ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野古道 湯浅のおもてなし 1

2014年11月20日 21時13分57秒 | ウォーキング

前回の歩行の終着点、湯浅の駅まで車で来ました。
ここから次の終着点である「紀伊内原」までは、
途中に電車への逃げ場がありません。
距離は約18キロあります。

普通なら十分歩ける距離なのですが、
紀伊路屈指の難所である鹿ヶ瀬峠を越えることと、
途中の見所の多さを考えたら
そんなに急ぎたくはありません。

さてどうしようかと、いろんな地図を見ていると、
7キロほど歩いたところにある
バス停のマークが目に入りました。



そこからバスで引き返したら、
残り11キロの区間と分割することができます。

そこで前回ちょっと歩いてみたかった
湯浅の街歩きを含めて
今回の歩行としてみようと思い立ったわけです。

まず、湯浅の駅前多目的広場で情報を仕入れます。



親切な係の女性が応対をしてくれました。

そこで、ダメもとで

「湯浅をあちこち回ろうと思ってるのですが、
車を停めておいていいですか?」
と聞いてみると
「ああ、夕方ここが閉まるまでに
帰ってこられるのならいいですよ」
とうれしいお言葉をいただきました。

素敵な湯浅の「お・も・て・な・し」ですねえ。

お言葉に甘え、そこから湯浅界隈の歩行を後にして、
一番の目的の熊野古道歩行にまず出発しました。

線路に沿って南下していきますと、
民家の軒下に道標が立っています。



そこを左に折れ、線路の下をくぐると、



右に昭和の匂いのする長屋が目に入ります。



時代が一気に昭和に戻ったような感じです。

そして左には「満願寺」。



なかなか御利益のありそうな名前ですねえ。



もう導き石はありませんが、
道の至る所に案内があります。





そしてこの道標には「すぐ勝楽寺」とあります。



この場合の「すぐ」は
すぐそこのすぐなんでしょう。

おお~こんなところにも温泉が・・・。



あちこちに温泉がありますね。
それはもしかして
「湯浅」の名前と関連があるのかな
とその時に思いました。
しかし帰って調べてみると
「湯浅」の名前の由来は温泉ではなく、
昔海がもっと内陸部まで入り込んでいて、
浅い海が広がる地形の状況を
「ゆあさ」といったそうです。

浅いと水温が高いからでしょうか。

いずれにしても、浅瀬に湯が湧く
といった意味ではなさそうです。

歩いていると、巨大なクスノキに出会いました。



さすがに古道沿いのお寺には
立派なクスノキがあるんやなあと見上げると・・・



寸詰まりでした。

あまり高いと住宅地の中にあって
落ち葉処理が大変なんでしょうかね。

そんなクスノキの先にあったのがこれ。



「紀伊国屋文左衛門の碑」です。
一代で財を築いた豪商として有名な文左衛門は、
ここ湯浅の出身でした。

前々回、橘本土橋から出ていた船便が、
海にそそぐところに
「船出の地」といわれるところがあると書きました。

あれこそが、紀伊国屋文左衛門が
豪商にのし上がるために
嵐の中に船出をした地だったのですね。

みかんが大阪で安く、
江戸で高いことに目をつけ、
嵐の海に漕ぎ出し大儲けをしたという伝説があります。

そんな彼の功績をたたえて
建てられたこの立派な石碑の建立に
尽力したのが、
和歌山市出身の
「松下幸之助」で、
この史跡の燈籠にも
しっかりと名前が刻まれていました。

