ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

義母さん、やすらかに

2016年07月21日 21時27分06秒 | 生活

大阪の梅雨が明け
いよいよ夏が来たぞという日に
ここんとこ体調良くなく
ずっと病院にいてた
義母さんが亡くなりました。

早朝に病院から連絡を受けて
駆け付けた時には脈も途切れがち。
ミセスが話しかけると、
機械でうつしている呼吸が
ふるふる震える程度で、
それもそのうち動かなくなりました。

88歳の大往生です。

義母さんは亡くなる前は
doironと同じような
絵手紙的な絵をよくかいていました。

一枚一枚に、
そのとき思うことを書き連ねています。

「これはねえ、自分の子孫たちに
私はこんなことを考えていたのよ
とわかるように書き連ねているの」
だと言ってました。

そんな100枚はあろうかという
絵の中にはこんな一枚も。



そしてあの世に迎えられるような
言葉が書かれているのもありました。



これは死神に
「どうぞ連れてっておくれやす」
と書いた手紙。

いやいや死神なんてとんでもない。
お通夜、告別式を終え
神様は静かに幸せに
彼女を天国へと
旅立たせてくれたでしょう。

彼女が介護になってから
途中doiron自身も
二回ほど怪しいことがありましたが、
なんとか親全員を
見送ることができました。

これもいつもお世話になっている
皆さんのおかげですねえ。
そして、
とてもやさしかった
義母さん、安らかにね


淀川完歩38 最後の橋、伝法

2016年07月20日 21時08分34秒 | ウォーキング

食事を終えたら続きを歩きましょう。
前方の橋は「淀川大橋」です。



昔はここに「西成大橋」が
かけられていたのですが、
道路開発に伴って
「淀川大橋」にかけ替えられました。

その西成大橋の親柱は
川の対岸(右岸)の鼻川神社に
あるそうなので
今度対岸を歩く時には
確認に行ってみよう。

で、この淀川大橋は
えらく低いところに
かけられてあるようで、
したはこんな超身長な
doironだったらくぐるように
腰を折り曲げて
通らなくてはなりません。



そうこの橋は淀川の堤防よりも
低い位置にかけられているようです。

そしたら大水が出たときには
水をかぶったこの橋から
大量に水が流れ出てくるということです。
で、その防止のために
設置されているのが防潮鉄扉です。

橋のたもとに行くと
こんな水防訓練の案内板が立っていました。



「防潮鉄扉の閉鎖による通行止め」
と書かれてあります。

その訓練がなんとこの淀川を
歩いたその日の夜でした。
行われるのは午前1時。

これはちょっと取材しにくいですねえ。

ネットで見てみますと、
こんな巨大な鉄扉が
ここに据えられてあって、
グワーンと動きながら
こんな風に橋を閉鎖するようです。



いやあ、たいへんな水防訓練ですねえ。

一度見てみたい気もしますねえ、
と思っていたら
動画もちゃんと配信されていました。

興味のある方はチェックしてみてください。

この橋をくぐって過ぎますと、
どうやら道は河川敷内を
続いていないようです。

こんなサバイバル風のはしごから
堤防上に上がって
歩いていくことにしましょう。



河原の道はあまり景色もよくなく
気持ちよくはありません。

ただずっと前方に見えている
ビルあたりがどうも終点のようです。



途中左手に「高見機場」という
施設がありました。





支流の正蓮寺川や六軒屋川に
淀川の水を流しいれる施設ですねえ。

大水の時にはこれの川の
末端の門は閉められ、
逆にここから淀川へ水を導いていきます。

なかなか地元もここまでくると、
淀川を囲む暮らしのために
巨大な施設が置かれているんですねえ。

あれ、看板が気になります。



「野犬に注意」とはどういうことでしょう。

なにか河川敷とかに
関係あるんでしょうか。

堤防の上からのぞいてみますと、
たしかに雑草のよく茂った
うっそうとした河川敷が
広がっています。



夜にでもなれば「アオーン」と
鳴いていそうですねえ。

萩往還レースの砂利峠を
思い出しますねえ。

おっ、後ろに見えている線路の橋は
阪神電鉄のなんば線ですねえ。



ここまでくれば河口まで
5キロくらいでしょうか。

何とか今日じゅうには
たどり着けそうですね。

