ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

大和街道はここから 3

2016年07月16日 21時54分47秒 | ウォーキング

おお~、この侍の休憩所であった
「春泉堂」はネットにも
写真が載っていたなあ。



この道を選んだのには
間違いありません。



進んでいきますと、
今度は町名がこんな名前になっています。



大和街道沿いの商店なんかが
紀の川沿いに作った
「かけつくり」の家が
並んでいるからなんですね。



これもまたネットにあった
写真と同じ景色です。



あ、これもネットに乗っていました。
どうやらこの料理組合は
「花街」のようですねえ。



寂れてはいるようですが、
ちょろっとみてみますと
営業されていそうな
お店もいくつかあるようですね。

ネットの記載では、
小さな窓から女性が外を
見ておられるそうです。

ちょっと不便な場所にある
「花街」ですが、
もしかして街道と何か
関連でもあったのかなあ。

店に立ち寄って取材・・・
とはいかないようです。

そしてやってきたのが



「地蔵の辻」という交差点です。



はいはいありましたねえ。

紹介されていました。
わかりにくいかなあと
最初は思っていたのですが、
河川敷のような二重の道が
あったりするものの、
基本的には国道24号通りに
ここまで来ています。

で、その地蔵の辻なんですが、
大阪への道と高野への道の
分岐点ということで設置された
立派な地蔵があるはずです。

でもねえ~ないぞと思っていたら、
こんな立て看板が立っていました。



道路工事に合わせて
200mほど移動させているそうです。
これはぜひとも見に行ってみましょう。

道を南のほうに歩いていきますと、
ああ~あそこにあるようですね。



近づいていくと、
大きな地蔵堂があります。



中を見ますと、立派な大きな
石の地蔵が祀られています。



そうそうこの石の地蔵には
これから死へ向かう人が
多くお参りをされた
という過去があります。

12月末の20日は、
江戸時代罪人の処刑日だったそうで、
この日この先にある処刑場
「八軒屋」まで処刑される人は
馬で引き連れられていったそうです。

その時にこの地蔵のところで
いったん降ろされ目隠しを外して
地蔵参りをさせたそうで、
悲しい悲痛な叫びを
この地蔵は聞いているとのことです。

ここは、水桶も特徴的なものでした。









寄贈した人の名前なんかも
書かれてあるのかなあ。

読んだけど、ちょっとはっきり
しませんでした。

この処刑日以来、
12月20日は
「はての20日」といわれ
旅立ちするなと言われたそうです。

そんな地蔵を後にして、
コンビニで昼食をすまし、



国道を進むと、
今度は「四箇郷一里塚」の遺跡に出ます。



ここにあった説明版によりますと、



ちょうどスタートした京橋から、
ここが最初の一里塚だそうです。



参勤交代でも多くの武士なんかの
見送り、出迎えの場だったそうです。

で、ここはどこかの女子高校?と





思ったら、刑務所でした。

みちはこのまま国道を
進めばよいようなんですが、
途中川のほうに進んでいる
田舎道がありましたので、
そちらに入ってみると、
これがやはり正解でした。



先ほどの地蔵の辻でお参りした
処刑者が裁かれるのも
このあたりの「八軒屋」でした。

ほんとはこの前に
道標もあるようだったのですが
これはちょっと見つかりませんでしたねえ。

阪和自動車道の
下のあたりには
根来寺への大きな道標も
たっております。



ネットに写真のあったところです。

さて、このあたりで今回は終わりです。

もしかしてここかなあ
とか思いながら歩いたのが、
見事にどこもほぼ正解でした。

どうも昔の街道の雰囲気を
無意識に感じ取れていたみたいですね~
そういう勘がついたのでしょうか。

このあとは船戸まで
あと一息で、大和街道はつながります。

でもまだ街道の道標はなかったなあ。
どのあたりから立つようになるのでしょうか。

その辺もこれから確かめていきましょう。



田井ノ瀬から電車で帰宅した



doironなのでした。

おしまい。