空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

レッテル

2012年02月14日 10時44分39秒 | 思考試行

橋下市長の「思想調査」が問題になっている。公務員が、不偏不党であるべきところ、これは、かなり慣習化していたのであろう、市の組合が、公然と現市長のサイドにたって、橋下氏と対決した選挙活動をしたことに発端がある。

業務命令で、回答を強制している。市の労働組合は、市庁舎内にある組合施設の返還を要求され、賃金カットも同意させられた。権力を持った側は、その意志に沿って、なんでもできる勢いである。

国政にまで、その視野を広げている。もはや、既成政党が、橋下氏らの勢力に秋波を送っているといわれる。意思決定をして、実行していく。なにも決まらない国政の状況下では、どんどん実行していく橋下氏が魅力的にみえるのだろう。

だが、簡単に憲法を変えて、理不尽な隣国があるとすれば、堪忍袋の緒を切って、戦争だって辞さないという状況がすぐにうまれる可能性だってある。「国益」ならかまわないという考え方は、全体をみないから、危ない。

全体に目配りをし、戦争ではなく、平和的に進めようとするのは、簡単ではない。レッテルをはって、おしまいというわけにはいかない。実質的な共感が必要である。あいつは、もうダメ、とか、あの国はどうしょうもない、などとレッテルはりが公然と行なわれれば、肝心なことを見逃すことになる。中味の検討がされない、まことに味気ない社会となるだろう。


若い人へ

2012年02月13日 09時57分15秒 | 思考試行

もちろん老人には、老人の魅力があるのだが、だんだんと自信がゆらぐような「事件」があって、元気がなくなる。落ち着いた感じになればいいのだが、もうあきあきした、などと言い出すと、本人もそうだが、周囲もがっかりする。

死ぬまで勉強と考えれば、生きている今のなかで、真摯に人生をみつめながら、工夫しながら生きていきたいものである。自虐的なモノイイだけはしたくないと、今はそう思う。そのときがくればどうなるかは、もちろんわからないが。

さて、最近、若い人たちと一緒に会席する機会があって、食事をした。結婚式をしないカップルがアイサツに来るというので、親戚などに声をかけて、ちょっとした人数が集まった。

子供だったのも、すっかり社会人となって、パソコンやスマホのことなど、いきいきと話してくれる。こちらも仕事でパソコンなど使うからそこそこ馴染んでいるつもりだが、さすがにレベルが違う。

そうして、話していると、若い人たちに、何事か伝えなければという気分になる。結局は、耳タコで聞かされてきた言葉がうかぶ。すなおになること、感謝をわすれないこと、挨拶をキチンとすること、やるべきことをやること、・・・、それは、老人も同じであるが、もうすでに、材料はあって、それをどう実践していくかである。一生の勉強である。


「不自由」な中の自由

2012年02月12日 09時50分24秒 | 思考試行

私達は、それぞれの環境のなかで、まったく自由になんでもできるということではなく生きている。見方によれば、不自由である。しばられている。

だが、これをなくせば、秩序は崩壊し生活が成り立たなくなるのは明らかである。といって、「事勿れ」を貫くだけでは、人生の醍醐味がわからない。

このあたりの兼合いが難しい。不自由のなかに、よくみると自由がある。選択肢がたくさんあるし、創造すべきところもある。そこに活路が見出せるのではないだろうか。

たとえば、妥協による結婚をしたとしても、その中で、お互いが成長することによって、当初の状況から変化することはあり得るし、そのようにして、結婚のいいところが育まれていく。

闇雲に、自由に恋愛して、次々と飛び回る人生もいいだろうが、そこには、過酷な運命が待っているだろう。みんながそうすれば、落ち着きのない、味わいのない社会になるのではないだろうか。

我慢に我慢を重ねているようでは辛いが、我慢ではなく、その現状の中から、自由を発見し、現状を打開していくという創造的な生き様は、簡単に破綻しない健全な生き方であると思える。

 


大いに経験するがよい

2012年02月11日 21時23分45秒 | 思考試行

何事も、実際にやってみないことにはわからない。やらずに、あれこれ考えて、なんにもやらないのでは、リスクはないかもしれないが、それではつまらない。

いいと思えば、実行する。失敗すれば、それは、成功の元である。一回で、うまくいくことは少ない。まずない。少しずつものごとの本質をつかみながら、本気で努力していくならば、そのなかでこそ生きているという実感を得ることができる。