でもその阪神なんば線の踏切を渡り、
ふと気が付きました。

河口まで行ったからと言って
そこから帰るのに
電車があるわけではありません。

歩いて帰るとしたら、
この阪神電車まで戻るのが
近いのでしょうか。

となると、ここから暑い中を
また5キロ歩いて
戻るほかはないようです。

昼を過ぎてから日差しは
どんどん強く、
もう気温はすっかり30度を
超えています。

体調的には何も今の時点で
心配はないのですが、
これからそのど熱い中を歩くのに、
脳血管や心臓血管に
いらぬ心配は与えないか、
そのへんはまだ試していないので、
若干不安です。

なので、今回の歩きは
この阪神電車の「伝法駅」を
終点としましょう。
公園に無理やり降りて行って



駅に到着しました



しかし、伝法というのは
なかなかのすごい名前です。

この先にある「伝法院西念寺」
からきている名前だそうです。
仏教が伝わったといわれる名前の
「伝法」を院号につけた
というこのお寺も
じっくり見たいので、
次回はこの辺から
歩き始めることにしましょう。

自動販売機で冷たーいソーダを買って、
はじめて乗る阪神なんば線の
電車に揺られつつ、

今回はおしまい。


淀川完歩37 十三界隈

2016年07月19日 20時55分55秒 | ウォーキング

十三大橋といえば、



あのハリーポッター事件を
思い出します。

ある道標を見つけ、
それを写真に撮ろうとした時です。
頭の上に出ていてた太い鉄棒で、
おでこをズコーンと
打ってしまいました。

黄色い鳥がいっぱい飛びましたな。

あの悪魔におでこに傷を作られた
ハリーポッターのように
なるところでしたなあ。



あの道標はまだあるかなあと、
橋をくぐってから





頭の上を見上げたら・・・
ありました。



こちらの面にも道標が刻まれていて、
右(上流)は20町、およそ2キロちょいで
毛馬の近くの長柄橋、
左は1里で伝法と書いてあります。

登り切っておでこに
気を付けながら
ほかの面も再度確認してみましょう。



指の矢印が北のほうを指して、
池田4里 伊丹2里半 

そして南の方を指しては
高麗橋まで1里とあります。



ああ、どこも歩きで行った場所ですね~。



大正9年に立った道標ですが、
こんな雨風のきつそうなところで
きれいに整備されていますね。

逆に言えばその頃からだと
ここまで水が上がったことは
ないのでしょう。

そして少し戻って道の向こうには
7.0kmの距離標もたっていました。

一年前には淀川を歩いて
ここまで来ることが
できるのかなあと思いましたが、
何とかやってきたようです。

そんな十三大橋を過ぎると、
すぐに同じような形の橋が
架かっています。



これが新十三大橋か
というとそうではなく、
これはなんと通信線などの橋でした。



電話線や光ケーブルなんかが
通っているのでしょうねえ。

やや、としたらここは
テロ対策が必要でしょうねえ。

情報が途切れたら
えらいことになって
しまいそうですもんね。

さあ、ここで距離は6.8キロ。



向こうには新十三大橋も
見えてきました。



これは十三大橋の渋滞を避けて
作られた十三バイパスの橋です。

現在は北行きのみです。
代わりに十三大橋が
3車線南行きで1車線北行き
という車線配置になっています。
いろいろと考えた挙句なんでしょうねえ。



その橋を超えると、
まっすぐな河川敷道が続き、
向こうにJR神戸線が見えてきました。

そうあの阪神高速池田線も
すぐ横を走っています。
これまたなじみのある橋ですねえ。

このあたり淀川は
かなり広くなっていますし、
川に沿ってずっと上流から

「淀川河川公園」

という位置づけになっている
細長い広場が続きます。

そんな淀川の河川敷内には、
川なんだか湧き水なんだか
よくわからん溝が続きます。



なんか機能を持っているのでしょうか。

それともまだまだこの辺りは
有効利用のできる
河川敷利用の計画でも
あるのでしょうかねえ。

河口までの距離は6.2キロになりました。



あ、夏場にはこのあたりで
花火でもあるんですね。



横に落ちている花火じゃないですよ。

淀川花火大会の会場ですねえ。
今年は8月6日(土)にあるようですねえ。
でも、こんな雑草だらけのところでは
ちょっと怖いような気がするんですが・・・
大丈夫なんですかねえ。

