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ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

れむれない夜

2015年08月21日 | 通信-科学・空想

 今年は畑をほとんど休んでいない。正月明けてから畑へ行かなかったのは2回か3回あったかどうかだ。「2回か3回あったかどうか」の2回は最近のこと。今月7日、台風12号がやってくるとの予報があった日、その日は家から出なかった。
 雨の日も畑へ出ていて、ちょっとした雨なら小屋のテント下で大工仕事(台風対策にもなる物置作りなど)をやっている。雨が上がれば畑仕事、やることはいっぱいある。除草や秋播き作物のための畝準備など。雨で休んだのは今週日曜日(16日)が今年初。夜中からの大雨が朝も少し引き摺って、「今日は無理だな」と判断し、一日休んだ。
 畑仕事を始めた頃、「週に1日は休めと神様も仰っているから週休一日にしよう」と思っていたのだが、なかなか休めない。機械を使わず手作業でやっているからそうなる。作業はいつも間に合っていない。そんなわけで、夏は午前中で畑を切り上げる予定であったが、早い時でも1時過ぎ、遅い時は4時過ぎまで働いている。晴れた日は午前7時から暑い、9時を過ぎると糞暑くなり、10時を過ぎると激しく糞暑い。その後の暑さはどう表現しよう・・・地獄(行ったこと無いけど)の暑さとでも言っておこうか。
          

 家に帰ると窓を開け放し、窓の傍に置いてある扇風機をONにし、弱風から強風へ切り替え、台所の換気扇を回し、外の空気が室内を流れるようにする。それでも、それから数時間後の夜になっても、気温は30度を超えている。西日に温められたコンクリートの輻射熱のせいだ。真夏の太陽光線がいかに強烈であるかを証明している。
 一晩中窓は開け放しだが、寝る前には扇風機の強さを強風から弱風へ切り替え、向きも体から少し離す。クーラーは使わない主義の私はそういう環境で夏の夜を過ごしている。それでも、少なくとも寝付きはいい。一旦は寝る。けれど、暑くて寝苦しくて夜中何度か目が覚める。目が覚める直前はたいてい夢を見ている。なので、一晩でいくつかの夢を私は見ている。「眠りが浅いんだな、これでは十分な睡眠をとっているとは言えないな、健康にも悪影響があるんじゃないかな?」と心配になって、ちょっと調べてみた。
 レム睡眠とノンレム睡眠があるということは知っていた。広辞苑にも載っており、レム睡眠とは「急速眼球運動の見られる睡眠。一夜に4~5回出現・・・夢を見ている時にほぼ対応」で、ノンレム睡眠は徐波睡眠という名で載っていて、「ゆるやかな振動数の脳波が現れる睡眠。レム睡眠以外の睡眠。成人では一夜の睡眠の約80パーセントを占める」のこと。私の夢は「一夜に4~5回出現」なので、私の睡眠は普通だと言える。

 先週土曜日(15日)の夜、台風13号の影響がまだ残っていたのか、部屋は北向きの窓からの涼しい風が流れ込んで、いつもの暑さでは無かった。お陰さまで私はぐっすり眠ることができて、夜中目を覚ますことも無く、翌朝目覚めた時、(4~5回は見てはいるはずの)夢をちっとも覚えていなかった。久々にレムを感じない夜であった。
 思えば、若い頃はもちろん、40過ぎたオジサンになっても、肉体労働をして、家に帰ってシャワーを浴びて、酒飲んで寝た時、その日が寝苦しい夜で無ければぐっすり睡眠だった。夢を覚えていないレムを感じないままの睡眠は、翌朝の目覚めも気持ち良い。「寝たぞー」という満足感がある。ぐっすり眠ることのできた夜を「れむれない夜」と私は呼ぶことにした。私の夢は概ね楽しい、その夢を覚えていないのは残念な気もするが。
          

 記:2015.8.21 島乃ガジ丸


孤独自然死

2015年07月31日 | 通信-科学・空想

 子供の頃、『野生の王国』というテレビ番組があって、私は好きでよく観ていた。強いものに憧れている少年は草原に佇むライオン、森林に佇むトラ、荒野に佇むオオカミなどがカッコイイと思った。時が経って中学高校の頃、映画が好きでよく観に行った。特に西部劇が好きでたくさん観ている。荒野の用心棒など、一匹狼に少年は憧れた。
 それからまた随分経って、一匹狼に憧れた少年は十分オジサンになって、「男の本質はやり逃げ」という考えを持つようになった。荒野を彷徨い、雌を見つけ、口説いて、やることをやったら、また旅に出る。雌が妊娠したとしても知らんふり、子育ては雌任せ、その代わり、女房子供に感謝されることは無い、慕われることも愛されることも無い。