おそらく一度しかない人生である。思い切って、生き抜く覚悟を決めて、実行あるのみである。案外に、ポンと飛び出すことによって、新たな視点、視野を発見する。好きな人ができればアタックしようではないか。奥さんがいるなら、夫がいるなら、本気で向き合い、この人のためにと本気で向き合ってみようではないか。

そこに、今まで見えなかった風景がみえるはずである。懸命にむかう姿勢から、あらたな地平が広がってくる。人が生きるとは何か、そこを感じなくて何の人生か。

 

 


国会審議の状況

2012年02月10日 22時08分10秒 | 思考試行

菅内閣のときと、かなり様子が変わってきている。とにかく審議が始まっている。状況の打開が急ピッチというわけではないが、着実な前進が見えてきているのではないだろうか。とにかく政策論議をしないと、議会としての意味をなさないことが、誰の目にも明らかとなって、さすがに、自民党も気付いたということかもしれない。

自民党が、相変わらずおかしなことを言っているほかは、概ね健全な議論が展開されてきているようにみえる。ただ、政策が迅速に行なえるかどうかといえば、たしかに、参議院で議席が逆転してしまってから、たちまちのうちに、何も決まらない、決めさせないという仕組みとなってしまったから、民主としては、自民党のいうままにならざるを得なくなった。

民主党は、妥協するほかなく、あれほどの災害があったにもかかわらず、当然、ただちに手をうたなければならないことでも、それでも、自民党は、ともかく解散だというばかりであり、まとまな議論をせず、意地悪、邪魔をしまくったのである。菅さんを嫌いまくり、官僚頼みしかできない政党は、騒ぐしか能がなく、これでは、受け皿になる資格はないことを明かにした。

今も、自民党が邪魔をしまくって、民主党が妥協しているにも関わらず、合意したことで、マニュフェストができていないではないかと、自民党がせめる。岡田副総理は反論する。妥協して、そうしているのに、そうすれば、できていないではないか、というのだから、言われたほうはたまらないのは明らかだ。

こういうヤリトリは、ひどい意地悪としかみえない。自慢たらしく自民党なら、うまくいくかのように言うのは、逆効果であろう。こんな政党は、しばらくは政権をとらせてはならない。本当に反省していないのだから。

 


衆議院予算委員会の審議をみていて

2012年02月09日 12時13分27秒 | 思考試行

予算委員会で、与党民主党の前原さんが質問していた。単なる与党の質問という意味ではなく、本当に政策に関わって仕事をしていることがよくわかる質問であった。

国会質疑は、こうでなくてはならない。自民党が野党になって、本当にひどい国会になっていた。新聞もこれに加担してこの国はどうなるのかと思った。

だが、それでも民主党は、頑張ってきたと思う。もちろん、中途半端な面もあるが、それでも、腐りきった政治の世界が、相当に明るくなってきた。これは、鳩山、管政権から続いているよき兆候である。政権交代してよかったといえる。

それにしても、アメリカは、本当に要注意である。TPPの問題にしても、考えられる危険性は、本当に注意しなければならない。彼らは、自分さえよければという本音が本当にある。企みがある。沖縄基地の問題で、国民新党の議員が質問していたが、新しい動きのなかで、日本側がどのように動くのか注目したい。 

 

 


間寛平さんの「アメマ」の意味を教えます。

2012年02月08日 10時48分55秒 | 思考試行

結論からいいます。エスペラント語というのをご存知の人は、それほど多いとは思えませんが、「アメマ」というのは、エスペラント語だと思います。ただし、寛平さんに教えてもらったのではありませんから、間違っているかもしれません。

間寛平さんは、地球一周のランニングを成し遂げましたが、各地で「アメマー」と叫びまくっていました。世界と関係していることから、小生の推測は、ほぼドンピシャではないかと思っています。

彼は、いろんなギャグをやっていますが、このアメマについては、彼自身がその出所を明かにしていないのに、「種明かし」のようなことをしてはと思って、いままで、伏せてきました。

しかし、小生のブログに「アメマ」の検索でこられる方が、ときおりあって、それは、いい言葉だし、知りたいと思っている方には、おしらせしたいと思うようになりました。

人間にとって、大事な言葉です。大切にしたい言葉です。しかし、ナマで言うと少し面映い。寛平さんは、誰も意味を聞かないから言わないできたのではないかと思うのです。

  amema 情愛の深い、やさしい (形容詞)      「大學書林 VORTARO DE ESPERANTOより」

寛平さんは、かつて「アメマバッチ」を大量に作った話をしていました。今も、「在庫」を持っておられるかもしれません。このバッジを、寛平さんに、注文してみたら如何でしょうか。

世界中に、アメマバッジが溢れるようになれば、戦争だってなくなるでしょうし、政治の世界も、いやらしい「イジメ」の世界から脱却できると思います。

 


普通に考えてみるならば

2012年02月07日 10時59分16秒 | 思考試行

シリアの政府側の国民に対する弾圧ぶりは、まさに異常であり、当然ながら、これを止めさせる国連決議がされると思いきや、中国とロシアの反対で決議ができなかった。

国際問題は、自国の政治状況もからんでくるので、国際会議では、国のエゴが出てくる。どうするのが、正解かは無論いえない。しかし、普通に考えて、政権をもつ側が、その国民に対して、軍隊をだして殺すことを躊躇しないなどというのは、まともではないのは明らかだ。

シリアは、ここも独裁政権であり、長年の矛盾が噴出してきている。世界は、徐々に、普通に考えておかしいことは、おかしいとなりつつあるようにみえる。

東北大震災で、被災者のふるまいや、国民の動向をみて、世界が賞賛しているという。日本的には、普通の考え方であり、事態の推移は、政界の動きは別として、(自民党の振る舞いなどは、言語道断であった。)そのほかは、当然の成り行きだと思うけれども、自然災害だけでなく、人間同士のあり方についても、こうしたやり方、考え方は、敷衍できることである。

イスラーム世界やキリスト教世界とは違う価値観の意味が、出てきているのかもしれない。エゴとエゴの争いから、普通に考えることが普及すれば、もう少し、世界は住みやすくなるはずである。


間合いをはかる

2012年02月06日 11時01分22秒 | 思考試行

人と人の付き合いにおいて、間合いの感覚が必要になる。相手が何をのぞみ、自分が何をよしとしているか。それぞれ好みというものがあって、うまく調整しないとギクシャクする。

細かい修正を加えてくる相手の真意はどこにあるか、などと考える。相手の意思のままに、と思いながら、提案しても、その実、自分の好みというものが、滲みでていて、相手はそれを察知して、あわせてくることもある。

何をするのも、一人では簡単だけれども、相談者の数を増やすと、それだけバラエティがでてきて、まとまりがつかなくなる可能性もある。だが、ここで、それをうまく調整できるとすれば、その分関与するものが多いだけに、力がつく面もある。しかし、大抵の場合は、意見が沢山出れば出るほど、まとめることは、難しくなってしまう。

今、国会中継をしているが、自民党の脇議員が基本的な「国家のしくみ」について、議員や官僚にテストしている。こういう問題は、実は難しい。自分だけが、準備しておいて、相手には即答を要求する。こういう輩は、紳士面をしているが、まともに、中味の議論をするつもりはなく、単純にイジメテイルだけのことである。あんたはエライ!

これは、どうやら、議会の仕組みなど、変えなくてはいけない段階になってきたということだ。


キルトの家をみて

2012年02月05日 18時03分07秒 | 思考試行

山田太一さんの作品は、いい。こういう人がいるから、世の中に希望を持てる。真面目で、やさしくて、それでいて、良くものごとが見えている人である。

寺山修一と親友だったというのが、意外な感じがするほど、作品は違う。そこには、共通点がないようにみえるけれども、それが、文学の面白いところだろうか。

ほのぼのとしたなかに、厳しい人生の実態があって、そこに生きる人々が、それぞれ素晴らしく、これこそ人生の糧となる作品と思える。いい仕事をシテハル。

もっともっと、多くの作品を味わいたいものである。


自分になっていくこと

2012年02月04日 14時31分43秒 | 思考試行

生きていることは、確かに自分でわかるのだけれど、どうも自分の意志だけで、自分のすべてのふるまいが決まっているとはいえない。自分以外の人間の意志であるとか、まわりの状況のなかで、自分の立ち位置を決めてきている。

しかし、徐々に、自分自身の選択ができるポイントが増えてきて、いつの間にか、自分自身が決定的な立場にいることを知るときが増えてきている。それでも、自らと他者との関わりについては、人間が社会的な動物であるかぎり、無視はできないし、してはいけないと思うから、本当に自分の意志で決めているという感じはない。

そのなかで、自分を自分として認めて、それで平安な気持ちでおれるとすれば、自分になれてきているということではないだろうか。

若いころと比較して、今が格別進歩しているとも思えないが、それでも、諦めもあるのか、それなりに未然に混乱をさける知恵もついてきて、ことさらに意地をはるということも少なくなってきたし、立腹することも少なくなってきた。生の感情をそのまま出すことも少なくなってきた。