と、ここで、先日の暗越奈良街道歩行の際に見た
「松下幸之助起業の地」の石碑を
思い出した方もおられるでしょう。

裸一貫から始め
改良ソケットを売りだし、
そこから財を成した彼もまた
商売の神様でした。

おお~、その横には石仏48です。



センターは小柄な五輪塔さんでした。

道は「止まれ」のところで



国道42号に一旦出ますが、
すぐさま対面の道に入っていきます。



そこが今回最初に訪ねた

「久米崎王子」に到着です。



続く


徘徊してるんとちゃうで

2014年11月19日 21時43分14秒 | ウォーキング

高倉健さんが亡くなったと報道が流れた。
きっと今夜はあちこちの居酒屋で
健さんのまねをしてひとりしみじみ酒を
飲んでる親父も多いことだろう。

今日、熊野古道を歩く際に乗った超ローカル電車でも
こんなアナウンスが流れるんではないかと思っていた。

自分が・・運転手です。
駅を出ると・・・
少々横に揺れるので・・・
ご注意ください・・・・

不器用ですから・・・

なんてね。

映画を見たときに映画館から出てくるとき
みんな高倉健になったような雰囲気でしたし
少し健さんのことを考えただけで
ついつい真似したくなったもんです。

それほど多くの世の男たちにとっては
憧れのような存在でした。

ご冥福をお祈りいたします。

さて、今日の話は
我が村にいる、健さんとイニシャルの同じ
K.T.さんのお話です。

それは先日、熊野古道に
歩きに行くときに早朝に家を出ようとした時です。

時刻はまだ6時前。
荷物を担いで外に出ると、
村に住んでいる同級生が
すでに犬の散歩を終えて帰ってきたところでした。

「うひゃ~、えらい早くから散歩してるんやな」というと
「Tさんなんか、もっと早くから散歩してて、
もう帰って風呂に入ってるくらいやで」という。

Tさんとは15歳くらい年上の人なのですが、
ちょっと前に大病をして
足やしゃべりに軽くマヒが残っているけど、
幸い見た目ほぼ普通に歩ける人なんです。

健康のためにと、
なんでも4時くらいから歩いているそうで、
「たまげるよなあ」と話をして別れ、
山から帰ってきたときに
またその同級生の犬の散歩に遭遇しました。

「今朝、話をしてたTさんなあ、
警察に職務質問受けたらしいで」という。

そりゃ、朝の4時といえば
今の季節はまだ真っ暗だ。
街中をウロウロしていたら
そらそういうこともあるわな。
でも、「あの人の風体で不審者に見えるかなあ」というと
「いやいや、そうやなくて
徘徊老人と間違えられたらしいわ」だって。

どひゃー、そんなこともあるんやねえ。

で、さらに聞くと
「少し舌のまわりが悪いから、
ほんまに徘徊老人と思われて、
家に電話されたらしいで」という。

電話番号をちゃんと言えるんやから、
そういうことはないのだろうが、
一応念のためということだったらしい。

「そらわしらもお互い気ぃつけななあ」と笑いました。

Tさんはとても気のいい人で、
次の日に道であってそのことを聞いたら、
「そうやあ。帰ってばあさんにえらい言われたがな」
と笑いながらも憤慨しておりました。

昨年、家族などから警察に
捜索願(行方不明者届)を出された
認知症の人は1万322人にのぼるという。

うち151人の所在が今年4月末までに判明していないそうだ。

いわれのない職務質問を受けるのも、
わからんでもないなあとミセスとその話をしていたら、

「あんたが認知症になって徘徊するようになったら
探すの大変やなあ」
としみじみいわれましたとさ。

健さんとは雲泥どころか
宇宙⇔塵の差ですな。

明日、我が家の玄関に
黄色いハンカチをつるそうと思っている
doironなのでした。


ふたたび再度山へ 4

2014年11月18日 21時32分20秒 | ウォーキング

大竜寺を折り返して下山を始めてから
最初に到着するのが、
善助茶屋跡にあるという





「毎日登山発祥の地」の石碑です。



六甲は最初にも書いたように、
都会の裏山がすぐに深い山になっているので、
昔神戸に居留していた外国人達が
ハイキングやレクリエーションをよく楽しんでいて、
それを見た日本人たちが
毎日登るようになり、
ここにあったという善助茶屋に集ったそうです。

そんなところから、
再度山は毎日登山の発祥の地といわれ、
先ほど訪ねた大竜寺には、
1万回の登山を達成した人の名前を刻んだ
石碑などもありました。



大阪でいうところの「金剛登山」のように
親しまれている山というわけですね。

と、このあたりで、知り合いから電話が入りました。
見るとアンテナがわずかにひとつ灯っている状況なので
かけ直してもなかなかつながらず、
仕方なくメールを送ることにしたのですが、
危うく右の急斜面に落ちるところでした。



街中に限らず、山中のがけ道での
歩きスマホはやめましょう。

木陰の気持ちいい道や



木の根っこ道をルンルンと歩いていると、



後から突然「すみませ~ん」と抜いていく若人がいました。

見ると、自転車を担いでいました。



瞬間的でしたが、チェックしましたぜ。
ドロップハンドルのロードタイプで
フロントフォークはやけにまっすぐ。
ペダルにビンディングはついてなさそうでした。
タイヤも若干太く、30mm程度あるようでした。
マウンテンでもなくロードでもなく、
どんな名前のカテゴリーに入るのか、
その辺の動向は良く知りません。

さすがに木の根道は乗りにくいと見え、
コル部に降りたところで
さっそうとまたがって走り去っていきました。



う~ん楽しそうですねえ。

道はドライブウェイを横切って
縫うように続きます。



登山地図で見ても、このあたりは
道が網の目のように敷かれているので
かえって迷いやしないかと
少々不安でしたが、
標識がしっかりしているので
地名の位置関係さえ把握しておけば
まず迷うことはないでしょう。

あ、そうそうここまで書き忘れましたが、
道の両側は登り始めから
下りきる直前までずっと
イノシシの痕跡がありました。



神於山よりイノシシ密度は濃いようです。

最近、神戸ではイノシシ被害が増えている
ということも聞きます。

注意しましょう。

それにしても、道の両側は見事なヌタ場。
歩くところが硬いから掘り起こさないのか、
それとも人が歩いて固まるのか、
トレースまでは破壊されていないようだったのは
どっちなのでしょう?