で、そんな河川敷内に降りて
雑草の茂る道を歩きます。



おっ、小さいですが
こんなハチの巣がありますよ。



え~なんか風にあおられて
住みにくそうな巣ですねえ。
でも白い卵なんかも見えていますから、
子育ても行われているようです。

都会じゃハチの巣作りも
なかなか厳しいんですかねえ。

え~、JR神戸線と
阪神高速の橋をくぐったころから、



ぼちぼちおなかがすいてきました。
この辺でぼちぼちランチタイム
なんですがなかなか日影が見つかりません。

さいわいシートを持ってきてたので
公園の立木の下に
広げて座ることにしました。



今日のランチはこれです。





熱いけれども湯を沸かして、
味噌汁も作りましたよ。
塩分不足もしっかりと
補っていかないとね。

淀川公園ランチ、なかなかのものです。

続く


淀川完歩36 琵琶湖から一年

2016年07月18日 21時01分51秒 | ウォーキング

さて前回はJR京都線
(東海道本線)のところで
淀川を離れて、中崎の駅から
帰宅していたので、
今回はその続きだ。

地図を見ると、前回の最終地点には
「中崎」より「中津」の駅が近いので
そこまで行っててくてくと
淀川まで歩いて行った。



あ、そうそうここから先
途中コンビニもなさそうなので、
ここで水分と昼飯も買いましたよ。



で、さてここが前回の最終地点です。



ここから入っていきましょう。

堤防の上に上がっていきますと、
真っ青な空と新御堂の橋の向こうに
沸き立っている夏の雲が・・・
いいものですねえ。
大好きな夏がここ淀川にも来ています~。



橋の下をのぞき込むと、
線路の下という
うるさいところにもかかわらず、
こんなパラダイスが設けられていますねえ。



いやあ、なかなかいいものです。

淀川でもこの辺は最も
橋の多い場所ですので、
いろんな姿が見受けられますねえ。

そしてここの堤防には看板が・・・



おお~河口まであと8.7キロ
と描かれていますので頑張りましょう。



お、何か船のけたたましい音が
聞こえてきます。



川を見ますと、ここでは
水上スキー
(この言い方であってるかなあ、
違う名前のスポーツかなあ)
をやっている人がいました。



気持ちよさそうですねえ。

川の水がもっときれいだったら
いうことないでしょうねえ。

ここまでクサフジなど
いろんな花の咲いていた河川敷ですが、
もう今の季節は花はあまりないですねえ。



咲いているとしたら
シロツメクサくらいですか。



おっ、こんなキノコが生えています。



こんな真夏にねえ。
これは今日の昼飯にしますかあ
ってあかんあかん。
とか言ってるうちに、
もう新御堂の下をくぐります。



ここもよく通る橋ですねえ。



それにしてもこの日はとても暑い日でした。
こういう橋の下に差し掛かるたびに、
十分水分補給をしていきます。

昔はねえ、炎天下の熱いところでも
ガンガン走っていたときは、
少々水分不足といっても
なんてことはなかったのにねえ、
もういまや脱水はdoironにとっては
命がかかりますからねえ。
薬を飲むようなつもりで
しっかりと水分をとっています。

