ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

大和街道はここから 2

2016年07月15日 20時53分09秒 | ウォーキング

歴史館の外には
オープンカフェのように
休憩スペースがあります。

そのときそこに座っていたのが、
doironより10歳以上年上の
高齢者が二人でした。
リュックを横に置いて座っています。

ああ~歩く人たちですねえ。

最近はこうして歩いていると、
同じようないでたちの人に
よく会いますね。

「お、ご同輩やな」
というようなどことなく
親しそうな視線とともに、
こいつは今日はどこを歩くんやろ
というようなはてさて感が
飛び交いますね。

そんな視線を感じながら
館の中に入ると、
歴史的な資料のほかに
和歌山出身の有名人の企画がありました。

これは有吉佐和子の
和歌山の「川三部作」ですね。



これはしっかり読みました。

小説の中に歩いた場所なんかが
出てきたり、逆にその場所を歩いたりと
歩くのにいい参考にもなりましたので
親しみを感じましたね。

あの親しみのある
南方熊楠の展示もありました。



そんな展示を見ながらも、
今日の目的である
「大和街道」の参考になるようなものも
ないかと探しましたが
これはちょっと見つかりませんでしたね。

残念。

では、ここを出て、
スタート地点であるといわれている
京橋を目指しましょう。

S水君の職場横には



こんな碑があります。



「木下次郎四郎屋敷跡」と書かれています。
「そうかあ木下次郎さんと
木下四郎さんの兄弟の屋敷跡かあ」
と思ったら大間違い。

「木下次郎四郎」という名前の
和歌山城の弓に関する
役員さんだったんですね。

これは覚えやすいお名前ですねえ。

そして最初にたどり着いたのが、
市堀川に架かる「中橋」です。



この橋のたもとには、
立派に整備され大切に保存されている
地蔵があります。



これは、昭和20年の
大空襲から逃れた人が、
この橋の下で満水のために
大勢なくなったということで
作られた地蔵なんだそうです。

合唱をして川沿いを進んでいきましょう。



こんなきれいな散歩道ができています。



これでねえ川の水が
きれいだったら
いうことないんですけどねえ。

やがて、広くて立派な橋に出てきました。
これが「京橋」、



大和街道のスタート地点です。

先ほどの「中橋」と合わせて
この京橋は和歌山城への
入り口の橋だったそうです。

ここにはかつての
「道路原標の記念碑」



があります。
昔、道標なんかで
「和歌山まで何里」
と書かれてあるのは
この点からの距離を言ってたんですね。

だからこそ、この橋が
「大和街道」スタート地点
でもあるわけです。

紀州手毬のモニュメントや



休憩場もありますので、



今は夜には若者たちが
たむろする場なんでしょうねえ。

さて、ではここから、
推定「大和街道」を進んでいきましょう。

ネットではまずここから
北を向いて進むようです。

船戸から歩いた街道が
「紀の川」沿いだったことから考えても、
道が紀の川を向いて
進んでいくのは間違いないでしょう。

右手に「ぶらくり丁」
の商店街が見えてきました。



間口の狭いお店で、
商品を店前で天秤棒にぶら下げて
売っていた(ぶらくっていた)
ところからという説と
「ぶるぶらあるいて」という
ところからという二説があるんですね。

いやあ、この辺りも走っているころに
何度か尋ねてきたことがあります。

たしか、この店でラーメンを食べた



という記憶がありますねえ。

北ブラクリ丁や中ブラクリ丁など





いろいろとありますが、
街道としてはこの築地通りを
まっすぐ北上するのが正解でしょう。



和歌山ブルースにも登場する



「真田堀川」の横に続く







商店街を北上していきます。



JRを超える高架道路の側道に入って、



紀ノ川の堤防を目指していきますと



「国道24号」に出ますので、
それを右折していきましょう、

続く。