イノシシの親戚のジダンが教えてくれるでしょう。

山道を下っていたら、
目の前の森の向こうを
何か大きなものが横切っていきました。



敵機襲来・・・ではありません。

布引のロープウェイでした。

そんなゴンドラの下をくぐり、



なおもどんどん下りていくと
いつの間にか、さっきまで眼下に見えていた
ビルの方が高くなっていました。

こんな都会と自然が隣接するのも珍しい光景です。
他にはあまりないと思います。

下りきってから再び布引渓谷をさかのぼり、



折角なので布引の滝を見に行きました。

そこで見たものは「滝に挑むカマキリ」。



ちょっと面白い写真が撮れました。


この滝も親父に連れられてきた記憶が
うっすらと残っています。
半世紀前かもしれません。

このあたりで雨がぱらつき始めたので
慌てて街へ下山し、
あらかじめジダン情報で仕入れておいた
銭湯で汗を流し、



三宮の駅前でちょっと一杯ひっかけて
帰路についたdoiron一行なのでした。
そのコースがこれ



今回、あらためて神戸と六甲の関係が、
都会のすぐ脇の深い自然という関係にあることを
強く感じました。
それだけに整備された道も多く、
歩きやすい山やなあというのが感想です。

親父と歩いた頃とは
ずいぶん変わったんだと思いますが、
親父の痕跡との出会いに期待して、
また出かけてみようと思った山行でした。

終り


ふたたび再度山へ 3

2014年11月17日 21時38分10秒 | ウォーキング

もうここまで来たら残りすべての丁石を確認しておきましょう。

と、その前にこのあたりの石の道は
かなり割れていることに気がつきました。



これはあの阪神淡路大震災の痕跡なんでしょうかね。
いろんな方向にクラックが走っていましたから。
単なる自然崩壊ではないような気がします。

上から見下ろす神戸の街は、
あの時の地震の痕跡など
みじんも感じさせないほど復興していましたが、
やはり当時の爪痕は
よく見れば各地に残っているのかもしれません。

この砂防ダムには、まだ柔らかそうな
土砂がたまっていて底なし沼状態になっているようです。



看板にも、思い切ったルビがふられていました。



七丁石を過ぎたところで、



川に転がる大石に梵字が刻まれていました。



これは「サ」を表すそうです。
いわゆる観音様の化身であります。

おお、この区間では結構標高を稼ぎました。



こちらもちょっと面白い標識ですね。
「標高石」と名付けてあげましょう。

ここの丁石は順番からいけば
「六丁」のはずなんですが、



ほとんど下の部分が埋もれています。
掘り起こそうと思っても、
固い岩と共に埋まっていて見ることができません。

でも刻まれた数字の上だけ見ても
「六」とは思えません。
もしかしたらこれが「五丁」で
「六丁」を見逃したかもしれません。

おお~、やはり次に現れたのが「四丁」ですから、



見落としたということなんでしょう。

では次は三丁のはず・・・あれ?
また四丁です。



う~ん、どういうこっちゃねん。
と突っ込んでしまいました。
色々と事情がおありなんでしょう。

その四丁石の立っていたのが池のふちでした。



猩々池です。

水不足に悩む村人たちが
苦難の末にここに貯水池を作り、
完成時に猩猩の謡曲で
代官を迎えたことからその名がついたとのことです。

ちなみに「猩々」とは中国の想像上の妖精で、
顔は人、体は猿、声は小児のごとく、
赤ら顔で酒を好むとされています。

と書けば、「doironじゃん!」

と言う声が聞こえてきそうですが・・・。

ここで歩き始めてほぼ2時間。
池のほとりにベンチとテーブルが
ありましたのでちょうどお昼にしましょう。

今日の昼食はこれ。



この日の同行者のジム友さんは
お箸を忘れたので、
こんなお箸で食べていました。



ワイルドだろ~。

それにしても、外でいただくこういう食事は
何よりのごちそうじゃな。

食事を摂っていても、
高齢者や山ガールや山ジイサン達が
平日にもかかわらず次々と歩いてこられ、
さすがに毎日登山発祥の地
といわれるだけの賑わいを見せていました。

小一時間休憩をして、
あともう少しの再度山を目指します。

猩々池を右に見ながら緩やかに登って行きますと、
池の上流あたりにこんな石碑が立っていました。



この池を造成した事業をたたえる
「荒井公鹿」という人の詩文を刻んであるそうです。

まったく読めませんでした。

その先で、計画では右折して
山に入っていく予定だったのですが、
ここまで丁石を数えながら歩いてきたのですから
せっかくなのですべてを数えてみようと
コースを変更して歩きました。