これからしばらく気候は
こんな感じでしょうねえ。

体中に水分のあふれる
みずみずしいおじさんで
いなければなりませんね、へへ。

ちょうど、淀川を歩こうと
琵琶湖をスタートしたのが
一年前の今頃です。

ああ~そうだあ、琵琶湖のちかくに
ナワシロイチゴが大量に
生えていたのは今頃でしたねえ。

今年はちょっといけないかなあ。
また年を改めましょうかね~。

橋のしたから堤防に上がっていきますと、



なにやら大きな管が
川を越えています。



水道かな?ガスかな?電気かなあ?
でも地図で見ると川の中ほどで止まっています。
排水管かあるいは取水管ですかねえ。

都会になるほど川の様子は複雑ですねえ。

こんな送電線も通っていて、
魚釣りをする人に注意を呼び掛けています。

「いやあ、きょうは魚は釣れなかったけど、
100万ボルト釣っちゃったよ」
なんてことになってはいけません。

さあて、淀川も残りは8キロです。



琵琶湖から67キロ進みましたかあ。

普通ならもう今日中には
余裕で河口に到着する距離です。

頑張りましょう。

さて、次に対岸に見えてきたのは
「十三」です。



ここも一年前に歩きましたねえ。

あの火事になって燃えてしまった
駅前のしょんべん横丁も、
ようやく建設が進み、
10月にはオープンするそうです。

十三を最終目的にして
歩きに行き、新しくできた
しょんべん横丁で
ビールでもしてみましょうかねえ。

そんな十三大橋の下をくぐっていきます。



続く


やり方ヌルいんやけど・・・

2016年07月17日 21時00分19秒 | 生活

近頃、ご近所の家で
よくマージャンをしている。



おっさん4人集まって、
じゃらじゃらと楽しんでいるわけだ。

まあ、これが頭の体操になって
いいわけなのだが、
麻雀しながら
事前に差し入れてあるビールを
飲んだりするのがよくない。

これがダイエットの敵となっているのだ。

さすがに体重を意識し始めて
ダイエットを心がけ、
史上最強体重から
一段落下がったところなのだが、
この麻雀ビールがなければ
3段階ぐらいは下がっていただろう。

あ、目標は10段階なんだけどね。

これを何とかしなければ
と思っていたところ、
先日その雀卓を置いてある
家の奴が奥さんに

「あんた最近太ったで~」

と言われていた。

うん、確かにそういう感は否めない。

「そうかなあ」とか言いながら
腹をポンポンたたくそいつに

「おお、とりあえず麻雀中に
飲むビールは缶ビール1本だけにしとこうぜ」
と提案し、受け入れられたところである。

え?それよりビールを
やめたほうがいいんじゃないのって?

そりゃあ確かにそのほうが
効果はあるだろうが、
いきなりそこまでやってしまっても
長続きしないのはわかっているから、
まあ無理はしないでおこう
というものである。

それから、先日、ジムで
ダイエットの相談をしたら

「doironさんの今の運動を見ていたら、
下半身の筋量を落とさないように
しているようには見えるけど、
上半身を鍛えることもしたほうがいいよ」
とアドバイスをもらった。

「そのためにはチューブを買って、
テレビ鑑賞の時にでも
ながら運動したらいいよ」
とぬるーく指導をしてくれた。

これは手軽やね。

では一度やってみようと思い、
さっそくチューブを買いに行き
手に入れたのが、これ。



で、最近はこれをひっぱたり、



肩の上で伸ばしたり、



足に引っ掛けてぐいぐいしてみたり
などを続けているのだ。

とまあ、そんなことを書くと
ダイエットを意識しているなあ
という感覚はわかっていただけるのだが、
どうもやり方が甘すぎるように
思えてならないのだが・・・

まあ、いいか


大和街道はここから 3

2016年07月16日 21時54分47秒 | ウォーキング

おお~、この侍の休憩所であった
「春泉堂」はネットにも
写真が載っていたなあ。



この道を選んだのには
間違いありません。



進んでいきますと、
今度は町名がこんな名前になっています。



大和街道沿いの商店なんかが
紀の川沿いに作った
「かけつくり」の家が
並んでいるからなんですね。



これもまたネットにあった
写真と同じ景色です。



あ、これもネットに乗っていました。
どうやらこの料理組合は
「花街」のようですねえ。



寂れてはいるようですが、
ちょろっとみてみますと
営業されていそうな
お店もいくつかあるようですね。

ネットの記載では、
小さな窓から女性が外を
見ておられるそうです。

ちょっと不便な場所にある
「花街」ですが、
もしかして街道と何か
関連でもあったのかなあ。

店に立ち寄って取材・・・
とはいかないようです。

そしてやってきたのが



「地蔵の辻」という交差点です。



はいはいありましたねえ。

紹介されていました。
わかりにくいかなあと
最初は思っていたのですが、
河川敷のような二重の道が
あったりするものの、
基本的には国道24号通りに
ここまで来ています。

