仕事というのは、一瞬にして済むものは、少ない。大抵は、長年の習練が必要であったり、技をみがいて、あるいは、試行錯誤をくりかえしながら、完成をめざしていく。
ヨーロッパの重厚な石造りの建造物や、彫刻などの美術品をみると、特にそのような人間の努力の積み重ねに思いをいたすことになる。ただ、そのなかにいる人間となると、黙って威厳を持った態度でいれば、それらしく見えているとしても、内実は、これらの造形物の水準に、伴わないように思えてしまう。
権威であるとか、衣服であるとか、いろいろ飾り立てても、揺れ動く頼りなさは、蔽うべくもない。仕事の成果は、かくも生身の人間の実態を、明かにし、暴き立てる。感心するよりほかないではないか。
人間をふくめて、自然というのは、まさにあるべくしてあるように見える。人間の営みによるキズを加えながらも、大きな法則のままに、推移していく自然。
舞台となる膨大な時間のなかで、人間の認識世界は広がり、その終末までの見通しまで、たてている。浅薄な科学知識であってもその確からしさは、理解する。そのなかで、今をどう生きるのか。われわれの世界のなかで、個としての認識世界を広げて、生きる喜びの発見のための仕事ができないものか。