おっ、こんなところにカフェがあります。



その名も「はなれ家」。
う~ん、確かに離れています。

そして無事に三丁石も発見。



残る丁石はあと二つです。

ここから再度公園までは石段が続きます。
その途中に二丁石が立ち、



公園の広場にでる直前に
最後の一丁石がありました。



登り始めには全く思っていなかった
丁石めぐりでしたが、無事に終了です。

六甲全山縦走のコースとはここで交わります。



doironが全山縦走を最初に行ったのは、
高校生の頃でした。
まだ山登りのなんたるかもよくわからないまま
親父に何度も連れられて行った六甲を、
自分一人で征服してやろうという
気合があったのをうっすら覚えています。

もう今から40年以上前ですね。

そして直近でも、ある大会で走っています。

でもそれでももう10年は経っているでしょう。

その時もここを走っているはずなんですが、
残念ながら記憶はないですねえ。
よほど周りを見ずに走っていたということですな。

でも最近の山登りは
こうして記録もつけているので、
しっかり記憶に残るでしょう。

大竜寺の山門で一礼をして



さあ、ここから次は新神戸を目指して下山です。

続く


ふたたび再度山へ 2

2014年11月16日 21時33分38秒 | ウォーキング

諏訪山公園のベンチでしばらく休憩。



リュッ君にも「神戸らしい眺望景観50選」
というのにも選定されている
この景色を堪能させてあげました。



その広場の端にあるレストランの脇を通り抜けて、
再度山ドライブウェイを横断したところから、



トレイル道に入っていきます。

神於山にもあったコウヤボウキや



アキノキリンソウを眺めつつ



それでもまだ眺望景色にも飽き足らず
さらに上の展望台をいそいそと目指しました。

急な山道を登りきると
本日最も高所にある神戸ビュースポットに到着。
それがここ。



ベンチもあっていいですねえ。

手前の三角屋根の建物が、
先ほど抜けてきた諏訪山公園の展望台にあるレストランです。



夜景を見ながらの食事は最高でしょうねえ。
つい一時間ほど前には見上げながら
間を縫うように歩いていた高層ビル群が
もうずいぶん下に見えています。

そこから道は、再度谷へと少し下ります。



その谷を通っているのが「大師道」です。



再度山の頂上直下にある「大竜寺」へ
弘法大師が登って行った道です。

弘法大師が入唐に際し、
祈願のためにこの寺を訪れ、
そして帰朝報告にまた訪れた
ということから「再度山」の名がついています。

その大師道を登って行きました。
しばらく行くと、「十四丁」と彫られた
こんな丁石が建っていました。



これはあと残りの距離を表しています。

丁石はたいていそうですね。
高野山の町石道も西高野街道も藤白峠もそうでした。

で、これを辿っていけば
大竜寺に着くという仕組みです。

紅葉にはまだ少し早かったので、
山の中にある丁石にかけられた
赤い前掛けが緑に映えて目立っていました。

街の地蔵の前掛けは
しばしば地蔵の姿を隠してしまって
良し悪しですが、
こんな山中の丁石の赤い前掛けは
なかなか良い目印になるものです。

川沿いの道を上がっていくと、
次の「十三丁石」もありました。



さて近頃は、トレイルランが結構メジャーになってきました。
毎日登る人もいるというこの再度山への道にも、
登山者に交じって
トレランぽい人がたくさんいて、
この谷筋の道ですれ違いました。
都会に近いので、女性一人での
ランニングも安心でしょうね。
「おはようございます」ときちんと
挨拶をしてくれました。
なかには、たらたら歩く登山者を
さげすむように一瞥するだけの人もいます。
歩く人たちとの共存のためにも
トレランの人はきちんと挨拶をしましょうね~。

治水事業で築かれた石垣に
こんなプレートが埋められていました。



おお~もう標高1800mも登ったか、
と思ったら180mでした。

そりゃそうだ。

急斜面を流れ落ちて街につながっている谷ですから、
砂防ダムなど治水事業の跡も随所に見られます。
何せ、最後の急斜面を下ったら
いきなりビル群ということですから、
鉄砲水対策や土石流対策は
万全に施されているんでしょう。
さほどにこの谷は急流なのです。



「土石流危険渓流」の標識も
いっぱい立てられてありました。



と、そうしているうちに十二丁石に着きました。



もう道は、登り始めのような
急傾斜はなく、このあたりは気持ちよく歩けます。



おお、こんな看板があるということは、



ここをマウンテンで行き来する
ツワモノがおるということなんやね。

のちほど、山の中でバイクの人に出会いますが、
この谷では見かけませんでした。

ん?もう十一丁?