で、その地蔵の辻なんですが、
大阪への道と高野への道の
分岐点ということで設置された
立派な地蔵があるはずです。

でもねえ~ないぞと思っていたら、
こんな立て看板が立っていました。



道路工事に合わせて
200mほど移動させているそうです。
これはぜひとも見に行ってみましょう。

道を南のほうに歩いていきますと、
ああ~あそこにあるようですね。



近づいていくと、
大きな地蔵堂があります。



中を見ますと、立派な大きな
石の地蔵が祀られています。



そうそうこの石の地蔵には
これから死へ向かう人が
多くお参りをされた
という過去があります。

12月末の20日は、
江戸時代罪人の処刑日だったそうで、
この日この先にある処刑場
「八軒屋」まで処刑される人は
馬で引き連れられていったそうです。

その時にこの地蔵のところで
いったん降ろされ目隠しを外して
地蔵参りをさせたそうで、
悲しい悲痛な叫びを
この地蔵は聞いているとのことです。

ここは、水桶も特徴的なものでした。









寄贈した人の名前なんかも
書かれてあるのかなあ。

読んだけど、ちょっとはっきり
しませんでした。

この処刑日以来、
12月20日は
「はての20日」といわれ
旅立ちするなと言われたそうです。

そんな地蔵を後にして、
コンビニで昼食をすまし、



国道を進むと、
今度は「四箇郷一里塚」の遺跡に出ます。



ここにあった説明版によりますと、



ちょうどスタートした京橋から、
ここが最初の一里塚だそうです。



参勤交代でも多くの武士なんかの
見送り、出迎えの場だったそうです。

で、ここはどこかの女子高校?と





思ったら、刑務所でした。

みちはこのまま国道を
進めばよいようなんですが、
途中川のほうに進んでいる
田舎道がありましたので、
そちらに入ってみると、
これがやはり正解でした。



先ほどの地蔵の辻でお参りした
処刑者が裁かれるのも
このあたりの「八軒屋」でした。

ほんとはこの前に
道標もあるようだったのですが
これはちょっと見つかりませんでしたねえ。

阪和自動車道の
下のあたりには
根来寺への大きな道標も
たっております。



ネットに写真のあったところです。

さて、このあたりで今回は終わりです。

もしかしてここかなあ
とか思いながら歩いたのが、
見事にどこもほぼ正解でした。

どうも昔の街道の雰囲気を
無意識に感じ取れていたみたいですね~
そういう勘がついたのでしょうか。

このあとは船戸まで
あと一息で、大和街道はつながります。

でもまだ街道の道標はなかったなあ。
どのあたりから立つようになるのでしょうか。

その辺もこれから確かめていきましょう。



田井ノ瀬から電車で帰宅した



doironなのでした。

おしまい。


大和街道はここから 2

2016年07月15日 20時53分09秒 | ウォーキング

歴史館の外には
オープンカフェのように
休憩スペースがあります。

そのときそこに座っていたのが、
doironより10歳以上年上の
高齢者が二人でした。
リュックを横に置いて座っています。

ああ~歩く人たちですねえ。

最近はこうして歩いていると、
同じようないでたちの人に
よく会いますね。

「お、ご同輩やな」
というようなどことなく
親しそうな視線とともに、
こいつは今日はどこを歩くんやろ
というようなはてさて感が
飛び交いますね。

そんな視線を感じながら
館の中に入ると、
歴史的な資料のほかに
和歌山出身の有名人の企画がありました。

これは有吉佐和子の
和歌山の「川三部作」ですね。



これはしっかり読みました。

小説の中に歩いた場所なんかが
出てきたり、逆にその場所を歩いたりと
歩くのにいい参考にもなりましたので
親しみを感じましたね。

あの親しみのある
南方熊楠の展示もありました。



そんな展示を見ながらも、
今日の目的である
「大和街道」の参考になるようなものも
ないかと探しましたが
これはちょっと見つかりませんでしたね。

残念。

では、ここを出て、
スタート地点であるといわれている
京橋を目指しましょう。

S水君の職場横には



こんな碑があります。



「木下次郎四郎屋敷跡」と書かれています。
「そうかあ木下次郎さんと
木下四郎さんの兄弟の屋敷跡かあ」
と思ったら大間違い。

「木下次郎四郎」という名前の
和歌山城の弓に関する
役員さんだったんですね。

これは覚えやすいお名前ですねえ。

そして最初にたどり着いたのが、
市堀川に架かる「中橋」です。



この橋のたもとには、
立派に整備され大切に保存されている
地蔵があります。



これは、昭和20年の
大空襲から逃れた人が、
この橋の下で満水のために
大勢なくなったということで
作られた地蔵なんだそうです。

合唱をして川沿いを進んでいきましょう。



こんなきれいな散歩道ができています。



これでねえ川の水が
きれいだったら
いうことないんですけどねえ。

やがて、広くて立派な橋に出てきました。
これが「京橋」、



大和街道のスタート地点です。

先ほどの「中橋」と合わせて
この京橋は和歌山城への
入り口の橋だったそうです。

ここにはかつての
「道路原標の記念碑」



があります。
昔、道標なんかで
「和歌山まで何里」
と書かれてあるのは
この点からの距離を言ってたんですね。

だからこそ、この橋が
「大和街道」スタート地点
でもあるわけです。

紀州手毬のモニュメントや



休憩場もありますので、



今は夜には若者たちが
たむろする場なんでしょうねえ。

さて、ではここから、
推定「大和街道」を進んでいきましょう。

ネットではまずここから
北を向いて進むようです。

船戸から歩いた街道が
「紀の川」沿いだったことから考えても、
道が紀の川を向いて
進んでいくのは間違いないでしょう。

右手に「ぶらくり丁」
の商店街が見えてきました。



間口の狭いお店で、
商品を店前で天秤棒にぶら下げて
売っていた(ぶらくっていた)
ところからという説と
「ぶるぶらあるいて」という
ところからという二説があるんですね。

