歴史に詳しいわけでもないから、間違っているかもしれないが、ヨーロッパは、かつて、結構はげしい戦争をやっていて、取ったりとられたりの激しいものがあった。
戦いの中で、武器が開発され、弱肉強食の論理が一般的となり、世界に植民地を築いていく。南米あたりは、キリスト教の布教を口実にした、侵略により、搾取と収奪のエジキとなってしまった。
今朝のテレビで、パラグアイの歴史をやっていたが、殺された宣教師の心臓があって、腐らないであるのは、「奇跡」とそこの神父はいう。彼らは、奇跡が好きだ。
現地で、昔のままに暮らしている人びとは、キリスト教信者ではない、太陽を神としている。こちらは、森で生活し、太陽が、すべてを作ったとする。太陽のお陰で暮らしていけると考えている。まさに、常識的であるし、真実である。ここに、殺戮しあう関係はない。
西洋とは違う親しみ、健康さを感じる。西洋流の考え方は、自己利益の底流があって、その強烈な意思が、彼らの侵略を成功を、その繁栄を、実現させてきたように見える。
弱肉強食の世界を、目指すべき立派な世界と思うのは、不幸の源である。人間の場合も、他の動植物の振る舞いをみながら、自然の構造、仕組みのなかで暮らしていくのか、検討すべきだが、弱肉強食を、最終の原理としなければならないとは、とても思えない。
平和のための闘争といいながら、その背景には、全然別の本音があったりする。「人間主義」などといいながら、反共のカルト宗教もある。
なにを目指すのか、よくよくみて、しっかりと選択しなければならない。
戦いの中で、武器が開発され、弱肉強食の論理が一般的となり、世界に植民地を築いていく。南米あたりは、キリスト教の布教を口実にした、侵略により、搾取と収奪のエジキとなってしまった。
今朝のテレビで、パラグアイの歴史をやっていたが、殺された宣教師の心臓があって、腐らないであるのは、「奇跡」とそこの神父はいう。彼らは、奇跡が好きだ。
現地で、昔のままに暮らしている人びとは、キリスト教信者ではない、太陽を神としている。こちらは、森で生活し、太陽が、すべてを作ったとする。太陽のお陰で暮らしていけると考えている。まさに、常識的であるし、真実である。ここに、殺戮しあう関係はない。
西洋とは違う親しみ、健康さを感じる。西洋流の考え方は、自己利益の底流があって、その強烈な意思が、彼らの侵略を成功を、その繁栄を、実現させてきたように見える。
弱肉強食の世界を、目指すべき立派な世界と思うのは、不幸の源である。人間の場合も、他の動植物の振る舞いをみながら、自然の構造、仕組みのなかで暮らしていくのか、検討すべきだが、弱肉強食を、最終の原理としなければならないとは、とても思えない。
平和のための闘争といいながら、その背景には、全然別の本音があったりする。「人間主義」などといいながら、反共のカルト宗教もある。
なにを目指すのか、よくよくみて、しっかりと選択しなければならない。