なんかこのあたりの間隔は
ちょっと怪しいものがあるようです。

それにしても十一丁の丁石は
祠に入って幸せ者ですねえ。
藤白峠で見た七丁地蔵のようです。

十丁も過ぎ、



九丁は大半が土に埋もれていました。



谷あいの道にこういうのを建てるときは、
土石流とまではいかなくても、
大量の土砂が流れてきたときに
埋もれてしまわないような
場所を選ぶのが肝心でしょうね。

ここで標高207m。



先ほどは180mでしたので、
傾斜の緩やかさがよくわかります。

橋の突き当たりが「八丁石」。



ポツンと赤い点が
写真以上に目立つのです。
それがこんなにくすんだ赤でもです。



続く


ふたたび再度山へ 1

2014年11月15日 21時37分03秒 | ウォーキング

子どもの頃、親父と山登りといえば
六甲にもよく連れて行かれました。

ロックガーデン、風吹岩、
布引の滝、摩耶山、
再度山などはその頃によく聞いた名前です。

昔から親父は免許を持っていなかったので、
いつも電車に揺られていってました。

山頂のドライブウェイに暗くなってからたどり着き、
濃霧の中を不気味なバスで下りてきた
記憶なんかも残っています。

そんな記憶をさらにたどってみると、
いつもそこには元気な父親と
病弱なdoironがいます。
それゆえ我が子の身体を鍛えてあげようと、
山に連れて行ってくれてたのかもしれません。

今回登ったのは、そんな中から
「再度山(ふたたびさん)」を選んで
出かけることにしました。

再度山にふたたび出かけたとこういうわけです。

通勤の人達で混みあう朝の新快速電車に揺られ、
三宮の駅に降り立ったのが午前10時過ぎ。



ビルとビルの合間に見える六甲を目指して
テクテクと歩きはじめました。

マンふたにもそんな景色が描かれているように、



そう、神戸は高層ビル群のすぐそばに
山がそびえるという地勢が魅力の都市です。

三宮駅前の交差点を



繁華街に沿って、



西へと向かいます。

再度山に登る前にまず最初に向かったのが

生田神社



「神戸」と言う名は、
その神社のいわれと深~い関係があります。
生田社を支える家、
つまり「封」と言う制度からきているんだそうです。

以前から、神戸の街の後ろに控える六甲山脈が、
まるで神様が戸を建てたような地形であることから
その名がついていると勝手に思っていたのですが、
どうやらそうではなかったようです。

