がおかしい」と思った。
 
 

 私は私の体を以前より重いとは感じていない。つまり、私の筋肉は減っていないし、脂肪は増えていない。懸垂も腕立て伏せもできている。私は、機械よりも私の体感を信用しているので、よって、体重計がおかしいと結論した。血圧計もきっとおかしい。血圧計は買って10年、体重計は買って20年以上は経っている。2つとも老化しておかしくなっているのだ。老化しておかしくなっているのは私の体感の方かもしれないが・・・。
 

 記:2017.7.14 島乃ガジ丸


早寝早起き歩く芋生活

2017年06月23日 | 通信-科学・空想

 過日、西原町立図書館へ行ってDVDコーナーを眺めていたら1つ目についた。確か、宮沢りえ主演で映画化もされている。タイトルは『はなちゃんのみそ汁』。それを借りて観た。作品は当事者が登場するドキュメンタリー、FBS福岡放送の製作。
 25歳で乳がんが見つかり、闘病中に結婚し、子供を産み、数年後に肺がん、31歳で肝臓がん、33歳で他界した女性とその家族の愛の物語。私の感想では、闘病の物語ではなく、家族の愛の物語であった。死という悲しみはあるが、心暖かくなる物語。
 主人公はブログをやっていたらしい。そのタイトルは「早寝早起き玄米生活~がんとムスメと、時々、旦那~」で、闘病しながらの子育てを書き綴っていたようだ。早寝早起き玄米生活とは、「抗癌剤治療を拒否し、食事療法などによって免疫力を上げる治療を選んだ」ということらしい。結果は残念だったが、それで8年間、癌と闘ってきた。
     

 私の体にもきっと癌はたびたび発生しているはず。私の免疫力が今のところ癌を抑えてくれていて発症を防いでくれているものと考えている。私は普段から「食事によって免疫力を上げる」ことを心掛けている・・・わけではない。貧乏なので芋(サツマイモ)食をしている。芋も買っているのではなく畑の芋、掘ればいつでも芋が出てくる。
 『はなちゃんのみそ汁』の主人公の25歳には遠く及ばないが、私も40歳半ば頃からは早寝早起きを続けている。その頃から玄米食も始め、『はなちゃんのみそ汁』の主人公に先だって「早寝早起き玄米生活」をやっていたことになる。玄米が芋に代わったのは、はっきり覚えていないが、遅くとも2011年からは芋食だったと記憶している。
 私の生活にタイトルを付けるなら、農夫としては「早寝早起き」は当然のことなのでわざわざタイトルに入れる必要は無い。農夫の多くが自給自足なのかもしれないが、私は特にそれを目指している。よって、私のタイトルは「自給自足芋生活」となる。
 と思ったが、『はなちゃんのみそ汁』の主人公が言う「早寝早起き玄米生活」は健康な体を目指してのこと。自給自足は、自然栽培の野菜が健康に良いという可能性もあるが、主な目的は「金を使わない」ということにあり、健康とは離れてしまう。ということで、健康を目的とするならば私の場合も『はなちゃんのみそ汁』にならって、「早寝早起き芋生活」ということにしよう。そして、それにもう1つ、加えたいことがある。
     

 3月初めからの1ヶ月半、介護施設の運転手というアルバイトをやったが、運転の嫌いな私にはそれが大きなストレスとなり、始めた翌日の朝に計ったら、血圧が170を超えた。その後も160台という状況が続き、4月の中頃にはそのバイトも終了したが、バイトを辞めても高めで推移し、150台と160台を行ったり来たりしている。
 血圧が高めで推移している原因について思い当たる節はある。食べているものは以前と変わらず野菜中心の食物であり、早起きについては最近寝坊して7時頃に起きるということもしばしばだが、早寝(10時頃)はしている。以前と何が変わったかと言うと、散歩が趣味であった私が、2年余り前からほとんど散歩をしなくなった。つまり、歩かなくなった。畑仕事を1日中やっていてもその際の歩数は少ない。おそらく1千歩に遠く及ばないと思う。「血圧が高いのは歩いていないせいかも、歩かなきゃ」と思い、5月29日、家から畑を往復した。しかし、その後は怠けている。雨のせいにしておく。
     

 記:2017.6.23 島乃ガジ丸


闘争本能が目指すもの

2017年06月02日 | 通信-科学・空想

 何故、人は戦うのかについて、「闘争本能があるから」と私は認識していた。そう認識して、「それ以外には無かろう」と思って、それ以上深く考えることはなかった。今回、それをちょっと考えてみた。考えたというか、妄想してしまった。

 「何故、人は戦うのか?」を再考してみようと思い立ったのはある夢を見たから。私の記事で夢の話はよく出てくる。「またか」と思われるかもしれないが、毎日毎日たくさんの夢を見て、その中には濃い物語があって、覚めても頭から離れないものもある。頭から離れないとその夢の続きを妄想する。夢とその妄想を足すとまとまった物語になる。物語になると他人に話したくなる。というわけで、今回も「またか」のお話。
 私の夢の中に出てくる主人公は、私本人である場合もあるが、もう一人の私、謂わば私の分身である真迦哉(まかや)であることが多い。真迦哉は正義と平和が好きで、老若男女に信頼され、女には大いにモテて、デート相手、ベッド相手に不足することは無い。現実の私とは大いに異なるので、それは私では無く別の人格としている。しかし、今回の夢の主人公は真迦哉ではなく私である。ちょっとモテているが全然カッコ良くない。

 夢の内容は大まかに述べる。
 美女がいる。夢から覚めた直後は顔を覚えていたが、すぐに消えた。名前はちっとも思い出せない。たぶん、有名な美人女優であった。彼女は私に好意を寄せている。この辺りは現実の私とは違うが、たまには私もモテるのである。私ももちろん彼女のことが好きなのだが、まだ告白をしておらず、恋人と呼べる女性にはなっていない。
 話を端折って先に進む。ある日ある時、私が彼女を前にして、今まさに告白しようとしている時、彼女を奪い取ろうとする男が現れた。この男は夢から覚めても鮮明に覚えている。お笑いコンビとんねるずの石橋貴明だ。いかにも闘争好きそうな面構え、そういう認識を私が持っていたから、私の潜在意識が彼を登場させたのかもしれない。
 彼女に告白する、私もバカではないので、彼女がそれを待っていたということを彼女の目を見て感じている。「いよいよ我が恋の成就だ」と思いつつ口を開きかけたその時、
 「ちょっと待った!」と大声が聞こえ、石橋貴明が登場する。恋の成就が目前の私に石橋貴明が何らかのゲームで勝負を挑んできて、私はことごとく負ける。ゲームの内容はよく覚えていないが、私は力で負け、早さで負け、頭脳でも負けた。負けた私は彼女の前から去った。生涯一の悲しみを背負って背中を丸めた哀れな姿、これが夢の終わり。

 夢から覚めても、印象深い夢だったので夢の中の出来事をほとんど覚えていた。自分が負けて愛する人を失ったことははっきり覚えていた。そして、しばらく考えた。愛していることが重要なことであるはず、愛し愛されていることを確信できることが人の幸せであるはずだと思い、「なのに、何故闘う、闘わなきゃいけないんだ」と考えた。
 闘争本能が目指すもの、それは「我が遺伝子のほぼ半分を継承する者を後世に残す」という欲望であり、「我が遺伝子のほぼ半分を継承する者」は自らの命の代替であり、それが永遠に続くということはつまり、「我が身の不死身」という欲望の現れということになる。なので、闘って生き残りたい、闘ってでも女を得たいとなる、のではないか。
     
     
     

 記:2016.6.2 島乃ガジ丸