今日の午前3時までの、新閣僚記者会見を、テレビで見た。記者席の出入りが激しい。担当を決めているのか、席替えを何度もするのに驚かされる。声の録音のためか、小さな機械を演壇前に、置き、そして回収する。閣僚の挨拶にも無反応な特殊な集団。異常である。人間同士の反応がない。こんな伝統がいつできたのだろうか。礼儀というものがない。
質問は、かつて、判で押したような、下らない質問をする風景を見たことがあったが、さすがに、今回そんなことはなかった。
だが、記者会見の内容の、テレビや、解説などの報道ぶりは、その印象とは、まるで違うことに違和感を感じた。何を取材していたのか、といいたい。
以前からうすうす感じていたのだが、小沢氏との問題を、解説などでは、ことさら強調している。何か、うまくいかないのではないか、という雰囲気を作り出そうとしている悪意がある報道のしかたである。
実際の記者会見の印象では、先に述べた記者達の異常さを言ったが、各閣僚が、自分の言葉で質問に答えていること、そして、自民党時代とは違う、進化があきらかにあって、質的に全然違っているということである。
報酬の一割カットを、いきなり決めていたり、「仕分け」や、各課題に取り組む姿勢にしても、着実な、準備が行なわれていることが良くわかる。単なるパフォーマンスではない。仕分けなどは、官僚の「指導」のような描き方を報道していたが、決してそんなものではない。
そして、円高対策にしても、代表選挙の最中にも準備されていたということがわかったし、その介入の仕方は、鮮やかというしかない。自民党時代には考えもつかない政権の実力である。したたかである。
そして、朝のニュースなど聞くと、会見の中味には、真には、ふれていない。そして、この風潮は、マスコミ各社共通のようである。これは、旧秩序の思惑を受けての報道姿勢のようにみえる。民主党の新閣僚の真の姿を、全然伝えていない。
海江田氏は、菅氏の政策を選挙のときには、批判していたが・・・の質問にも、まったく違和感なく、抱負を述べている。閣僚になったことでの困難さなど伺えない。うまく進みそうな感じが充分あるにもかかわらず、それは無視する報道である。
「仕分け」は、官僚や、特別会計分野だけではない。世論誘導の世界、報道の意図的なこと、さまざまな分野における、旧支配機構のあぶり出しが必要である。自助努力で改善されないと、そのうち、世論の袋叩き、仕分け、に会うこととなるだろう。
質問は、かつて、判で押したような、下らない質問をする風景を見たことがあったが、さすがに、今回そんなことはなかった。
だが、記者会見の内容の、テレビや、解説などの報道ぶりは、その印象とは、まるで違うことに違和感を感じた。何を取材していたのか、といいたい。
以前からうすうす感じていたのだが、小沢氏との問題を、解説などでは、ことさら強調している。何か、うまくいかないのではないか、という雰囲気を作り出そうとしている悪意がある報道のしかたである。
実際の記者会見の印象では、先に述べた記者達の異常さを言ったが、各閣僚が、自分の言葉で質問に答えていること、そして、自民党時代とは違う、進化があきらかにあって、質的に全然違っているということである。
報酬の一割カットを、いきなり決めていたり、「仕分け」や、各課題に取り組む姿勢にしても、着実な、準備が行なわれていることが良くわかる。単なるパフォーマンスではない。仕分けなどは、官僚の「指導」のような描き方を報道していたが、決してそんなものではない。
そして、円高対策にしても、代表選挙の最中にも準備されていたということがわかったし、その介入の仕方は、鮮やかというしかない。自民党時代には考えもつかない政権の実力である。したたかである。
そして、朝のニュースなど聞くと、会見の中味には、真には、ふれていない。そして、この風潮は、マスコミ各社共通のようである。これは、旧秩序の思惑を受けての報道姿勢のようにみえる。民主党の新閣僚の真の姿を、全然伝えていない。
海江田氏は、菅氏の政策を選挙のときには、批判していたが・・・の質問にも、まったく違和感なく、抱負を述べている。閣僚になったことでの困難さなど伺えない。うまく進みそうな感じが充分あるにもかかわらず、それは無視する報道である。
「仕分け」は、官僚や、特別会計分野だけではない。世論誘導の世界、報道の意図的なこと、さまざまな分野における、旧支配機構のあぶり出しが必要である。自助努力で改善されないと、そのうち、世論の袋叩き、仕分け、に会うこととなるだろう。