そう思っていたように六甲山が街に降りてくるところは、
急斜面の地形になっています。
都会の片隅に潜むこんな地蔵や



カラフルな消火栓のふたを眺めながら



なお西に向かいます。

お、こんなセンターもあるんですねえ。



行きたくはないところです。

山手幹線を右に折れて
北に向かうと緩やかに登りになっていて、
山にドーンと突き当たったところで
諏訪神社の入り口の鳥居にさしかかります。



ここから、doironが神の戸だと思っていた急な登りが
いきなりはじまるわけです。

おお~、この傾斜はたぶんもう車じゃほぼ限界です。



背後の櫓のような地形の上に立つ家と、



手前の煉瓦塀の傾きから
斜度がわかっていただけると思います。

そして傾斜が一旦緩やかになったところに、
また大鳥居が建っています。



そこに書いてあった由緒書によりますと、
この神社は外国人の方々、
華中の人達の信仰を集めているそうです。
喪中ですが、一応神社の境内まで行ってきました。

山を背後に厳かな雰囲気でした。



その神社の東側には、
金星台といわれる場所があり、



そこに金星観測記念碑があります。



明治7年に金星が太陽面を通過した時に、
それをここで観測したのを記念して
碑が建てられています。

金星は「ヴィーナス」。

この場所の上部に架かる歩道橋には
その名がつけられています。
再び急斜面を息を切らせて登って行くと、



その橋の橋脚が現れ、
頭上にグルグルと続く橋が見えてきました。



これが、神戸の恋人たちの聖地でもある
「ビーナスブリッジ」です。



ここから見える景色がこれ。



神戸は百万ドルの夜景といいますが、
昼間のこの景色から考えても
夜景はさぞかし素晴らしかろうと思われます。

ここからの夜景の素晴らしさに見とれ、
ロマンチックな気分になった恋人たちは、
この上の広場(諏訪山公園)の横にある
この「愛の鍵モニュメント」に鍵をつけて



愛を誓い合うんですね~。

昔は見境なくビーナスブリッジの手すりに
鍵をつけていて、困ったそうです。

それを解消するために作ったモニュメントなんでしょう。

それにしても恋は盲目とはいえ
大事な掲示板にこんな落書きはいただけません。



こんな彼氏には愛想をつかせてかまいませんから~。

と、半ば憤りながら
しばし神戸一望の眺望に見とれつつ休憩しました。

続く


義父さん、海に還る

2014年11月14日 21時01分08秒 | 生活

義父さんの趣味は写真と釣りでした。

写真は大きな賞も取ったことがあるという腕前で、
一時は家の横に現像所まで作っていました。

doironの撮影した花や山の写真についても
いろいろと感想を述べてくれましたが、
たいていはそれとなくけなす辛口評でした。

釣りの方はというと、
若い頃は沖の岩に船で運んでもらっての
磯釣りもよくしていたそうです。

晩年は山のため池のヘラブナ釣りや
渓流のヤマメ釣りなんかにも
こっていたことがありました。

和歌山御坊に移り住んでからは、
もっぱらサビキ釣りで、
イワシやアジを釣ってきては
それを肴に家でちびちびお酒を飲んでいたようです。

とまあ、そんな義父さんでしたので、
先日納骨する際に少しだけよけておいたお骨を持って、
思い出の海に散骨に行ってきました。



散骨についての法規制というのは、
厳密にはありません。

「墓地、埋葬等に関する法律」では、
埋葬や納骨についての規定はあっても
それ以外のことには言及しておりません。

また刑法190条における死体遺棄の罪についても、
「節度を持って行われる限りは違法性はない」
とされています。

問題となるのは、水源地の森に散骨した場合とか、
散骨場を設けるなどして近隣に不快感を与えるなどの、
どちらかといえば風評被害的な民事問題が絡んだ場合です。

なので、doironもここでは
「想い出の海」と書くにとどめておくことにします。

小さな袋にふたつまみほどの量を入れていき、
波打ち際で海に撒きました。



撒いた瞬間に風で飛んでいき、
海面に散らばったという実感もないほどでした。

「義父さん。好きな海やで~」
といって撒いた後、
陽が射してキラキラする海を撮影して帰ってきました。

するとまたまた不思議なことが起こりました。

帰ってきて写真を取り込み、
見てみると、何枚か撮影した海の景色の中で、
散骨した後の海の写真に、
天に登って行くような何かが写っていたのです。


右上の紐のようなもの
見ようによっては龍に見える?

レンズの汚れかと思って、
他の写真とも見比べてみたのですが、
この一枚だけに写っていたから
そうではないようです。
カメラの内部的なノイズなのかもしれませんが、
それにしてもこのタイミングで写るか
というような不思議な映像でした。

虹、夢、天女、そしてこの写真の龍のような画像に、
きっと何かの力が働いているとしか
思えないような散骨のひとコマでした。

合掌

追伸

今月中に実父の骨も思い出の山に
散骨に行こうと思っています。

その時にはどんな現象がみられるでしょう。
こわいような・・・楽しみなような・・・


初秋の神於山で 2

2014年11月13日 21時43分21秒 | ウォーキング

神於山は標高わずか296m。
地理的には里山っぽいところですが、
意外に奥深く、荒れていた山に
最近ようやく保全の手が入り、
多くの登山コースが作られています。

登るにつれて整備されてる感が出てきました。

登り始めの状況から
こんなに明るく整備されているとは
想像できませんでしたね。

峠のようなところが見えてきました。



登りきると、あちこちの地面に
イノシシが荒らしたような跡が見られます。



身体に泥をつけたヌタ場の跡か、
掘り返してミミズを探した跡でしょう。

そんなところがいっぱいありましたので、
なんかこうして歩いている今も、
森の影からこちらをうかがっているのじゃないか
と思ってしまうくらいです。

「お、久しぶりに人間が来たぞ。変なおっさんや」
とつぶやきながらね。

やがてこんな眺めの良い場所に出ました。



三国山から和泉葛城の稜線が一望です。
そんな展望スポットにも、
イノシシの痕跡がありましたので、
きっと、めったに人のこない普段は、
ここで景色を眺めながら、
風に立つイノシシを気取っているのにちがいありません。



あるいは
「猪突もほどほどにしないと怪我するぜ」
と、山並みを眺めながら
自分にブヒブヒと言い聞かせているのかもしれません。

役行者(えんのぎょうじゃ)が開いたといわれる

「神於寺」

との分岐では初めて道標が建てられてあるのを見ました。



それにしても役行者はあちこちにお見かけする名前です。
一体いくつくらいお寺を開いているのでしょうか。
王将は「餃子一日二百万個」といいますが、
役さんは「行者一日一寺」くらいは作っているのかもしれません。
まあ、今日の目的は山歩きなので、
役ちゃんには申し訳ないが、
ここも今回はスルーしましょう。