いやあ、この辺りも走っているころに
何度か尋ねてきたことがあります。

たしか、この店でラーメンを食べた



という記憶がありますねえ。

北ブラクリ丁や中ブラクリ丁など





いろいろとありますが、
街道としてはこの築地通りを
まっすぐ北上するのが正解でしょう。



和歌山ブルースにも登場する



「真田堀川」の横に続く







商店街を北上していきます。



JRを超える高架道路の側道に入って、



紀ノ川の堤防を目指していきますと



「国道24号」に出ますので、
それを右折していきましょう、

続く。


大和街道はここから 1

2016年07月14日 21時37分47秒 | ウォーキング

今年の4月に、
和歌山の「大和街道」を歩きました。

紀伊の国から五条を経て
大和に向かうという街道です。

前回2回に分けて歩いたのは、
船戸から名手までの間です。

道には大和街道の道標が
あちこちに立っていましたねえ。


船戸駅前

これを頼りに桃や桜の咲く道を
楽しんで歩きました。

でもねえ、この道標は
和歌山市街地のほうにはないようなんです。

じゃあどのあたりからついているか、
それもはっきりわかりません。

街道整備がどのような位置づけで
行われているのか
はっきりしないんです。

なので、今回は和歌山市内から
どの道を通って街道が
やってくるのかということを
調べてみようということにしたのです。

まずはネットで一応
調べてみましょう。

う~んあんまり出てきませんし、
やっと出てきても大きな地図だったり、
記載の詳しくない地図だったり
してはっきりとしません。

でもやはりおられるのですねえ。

大和街道としてどのあたりを
通っているかを調べよう
と歩いた人がいたようです。

それを報告するブログには
写真もいっぱい載せているのですが、
残念ながら地図的な情報が
詳しくありません。

道の名前も「国道」だったり
「県道」だったりで
一体何合線なのかもよくわかりません。

なのでこちらも地図を片手に
読んでいるのですが
どうもうまくいかないのです。

まあ、スタート地点は和歌山城北の
道路源標のあった「京橋」でしょう。

そこをスタートして北向いて歩き、
紀ノ川の手前あたりで
東へと進んでいくようです。

途中でちょっとした地蔵があったり、
遺跡があったりしますが、
なかなか経路がはっきりしません。

まあこれはそこに行き、
街道ぽい道を選んだりしながら
進んでいけば何とかなるかなと思い、
出かけてみようとなったのです。

まあ、言ってみれば
ちょっとした街道探し
ということですね。

頑張ってみましょう。
これまで和歌山といえば
たいていJRで向かっていたのですが、
この日は南海電車に
乗って向かいました。

出かけたのが平日の朝の
時間帯だったので
途中の和歌山大学前駅で
学生がいっぱいおりていきましたね。

そうしてたどり着いたのが
「和歌山市駅」です。



とりあえず、駅前で
観光案内書があったので
寄ってみましたが、
あまり大した地図等は
なかったですねえ。
こんな掲示でしっかり
確認していきましょう。



手持ちにはコピーした道路地図もあります
これらも一緒に見ながら進んでいきましょう。

まずは和歌山城へと
向かうのがいいようです。



市駅前の道を進んでいきますと・・
おお~



「勝海舟寓居地」

