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心から楽しまないとねえ。

大和街道はここから 1

2016年07月14日 21時37分47秒 | ウォーキング

今年の4月に、
和歌山の「大和街道」を歩きました。

紀伊の国から五条を経て
大和に向かうという街道です。

前回2回に分けて歩いたのは、
船戸から名手までの間です。

道には大和街道の道標が
あちこちに立っていましたねえ。


船戸駅前

これを頼りに桃や桜の咲く道を
楽しんで歩きました。

でもねえ、この道標は
和歌山市街地のほうにはないようなんです。

じゃあどのあたりからついているか、
それもはっきりわかりません。

街道整備がどのような位置づけで
行われているのか
はっきりしないんです。

なので、今回は和歌山市内から
どの道を通って街道が
やってくるのかということを
調べてみようということにしたのです。

まずはネットで一応
調べてみましょう。

う~んあんまり出てきませんし、
やっと出てきても大きな地図だったり、
記載の詳しくない地図だったり
してはっきりとしません。

でもやはりおられるのですねえ。

大和街道としてどのあたりを
通っているかを調べよう
と歩いた人がいたようです。

それを報告するブログには
写真もいっぱい載せているのですが、
残念ながら地図的な情報が
詳しくありません。

道の名前も「国道」だったり
「県道」だったりで
一体何合線なのかもよくわかりません。

なのでこちらも地図を片手に
読んでいるのですが
どうもうまくいかないのです。

まあ、スタート地点は和歌山城北の
道路源標のあった「京橋」でしょう。

そこをスタートして北向いて歩き、
紀ノ川の手前あたりで
東へと進んでいくようです。

途中でちょっとした地蔵があったり、
遺跡があったりしますが、
なかなか経路がはっきりしません。

まあこれはそこに行き、
街道ぽい道を選んだりしながら
進んでいけば何とかなるかなと思い、
出かけてみようとなったのです。

まあ、言ってみれば
ちょっとした街道探し
ということですね。

頑張ってみましょう。
これまで和歌山といえば
たいていJRで向かっていたのですが、
この日は南海電車に
乗って向かいました。

出かけたのが平日の朝の
時間帯だったので
途中の和歌山大学前駅で
学生がいっぱいおりていきましたね。

そうしてたどり着いたのが
「和歌山市駅」です。



とりあえず、駅前で
観光案内書があったので
寄ってみましたが、
あまり大した地図等は
なかったですねえ。
こんな掲示でしっかり
確認していきましょう。



手持ちにはコピーした道路地図もあります
これらも一緒に見ながら進んでいきましょう。

まずは和歌山城へと
向かうのがいいようです。



市駅前の道を進んでいきますと・・
おお~



「勝海舟寓居地」

という石が立っています。

軍艦奉行だった彼が
幕府に派遣されて
和歌山港防衛の工事監督として
やってきてここ
(ほんとは50mほど南)
に住んだそうです。

どうして和歌山港の
防衛工事が必要だったか・・・
これはやはり開国による
外国船へのものだったんですねえ。

一時は坂本龍馬もやってきたようです。

そうそう、
熊野古道を歩いているときに、
山中渓の先で
日本最後の仇討ち場
というのがありましたねえ。

あそこの事件にたしか
紀州にいた「勝海舟」も
関連していましたねえ。

とまあそんな遺跡後を
見ながら進んでいきましょう。
こんなパンダ号の車を見たり、



市堀川を渡る橋を越えていきますと、



城の周りの交差点に出てまいりました。



ああ、この交差点は何となく
覚えがあります。



和歌山~高野山往復ウルトラマラソンに
出た時のコースですねえ。

全長110kmを走るウルトラでした。

サロマに次いでキロ6分切りを
目指しましたが、
残念ながら数分超えてしまいましたねえ。

あのときは土砂降りの雨でした。

そんな城の交差点を
マラソンとは反対向きに
進んでいきますと、
右手には和歌山歴史館が
見えてきました。



時間もあるし、
大和街道の資料もないかな
と寄ってみましょう。



続く。


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