道端にはコウヤボウキや



シラヤマギク、



ヤクシソウの花も咲いていました。



結構植生は豊かですね。

そうそう、ここはコウヤボウキです。
「コウノボウキ」ではありません、念のため。

道を進むに連れいろんな看板が目につき始めました。

これは、この山の「自然再生事業」
について書いてありました。



これは案内地図。



これは道標です。



いろんな道があるようですが、
とりあえず山頂にあるという
展望台を目指しました。

国見台の分岐を左折すると
気持ちのいい山道が続きます。

思わずトレイルランの真似事をしてしまいました。

そして、展望台に到着です。



ここが神於山の山頂です。
登ると、近くに最近開業して取材してきた
「ららぽーと」のみならず、
関空から堺港まで泉州が一望。



連休だからか空気が澄んでいたので、
六甲連山から明石海峡大橋まで見えました。

ジム友にメールで送ってあげると、
普段マンションの上層階の窓から
見ている景色と同じだそうです。

どひゃー、そりゃそうやな。

失礼しました。

でもdoironにとっては絶景という他はない景色をバックに
ここはひとつタイマーで記念撮影しておきました。
パチリ。



展望台から下っていくと、
道が複雑に入り組んでいます。

この日は藤尾池経由の道を選びました。



すると、池の近くには
保全活動をされている人達の
基地らしき建物も立っていました。



お、この辺も地面が荒らされていますが、



犯人の痕跡が残っていました。



犯人は現場に戻ってくると言いますから、
張り込みしましょうか。

しかし、写真を撮って鑑識に回したら、
やはりイノシシでした。

そしてこの広場が20年くらい前に
doironがBBQをした現場です。



うっすら記憶に残っていました。

そこからは林道をひたすら下っていきます。



車を停めた愛菜ランドが眼下に見えてきました。



お、doironの車も見えています。
さてどれでしょう。
トレイル号を探せ!



そして林道も終わりに近づいたころ
出会ったのがこれ。



スギ地蔵です。



ここに水が湧いていて
それは美味だったそうです。

そしてそのすぐ下に、
今回のベストシーンです。



大きなウバメガシの根元にたたずむ
「ウバメガシ地蔵」がありました。

ここのパワスポぶりには鳥肌が立ちました。
写真でもわかっていただけると思います。



大きな樹に抱かれて
幸せなお地蔵様ですね。

最後にいいものみたなあ
と思いながら、登山終了です。

混雑する愛菜ランドで野菜を仕入れて、
約6キロ、初秋を満喫した二時間弱の山歩きでした。



終わり。


初秋の神於山で 1

2014年11月12日 21時11分16秒 | ウォーキング

「神於山」に登ってきました。

「こうのやま」と読みます。
「こうやさん」ではありません。

背後に和泉葛城山を控え、
旧外環と新外環の間にある山で、
「神が於わす山」ということで
その名がついています。

「髪をはやす山」では決してありません。

連休の最終日、と言っても
原稿依頼のない時には連休が続きますが・・・
ここでは世間でいう「連休」のことですから
そこんとこよろしく。

秋晴れの空気の澄んだ日に、
野菜中心の食生活を貫くために、
愛菜ランドへ買い物に行くついでに
前から興味を抱いていたその山に寄ってみました。

以前BBQに呼ばれて、
バイクで行って以来、
20年ぶりくらいの入山です。

歩き始めたのは午後2時。

ランドの駐車場に車を停めて、
外環を南下して意賀美神社横の登山道を目指しました。



この外環を歩いている時から、
もうすでに遠くの町が見えています。
車道越しに撮った景色がこれ。



わかりにくいのですが、関空も見えています。

上に上がるともっと眺望が広がるだろうと
期待に胸が膨らみます。
腹が膨らんでいるのは、プチ肥満のせいです。

道路端の看板には「神々のふるさと」の文字も見られました。



「髪々のふるさと」では決してありません。
(もうよろしいか?)

お、斜面の土止め壁にこんな飾りがあります。







この道は車でもバイクでも何度も通っているのに、
初めて気がつきました。
やはり歩いていると目に入る物が違いますね。
それにしてもあまり賢い税金の投入とは言えませんな。

山から下りてくるこんな道を
帰りはここから降りてくるのかなあと眺めながら



歩道を約1キロ歩き、みっつ目の信号の
「土生滝」交差点を左折します。



ここからしばらく歩道がないので車に注意です。

やがて意賀美神社が近づくにつれ、
ザアザアと水の音が聞こえてきました。

「土生滝」という地名の語源となっている

「雨降りの滝」です。

道をそれて少し降りて行き、
木々の合間に見え隠れしている滝を
無理やり撮影してみました。
これ。



ようく見ないとわかりませんよ。

このあたりは手つかずの自然が残っており、
それが評価されて
大阪府の「緑の百選」にもなっています。



意賀美神社はお菊山の登り口にも
同じ名前の神社がありましたねえ。



古来雨乞いなどに霊験があるとされる神社で、
大阪にはあと枚方にもあるようです。

雨乞いは先ほどの「雨降りの滝」と関係がありますが、
その説明と神社の紹介は別の機会にして、
今日は神社の前に架かる小さな小さな「椎の木橋」を渡ります。



最近見た中では、最も小さな橋です。



それこそ「飛び越え橋」と
名付けてもいいくらいです。

それが神於山の南の登山口です。
きっとかつては椎の木が渡されていたのでしょうねえ。

それを渡ると勾配の急な
苔むした石段が続きます。



登りきると、コンクリートの道が現れますので



それを左折してさらに登って行きます。
昔はずいぶん荒れていて、
近年ようやく整備されてきたとはいえ、
道には急斜面の上から崩れてきたと思われる
石や木の枝が散乱しています。
それどころか
こんなに崩れているところもありました。