という石が立っています。

軍艦奉行だった彼が
幕府に派遣されて
和歌山港防衛の工事監督として
やってきてここ
(ほんとは50mほど南)
に住んだそうです。

どうして和歌山港の
防衛工事が必要だったか・・・
これはやはり開国による
外国船へのものだったんですねえ。

一時は坂本龍馬もやってきたようです。

そうそう、
熊野古道を歩いているときに、
山中渓の先で
日本最後の仇討ち場
というのがありましたねえ。

あそこの事件にたしか
紀州にいた「勝海舟」も
関連していましたねえ。

とまあそんな遺跡後を
見ながら進んでいきましょう。
こんなパンダ号の車を見たり、



市堀川を渡る橋を越えていきますと、



城の周りの交差点に出てまいりました。



ああ、この交差点は何となく
覚えがあります。



和歌山~高野山往復ウルトラマラソンに
出た時のコースですねえ。

全長110kmを走るウルトラでした。

サロマに次いでキロ6分切りを
目指しましたが、
残念ながら数分超えてしまいましたねえ。

あのときは土砂降りの雨でした。

そんな城の交差点を
マラソンとは反対向きに
進んでいきますと、
右手には和歌山歴史館が
見えてきました。



時間もあるし、
大和街道の資料もないかな
と寄ってみましょう。



続く。


選挙に立ち会った

2016年07月13日 21時25分52秒 | 最近の出来事

え~っと、明日から東京都知事選ですねえ。
あっ、doironは出ませんからね。
「辞退いたします」

で、先日は参議院選挙でした。
選挙の立会人の依頼を受けて、
この選挙の投票事務の
「選挙立会人」になってきました。

しかしねえ、この選挙、
投票日の前日に、
該当する選管が
投票用紙の誤投棄という
とんでもないニュースを巻き起こし、
一時どうなるのかと思わせたが、
そこはやはり万全に対処したんだろう。
選挙はいつもと同様に始まったのだ。

できなかったら都知事選の
騒ぎどころじゃないもんね
まあ、これは何が何でも
そうしないといけないだろう。

しかしねえ、始まってみると
細かい点でいろんなことが気になった。
選管と投票所職員との
連絡不足とか機械の調子が
いまいちとか細かい部分での、
体制には全く関係のない点で、
なんとかなったやろというような
どうでもいいようなミスが
ちょこちょこ見られたのは、
あくまでも選管の気持ちの
たるみが浮き出ているような
シーンだったようにおもうなあ。

このままの気持ちでいたら、
なんかどこかで
取り返しのつかないような
失敗になるんじゃないかと思ってしまったよ。

だから今回の誤投棄を教訓に、
選管関係は一層気持ちを入れ変えて
ほしいなと思ってしまったな。

テレビ等では18歳の選挙権について
しきりに言っている。

確かに近所の18歳の子どもらは
緊張して選挙に行ってたな。

逆に、高齢者の皆さんが
無理やり連れていかれて、
どうもわけのわからん選挙をしている
というシーンも近所ではよく見かけたぞ。

え~18歳まで広げたんやから、
そやなあ逆に80歳超えたら
投票権をなくしてしまったら
ええんやないかというように
思ってしまう話も
たまに聞くところだ。

朝の七時前から始まった
選挙立ち合いの中で
どんなことがあったかは
役目上余り書けないが、
地元の人間として立ち会うたびに
「これでいいのかなあ」と
あきれてしまうような
人も結構いるもんやね。

