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(キエフの独立広場で週末を楽しむ若者たち)
9月にモスクワを訪問した帰り、ウクライナの首都キエフに寄ってきた。ウクライナ独立後の94年に取材で訪れて以来なので、約20年ぶりの訪問ということになる。キエフ市内はすっかりきれいになり、欧州の都市らしい雰囲気と風格を備えているように見えた。だが、内情を聞くと、依然として欧州に同一化できないジレンマを抱えているようだった。
モスクワのシェレメーチェボ空港を離陸後、約1時間半でキエフのボリスピリ空港に着いた。我々が降りたターミナルDは、日本のODAの援助で計6億ドルを投入して昨年完成したばかりとのこと。欧米並みの近代的なターミナルで、どこか成田空港に似ている感じがした。
空港からミニバンでキエフ市内に入ったが、中心街に近づくにつれ、高層マンションが現れ、郊外の田園風景が一変した。一番賑やかなフレシチャーチク通りに入ると、改装されたホテルやデパートが立ち並び、ショーウインドウには、欧米の最新ファッションが飾られていた。
この通りの両側に、ソ連崩壊後できた独立広場があり、若者たちが思い思いに週末を楽しんでいた。私がモスクワから何度か取材に来た1991年には、広場周辺で独立を要求するウクライナ人のデモが頻繁に行われ、武装した治安部隊とにらみ合っていた。そんな緊迫した状況が信じられないような、穏やかな週末だった。
ウクライナの独立から22年。ヤヌコビッチ政権はソ連時代、兄と呼ばれたロシアと手を切り、欧州連合(EU)への加盟に向け突っ走っているようにみえる。11月には自由貿易協定を含む連合協定に正式に調印、準加盟に踏み切る構えだ。だが、ロシアは様々な圧力をかけ、ベラルーシ、カザフスタンを加えた3カ国の関税同盟に引き込もうとしている。
ウクライナはロシアとの時差を1時間とするなど、事あるごとに兄と対立している。「兄弟は他人の始まり」というが、両国はそれをことさら強調しているように見える。だが、ウクライナの市場経済はまだ発展途上にあり、とても西側との競争に勝てる状況とは思えない。EUに加盟しても、まだまだ苦難の時代が続きそうだ。
それでも、ウクライナ人は信じる道を進むしかないと腹をくくっているに違いない。その成否は、米国など欧米諸国がどれだけ協力してくれるのか、あるいは辛抱強く待っていてくれるかにかかっている。ウクライナ人といっても、約2割はロシア系住民だが、今こそ、ウクライナ人は国民としての団結力を示す時だろう。(この項おわり)