雨の直後なら気をつけなければいけません。

それでも木漏れ日を浴びながら、
風のざわめきやたくさんの鳥の鳴き声に包まれていると、
気持ちが高ぶってきます。

山はいいなあ。

竹林からは風が吹く度に
カラコロと竹林独特の音も聞こえてきます。

この山を整備するにあたっては、
繁殖しすぎた竹の伐採が大変だったそうです。
春になったらたけのこがいっぱい出るんやろなあ
と思っていたら、こんな看板がありました。



見透かされています。

よく見たら竹林の林床は下草が
きれいに刈られていて、
どうやらタケノコを栽培しているようです。

この季節、気になるのは何と言っても

「紅葉」。

ぼちぼち色づき始めているだろうと思っていた通りに、
ところどころに紅葉が見られました。





車道から離れていくにつれ、
静かになっていき枯葉を踏む足音が山に響きます。

道路わきにはフユイチゴが実り始めていました。



「フユイチゴとるな」とはさすがに書かれておりません。

ズンズンと登って行きましょう。



続く。


おニューのショルダー

2014年11月11日 21時29分17秒 | ウォーキング

基本的に山を歩くときはリュック、
街を歩くときはショルダーと決めている。

リュックはこれ。



Colemanの「ウォーカー25」。
ネーミングからして
歩くのに適していることは一目瞭然だ。
25は収納のリッター数ね。

あ、てる坊はオプションです。
このブログ読者の方から
手作りのをいただきました。
「てる坊」と名付けてバッグにぶら下げ、
旅のお供をしてもらっています。
ただこの前のような雨の時は、
てる坊の名誉のために、
バッグ内に収納だったけどね~。
ビニールで合羽を作ろうかな?
う~ん、てる坊が合羽を着るというのは、
やっぱりプライドが許さんでしょうね。

話をリュックに戻しましょう。

ここでリュックというのも味気ないので、
リュッ君と名付けてあげましょう。
このリュッ君、
随所にこだわりを感じるつくりとなっている。

まず軽くて強そうな素材がありがたいし、
色もお気に入りなのだ。
収納も三層になって仕分けやすいのと、
メインには小さなサブザックがついていて、
そこにシートやタオルを入れると、
パッキングが少々雑でも
背負い心地を損なうことがない。

また肩紐にも小さなリングやベルトがついていて、
工夫次第でいろいろな使い方が出来る。
真夏にはペットホルダーをつけていたこともあるし、
小さな小物入れをつければ、
筆記用具、虫よけなどの収納にも使える
という優れものである。

したがってリュッ君の評価は
「☆みっつ」なわけだ。

問題はショルダーである。

今まで使っていたのはこれ。



頑丈さではぴかイチなんだが、
やはり収納がしにくいのと、
上部がオープンなので、
雨にも弱いという欠点がある。

「雨の時には歩かないからええか」と思っていたけど、
やはり突然の降雨ということもある。
できればこのショルダーを街ブラに使って、
あらたなショルダーが欲しいな
とずっと思っていたのだ。
人にそれを相談すると、
皆さんそれぞれこだわりのブランドがあるようで、
様々なメーカーのショルダーを紹介していただいたし、
自分でも買い物に行くたびに、
目を光らせていたのだ。

あるときなんか、
商品棚から取り出して
レジの直前で思いとどまった、
ということもあるくらいだ。

その理由が
色が黒だと地味だしスズメバチが・・・とか、
やはりもう少し軽い方が・・・とか、
この色は汚れやすそう、
内部のコーティングが熱でねちねちになりそう
といった理由でなかなか決まらなかったのだ。

ところが先日、友達とりんくうに行ったときに、
ついにようやくこれというのを見つけた。

それはリュッ君と同じColemanのもので、
色もデザインも素材もリュッ君と共通。

しかも収納が多様で、
ペットボトルなどのクーラー機能のある
ポケットもついているという優れもの。

これまで数々見てきたショルダーの欠点が
ことごとく解消され、
あまりの理想の姿に絶句してしまったほどだ。

当然お買い上げしてきました。
これ。



さあて、名前はなんて付けようかな?
そしてこれの初使用はどこにしようかな?と
毎日眺めてニヤニヤしている今日この頃なのだ。