毒にも薬にもならない、しょうもない老人になってきたということなのかもしれない。

 


沖縄防衛局長の講話について

2012年02月03日 12時00分03秒 | 思考試行

彼は、選挙について熱心であり、自分の信念を広げたいから、それなりに行動したということだろう。彼が、自公政権を支持していたから、権力の選挙介入となるので、これが、もし共産党支持ならどうなのだろう。

それができるとすれば、「革命前夜」ということかもしれない。ただちに、更迭されるし、そんな人間は、それほど出世するはずもないということになるか。

いずれにしても、権力の最前線の高級官僚が、こういう行動に出るというのは、健全な気もする。本音で、体制を守ろうとしているのであるから、高級官僚としては、あたりまえであり、権力側にとってみれば、「ウイヤツ」であることは間違いない。

しかも、暴力で云々というのではなく、ルールに基づく話であるから、セーフではないかと思われる。政権交代したから問題になるということで、自公政権のもとでは、全然問題にならなかったのである。

選挙制度は、どこを目指すか。民意の反映か、それとも、統治をしやすくするためか。権力側は、当然ながら、統治を考える。それで、小選挙区制にしている。民意の反映などハナから念頭にない。

それでも選挙ともなれば、選挙民の意識がどうであるかによって、政治の力は左右される。多様な意見のなかでこそ、政治の世界も進歩する。AかBか、だけではつまらない。選挙民には、関心などもってもらいたくないから、それでいいのである。比例なんか削れる機会があればいつでも削りたいのが本音だ。

権力者は、自らの安泰をめざす。どちらにころんでもいい様にしたいだけである。この事件は、権力の座にある者は、常に「より有利になるように」貪欲に、努力しているということだろう。

 


原発作業員をくいものに、の朝日の記事

2012年02月02日 10時17分44秒 | 思考試行

これは、なんということか!電力会社が知らないはずがない。朝日の記事をみて、マスコミもこんなことを、今まで知らなかったのだろうかと思った。知らないとすれば、怠慢であるし、ようやく決心したのだというのならば、その勇気に敬意を表したい。

それで、国やら、関係機関がどう動くのかが問題である。どこの分野でも、人をクイモノにできる構造が、小泉竹中路線でできてしまっているから不思議ではないが、罪深いことである。

朝日の記事が、菅内閣のときと比べると、異常さが少なくなっているようにみえる。余滴のコラムには、地方公務員に焦点をあてている。自らも罹災しながら、職務に励んでいる公務員達に、思いを馳せている。当然とはいえ、こういう視点がなければ、世の中は真っ暗闇である。

原発でのことや、プロメテウスの罠の記事をみると、朝日は、新聞らしい仕事をしていると思える。ただし、勿論満点ではない。宗教政党にたいするいい加減さや、本当に、世のため人のため、を願って仕事をしているとは思えないような記事もある。しかし、この原発作業員のこの記事は、まさに、世のため人のための記事である。

写真は、被写体の人が特定できない。ここに、この記事の「たいへん」さが出ている。関係機関や、その後の動きを注視したい。


時代 変化 技術進歩

2012年02月01日 09時52分47秒 | 思考試行

今は、日新月歩の時代である。通信機器の進歩は目覚しいし、これに応じて、生活の変化も激しいものがある。若者たちにとって、携帯電話は、今は必需品であり、彼等彼女達にとって、なくなてはならないものになっている。

小生など、家電販売の会社からのメール以外は、ほとんど来ないし、その術についても馴染めず、電話としてしか使っていない。

これからの世の中がどうなっていくのかは、まさに、生活の仕方の変化ということだが、何を大事と考えるかの問題でもある。少子高齢化のなかで、年金や健保、介護の問題をどうしていくのかのほかに、高齢者が死ぬまでに、どう生きるのかの問題がある。

単に、長生きを喜んでいるばかりではすまない。いきいきと、元気に楽しみながら生きる、というようでありたい。嘆きながら、ベンベンと生きるというのでは、つまらない。高齢者がどういう役割をはたしていくのかは、若者達にとっても、勿論無関係ではありえない。かれらの将来像にも影響するのである。

「人生哲学」の進化がこれからすすんでいくのではないか、また進めなければならない状況にある。どう生き、どう死ぬのか、設計し、企画しなければならない。また、それができる時代になってきたということかもしれない。日々のあれこれに、単におわれるだけではなく、楽しむことについて考えなければならないと思う。