立会人をすることになって
選挙に関連していろいろ
人間模様を見たよ。

世の中、自分も含めてやけど、
いろんな人間がいるもんだわい。

ああ~言いたいことは
いっぱいあるけど、
言えないのがネットのむつかしさやなあ。

仕方ないので、
選挙の立ち合いでもらったお金で、
翌日夫婦で焼き肉を食べに行って、
嫁さん相手にあーだこーだと
わいわい言いながら
世間をはにかんでいたdoironなのでした。


四国巡礼八十六番志度寺

2016年07月12日 20時43分35秒 | ウォーキング

さあ、今回の日帰りツアーで
あと残っているのは

八十六番志度寺です。





このお寺も、先ほどの長尾寺も
「山号」は「補陀落山」です。

補陀落山は観音菩薩の住居です。
ここへたどり着くために、
熊野の近く熊野灘へ船を出して
上人が何人も海へ漕ぎだしていった
というのが「補陀落渡海」ですね。

その一週間前に退職者サミットで
その熊野灘を眺めてきましたところでした。

ここ志度寺は瀬戸内海の側のお寺です。



天気がいいと潮の香りがするお寺だそうです。
ここから補陀落渡海をした人も
いたのでしょうか。
たぶん鳴門の渦に
巻き込まれたでしょう。

ここのお寺は開基は「藤原不比等」です。

地域の海女との物語など
過去の物語も多く残っています。

有名なのは「海女の墓」で
千基もあった墓が今は
20本だけ残って
ここに据えられています。





そんな陰に潜む様々な物語も含めて、
まだまだこれからも
たくさん尋ねる四国詣を
お大師さんとともに
楽しみたいですねえ。

このお寺は緑の多いお寺です。



そんな緑に包まれて
昭和50年に建立された
五重の塔がそびえています。

このお寺の絵は
この五重塔にしておきましょう。



本堂、並びに太子堂で
きちんとお参りを済ませます。



三社目となると般若心経を唱える声も
少し大きくなって
きたような気がします。

でもねえ、まだ読み方も
慣れていないものだから、
ついついお経を続けて
読んでしまって、
息継ぎができず
酸欠になりそうでした。

このお経も本堂、大師堂で1回ずつ、
そして生き帰りのバスの中で
唱えるとしたら、
200回は唱えることになる
と思いますが、
まあそれだけじゃ覚えるのは無理でしょうねえ。

自分でしっかりと
覚える努力もしたほうがいいんでしょうねえ。

今のところ二行くらいは
覚えたでしょうかねえ。

で、車に乗りながら
聞きつつ覚えてみようと、
以前100均で売ってた
CDを探しに行ったのですが
近頃はかなり探しても
見つかりませんなあ

TSUTAYAとかでもあるのかなあ。

今度探してみましょう。

お参りを終えて、
バスに戻るまでの間は大忙しです。

境内のいろんな施設を
写真に撮って回ります。
こういう八十八か所のお参りの
医師もとりあえずパチリとしておきました。



と、そのときです。
この石の横にあるお社に、
な、なんと大師化身の影向が・・・



猫でした。

これまでこういうお寺で
思わぬところに
猫のいたことがよくあります。

元薬師寺もそうでしたし、
さいきんでは安孫子観音の
屋根の上をのっしのっしと
歩いていた猫もいましたねえ。

いやあ、なかなか猫も
不思議な生き物ですな。

さあて、すべてのお参り儀式を
きちんと済ませて、
これで今回の四国詣りは
すべて終わりです。

掛け軸にもこんな風に
朱印が集まりましたし、



納経帳にも集まりました。



ちいさな一歩の始まりですなあ。
頑張って残りを
お大師さんとともに
集めていきましょう。

帰りのバスの中でも
先達さんがいろいろと
話をしてくれました。

doironも一番後ろの席で
ビールをいただきながら、
聞いていたり、
ふと気が付いたら居眠りをしていたり
とのんびり過ごし、
気が付いたらもう
阪神高速神戸線に乗っていました。

このバスの中で申し込んだ、
次回のお参りは7月の21日です。

この時もまだ日帰りですが、
しっかりとお参りをしてきましょう。

そして写真もいっぱい撮って
絵にしないといけませんな。

いっぱい描いてdoironの
四国巡礼をより充実させないとね。

とりあえず今回はこれにて終わりです。

お疲れさんでした。