 現在、私の話し相手をしてくれる女性は数人いる。みな人妻。デートに誘えば付き合ってくれるであろうアラサーの独身女性が一人いるが、彼女はもう赤い糸で結ばれているであろう相手を探さなければならない切羽詰まった歳になっているので、そうそうオッサンに付き合わせることもできない。もう1人、アラサーよりずっと上の独身女性がいて、彼女も誘えば話し相手をしてくれるであろうが、静岡在なのでなかなか会えない。
 2ヶ月ほど前、友人のK子と昼飯デートをしたが、それ以前半年ほどデートは無く、その後も無い。去年1年間は無く、一昨年も無かったのではないか。であるが、それが淋しいと、私はちっとも思わない。心の片隅で気に掛けている・・・例えば、大病で入院したと聞けば見舞いに来てくれるような人が数人いれば、私はたぶん満たされる。

 友人のMは結婚して、離婚して、すぐに同じ人と再婚したという経歴の持ち主だが、会うと、たいていは女房への愚痴を聞かされる。「なら別れたらいいのに」と言うと、「俺は1人ではダメなんだ、1人のままだときっと頭がおかしくなる」と答えた。
 「淋しがり屋なんだ」と私はMのことをそう判断したが、淋しがり屋は他に、中年になって、20歳近い子供3人を持つバツ一女性と結婚した友人Tも「家庭は賑やかな方がいいんだ」と言っていたし、50も半ばを過ぎて結婚したIや50も半ばを過ぎて「結婚したい」と言っているKなども、たぶん淋しがり屋なのかもしれない。
          

 過日、ラジオから「孤独遺伝子」なる言葉が聞こえた。人間には孤独になりたがる遺伝子を持つ人と持たない人がいるとのことであった。「これだぜ俺は!」と思った。私はきっと、間違いなく孤独遺伝子を持っている。友人のMやTやIやKはそれを持たないのだろう。孤独遺伝子を持つ者がどのくらいの割合でいるかは聞いていないが、私の周りの淋しがり屋らしき友人達を数えたら、孤独遺伝子を持つ者は少数派に違いない。
 孤独遺伝子を持たない者にとっては女房がいること、子供がいること、家族団らんの時間があることなどが幸せで、孤独は不幸なのだと思う。しかし、孤独遺伝子を持つ者にとっては孤独こそが幸せとなる。記憶はおぼろげだが、昔の有名な哲学者が「結婚は人生の墓場」と語り、昔の有名な文学者が「結婚は忍耐」などと言っている。その哲学者も文学者もきっと、孤独遺伝子を持つ男だったのであろうと私は想像する。
 今の世は「やり逃げ」が許されない。私もそんなことはしていないが、逃げてばかりいる。そんな男はきっと孤独死だ。できれば老衰死で、孤独自然死と言われたい。
          

 記:2015.7.31 島乃ガジ丸


生きようとするエネルギー

2015年05月08日 | 通信-科学・空想

 近所の大先輩農夫N爺様は時々食べ物を私にくれる。食べ物は食パン、菓子パン、生菓子類である。爺様の家の近くにパン工場があり、それらの食べ物はそこの製品。爺様がくれるそれらの食べ物は例外なく消費期限切れのもの、1~2日過ぎたものであればまだいいが、たいていは4~5日過ぎたもの、消費期限が4~5日過ぎた菓子パンは食べずに捨て、生菓子類はカビが生えていないか確認して、生えていなければ食べている。
 何で消費期限切れのパンや菓子を持っているのか先日爺様に尋ねた。パン工場は商品を卸したスーパーなどから消費期限となったものを回収し、工場に持ち帰る。それはたくさんの量となる。それらを残飯と呼ぼう。残飯の処分は先ず、あらかじめ契約している農家に格安で売る。農家はそれを家畜の餌とする。N爺様の次男が以前鶏を養っていて、契約農家の1人となっているらしい。養鶏を辞めた後もパン工場との契約は続いており、時々残飯の中の、期限切れ直後のものを購入し、食べているとのことであった。
          

