(原題:Vicky Cristina Barcelona)
----これってぺネロぺ・クルスがアカデミー賞助演女優賞を受賞した映画だよね。
バルセロナが舞台なんて、最初聞いた時は
ウディ・アレンの監督作品とは思えなかったニャ。
「そうだね。映像もオレンジ色を帯びてあったかみがある。
ニューヨークで撮ったアレン映画とは趣がかなり違う。
撮影に『アザーズ』『トーク・トゥ・ハー』の
ハビエル・アギーレサロベを迎えたこと大きい。
でも、その中で描かれているのは、
いかにもアレン好みの世界。
男と女の恋をめぐるひと騒動。
一時期のミア・ファローの的ポジションを占めた
スカーレット・ヨハンソンはともかくとして、
レベッカ・ホール(これはダイアン・キートンに近いのかな)、
それらの中心にいるのがラテン男風情のハビエル・バルデム」
----そ、それはまた濃いメンツだニャあ。
そんな彼らが恋のさや当てを繰り広げるてわけだね?
「さや当てという言葉が適切なのかどうか。
みんな、とにかく積極的だからね。
お話は簡単で、
ひと夏を過ごすためバルセロナにやってきた
クリスティーナ(スカーレット・ヨハンソン)とヴィッキー(レベッカ・ホール)。
ヴィッキーは慎重派で、堅実な彼と婚約中。
一方のクリスティーナは恋愛体質な情熱家。
そんなふたりにアプローチしてきたのが、
画家のファン・アントニオ(ハビエル・バルデム)。
その誘い方がスゴい。
『週末を過ごして町を案内する。
食事とワインを楽しんでセックスする』」
----あらあ~。
当然、ヴィッキーは断るよね。
「うん。ところがクリスティーナがノリノリ。
彼女のお目付け役という感じで一緒に彼が運転する飛行機でオビエドへ。
ところがいざというときになってクリスティーナが胃潰瘍でダウン。
翌日、ベッドで休む彼女の代わりにファン・アントニオにつきあい、
街を散策するヴィッキー。
ところが、次第に彼の魅力に惹かれて…」
----確かにウディ・アレンらしいや。
また、会話がこじゃれてるんでしょ?
「そうなんだ。よくこんな言葉がポンポン出てくるなと、あきれ」るほど。
ここまで頭が回れば、ほんと実生活でも困らないだろうなあ。
まあ、それはともかく、
そこでふたりは関係を持ち、
ヴィッキーの心は急速にファン・アントニオに傾いていく。
ところが、これもよくあることで、
ファン・アントニオは、もう目的は達したとばかりに、
クリスティーナにアプローチ。
彼女は簡単に落ちて、ついには一緒に暮らし始める」
----それは相当な男だニャあ。
「ところがそんな彼でもどうにも頭が上がらないのが、
彼を刺したという元妻マリア・エレーナ(ペネロペ・クルス)。
そんな彼女がアツアツのふたりの前に突然、現れたことから…」
----ニャんだか。隣のスキャンダルを聞いて楽しんでいるみたいだニャあ。
「ま、ウディ・アレンの映画って
もともとそういうところあるよね。
本人たちは深刻ぶっているのに、
周りから見たら、なにそんなことで悩んでいるの?みたいな。
ところがいま、話しながら気づいたんだけど、
この映画で、ウディ・アレンはアンナ・マレーナに対して
一種の女性賛歌をやっているね。
アンナ・マレーナが出番は少ないものの実に強烈。
それまでの空気を一変させてしまう。
彼女が最後に取った態度には、思わず心臓がどきっ」
----ニャるほど。それじゃオスカーも当然?
「正直言うと、
ぼくはマリアのパートから少し欠伸ぎみだったんだけど、
とにかく、その結末には目を見張らされた。
まあ、どうでもいいような痴話が続くとも言えるけど、
ウディ・アレンはどうやらこう言いたいらしい
『人生には偶然、物事がうまく運ぶこともある。
でもそれは事前にはわからない。
だからとにかく“愛”に関しては、
人は柔軟じゃないといけないんだ』。
オープニングの微妙に揺れるクレジット、大時代的なナレーションなど、
これは生活苦などとはまったく無縁のセレブな人たちのお話。
でもよ~く見ると、あいかわらずの
ウディ・アレンならではの自虐的な目線が秘められたりも。
アンナ・マレーナとは逆に、
クリスティーナについてはかなり辛辣。
おそらく自分に近づく若い女性たちに、
彼女に代表される、
“自分はみんなと違うのよ”の“自分探し女性”が多いとみているんじゃないかな。
クリエイティブな仕事の男にばかり近づいていく…」
----で、カウンセリングの話も出てくるんでしょ。
これ、間違いなさそうだニャ(笑)。
(byえいwithフォーン)
フォーンの一言「ガウディとかミロとか観たいニャ」
※タイトルがうまい。まさしく“それでも”だ度
お花屋さん ブーケ、アレンジメントetc…
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☆「CINEMA INDEX」☆「ラムの大通り」タイトル索引
(他のタイトルはこちらをクリック→)
----これってぺネロぺ・クルスがアカデミー賞助演女優賞を受賞した映画だよね。
バルセロナが舞台なんて、最初聞いた時は
ウディ・アレンの監督作品とは思えなかったニャ。
「そうだね。映像もオレンジ色を帯びてあったかみがある。
ニューヨークで撮ったアレン映画とは趣がかなり違う。
撮影に『アザーズ』『トーク・トゥ・ハー』の
ハビエル・アギーレサロベを迎えたこと大きい。
でも、その中で描かれているのは、
いかにもアレン好みの世界。
男と女の恋をめぐるひと騒動。
一時期のミア・ファローの的ポジションを占めた
スカーレット・ヨハンソンはともかくとして、
レベッカ・ホール(これはダイアン・キートンに近いのかな)、
それらの中心にいるのがラテン男風情のハビエル・バルデム」
----そ、それはまた濃いメンツだニャあ。
そんな彼らが恋のさや当てを繰り広げるてわけだね?
