葬送 なるほど 家族葬 八千代市の葬儀

一日/一生   「道順庵」のつれづれ草 水琴窟に癒されて

小さなしあわせ

2009-03-08 17:11:08 | 道順庵の徒然草
幸せはどこにも転がっているわけではありません

宝くじが当たれば幸せかもしれませんが

当たりくじは転がっておりません(笑)

究極の幸せは

いま、呼吸をしていること

いきていること

これ以外は「高望み」の幸せの欲求ではないでしょうか

一杯の美味しい蕎麦を食するだけで

今生の幸せを感じる私は

その前に蕎麦を食べられる体と

金銭があることに感謝しなくては居られません

生きているから出来ることの幸せ感はとてもありがたいので

ございます。

できたらもう一枚せいろ蕎麦を食べたいのです

これはもう・・・

おおきな幸せなのです・・・







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うしろむき

2009-03-08 16:44:05 | 道順庵の徒然草
今日は久しぶりに霊柩車の運転です

霊柩車に乗るチャンスは

運転をするとき

喪主になったとき

仏様になったとき

以外は、修理屋さんが乗るぐらいですから(笑)

なかなかチャンスはまわってきません

以前は専属で1年位乗っていたことがございます

何が他と違うかと言いますと

たった2人(運転手と喪主様)しか、小さな空間に

居ないこと、後ろにはお柩の故人様

この3人が火葬場までの距離を

「ほぼ無言で」静々と走らせるのです

時として、呼吸の音さえ気を使い

話しかけてはお慰めの言葉を掛けたりもし、

その方の心中を思いながら走ります

もちろん、目などは合わせずに、見るのは

後方からの隊列車(乗用車・マイクロバス等)が

ついて来ているかだけに集中し無くてはいけないのです

先導が霊柩車の役割でもあるのです

歩道の信号が点滅すれば、本信号が黄色に変わります

静かにブレーキを掛け、隊列を整えつつ、途切れが

出ないように配慮をいたします

又、途切れた場合は、車を寄せ、後続車を待つのです

ですから、霊柩車の運転手さんは後ろが6割、前が3割

そして、時計を1割の割合ぐらいで見ています

それらをみながら

喪主様には

「このたびは大変でした」

「お疲れでしょう」

とか声を掛けるのです

見るのは後ろと前と時計に

こころ・・・

気が休まらないから

0休(れいきゅう)なのでもあります

無事安全に火葬場までが第一儀であるのは

もちろんです・・・

たまには、ちょっと・・・!!と喪主様に言われ

畑の中に肥やしの水を・・・・

こんなこともありましたが

途中下車はこんなとき以外は滅多にありません

但し、私が小用をもよおしたときには

焦りましたが・・・







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