 私は、食い物に関しては割と好奇心が強く、概ね「何でも食べてみよう」精神を持っている。その精神は「胃腸は丈夫」という自信(根拠無し)から来ていると思う。若い頃、少々酸っぱい匂いがして「傷んでいるかも」と判断したものでも、構わず食っていた。そのせいか、丈夫な胃腸が酷い腹痛、下痢に襲われたことが何度かある。ただ、下痢はあるけれど、これまでの(私が自分を認識できる年齢から)人生で便秘は無い。
 朝起きて、朝飯食って、起きてから1時間ほども経つと便意を催す。トイレに行って便座に腰掛けるとすぐに脱糞する。その脱糞が最近特に調子いい。以前は「まだ大腸に残っている」感があって、終了まで3分以上かかっていたが、最近の脱糞は概ね30秒ほどで済む。さっと出て、すっきり出し切っている。絶好調である。
 去年の暮れからホウレンソウ、ニンジン、ダイコン、キャベツ、フェンネル、ジャガイモ、タマネギ、ニンニクなどが次々収穫でき、毎日たっぷりの野菜を摂っている。毎日の昼食は概ね芋(甘藷)なので、私は毎日たっぷりの食物繊維を摂取している。それが私の絶好調脱糞の要因となっているのではないかと考えられる。

 もう一つ、これもたっぷり野菜のお陰だと思われるが、朝7時から午後4時まで畑仕事をしての疲労感が以前より軽くなっている。そして、たまにだが朝立ちがある、こんなビンビン、十数年ぶりではないだろうか。野菜には元気を与える力もあるようだ。
 食べ物には蛋白質とか炭水化物とかビタミンとか生命維持に必要な栄養素がいろいろあるみたいだが、私は、科学的根拠の全く無いテキトーな考えだと断った上で、食べ物にはそれ自身が持っている「生きようとするエネルギー」もあるように感じる。それはきっと元気の素である。私は私の畑の野菜たちから生命維持の栄養だけでなく、美味いという喜びと共に、元気も頂いているのではないかと最近感じるようになった。
 私の畑の野菜たちは無農薬はもちろんのこと、無施肥(有機肥料さえ与えない)でもある。耕してはいるので正式な自然農法では無いが、それに近い栽培でできた野菜たちだ。科学の力を借りない自然のままの食べ物、太陽と大地の力のみで育った自然の食べ物、そんな食べ物はきっと「生きようとするエネルギー」も強のではないだろうか。カップ麺とかお菓子とか加工食品はたぶんそれが弱いのだと私は思う。科学的根拠は無い。
          

 記:2015.5.8 島乃ガジ丸


パソコンは健康に悪い?

2015年03月06日 | 通信-科学・空想

 懸案事項の一つである確定申告は、税金の支払いが終了し、残った金額を兄弟3人で分けて、姉にその取り分を振り込むまでは心落ち着かないが、税額がいくらになるかという面倒な作業は税理士がやってくれており、数日中には判明する予定。
 ホームページ引っ越し作業はだいたい終わった。しかし、ブログ引っ越し作業はまだ道半ば、それでも「これだけは急いで」と思っていた植物写真の説明文記入は一応終わったので、あとは急がずにコツコツやっていこうと思っている。
 そんな中、毎日数時間パソコン作業に時間を取られながらも、畑仕事は少しずつだが進んでいる。ジャガイモの多く、タマネギ、フェンネルの一部が収穫できる状態にあり、今週火曜日にある程度収穫し、半分を友人の息子Kの店に卸し、残りの半分を翌水曜日に友人I女史の店に卸した。水曜日から天気が悪く今日も雨、明日の予報も雨、なので、次の収穫は週明け月曜日になりそう。収穫したらKの店へ持って行く予定。
 作物を収穫し、配達することを優先しているので、畑の他の作業は少々遅れている。2月中に種蒔きを予定していた大豆とビート、3月上旬には種蒔きを予定しているエダマメの内、ビートの一部は今週月曜日に播いたが、大豆とエダマメ(大豆の若いものをエダマメと言うのだがそれ向きの品種がある)はまだ畝の準備もできていない。

 こうやって一日数時間のパソコン作業、1日7~8時間の畑作業を続けているお陰で、体には少々不具合が生じている。パソコンで目が痛い、畑で腰が痛い。
 実は一ヶ月前まで、畑仕事では腰以外にも膝に痛みの走ることが頻繁にあった。「こうやって膝がダメになって車椅子生活になるかも、畑仕事ができなくなるかも、食っていけなくなるかも、部屋で孤独死し、白骨化してから発見されるかも」などと不安になって、どうしたもんかと考えた。考えた結果、2月1日から始めたことがある。夏は暑くて、その後は忙しくてしばらく休んでいた筋力トレーニングを復活した。
 畑仕事から帰って、晩酌の準備をしながら運動する。下半身の運動の他、時間がある時は上半身の運動もやる。2月の28日間で運動をしたのは20日間、上半身の運動までできたのは6日間あった。おそらくそのお陰だと思うが、長時間の雲子座り(和式)での畑作業でも、腰は少々重くなるが、膝の痛みは無くなった。
 しかし、パソコンによる目の痛みは無くならない。目は鍛えようが無いのではないか?パソコン画面をマジマジと見つめての作業は、連続だと3時間が限度(私の場合)みたいである。目が痛くなると手を休め、外に出てブラブラしながらなるべく遠くの景色を眺めるようにしている。10~15分ほどそうして、そしてまた、パソコンに向かう。