「さや当てという言葉が適切なのかどうか。
みんな、とにかく積極的だからね。
お話は簡単で、
ひと夏を過ごすためバルセロナにやってきた
クリスティーナ(スカーレット・ヨハンソン)とヴィッキー(レベッカ・ホール)。
ヴィッキーは慎重派で、堅実な彼と婚約中。
一方のクリスティーナは恋愛体質な情熱家。
そんなふたりにアプローチしてきたのが、
画家のファン・アントニオ(ハビエル・バルデム)。
その誘い方がスゴい。
『週末を過ごして町を案内する。
食事とワインを楽しんでセックスする』」
----あらあ~。
当然、ヴィッキーは断るよね。
「うん。ところがクリスティーナがノリノリ。
彼女のお目付け役という感じで一緒に彼が運転する飛行機でオビエドへ。
ところがいざというときになってクリスティーナが胃潰瘍でダウン。
翌日、ベッドで休む彼女の代わりにファン・アントニオにつきあい、
街を散策するヴィッキー。
ところが、次第に彼の魅力に惹かれて…」
----確かにウディ・アレンらしいや。
また、会話がこじゃれてるんでしょ?
「そうなんだ。よくこんな言葉がポンポン出てくるなと、あきれ」るほど。
ここまで頭が回れば、ほんと実生活でも困らないだろうなあ。
まあ、それはともかく、
そこでふたりは関係を持ち、
ヴィッキーの心は急速にファン・アントニオに傾いていく。
ところが、これもよくあることで、
ファン・アントニオは、もう目的は達したとばかりに、
クリスティーナにアプローチ。
彼女は簡単に落ちて、ついには一緒に暮らし始める」
----それは相当な男だニャあ。
「ところがそんな彼でもどうにも頭が上がらないのが、
彼を刺したという元妻マリア・エレーナ(ペネロペ・クルス)。
そんな彼女がアツアツのふたりの前に突然、現れたことから…」
----ニャんだか。隣のスキャンダルを聞いて楽しんでいるみたいだニャあ。
「ま、ウディ・アレンの映画って
もともとそういうところあるよね。
本人たちは深刻ぶっているのに、
周りから見たら、なにそんなことで悩んでいるの?みたいな。
ところがいま、話しながら気づいたんだけど、
この映画で、ウディ・アレンはアンナ・マレーナに対して
一種の女性賛歌をやっているね。
アンナ・マレーナが出番は少ないものの実に強烈。
それまでの空気を一変させてしまう。
彼女が最後に取った態度には、思わず心臓がどきっ」
----ニャるほど。それじゃオスカーも当然?
「正直言うと、
ぼくはマリアのパートから少し欠伸ぎみだったんだけど、
とにかく、その結末には目を見張らされた。
まあ、どうでもいいような痴話が続くとも言えるけど、
ウディ・アレンはどうやらこう言いたいらしい
『人生には偶然、物事がうまく運ぶこともある。
でもそれは事前にはわからない。
だからとにかく“愛”に関しては、
人は柔軟じゃないといけないんだ』。
オープニングの微妙に揺れるクレジット、大時代的なナレーションなど、
これは生活苦などとはまったく無縁のセレブな人たちのお話。
でもよ~く見ると、あいかわらずの
ウディ・アレンならではの自虐的な目線が秘められたりも。
アンナ・マレーナとは逆に、
クリスティーナについてはかなり辛辣。
おそらく自分に近づく若い女性たちに、
彼女に代表される、
“自分はみんなと違うのよ”の“自分探し女性”が多いとみているんじゃないかな。
クリエイティブな仕事の男にばかり近づいていく…」
----で、カウンセリングの話も出てくるんでしょ。
これ、間違いなさそうだニャ(笑)。
(byえいwithフォーン)
フォーンの一言「ガウディとかミロとか観たいニャ」
※タイトルがうまい。まさしく“それでも”だ度
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