どうでもいいことを、大仰に感謝することばを吐くくせに、肝腎なことには、絶対に感謝のことばを、口にはしない。どうやら、そのように決めているらしい。母親の介護生活が始まって、あらためて、気付いたことである。家内に、「へんやろ、やっとわかってくれましたか。」と何度も言われているが、まさに実感の毎日である。
そして、その効果はどういうことになるか。ほとんど接触のない人にとっては、ちょっとしたことで、感謝の言葉を簡単に聞けるから、とてもこまやかで、優しい人となる。ほんとに身近にいる人間とのギャップ感は相当ある。ちょっとしたことに、大袈裟な感謝の言葉というのは、周囲に誤解を生ずる。
バランスが悪いのである。筋が悪い。こちらで用意して、配慮したものであっても、まるで、自分がやったことのように、他者に振舞うこともある。妹などは、結構、術中にはまっている。こちらに対して、ときに高慢になり、軽く扱ってくる。何をきかされているのか、と訝りたくなる態度であった。母の「仕打ち」に由来する影響である。それも、今回の本格的な介護状態となって、さすがに、気付いた面もあったとみえ、見舞いにきたときには、態度は相当変わってきた。
こうしたことに気付いたのは、まさに、介護をするようになり、本格的に、妻のサポートをしだしてからである。本当に、人をみぬくのは難しい。だが、わかってみれば、よく周辺事情がみえてくる。これが、人生経験ということか。
結局は、ごまかしのテクニックではなく、実際に、物事にとりくむなかでこそ、見えてくる。いろんな誤解にあったり、仕打ちをうけたり、行き違いもでてくるけれども、一々気にとめたり、苦にしないことだ。誠心誠意行動するほかなく、結果はどうあろうと、それはそれでいいのである。自分自身がどう考えて行動するのかが、結局は肝腎なことなのである。
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