 私は、遺伝(父や叔父達に同じ)だと思うが血圧が高めである。なので、手首で計る血圧計を持っていて、朝起きた時、時間に余裕があればたいてい計っている。だいたい、週に2回位はそのような機会がある。その血圧がここ数ヶ月以前より高めのまま推移している。血圧だけでなく、60前後だった脈拍数が70前後というのも続いていた。
 巷間言われているようにパソコンからは電磁波が出ており、それが体に悪影響を与えているのではないかと考えた。目は痛くなるし、時には肩凝りもする。よって、パソコンは健康に悪いと私は判断した。そう判断したけれど、パソコンは止められない。
          

 記:2015.3.6 島乃ガジ丸


ルールはたった一つ

2015年02月20日 | 通信-科学・空想

 「その島のルールはたった一つなんだ」と真迦哉は言う。たった一つのルールで成り立つ国があるということに私は興味を持ったが、「春になって暖かくなると、男も女もほとんど裸で生活し、フリーセックスなんだ」にはさらに強く興味を持った。
 「裸って、真っ裸か?」
 「いや、バナナの葉やクバ(ビロウ)の葉で作った腰蓑のようなものは着ている。」
 「女もか?おっぱいは丸出しなんだ。」
 「丸出しだし、下半身だってちらちら見えている。」
 「それでフリーセックスか?」
 「おう、いつでもどこでもOKということだ。」 
 「好みの男では無いから断るということはないのか?」
 「それはある。よくある。頻繁にある。断られてばかりの男だっている。」
 「断られてばかりいるなんて可哀想だな、強姦はしないんだ?」
 「女は断れるし、男は強姦しない。それもたった一つのルールを守っているからだ。」

 真迦哉によると、フリーセックスで生まれた子供は父親が誰なのか特定できない者も多くいる。よって、その島の子供達はみな島の子供として村中で面倒を見る。子供だけでなく、妊婦も授乳期間中の母親も村中が面倒を見る。それはルールでは無く慣習とのこと。その方が島の全体の幸せに繋がるという共通認識を持っているらしい。
 温かい島なので暖房冷房の人為的環境作りはあまり必要なく、それに費やす時間や労働は要らない。島人の労働は主に食料取得だけとなる。島人の多くが畑仕事をし、芋などを育てているが、海にも野山にも食料はあり、畑が無くても食ってはいけるそうだ。
 食っていける安心感があるから余計な競争はしない。島人の多くが心穏やかでのんびりしている。惚れた女に見向きもされない男供は少々鬱屈しているが、女同士の諍いもたまにはあるが、いずれも大事には至らない。村の長老たちによる叱咤激励、慰め、調停などの力もあるが、島人の全てに生まれた時から教え込まれ、心に深く染み込まれているたった一つのルールが、島の平和維持に大きく寄与しているとのこと。
          

 「その、たった一つのルールっていったい何なんだ?」
 「普通のことだ。他人の生命財産を勝手に奪ってはならぬ、ということだ。」
 「確かに普通だな、たったそれだけなんだ。」
 「しかし、それがあるから他人を傷付けることもできない。まあ、島が穏やかだから傷付けることが好きという悪党も生まれないのさ。世の中がギスギスしているから、他人を傷付け、残虐に殺すのが好きなんて極悪非道の輩も生まれるんだと俺は思うぜ。」
 言い遅れたが、真迦哉とは私の夢の中に出てくる、謂わばもう一人の私。彼とは度々、夢うつつの中で妄想を語り合っている。気になっていることを最後に訊いた。
 「いいなぁ、そんな島。そこで暮らしてみたいよ。あー、でも、問題が一つ。女に断られてばかりいる男は一生、性行為ができないのか?それは嫌だなぁ。」
 「そんなこたぁ無ぇよ。そういった男供は年増の女がたっぷり面倒みてくれる。」
 「真迦哉、その島へ俺を連れて行ってくれ。」と頼んで、その日の妄想はお終い。
          

 記:2015.2.20 島乃ガジ丸