葬送 なるほど 家族葬 八千代市の葬儀

一日/一生   「道順庵」のつれづれ草 水琴窟に癒されて

簡素化の先

2014-09-22 16:52:33 | 道順庵の徒然草


さて、お葬儀からお墓に法事

仏事にまつわる行事は

簡素化の道を突き進んでおります

「必要じゃなければ要らない・・・」

個人の判断で何でも出来るという

これは

いい時代になったのでありましょうか

で、簡素化は何処までいくのでしょうか

お葬式はいらないよね・・

だれも来なくてもいいよね・・

お墓はなくてもいいから

どこかに散骨すればいいよね・・

この「いいよね・・」は誰に言っているのでしょうか

お葬儀やお墓は

生きている人たちのために在ると思うのでありますが

どうも

亡くなっていく人が「そんなの要らない」と

言っていたから・・

そんな話も多くなってます

では

亡くなった人の話は

「何時」すれば良いのでしょうか

葬儀もなく、法事もなく、墓もなく

人が集まる機会がなければ

話にもなりません

今の葬儀の形態でなくても

お墓も違う形でいいでしょうから

どこかで、亡くなった方と親しい人たちだけでも

「あの人」の話をする機会を作りませんか・・・

簡素化は必要かも知れませんが

その人の存在は簡素化の波に

流されませんように

供養をするため態々集まるというところの

意味合いは

自分に向けられているのですから・・・

          

さぁ~お彼岸です

手を合わすことでの爽やかさは

秋の天のせいだけではないのでしょう・・



           
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする