葬送 なるほど 家族葬 八千代市の葬儀

一日/一生   「道順庵」のつれづれ草 水琴窟に癒されて

むだにお金を掛ける

2016-06-28 10:15:16 | 道順庵の徒然草


紫陽花は雨で光る花


雨が生き生きとさせる紫陽花は

いやな雨を「楽しい雨」に変えてくれます


誰もが

世の中合理的で無駄が無く

最小限のコストでパフォーマンスを・・・

望んではいるのでしょうが

この無駄ということについて・・



そもそも

「これは無駄」と思ったら

そう・・全てが無駄・・全部要らない・・

となってしまいます

車で言えばベントレー・・なんぞ

誰が乗るの?なんて思えば

それは、そう思うその人に「とっての」無駄ということで

必要と思う人には

この雰囲気、このレザー・・がたまらないわけで

あります

何よりは、こだわりに掛ける執念みたいなものに

納得できるから、買える人には

「ベントレー」でなくてはならないのです


高級(価格だけではなく)と謳うブランド的な商品は

合理的ではない、自己主張のかたまりです

拘りは、こだわらない人から見れば「無駄」の羅列でしょうか(笑)

見えないところにこだわったり

映像では伝わらない「香り」を奢ったり・・

人の感性に訴えるこだわりは

提供する側のフィロソフィーにあるのです

だから

とても人まねを良しとしないのでありましょうか

唯一無二の存在を求めては究極を求めて

孤高なまでに

むだ(?)を追求するのでしょう

科学者や物理学者が真理を求めて研究に

没頭するのも

ある意味「それがなんの役に立つの」という側面で

判断されているようなもの

全ての事象は必要と思うからガンバルのであります

無駄と思われることに没頭する・・

無駄と思う人からは

見えない世界があるのでしょう・・・

         

コメント
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