小沢氏が元気になってきた。刑事被告人だから、まだ本格的にということではない、というが、なかなかどうして、朝日朝刊のトップ下に写真入りで登場したかと思えば、今朝は、大きく紙面を、まるまるしめる特集のインタビュー記事がでている。
国の行く末を嘆いてみせ、橋下氏をもちあげて、まだまだ政治の世界で自分がやるという意欲を漲らせている。検察の取調べが、彼を救ったような形になっているのが、皮肉である。
検察は、強引な取調べを慣行的にしてきたようで、だれも抵抗できない最終パワーをもっていると自負してきた。戦中の共産党に対する無茶苦茶な弾圧をはじめ、数多くの冤罪をうみだしてきた。
裁判官は、一旦検察が起訴したものを、無罪とすることは、できないという検察支配が続いてきた。では、検察は、今日の状態からどうすればいいのだろうか。
すべては、公開すればいいのではないか。取調べのすべての記録を徹底する。今は、多くの技術がある。これを駆使して記録する。公平な取調べを貫徹する。
そのことによって、検察の真の役割が貫徹できると思う。小沢氏の問題にしても、彼がいかにして蓄財が可能だったか、その財力で、多くの秘書軍団を動員して、議員を作り出してきたのか、この背景には何があったのか、すべての取調べの経緯が記録されていれば、「隠しどり」でアタフタすることもない。
検察の改革は、決して難しいことではない。公平公正であればいいだけのことである。