カラオケを練習していて思うことは、実践するなかで、徐々に、進歩していく実感である。音のイメージがどうしてもわかないのが、少しずつ、明確になってくる。
頭のなかで、反芻してみると、アヤフヤな部分というのは、明確になる。それを、いろんな歌手で聞いているから、層みたいになって、高かったり、低かったり、メロディーが、頭を渦巻くのだが、自分の位置が定まらない。
地声というか、自分が楽に出せる声の範囲がつかめないのである。それを続けるうちに、位置が定まってくる。これを、体験できたのが、数曲できた。いわば、持ち歌である。披露できる日があるのかどうか、それは、不明だが、「歌え歌え」と強要される日が、少し待ち遠しい意味もある。
トレーニングといえば、放送大学単位認定テストで、数学の科目一科目を落としたのであったが、少しずつ、リベンジに向けて、最初から、やり直している。と、これもまた、つかめなかった問題が、それこそ、一問ずつではあるが、あらたな段階へと進歩してきている実感がある。
急がないから、確実な方法をとれる。あと、一科目で卒業だが、他の科目を取らずに、この苦手科目にしぼって、挑戦しようと思っている。背水の陣である。数学に対して、新たな地平が生まれかもしれない。
まだ、ほんとうにスタートにすぎないが、はっきりと、スタートラインに立てているという実感がある。これは、嬉しい。
頭のなかで、反芻してみると、アヤフヤな部分というのは、明確になる。それを、いろんな歌手で聞いているから、層みたいになって、高かったり、低かったり、メロディーが、頭を渦巻くのだが、自分の位置が定まらない。
地声というか、自分が楽に出せる声の範囲がつかめないのである。それを続けるうちに、位置が定まってくる。これを、体験できたのが、数曲できた。いわば、持ち歌である。披露できる日があるのかどうか、それは、不明だが、「歌え歌え」と強要される日が、少し待ち遠しい意味もある。
トレーニングといえば、放送大学単位認定テストで、数学の科目一科目を落としたのであったが、少しずつ、リベンジに向けて、最初から、やり直している。と、これもまた、つかめなかった問題が、それこそ、一問ずつではあるが、あらたな段階へと進歩してきている実感がある。
急がないから、確実な方法をとれる。あと、一科目で卒業だが、他の科目を取らずに、この苦手科目にしぼって、挑戦しようと思っている。背水の陣である。数学に対して、新たな地平が生まれかもしれない。
まだ、ほんとうにスタートにすぎないが、はっきりと、スタートラインに立てているという実感がある。これは、嬉しい。